2009年11月19日

食糧危機問題って何?

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上の画像はここ
からお借りしました
食糧危機の問題って具体的に何?って言われたら、みなさんはどんな風に答えますか
恐らく、 「食べるものが無くなってしまう」とか、 「食糧の値段が高くなる」 とか、 「自給率が低い」とか、あるいはあるいは 「食品の安全性▽」とかいろいろ出てくるかと想います
この間も仲間で食糧危機問題って聞いて何を連想するかを出し合ったのですが、食糧危機問題のイメージや問題の捉え方が、メンバーそれぞれ異なることに気付きました
そこで、るいネットで食糧危機問題とは何か?が一目でわかる投稿はないかと探していたら、本質を捉えている図解投稿を見つけました。
今回は、そんなこの図解を紹介したいと想います。この図解を見れば、一発で食糧危機問題とは何か?さらにその原因は何か?までわかります。
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2009年11月15日

【減反政策は歴史上最悪の政策2】

新しい「農」への途(1-9)―戦後農政の超克―
概要は、前回 の通りですが、もう少し中味に迫ってみます。
◆自ら「自給の道を断った」1961年の農業基本法の問題性
1961年農業基本法は、以下の左側のような目標を掲げて実践されました。
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しかし、実態は右側のようなことになった、といいいます。
「①生産品目の拡大」は、「果樹・畜産・酪農・各種野菜etc.」を目指したこと迄は分かるとしても、それが何故『地域専業路線』になるのか?、という問題です。
途上国に対する植民地政策においては、グローバリゼーションの名の下に(「適地適作」の正当性を根拠に)、「単一作物のプランテーション」を強要し商品作物生産一辺倒にさせることで自給作物生産を根こそぎにしてしまった、という歴史があります。(*参照→「飢餓と格差はなぜおこるのか?!」)
そのことで、プランテーション主は冨を得ましたが、自給の道を閉ざされ、わずかな収入も食糧の購入へと廻さざるを得なかった農業労働者は、以前以上に困窮を極めました。同様のことを強要したことに相当する『農政』は、自滅の道を選んだとしか言いようがないほどの『愚作』としか言いようがありません。

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2009年11月10日

見知らぬ人々との認識交流の場=原初の社会

皆さんこんばんは、農業一年生のsugi70です 🙂
ちなみに今日は、農業とは関係ないのですが、近くの村に廃校になってしまった分校があり、いらない資材や備品を頂戴してきました。机や椅子だけではなく、流し台や蛍光灯、さらには顕微鏡まで、そのままでは捨てられてしまうものでも、農業をやっていると何でも宝の山に見えてきて、わくわくした一日でした。ちょっと工夫すれば、どんなものでも修理や改良、加工ができるんでしょうね。
さて、雑談はここまでで、本題に入っていきます!
今回も、『次代を読む』から、次代の農業を考えていきたいと思います。
タイトルは『見知らぬ人々との認識交流の場=原初の社会』ですが、これと農業がどのように関連しているのか、どのような可能性が見えるのか、本文を参照しつつ、追求していきます。
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2009年11月08日

新しい「農」への途(1-8)-戦後農政の超克ー【減反政策は歴史上最悪の政策】

こんにちわちわわです。
1960年代高度経済成長により工業化が進展して国民所得は急激に伸び、1970年ついに家電の普及率もほぼ100%に達し、豊かさが実現しました。
米の生産は60年代半ばにピークに達し、農村から都市へ人口が移動し、農村は残されたじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんが行う三ちゃん農業へ、そして、農村に残ったおやじも、週末だけ農業をし、他の仕事で収入を支える兼業農家となってゆきました。
一方米の需要は食の洋食化で減少し続け、米余りが深刻になってゆき、70年ついに減反政策が敢行されます。
なぜ、この「減反」という愚作が行われたのでしょうか?今回はこの本質部分を突いていきたいと思います。
「減反」ばかやろーと思った方↓↓ぽちっと!

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2009年11月05日

生きる業が美しい

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写真は ここ よりお借りしました
こんにちは
今日は、類農園 で受け入れている農業インターシップ生の感じた農業・農村について紹介したいと思います
これまで本格的な農業を経験したことのない研修生だからこそ、感じることの出来る農業や農村の魅力はたくさんあります
どんな魅力があるのか
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2009年11月03日

こんな機械つりました NO3 田植え機改造防除機

こんばんはhakosuka です。
こんな機械作りましたも今回で3回目なります。今回紹介するのは 田植え機改造防除機  です。
農業の現場で行う防除作業には、除草剤や、殺虫剤、殺菌剤等を撒きますが、これが結構しんどい作業で、農薬を有効に効かせて、できる限り回数を少なくしたい作業です。
DSC03324.JPG DSC03325.JPG
上の写真は、人力での手撒き作業で二人一組でこんな具合で進めていました。1日かっても5反程度しか撒けません。そのうえ噴口をもっている手がだんだん疲れてきて、撒きムラが多くなってきます。そうすると雑草 がはえたり、害虫が出てこまった事になってしまいます。
加えて、筋肉痛で手が震えてお箸が持てなくなることもあります。
ほんまにアッカンベ~ の仕事です。
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上の写真は、農機具メーカーが市販している散布機ですが定価が400万円もします 。 高額で手が出せる物ではありません 😥
そこで登場したのが 田植え機改造防除機 です。
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2009年11月02日

新しい「農」への途(1-7)――戦後農政の超克――)

新しい「農」への途(1-6) の続きです。
◆農協と自民の蜜月関係に殴りこむ民主
2007年の参院選挙では、民主党が「戸別所得補償」を掲げて大勝し、多くの自民党農林族議員が落選しました。2009年の衆議院選でも、同様に民主党が「補助金行政から直接支払」を掲げて圧勝しています。
┌───────────────┬────【民主党】────────┬─────────【自民党】──────┐
| 1)農業者に対する助成 |別所得補償・直接支払     |減反策・営農組織の育成策     |
| 2)米の生産調整のあり方|選択的な生産調整に移行する|不公平感の改善            |
| 3)農協組織との関係   |農協組織と距離を置いている |農協組織の強い支援        |└───────────────┴──────────────────┴────────────────────┘
戸別所得補償とは、販売農家に「販売価格と生産費の差額」を支払う制度です。
農家ごとに設定する生産数量目標に即した生産を行うことを支払いの条件としています。

▲篠原孝・衆議院議員がフォーラム「戦後農政を大転換せよ ―減反廃止と農業構造改革―」
で篠原議員の配布した資料には、
兼業零細農家への直接支払い額の暫時減少案が提示されていますが、「ゼロ」と出来ないところに、
農協との決別に腰砕けになりそうなことを予感させます。

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2009年11月01日

新しい「農」への途(1-6)――戦後農政の超克――)

新しい「農」への途(1-5) の続きです。
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★「農協=農林族=農水省」という農政トライアングル


>戦後の農政を制度的に構成してきた柱は、食糧管理制度、農地制度、農協制度である。政治的に見ると、その中心に、自民党農林族、JA農協=コメ兼業農家、農水省から成る「農政トライアングル」がある。農業の地位が低下するなかで、農水省は予算獲得に自民党農林族の政治力を頼った。自民党農林族はその見返りにJAに票のとりまとめを要求した。農政へのJAの見返り要求は米価だった。これが「農政トライアングル」の政治構造である。<

と山下一仁氏は指摘しています。「農」を蔑ろにして肥大する農協の命脈は断つことが出来るのでしょうか?
◆農協は、農林族議員影響力下の農水省を抜きにはありえない。
農協は、農水省が所管する農協法によって設立された法人です。農協法がなくなれば、根拠がなくなり消滅してしまいます。その意味では、農林族に首根っこを握られた存在です。
農協が種々の政治活動によって実現できる法制度や権益や予算の獲得は、農水省という組織を前提にしています。農水省が解体されて他省の一部組織にでもなろうものなら、農協の政治力も解体されて、その存在も危機に晒されます。あるいは、農水省が不祥事を起こしてその存続の危機に晒されれば、農協にも危機を招きます。
また、農協が集団的な自我のなすがママに自己利益を求めた結果、農水省が国民の支持を失い、その存続の危機となることは避けなければなりません。その程度のブレーキは働きます。

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2009年10月31日

新しい「農」への途(1-5)――戦後農政の超克――)

新しい「農」への途(1-4) の続きです。
今回は、農協問題をみてみます。
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★近代日本史は、政党や官僚勢力の拡張競合の歴史
「日本の近代史は、政党や官僚勢力が、いかに「地方」へと影響力を拡張させるかの競合の歴史。」と云われます。戦前期に最大の農業者団体であった「系統農会」も、国と農業者をつなぐ回路であり続けました。
—————————————-
1899年、農会法により、農会が町村・郡・府県に系統的に設けられる。
1910年、系統農会の中央機関として帝国農会が法制化される。
1922年、新農会法の施行によって、会費の強制徴収が可能となる。
1943年、産業組合などの農事諸団体とともに農会は農業会に統合される。

—————————————-
◆帝国農会は、内務行政とは独立した農林省のパイプ(1899年~1922年)
農会が目的としたのは、直接経営農民の農家生産の安定そのものでした。農林省は、「個別の農家の経営・生活の改善にまで踏み込んで指導する」ことを国家的事業と位置付けました。両者の意図を具体化するものが、技術員指導網でした。
1922年の新農会法の施行によって会費の強制徴収が可能となるや、[帝国農会]―[道府県農会]―[郡市農会]―[町村農会]の系列からなる技術員指導網が一元化して成立する契機となり、系統農会は、国家と農業経営者をつなぐパイプとしての方向性がより強調されました。
系統農会は、技術員網を張り巡らせることで、内務行政とは独立した系統組織を確立することに成功しました。それは、農林省の指導網が整備された、ということでもありました。
◆農家経営改善の終焉と内務行政の巻き返し(1922年~1943年)
1920年代には、「農家経営改善をすることこそが『公益』であり『国家的機関』のなすべきこと」と位置づけられてきました。ところが、戦時期には、「農家の経営改善は『私経済』の改善に過ぎず、増産要求という『公益』の前には「私益」に過ぎない」とされました。
系統農会は、その根底が覆されて系統的な技術員網を維持することができなくなります。1943年に実現した農業団体統合の過程で、内務省系統の統制の下に、農業団体は組み込まれていきます。
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▲映像はここからお借りしました
=========================
★農協はその生い立ちから食管制度に組み込まれていた
———————(Wikipedia)——————-
1900年、産業組合法により、産業組合が設立される。
1906年、産業組合法が改正され、兼営(信用・購買・販売・利用)が可能となる。
1933年、農村負債整理組合法公が布され、
    国庫からの低利融資の受け皿として集落単位の負債整理組合が設立される。
    その大半は産業組合が担った。
1943年、農農業団体法が成立した。
    →中央では帝国農会・産業組合中央会などが解散し、中央農業会・全国農業経済会に再編された。
    →地方においては農会・産業組合などが解散、市町村・道府県単位で農業会に再編され、
     協同組合から戦時統制団体へと転換した。
    産業組合中央金庫は農林中央金庫に改称した。
1945年、中央農業会など農業会の全国組織は、戦時農業団として統合され、全国農業会と改称。
1948年、農業会はまでに農業協同組合へと移行した。

—————————————————– 

>JAの前身である戦前の産業組合は、当初地主や富裕農家を組合員とする信用(金融)事業のみを行う自発的な組織だったが、昭和の農業恐慌に対処するため、農林省により全ての農家を組合員とし信用事業だけでなく資材購入、農産物販売等の事業を総合的に行う組合が全国に設立された。
>さらに、終戦直後食糧難で米等の政府への供出が緊急課題だったため、政府は戦時中産業組合と地主階級の政治団体を統合して作った全戸加入の統制団体を農協に衣替えさせ、食糧供出機関として利用した。
>こうして、農民の自発的組織という形をとりながら、全国各地に地域の全ての農家が参加し、農業・農村についてのほとんどの事業を担当する、世界にも珍しい、“官製”の“総合”農協が誕生した。(山下一仁氏)

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2009年10月29日

「知識人」が撒き散らす旧観念こそ、全面的な閉塞状況を作り出した真犯人である

こんにちは、こまつです。
今回は、「次代を読む」から、
「『知識人』が撒き散らす旧観念こそ、全面的な閉塞状況を作り出した真犯人である」
を紹介します。

「知識人」が撒き散らす旧観念こそ、
全面的な閉塞状況を作り出した真犯人である

 しかも、現実に背を向けたその狂った観念が、人々の頭の中を支配してしまっている。その結果、人々が何か物を考えようとしても、その観念を足がかりにするしかないので、考えれば考えるほど狂った観念世界に嵌り込んでゆき、まともに物を考えることが出来なくなる。だから、まともな人々は、むしろそんな観念など見向きもしなくなり、物を考えることまで止めて終った。全般的な思考停止である。
 この社会は、人々の共認によって成り立っている。従って、共認形成こそ、社会形成の生命部である。だが、その共認形成が発信階級によって支配され、しかもその中身=観念が狂っているとしたら(そしてその結果、普通の人々は思考停止状態にあるとしたら)、社会は全面閉塞に陥るしかない。
 現代社会の至る所で噴出する異常現象は、全てこの異常な現実否定→倒錯思考の観念パラダイムが生み出したものであると言っても過言ではない。しかも、その旧観念は、新しい可能性の出口を塞ぎ、人々の活力を奪い取ってゆく。従って、知識人が撒き散らす旧観念こそ、この社会を全面閉塞させた真犯人なのである。

「農学栄えて農業滅ぶ」
「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」

近代農学の祖、東京農大初代学長、横井時敬の言葉が想い起こされます。
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posted by komayu at : 2009年10月29日 | コメント (8件) | トラックバック (0) List