2020年08月06日

農業は脳業である5~合鴨農法、その発想と技術体系

合鴨農法の追求。(リンク)

目先的な生産・経済効率に傾倒しがちな近代農法とは一線を画した、発想と技術体系。

日本の稲作の歴史は約3000年といわれるが、自然・土地・生物循環の構造や秘められたエネルギーに同化すれば、なおも新たな可能性が生まれる余地は大いにありそうだ。

 

以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)

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2020年07月30日

農業は脳業である4~一つの鳥に万の宝あり

あまり過重労働にならず、だれにでもできて、循環的・永続的で、環境によく、魚が戻ってくるような有機農業の技術。(リンク)

合鴨農法の追求に、その可能性をみる。

一つの鳥に万の宝あり。一鳥万宝、その中身。

 

以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)

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2020年07月28日

今の時代 -心がかわく理由- そして食から農へ

紹介する記事は、2013年にスモールファーマーズ/古谷壮弘氏のコラムです。

現代の私たちの心の有り様を的確にとらえています。心の乾く時代とは何か?

その中で、実は人という種が自らが作った社会システムの中で、人の先端可能性の本能機能である観念:「考える」ことをできなくなっているという事実が浮かびあがってきたのです。

 

では、転載開始【リンク】 2013.03.19

21世紀は「心の時代」と言われます。心ってなんて難しいんだろうと思います。他人の心も自分の心も。そう感じるとき、心がかわくという表現をすることがあります。

「心の時代」とは「心がかわきやすい」時代……表現の仕方は色々とあるにせよ世相に敏感な企業のキャッチフレーズにもその片鱗が見て取れます。

・ こ・こ・ろ・も・まんたんに・コ・ス・モ・石油(コスモ石油株式会社)

・自然と調和する こころ豊かな毎日をめざして(花王株式会社)

・お金で買えない価値がある。買えるものはMasterCardで。(マスターカード)

・マチのほっとステーション(株式会社ローソン)

などなど…

 

◆私たちの心がかわきやすい理由を探る

今の時代は昔に比べて単に苦労が多いとか労働時間が長いとかそんな話しではないはずです。4500年前のピラミッドや1260年前の東大寺大仏の建設、1000年以上続いた中国の科挙試験を初めとする世界の過酷な試験競争などそれぞれの時代ごとに大変だったことはありました。戦争も古代より繰り返されています。

でもそれにしても私たちは、現代に特有と感じる「心のかわき」を感じることがあります。

何かがおかしい…、私も含めそう感じている人は多いと思います。

現代に特有なことが原因だとすると、過去1万年の歴史の中でここ最近だけに特徴的なことがらとは何か。同じように現代に特有の問題である急激な人口増加や環境破壊などの原因とも言えます。

 

◆原因

「心がかわきやすい」「環境問題、急激な人口増加」などに共通する原因をつきつめると、

”人間の生理的に耐えられるスピードを超えたサービスと仕事が日を追うごとに加速していること”…これにいきつきます。徹底して帰納すればこれに行きつくはずです。

便利でスピーディかつ、表面的な欲求にすぐ対応しているサービスは自分にあわせてくれているように見えますが、自分の考える時間、感じる時間がなくなっています。選び抜かれた少しの商品とサービスが次々に自分の前に並んでいき、それをスピーディに受け取ることが当たり前になっています。

 

サービスを仕事として提供する側もスピードをあげて開発します。グローバルに投資を受け、短期的な利益を上げ、投資家にメリットを出さざるを得ない社会構造ではスピード違反などとは言っていられません。

サービスを受ける側、与える側双方がスピードアップする中、人によってそのスピードに疑問を持ったり耐えられなくなったりするのは当然とも思います。

それなのにそれをなんとか解決する術(すべ)を知っている人はなかなかいません。教えてくれる人もいません。結局自分で考えないといけないのですが、スピードアップする世界がそのヒマとスキを与えてくれません。

 

◆もう一つの問題

そのうえ、スピードの速さはもう一つ大きな問題を作り出します

スピードの速さが世界の構造を複雑にして巨大にし、個人個人の仕事が細分化されることで個人個人のコントロールできる範囲をせばめています。

遠く離れた国で作られた製品、使い方だけわかるが原理のわからない機械、どこの誰がどうやって育てたかわからない食べ物、表面的な欲求を次々に満たすことはできてもわからないことがどんどん増えています。

わからないことはコントロールすることもできないわけで、自分の生活の中でコントロールできる範囲がどんどんせばまっています。自由のようで自由でない、全て自分で決めているようで、他人の決めた少しの選択肢の中でしか選ぶことは許されない。

しかもその選択肢はどこの誰がどういう基準でどういう思想で作ったかよくわからない。そんな世界が加速しています。

このように人間の生理的なスピードを超えた世界はそのスピード自体が問題なだけでなく、コントロールできる人生の範囲を狭めてしまうことにも大きな問題があります。

コントロールできない人生が生理的な限界を超えたスピードを強要される……これでは「心がかわく」はずです。満たされないはずです。

これに関して環境ジャーナリストの枝廣淳子さんは「自分の手綱を自分でしっかり握ることが大事」という表現をされています。

ではどうすれば理解できる範囲を広げ、コントロールできる範囲を増やし「心のかわき」をうるおすことができるのでしょうか。

 

◆人生の一番基本の行動は「食べること」

そこで「食べること」が大事になってくると考えています。「食べること」は自分の人生を作る一番基本の行動です。ここが自分でコントロールできないと、全てがコントロールできず、自分の人生が自分のものでなくなります。 

「食べること」のコントロールには自分で調理することだけでなく、自分で作ることも含まれます。一次産業が主要産業だった頃は食べ物は自分で作り、自分で調理し、自分で食べるのが基本でした。そこには苦労はあってもわからない範囲はなく、自分で「食べること」をコントロールしていました。その全ては代々家と地域で受け継がれており自然と教わることでした。

ここに立ち返ることが大事です。時代をさかのぼるのではありません。今を生きるために、自分の人生をコントロールするために、「食べること」を理解するのです。理解するだけでなく自分で作る量が増えればもっと良いですし、他の人に「食べること」を理解してもらうという精神で農作物の販売、流通をすることは心の底から喜ばれる行為です。

「食べること」を自分で徹底して理解する、体と頭で納得する、自分のものにする、自分の生活の中に組み込む、周りに広める。その行動が加速する世界と理解できない範囲が増えていく中で、かわきやすい心をうるおす最高の方法だと私は考えています。

以上転載終了

 

◆まとめ

振り返ると、今の社会は、学校の試験制度も日常生活においてもすべてが与えられ、加えて、自ら感じたり、考えるという行為を行うヒマやスキがないことは実感するところ。

このコラムに出会い、今を生きる人たちにとって、日常の「食」という行為は、本能(五感のすべて)に直結しながら。自身で考えること。自身でコントロールすることを可能にする行為であり、潜在的に必要であることが大きな気づきでした。

更に、新しい農とは?をこのブログで追求していますが、本能に直結した「食」という行為が本能をまっとうに復活させる一つの筋であり、更にその「食物」をつくる農が背後にきっちり存在することが、本来の人間の真っすぐな生き方、自らの生きる元に繋がる活動であることも気づきでした。

自らが作った社会システムの中で、人の先端可能性である観念機能(自ら考えること)を進化させていくためには、農を通じて食に繋がっていく行為が、人らしく生きる今の私達の「心のかわき」を潤すことを可能にするのです。まさに農のあたらしい形・視点とは言えないでしょうか? では次回もお楽しみに

 

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2020年07月22日

農業は脳業である3~田んぼに魚が戻ってくる技術

農業近代化は、子どもたちの眼には「田んぼや池や川から魚が消えていく現象」として映った。

退屈で面白くない空間になってしまった、現代の川、山、田んぼ。

かつて子どもたちが魚獲りに心躍らせたような田んぼを取り戻すために、問われる技術とは。

 

以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)

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2020年07月16日

農業は脳業である2~農業近代化と引き代えに失ったもの

確かに存在した日本の農の原風景。(リンク)

それから半世紀。

農業近代化と引き代えに私たちが失ったものは、計りしれない。

 

以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)

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2020年07月14日

まやかしの食料自給率目標と農政の亀裂

本日は、食糧自給率についてのお話です。食料自給率の目標の裏側には、ある組織の思惑があったのです。その内容に迫ります。 

転載開始

キャノングローバル戦略研究所 【リンク

研究主幹 山下一仁[研究分野]農業政策・貿易政策  2020.07.07

 

◆食料自給率目標の裏側

食料自給率とは、国内生産を輸入も含めた消費量で割ったものだから、飽食と言われる今の消費を前提とすると、自給率は低くなる。今の生産でも、過去の食生活を前提とすると自給率は上がる。飢餓が発生した終戦直後の自給率は、輸入がなく国内生産が消費量に等しいので100%だが、今よりこの時の方が望ましいという人はいないはずだ。消費量の変化によって上下する食料自給率という指標に意義はない。

しかし、2000年閣議決定された食料・農業・農村基本計画は、10年間で食料自給率(カロリーベース)40%(当時)を45%に引き上げることを目標とした。以降政府は20年もこの目標を掲げているが、逆に37%へ下がっている。

閣議決定された目標がこれほど長期間達成されなければ、普通の役所なら担当者の責任問題が生じるはずだが、農水省で責任を取った幹部も俯(うつむ)く職員もいない。自給率向上は、予算獲得や関税維持のための看板に過ぎないからだ。

食料自給率は、最も成功した農政プロパガンダである。小学校の教科書にも食料自給率が低いことが記述されており、国民のほとんどが、これを引き上げるべきだ、そのためには農業保護が必要だと考えるようになっている。このような中で食料自給率が上がれば、もう農業予算など要らないのではないかと言われてしまう。自給率は低いままの方がよいのだ。

 

◆自給率低下の政策を採ってきた農政

そればかりか農政は自給率を低下させてきた。真面目にカロリーベースの自給率を上げようとすれば、米の減産を行う減反政策を廃止すべきだった。(※全体の食料消費量は変わらないなかで、米価低下で米の代替品であるパン、うどんなどの外国産由来の麦製品の消費は減少する一方、国産の米の生産量が増えるので、食料自給率は向上する。輸出が行われるようになると、米の自給率は100%を超える。)

ところが、農政はJA農協の圧力に屈し、1960年以降食管制度の下で米価を大幅に上げて国産の米の需要を減少させ、さらに麦価を据え置いて輸入麦主体の麦の需要を拡大させた。外国品優遇政策を採れば、自給率が低下するのは当たり前だ。高米価政策は95年の食管制度廃止以降も減反制度によって継続し、現在毎年10万トン以上の米が減産されている。

今では米を500万トン減産する一方、麦を800万トン輸入している。1960年当時米の消費量は小麦の3倍以上もあったのに、今では同じ量まで接近している。2011年家計調査では米の購入額はパンを下回った。もはや日本は安倍総理が主張するような”瑞穂の国”ではない。亡国農政の仕業である。

思い返せば、1993年ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉で米の関税化特例措置をアメリカ等に認めさせたとき、その根拠として食料安全保障などの非貿易的関心事項を掲げた。この当時米の生産量は1千万トンを超えていた。それが減反で今では750万トンもない。米の生産を4分の1以上も減少させて、何が食料安全保障だろうか?戦前農林省の減反案を潰したのは陸軍省だった。今に陸軍省はなく、代わって農協が懸命に米減産の旗を振る。

高米価政策は、JA農協の繁栄の基礎となった。農協は高い米価と高い肥料・農業機械などの資材価格の両方で販売手数料を稼いだ。それだけではない。高米価で零細な農家が大量に滞留した。これらの農家の主たる収入源は兼業収入と年金収入である。2003年当時で兼業所得は農業所得の4倍、年金収入は2倍である。JA農協は銀行業を兼務できる日本で唯一無二の法人である。これらの所得はJA農協の口座に預金され、JAバンクが預金量百兆円を超える日本第二位のメガバンクに発展することに貢献した。

米農家の所得を補償するなら、米価を低くしてもアメリカやEUのような直接支払いをすればよい。日本でも酪農には加工原料乳の不足払いがある。しかし、そのような政策は、多数の米農家に立脚するJA農協の利益に反するものだった。

アメリカにもEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。これらの団体とJA農協が決定的に違うのは、JA農協それ自体が経済的な行為を行っていることだ。このため、JA農協が代弁する利益は農家と言うより自己の組織の利益である。米価を下げても直接支払いをすれば農家は保護されるが、農協は利益を受けない。規模拡大による構造改革をすれば農村は救済されるが、農家戸数が減少する農協は基盤を失う。

 

◆農政トライアングルに起きた亀裂

農政は、農協、農林族議員、農水省の三者による”農政トライアングル”で実施されてきた。ところが、今回の一部の農林族議員から、自給率目標を掲げるべきではないという否定的な意見が出された。目標未達成に責任を取ろうとはしない農水省とは違い、20年かけても目標が達成されないことに選挙民から彼らへの批判が出ているからだ。

もちろん農協や農水省は、国民から農業保護への支持を取り付けるために、自給率目標を降ろしたくない。そこで、農水省は、食料自給率を高く見せかける方便を考えた。畜産物について、ほとんどを海外からの輸入飼料に依存していること(国内の飼料自給率は25%)を無視した新しい自給率の提案である。

これまでの食料自給率は、輸入飼料から生産された畜産物を国産とは扱ってこなかった。輸入飼料が途絶えると畜産の生産もなくなってしまう。輸入飼料の加工業のような畜産には、食料安全保障上何らの意義もないからである。

今回農水省は、完全輸入飼料依存の畜産物でも国産とカウントする食料自給率も提示した。食料全体の自給率は従来の37%が46%に上昇する。ごまかしだが、農水省としては自給率が低位にとどまることについての責任逃れをしようとしたのだろう。

ところが、JA農協は、飼料自給の向上がおろそかになるという正論を主張して反対した。減反の基本は、他の作物に転作すれば補助金を交付することで、主食用米の生産を減少させることである。その転作作物として重要なものが飼料米である。つまりJA農協は、飼料自給向上という政策目標が失われれば、飼料米生産への転作補助金がカットされ、米価を維持できなくなるのではないかと恐れたのだ。

 

◆蛻(もぬけ)の食料安全保障政策

農業村の人たちが無意味な食料自給率向上を議論している一方で、食料安全保障政策は何も進んでいない。

新型コロナウイルスの影響によるロシアやインドなどの輸出制限をきっかけに、評論家たちが日本で食料危機が起きると主張する。TPP交渉の際には、食料が戦略物資として使われると主張する農業経済学者もいた。彼らは世界の穀物供給政策について、まったくの素人である。

食料として最も重要な農産物は、カロリー供給源となる穀物と大豆である。小麦、大豆、トウモロコシなどの輸出国はアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの先進国が主体だ。小麦について見ると、この三カ国では輸出量が生産量の6~7割もの割合を占めている。これらの国が輸出を制限すると、国内に穀物があふれ、価格が暴落し、深刻な農業不況が生じる。結果的には、米中貿易戦争による大豆輸出減少と同じ現象が起きる。消費面では、穀物価格が上昇しても所得水準が高いので、インドのような輸出規制をする必要はない。大豆の禁輸と対ソ穀物禁輸という70年代の輸出制限で大きな痛手を被ったアメリカは、二度と輸出制限を行わない。

ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉の最終局面で、私も含めた日本交渉団は輸出制限を禁止すべきだという提案を行った。私はアメリカが反対するのではないかと思ったが、杞憂だった。反対したのは、作況で輸出国になったり輸入国になったりするマイナーな輸出国インドだった。

2008年のように穀物価格が3倍になっても、経済力のある日本では食料危機は起きない。日本で食料危機が起きる唯一のケースは、軍事的な紛争などでシーレーンが破壊され、輸出国の小麦や牛肉などを積んだ船が日本に接近できないときである。これに対処する最も効果的な食料安全保障政策は、減反廃止による米の輸出である。危機時には輸出に回していた米を食べるのだ。輸出は財政負担の要らない備蓄の役割を果たす。同時に米の増産による農民、農地など農業資源の確保もできる。

それでも十分ではないかもしれない。この時石油などの輸入も途絶するので、農業機械は使用できないし、化学肥料や農薬の生産・供給も困難となる。現在のような単収が期待できない以上、より多くの農地資源を確保するため、ゴルフ場などを農地に転換しなければならない。また、機械、化学肥料、農薬を労働で代替せざるを得ないため、国民皆農も視野に入れた教育も考えなければならない。食料有事法制が必要なのだ。流通面では、戦時戦後におけるような配給制度を復活しなければならない。しかし、購入通帳の用意はない。

農政は食料危機をあおるばかりで、必要な対策については十分に検討してこなかった。そもそも減反という亡国農政の廃止に農協が反対する以上、食料安全保障政策などできそうにない。

以上転載終了

 

◆まとめ

農政が、これまで掲げてきた食糧自給率の値は、予算獲得や関税維持のため、農政のしくまれたプロパガンダを成立させるための数字であり、選挙民から彼らへの批判が出たとたんに数字の母数を変えて自給率を上げるというやり口は、まさに詐欺行為そのもの。 

次代やこれからの人々の意識潮流が本源可能性に向けて動きだしていく中で現実の農業体制を見ると、農政と農協の己第一の所業によって、日本の農業の将来に蓋をし続けていく危機感を覚える。

食料安全保障政策についても全く何も考えていないという状況にも愕然とする。果たして日本は、これからどうなっていくのか?少なくとも、今の農政や農協には答えは出せないのは明らかであろう。

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2020年07月09日

農業は脳業である1~原風景

今から50年前、確かに存在した日本の農の原風景。

カネに代えられないこの価値を、これからの時代にどう再構築していくか。

 

以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)

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2020年07月02日

農的社会13~コミュニティ農業Ⅲ.循環させる力

あらゆる地域資源をひとつながりものとして循環させていく仕組み作りが、

コミュニティ農業の基盤になる。

 

以下、転載(「未来を耕す農的社会」2018著:蔦谷栄一)

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2020年07月02日

〜自然と人の“あいだ”を取り戻す協生農法〜近代農業の限界から登場した農法~

今回のレポートは、近代農業の存在意義について論じています。そもそも人類も数多ある生物のひとつの種であり、自然の生態系の中で存在しています。

遠い昔、人類は自らの生存をかけ、外圧適応のひとつの生産様式として農業を開発しました。

そして、時代は変わり、自然をコントロ―ルしながら、近代農業は存在しています。一斉に同じ種類の野菜や穀物を栽培し、それも水と栄養を過剰ともいえる量を与えながら収穫高を確保する。

果たして、この生産様式は、正しいのか?つまり、地球環境や生態系といった視点でこの生業を俯瞰してみた時にまだまだ改善の可能性があるのではないかと・・・・

焦点は、「共生農法」・・・今回は共生農法についての記事を紹介します。

Published by EcologicalMemes on 2020年4月18日

転載開始【リンク

「地球の生態系に包摂された生命として人はどう生きるのか」

こうした感覚は当たり前のようで、そのつながりを切り離してきた現代社会では失われてしまいやすい。気候変動や生物多様性などの危機が深刻化する中、わたしたちは自然の生態系とどのように関わっていくことができるのだろうか。

本記事では、2019年12月に開催された『Ecological Memes Forum ~あいだの回復~』で行われた体験型セッション「生態系を回復する技術〜シネコカルチャーを巡る対話~」の内容をレポートする。

ナビゲーターは一般社団法人シネコカルチャーの福田桂(ふくだけい)氏。

~中略~

 

■生態系の「あいだ」を回復する協生農法とは

草木が生い茂る山々から着想を得た協生農法は、近代農業における三つの常識「耕す、肥料を使う、農薬を使う」を一切せず、土、植物、昆虫、空気、水などの生態系が潜在的に有する自己組織化の力を総合的に活用する技術である。その方法論は、生物が海から陸に上陸し、動植物が協同して陸地の表土の仕組みを作り上げた地球の生命の歴史に基づいているのだという。

生態系が崩壊した土地に豊かな生態系を回復させる手法として現在も研究が進行中で、近代農業による環境破壊で砂漠化したアフリカのブルキナファソで導入され、食糧危機を回避する手法としても注目を浴びている。

始まりは、何もない土地から。一般社団法人シネコカルチャーHPによると、協生農法は周囲の自然界に開かれた土地があればどこでも実践できるそうだ。

土地を東西方向に畝らせ、数種類の果樹を植える。その果樹の陰に多様な苗を植え、その苗の陰にさらに多種多様な種を蒔く。いずれも多種類を混生させるのには、単一種の生存に依存しない複雑な生態系をつくる意図がある。ここに適切な水分量と一日約4時間の日光があれば、何もなかった更地が緑に覆われる土地に蘇るそうだ。

近代農業では、単一種の生育条件に最適化させた土地で大量栽培する手法が一般的であるが、収穫後に農地は更地になり、そこに生物の姿はない。食糧を収穫する前後の土地は砂漠と化し、その土地を訪れたはずの昆虫や鳥など周囲の生態系への影響がデザインされていないことに、福田氏は違和感を投げかけた。

 

■植物の野生性を目覚めさせる協生農法

そして話は、複雑な生態系の中で目覚める植物の野生性に及ぶ。協生農法で植物を育てると、植物本来の姿に出会い驚く瞬間があるそうだ。植物には、蓄積された養分を土壌から吸い出し代謝させる機能が本来備わっているが、近代農法ではこれを利用して土壌に水と肥料を大量投入するため、スーパーに並んだ野菜は”水ぶくれ”した状態といっても過言ではない。

植物の中には厳しい環境を生存する野生の力が眠っている。それを目覚めさせるのは、近代農法のように野菜を膨張化する栽培環境ではなく、複雑で多様な生命が蠢き合う環境の特徴の一つといえる。協生農法で野菜を育てると、見慣れない姿に驚き、力強い香りや味を感じる瞬間が訪れるだろう。植物本来の野生の姿に出会うことも、協生農法の楽しみのようだ。

 

■50億年目の地球に存在する、生態系ネットワークの歴史

協生農法による植物と土地の変容について話し終えると、福田氏は植物が育つために必要な光、水、土、空気がどこからやってきたのかを、太陽系が誕生した50億年前に遡って語り始めた。1巻の本に1億年分の歴史が記述されるとするならば、太陽系の誕生から今日に至るまでを50巻の本に例えられるそうだ。最初の登場人物は、生まれたての太陽と周りに浮遊する石のかけらだった。

~中略~

50億年の地球の歴史は、複雑な生態系の歴史でもあった。福田氏は近代農法を次のように表現した。海と山の”あいだ”にある自然、つまり地球の生命が陸地に進出し苔や微生物などと共に複雑な生態系を形成した歴史を抜き去っているのが近代農法ではないかと。食糧を収穫した後の農地は生物のいない砂漠になる。生命の上陸以前の何もない土地が、生命の上陸によって森になるまでには数千万年の歳月を要したことを踏まえると、別の方法もあるのではないかと疑問を投げかけた。

『地球の歴史』50巻目の最後のページには、人類の誕生と農業の歴史が記される。50億年かけて地球が育んできた複雑な生態系が、人間の営みによって損なわれるのが現代ならば、人間が生態系を回復させる営みもあっていいはずだと感じたそうだ。協生農法の方法論は、生物が海から陸に上陸し、動植物が協動して陸地の表土の仕組みを作り上げた地球の生命の歴史に基づいている。これが、福田氏が協生農法を広める理由だ。

 

■植物を食べることは、星屑を自分に取り込むこと

~中略~

「植物が育つのに何が必要か」と問いかけると土、水、光、空気と挙げてくれる子ども達に対し、これらは宇宙からやってきたという説明をするそうだ。いずれも50億年の地球の営みを通して形成された姿であり、一朝一夕では到底作り得ない特別感を感じてもらうことからシネコプランターの説明は始まる。

土には数種類あり、赤土、黒土、腐葉土と広げて見せた。地球の歴史を遡ると、元々赤土だけが存在していたところに腐葉土のような有機物が混入して黒土が生まれたそうだ。さらに赤土の起源を遡ると、石類が登場する。ここで、鉢植えの中に地球の地層を再現するかのように石類、赤土、黒土、腐葉土と順に重ねて置き、さらに苔、シダ植物、地衣類、菌類を乗せて最後に種を散らし、小さな地球を完成させた。

我々が植物を食べるのは、地球という惑星の一部を身体の養分にしていることだと福田氏は繰り返した。植物は地球の養分を吸って育ち、人はその植物を食べて育つ。そして死んだのち人は土に還るが、それは星に還ることであり、自分たち自身も地球という惑星の一部、星屑を借りて生きている存在なのだと話した。植物を食べる自分が、50億年の地球で脈々と続く生命の循環ネットワークの中にいることを想像させるワークショップであった。

 

■人と生態系のあいだ“渚”で交わる生命の循環

人はどのように生態系と関わればよいか。この問いに対し、福田氏は、人と植物のあいだの空間を“渚(なぎさ)”と呼んで説明した。渚とは、協生農園の境界部分に位置し、人が立ち入って植物に介入してもいい空間だ。例えば、繁りすぎた植物や乾燥して白くなった葉など、自分たちにとって不要なものを刈っていい。ただし、刈った植物は渚エリアの土壌に還してあげることがルールである。生態系の循環を途切れさせないこと。実った野菜や果実を分けて頂くという姿勢。渚における生態系との関わりには、この二つが肝要である。

~中略~

 

■編集後記:自然に包摂された生命として生きる

数十億年の生態系の歴史を、近代農業が一瞬のうちに破壊することの意味をどう捉えるべきか。福田氏の問いかけの根本はここにあるように感じた。

人の営みと自然の関係性を捉え直す機会は過去にもあった。例えば、高度経済成長期に発生した四大公害病。甚大な健康被害が生じたと同時に、生態系を回復させるには膨大な時間を要することが判明し、これを発端に数々の工業規制が生まれた。また漁業では、持続的な食糧確保を目的に、漁獲量が魚の再生量を超過しないよう総量規制が一部運用される。しかしいずれも、人が自然から恩恵を受け続けるための対症療法であり、抜本的な関係性の変化にはつながってこなかった。

もしかしたらスタート地点が違うのかもしれない。

福田氏は、生きていく中で失いたくない価値観の一つを“社会から切り離された価値観”と表現していた。そのために、毎日火や水に触れるそうだ。千年前にも千年後にも通用する自然原理に触れることで、日常生活だけでは失われる人間らしさを取り戻そうと心がけているらしい。~中略~

自然の生態系に包摂されているという視点で、自分の暮らしやあり方に違和感や心地よさを見つけたとき、それは地球と自分のあいだを漂う流れに身を任せていく旅の始まりになるかもしれない。

以上転載終了

 

■まとめ

現在、共生農法を実践している農業家は、いくつか存在しています。彼らが、一様に主張するのは、現在の農業、特に近代農業に対する疑問です。

農業は、自然相手の生業として存在しています。ところが、今回のレポートに接すると、近代農業の実態は、作物の収穫後は反対に自然を破壊した環境を作り出し、(土地を砂漠化させ・・・)生産する作物は、過剰な水と肥料で水膨れさせた成果品(=半人工物)というように、人間本位によって登場した生産様式と言えなくもない。ことに気づきます。

これまで、農業は公害とは無縁な存在でした。しかし、実態は大きな矛盾をはらんでいること。大量生産、大量消費の近代農業の限界。この現実の問題点がクローズアップされているのです。

水、空気、火といった地球に存在するあらゆる自然原理に触れながら、本能(五感)をフル回転させ、自然と自分たちが一体になる生き方。

生態系、自然循環の中に人類が存在することを受け入れれば、共生農法は、人と自然を繋ぐ延長線上に存在し、本来、まさに人が生態系の一部に存在する「新しい農のかたち」としての次代の農法となっていくとは言えないでしょうか? では次回もお楽しみに!

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2020年06月25日

農的社会12~コミュニティ農業Ⅱ.地域農業の主体

地域農業の持続的な発展への期待。その中心に、営農法人は存在している。

 

以下、転載(「未来を耕す農的社会」2018著:蔦谷栄一)

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posted by noublog at : 2020年06月25日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List