2019年06月20日

農をめぐる、世界の闘い1~種子法廃止から、間もなく2年

主要農作物種子法(種子法)が廃止されて、間もなく2年。

日増しに拡大しつつある”地方の反乱”の動きを見ていても、「なぜ種子法は廃止されたのか」、疑念は募るばかりです。

この政府判断の背景にある構造、対する世界の潮流はどうなっているのか。

 

いいかげん、私たち日本人は、知らなかったでは済まされない事実に気づき、闘う姿勢を持つ必要があるのでは、と思います。

種子法廃止、この切り口から、『”農”を巡る、世界の闘い』をお伝えしていきます。

 

以下、転載(タネと内臓 著:吉田太郎)

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2019年06月18日

農業は環境破壊?それとも自然にやさしい?

前回は、まさに自然と調和した生き方を実践している自然農の川口由一さんのお話でした。川口さんの生き方は「自然との調和」を実現していく哲学そのものでした。さて今回は、京都で活躍しているNPO団体スモールファーマーズからの転載です。

そもそも農業は、環境を破壊する生業か?という根本的なお話です。西洋文明と私達日本人の農業に対する考え方の違いもはっきりするかもしれません。

では、転載開始【リンク

日本では「農業」というと、田んぼの美しい景観のイメージもあり、悪いイメージは少ないように思います。
しかし、歴史上農業は環境破壊の主要因でした。

◆農業が環境を破壊してきた歴史
農地を作るには森林を切り開き、生態系を破壊することから始まります。森林が何千年も培ってきた豊かな土をあっという間に使い果たします。
文明が発達すると灌漑(乾燥地に水をひく)が始まり、無理な灌漑による塩害を引き起こしました。それでも人間の数が少ないうちは地球に与える影響はわずかでしたが、「農業」の技術が発達すると人口が増え、さらに農業生産量が増え環境破壊もすすんでいくのです。
農業は文明を作り出しましたが、その農業が文明を危機にさらし続けてきました。古くはメソポタミア文明の衰退原因となり、20世紀に入ってからはアラル海の縮小問題と、人類は文明と共に、農業による環境破壊に直面し続けています。

文明の歴史=農業の歴史=環境破壊の歴史

これは事実です。

しかし少し見方を変えると農業の別の意味が見えてきます。それは人間と作物の「共生」です。

◆農業が共生してきた歴史
作物は「おいしい」や「多収量」という人間にとって都合の良い性質を残すことで、外敵から人間に守られています。人間は守り育てることで、作物から恵みを頂きます。農耕開始から1万年を経てお互いになくてはならない存在となりました。 まさしく「共生」です。

文明の歴史=農業の歴史=作物と人間との共生の歴史

これも事実です。

◆農業の矛盾を乗り越える
一見正反対の「環境破壊」と「共生」…人間が生きていく、つまり農業をすることはこの二つを行うことに他なりません。
大事なことは「破壊」と「共生」のバランスをとることです。日本には中庸(ちゅうよう)という良い言葉があります。
近年ではバランスをとるだけでなく、積極的な共生の模索が各地で行われています。それは周りの環境を破壊しない農法と生き方の模索です。作物と人間の共生だけでなく、

「作物」と「人間」と「周りの環境」の3者間の共生です。

 

1970年代から少しずつ世界的に有機農業が行われ、日本では里山の見直し、海外ではアグロフォレストリー、パーマカルチャーといった周辺環境と調和した農法の研究実践が進んでいます。
また、そもそも東アジア中心の水田稲作は土壌流出は最小限で、連作障害も無い農法で里山文化とあわせると3者間の共生が成り立っていたとも言えます。これも大学を中心に研究が進んでいます(私がお世話になった大学教授のメインテーマでした)。

◆私たちスモールファーマーズが目指すところ
時代は積極的にバランスをとり、様々なレベルで共生をしていくという流れにあります。 取らないと人類の未来はありませんし、個々人の未来もありません。
生き方でもそうですが、農業においてもバランスは意識しないとすぐにくずれてしまいます。「環境破壊」と「共生」、「科学的」と「感覚的」、農をするうえでバランスを意識しないといけないことはいくつもあります。
私たちスモールファーマーズは「バランスを意識しながら農にたずさわる人」の集う場所でありたいと考えています。

以上転載終了

◆まとめ
今回は、農業そのものをどう位置付けていくか?ということを考えさせられる内容でした。今日学んだのは、農業は
文明の歴史=農業の歴史=環境破壊の歴史
文明の歴史=農業の歴史=作物と人間との共生の歴史
という二つの側面を持つということです。そもそも、農業は人類が生き延びるために(言いかたを変えれば、進化し適応していくために、)不可欠な活動でした。
しかし、方向を誤ると最終的に自信を取り巻く環境を破壊し、自らが生きられなくなる(存続できなくなる)という側面もあるということです。
では、人類は今後、農業のどこに照準を定めて日々の活動を行っていくか?

その答えは言わなくてもお分かりになるでしょう。 少なくとも「自然を拷問にかけて白状させる」という認識では決してありません。

それでは次回もお楽しみに!

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2019年06月14日

最も身近で誰もが当事者である「食」から、リアリティを取り戻していく

著者をして「観客民主主義」と揶揄される現代社会。

必要なのは、(共犯者としての自分を棚上げにした)批判ではなく、「私はどうするか」。

最も身近で誰もが当事者となりえる「食」から、リアリティを取り戻していく。

本シリーズも、今回が最後。改めて、「東北食べる通信」創刊の背景に迫ります。

以下、抜粋引用(都市と地方をかきまぜる:光文社新書)

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2019年06月06日

一億総百姓化社会のススメ~日々の暮らしの中に、『農』の時間を

現代社会に生きる私たち自身が生み出した、「リアリティの喪失」という化け物。

この難敵と対峙するための、一つの方策として、著者は「日々の暮らしの中に、意識的に『農』の時間を」と説きます。

知る、ではなく、発見する。
消費する、ではなく、生産する。
勉強はつまらないが、学ぶことは楽しい。

生きる意欲につながるこれらの気づきが、「農」を通じて得られるということ。

以下、抜粋引用(都市と地方をかきまぜる:光文社新書)

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2019年06月04日

いのちあるものと生きる農業

前回は炭素循環農法という自然の力を引き出した農法を紹介しました。今回は、更に自然の摂理に同化し、自然界の命の営みに沿った農の暮らしをされている方のお話です。自然違法を実践されている川口由一さんです。

◎川口由一さんの自然農 : 川口由一さんは独自の「自然農」を確立しています。耕さず、肥料は施さず、農薬除草剤は用いず、草や虫を敵としないが原則。ただし、人力による除草は肯定しています。

転載開始【リンク

川口由一さんの紹介

1939年、専業農家の長男として生まれ、中学卒業と同時に農業を引き継ぐ。農薬をつかった農業のなかで心身の状態を損ねたことをきっかけに、自然と共生する農の在り方を模索。70年代中盤から自然農に取り組んでいる。自然農の実践は映画『自然農ー川口由一の世界』としても記録され、各地で自主上映が続けられている。「妙なる畑の会(奈良桜井市)」「赤目自然農塾(三重名張市)」などの学びの場を通し、自然農を全国に伝えている。

田畑の中では、お米や野菜、草や虫、小動物や微生物……無数のいのちが別なき一体の営みをする中で、生死を繰り返し、次のいのちへと巡らせます。この完全絶妙な自然の営みと巡りが自ら必要なものを過不足なく用意し続けていきます。田畑に立つ私たちも又、ここに沿うことで平安です。農薬や化学肥料、堆肥や微生物、機械や施設、石油やビニールなど、何も用いることなく、健康で清浄な、安全で美味な恵みを手にすることができます。最も単純で小労力で栽培でき、環境に一切問題を招かない永続可能な農です。

◆自然農の3大原則 

①耕さない

野菜作りは耕すのが当たり前に思われていますが、耕すことで土中の微生物が死に絶え、肥料を入れなければならなくなります。自然の営みを壊してしまうので、肥料や農薬ですべて人為的にコントロールして作物を育てることになってしまうのです。いっぽう自然の森に行くと、誰も耕さないのに土はふかふかで、さまざまな植物が共存しています。自然農は、こうした自然界の営みに学びつつ、私たちの生命の糧をいただこうとするもの。土を耕さないので、土中に虫やミミズや微生物などが生息し、そのいのちの営みが土を豊かにしてくれるのです。

②草や虫を敵としない

草(雑草)は根を残して刈るだけ、刈った草は地表に敷きます。小さな草はランドカバーとして土の湿り気を保ってくれるので、そのままにしておいて大丈夫。こうすることで地表に植物の死骸が堆積した「亡きがらの層」ができ、その下にさまざまないのちの営みが生まれます。植物、虫、ミミズ、菌類など、多様ないのちのバランスがとれていて、野菜もその生態系の一部として元気に育てば、害虫も益虫もほどよく共存し、大きな被害が出ることはないのです。自然界では、害虫だけが大発生することはめったにないのですから。

③肥料・農薬を使わない

肥料を外から入れることなく、刈った草や野菜くずなどをそのまま置いておけば、やがてそれが豊かな土になり次の実りにつながります。生態系のバランスがとれていれば、農薬がなくても大きな問題は起きません。野菜を食べる虫がいても、その虫を食べる虫もいるからです。自然界には意味のない存在はいません。単一作物だけを大量に育てようとする現代の農業では、病気が広がりやすいうえ、肥料で無理に大きくすることで虫が集まりやすくなって農薬が必要になるのです。

◆実際にはどうやるの?

畑の準備

多少雑草が生えていて土がフカフカな土地が理想です。大きな根だけを除き、あとは草を抜かずに刈ってかぶせておきます。草のない堅い土でも、どこかから草を刈ってきて敷いてやります。痩せた土地では米ぬかを撒くと発酵が促進されます。水はけの悪い土地では、排水と通路を兼ねた溝を堀り、その土を盛って畝を立てます。

生えている草で土の性質がわかります。化学肥料を入れていた畑は土が固く(微生物が少なく)、スギナやセイタカアワダチソウが生い茂ります。そのような畑でも、刈った草を敷いていれば土は次第によくなってきます。土のpHや湿り気(水はけ)、日照などに合わせて作物を選びます。

必要なのはこれだけ

草刈り鎌と移植ゴテ(苗の定植など)、それに軍手があれば、とりあえずなんとかなります。耕さないから、重労働もあまりありません。

◆種まき

畑での種まき

「種をおろす」とも言います。作物の種類によりますが、直播きの場合は株間を2〜3十センチあけ、一箇所に2〜3粒おろします。耕さずに周りの草を刈り、種をまく場所だけ土を露出させ、種の直径と同じくらいの厚さだけ、上から土を振りかけて、水をやります。さらに乾燥しないよう、上を細かい草葉で覆っておきます。

ポットでの育苗

春蒔きのナス科、ウリ科、それにキャベツやレタスなどはポットやトレイで苗を育ててから畑に移植します。春蒔きの場合3月だと霜がおりるので室内で育てたりします。

コンパニオンプランツ

作物には相性があり、うまく組み合わせることで虫や病気を防いだり、育ちが良くなったりします。トマトとバジルなど、代表的な組み合わせを知っておきましょう。カボチャとトウモロコシのように、日照を考えて高さの異なる作物を組み合わせることも大事です。マリーゴールドやネギ科は、虫除けに重宝します。それぞれの野菜が何科で、どの科と相性がいいかがわかると、菜園を計画するのが楽しくなります。収穫時期や背丈なども考えて組み合わせを考えます。

前に何を植えていた場所かも注意し、連作障害(ナス科、ウリ科、マメ科は続けて植えない)を避けたり、地力を使う野菜を続けて植えないようにしたりします。

◆草刈

生育状況をみながら草を刈って敷く

自然に任せるといっても、農作物は自然の草より弱いものが多いので、とくに小さいうちは周りの草に負けないよう、時々草を刈って敷きます。土を露出させないことで乾燥を防ぐとともに、積み重なった「亡きがらの層」の下にミミズや微生物が増え、土が豊かになっていきます。根を残しておくことで、土が固くならず土中にスキマができます。肥料は基本的にやりませんが、場合によっては油粕を軽く株間に撒くことはあります。

ウリ科などの苗は、定植したらビニールで行灯型の覆いをつくったりして虫から守ります。作物を食べる虫がいれば手で除きます。大きく元気に成長すれば、そのような手間はあまりいらなくなります。

作物によって、必要に応じて間引き、苗の保護、芽かき、支柱立てなどを行ないます。収穫後も、できるだけ種取り用の株を残して自家採種しましょう。

~中略~

◆自然農で、いのちの世界に触れる

自然農の畑とともに暮らすことは、その土地と、そこに生きる幾多のいのちと共存して生きていくことです。四季を通じて土地の生態系に程よく介入し、虫やミミズや草や微生物など多様な生命に触れつつ、実りをいただく。そうするうちに私たちは自然との深いつながりを実感し、そのつながりと循環によって生かされていることに気づきます。それは21世紀を生きのびる上で、とても大切な体験になるでしょう。日々の食料の自給ということを越え、地に足をつけて、生きていることの意味に触れることができるはずです。自分が地球の営みの一部となって生きることです。

◆川口由一さんの志

自然農は、自然本来である自然なるいのちの営みに添い、応じ、従い、任せる農です。人類の誕生も、この今の存在も、やがて寿命至っての死滅も、自ずから然らしむるものであり、農において、 衣食住において、生活すべてにおいて、いのち自ずからなる自然に添い、応じ、従い、任せるところに、真の平和と豊かさがあり、 人類の全うがあります。

大切な私の人生を考える時に、基本になるのは、いのちの世界でいのちあるものとしてのあり方を明らかにすることです。いのちあるものとしてのあり方を明らかにするには、このいのちの世界がどうなっているのか、それを明らかにしないと見えてくることはありません。

以上転載終了

◆まとめ

川口さんが志す「自然農」は、まさに自然と調和した生き方そのものであり、そこには、真の豊かで平和な世界があり、おごり高ぶることのない自身と人類の全うがあると説いています。

川口さんの生き方は「自然との調和」を実現していく哲学そのものではないでしょうか。では、次回もお楽しみに

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2019年05月30日

ある漁師が伝える、農漁村の価値~自然の懐に抱かれている、という感覚

この国の中心で都市住民が渇望する「人、地域、自然との関わり」や「生きる実感」が、実はこの国の辺境で苦しみ悶える地方の農漁村に残っている。
今回は、とある漁師の実感発の言葉から、その価値を捉えていきます。

そうすることで、所謂「地方創生」の本質も見えてくるように思います。
少なくとも、都市の資本やノウハウで地方を救おう、などというような、一方通行的なテーマではない。
現代社会が抱える閉塞を突破する可能性を、「農」は持っていることに気付かされます。

以下、抜粋引用(都市と地方をかきまぜる:光文社新書)

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2019年05月23日

30年後、僕らは誰の作った何を食べているのか?~産直アプリ「ポケマル」が伝える、食の豊かさ

「食べる通信」の志は、ネット通販の分野にも。

彼らが立ち上げた『ポケットマルシェ(ポケマル)』は、スマホ一つで、日本各地の農家や漁師から直接、旬の食べ物を買えるという産直アプリ。生産者直送ならではの新鮮な野菜や魚介類が買えるというのはもちろん、生産者との会話を通して、産地を身近に感じることができるというのが特徴です。

「食べる通信」同様、事業の根底にあるのは「生産者と消費者のコミュニティづくり」という志。
加えてポケマルが担うのは、「農産業の多様性を守っていく」というミッション。

そうやって、食の豊かさを伝えていくことが、農の再生につながっていく。

以下、抜粋引用(「知って食べると超美味い!」ポケットマルシェが再定義する『食』の関係

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2019年05月21日

100年後も地域で続く農業を 自然の力を引き出す「炭素循環農法」

さて今回は、「たんじゅん農法」のお話です。簡単なという農法ではありません。「炭素循環農法」といい、化学肥料や農薬を使用しない農法の略名です。
今日は、自然をコントロールして、人間のために作物を作るのではなく、自然の「理」に同化して、100年後も持続可能な農法、そして次の世代につないでいく志を持って農業に取り組んでいる方のお話です。

転載開始【リンク

静岡県伊豆市湯ケ島で「炭素循環農法」に取り組む、浅田ファームの浅田藤二(あさだ・とうじ)さん。炭素循環農法とは、炭素と窒素の割合を一定にして土の発酵を促す、化学肥料や農薬を用いない農業のこと。ワラや竹チップなどの炭素資材を適切な割合で土に混ぜることで、土の中の菌や微生物の働きが活発化し、その結果、虫が近寄りづらくなり、うまみのある野菜ができるのです。大規模な耕作が難しい地域に住む浅田さんが、この農法に取り組んだ背景、そして目指す未来とは。お話を伺いました。

◆炭素で菌や微生物の動きを活性化させる

──浅田農園のこだわりを教えてください。
私たちは、「化学農薬を使わない」「化学肥料を使わない」「遺伝子組み換え技術を使わない」という三原則を掲げて、「炭素循環農法」を取り入れています。

 
窒素1に対して炭素が30の割合になるように、田んぼの場合は土の表面から10cm、畑の場合は5cmの深さまで、ワラや竹チップなどの炭素資材を混ぜていきます。すると土の発酵が始まり、微生物が元気になり、おいしい野菜ができます。炭素資材が見えなくなったら、資材を追加して畑の表面を耕します。
牛ふんや鶏ふんなど、動物性堆肥は使いません。土の中の微生物と、光合成の力で育った野菜は、化学肥料を使わなくても十分立派に育ちます。野菜本来のうまみがぎっしり詰まっているので、野菜が苦手な方でもおいしいと言って食べてくれます。実際、ピーマンを食べられなかった方が、おいしいと言いながら一個全部食べてしまったこともありました。

◆自然界で起きていることに従う

──なぜ炭素循環農法を取り入れることにしたのでしょうか。
野菜の販売価格を上げるためには、自分たちの野菜をブランド化しなければならないと思ったからです。私が暮らす地域は山が多くて大規模農業には適しません。この土地で耕作放棄地を作らずに農業で食べ続けていくには、単価を上げて収入を増やすしかありません。そのため、48歳で市役所を辞めて父から農業を引き継いだ時から、無農薬栽培にこだわっていました。
無農薬栽培で作られた作物は、慣行栽培で作った作物と比べて高値で取引されます。実際、首都圏のレストランなどでは、慣行栽培で作られた野菜の約3倍の値段が付くこともあります。
ただ、周りの農家からは「無農薬栽培はうまくいかないよ」と大反対されました。実際、農薬を使わないと雑草が大量に生えてしまい、草刈りに追われる毎日でした。2年ほど続けたタイミングで「これは続けられない」と思い、あきらめようとしました。

 
そんな時、炭素循環農法をやっている農家がいると聞き、田んぼを見学に行きました。田んぼを初めて見た時、とても驚いたのを今でも覚えています。その田んぼだけ、トンボが飛んでいないのです。慣行栽培をしている周りの田んぼにはトンボがたくさん飛んでいるのに、炭素循環農法をしている田んぼには一匹もいませんでした。つまり、トンボの餌となる、野菜を食べる小さな虫の発生を抑えられているので、トンボがその田んぼに行かないのです。
話を聞くと、有機の肥料でも、与え過ぎるのは良くないとのことでした。「自然界で普通に起きていること」を再現して、そうでないことはやらない方が良いと。例えば、枯れ葉やワラなどの炭素資材が田畑に落ちて土に返るのは自然界でも起きることですが、肥料を与えるのは人工的なことです。その話を聞いてから、自分の田んぼと畑でも炭素循環農法を取り入れ、牛ふんや鶏ふんなどの肥料を使うのはやめました。

 
すると、すぐに効果が表れました。まず、触っただけで違いが分かるほど土がふわふわになりましたし、生えてくる草の質も明らかに変わりました。そうやってできた野菜は強くて味もおいしくて。農協から賞をもらえたりするようになりました。徐々に取引してくれる飲食店が増え、無農薬栽培を学ぶために働きに来てくれる人も出てきて、応援してくれる人の輪が広がりました。

◆100年後のモデルを作りたい

──今後の展望を教えてください。
農業を活性化させることで、地域全体を盛り上げたいと考えています。無農薬栽培で作った野菜や米は、東京都内のレストランなどで、高値で買い取ってもらえます。稼げる農業を実現できれば、若い人も目の前の耕作放棄地の価値に気づき、農業に関心を持つのではないかと考えています。炭素循環農法を軸に、大規模農業がしづらいこの土地でも持続可能なモデルを作ることで、地域を元気にしたいです。

 
最近では、無農薬栽培に取り組む仲間を増やすため、講演や指導にも力を入れています。伊豆市では東京五輪・パラリンピックの自転車競技が開かれるので、五輪選手に食材を食べてもらう機会も作り、この土地で作られる野菜のおいしさや魅力をより多くの人に届けたいです。
また、農業を中心として、地域全体を一つの総合宿泊施設と見立てた「村まるごとホテル計画」も画策しています。空き家を宿泊できる場所にして、農家レストランや、ロッジを備えた体験農園などを増やして、地域全体で楽しめるようにするのです。住む人の数が減るのは避けられないかもしれませんが、交流人口を増やすことで雇用が生まれ、経済の活性化につながるのではないかと考えています。

 
その仕組みを、100年後にも残るような持続的なものにしていきたいです。100年前の時代に生きた私の曽祖父は、ワサビが普及していない時代から組合の会長を務め、ワサビ普及の道を切り開いてきた人物。曽祖父のように、次世代の人が誇りに思えるようなモデルを、私も生み出すことができればと思います。

◆まとめ

この農法で、野菜や作物の本来持っているポテンシャルが引き上がり、出来上がった美味しい野菜を通じて、作る人と食する人の交流が生まれるところから人々同志のポテンシャルも引きあがっていく。そしてその活力は、更に次の世代に繋がっていくのではないか?浅田さんは、自分はその普及の道を広げたいという志を持っています。
炭素循環農法は、単に優秀な農業技術ではなく、人の意識も変えてしまうエネルギーを持っているようです。これからも注目していきたいですね。では、次回もお楽しみに

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2019年05月17日

販売部数の拡大ではなく、「生産者と消費者のコミュニティづくり」のために~「食べる通信」を”卒業”していく読者たち

「食べる通信」が持つ特徴の一つは、「購読者数を1500人に限定している」こと。

それはそもそも発刊目的が部数拡大ではなく、「生産者と消費者お互いを顔の見える関係にしていく」ことにあるから。

では、購読者数を限定させながらも内輪化せず、むしろ活動が広がっていっているのはなぜか。そこには、

【購読者が食べる通信の意志を継いで卒業(退会)し、生産者との交流をさらに深める行動に向かい、生きる実感を取り戻していく】

そのような好循環が今の広がりにつながっているようです。

以下、転載(都市と地方をかきまぜる:光文社新書)

■私、卒業します
2013年の夏に生まれた「東北食べる通信」は、現在四年目を迎えて新たなフェーズに入ったと思っている。
それは「卒業生」を送り出すようになったことだ。

ある日、「車座座談会」を開いているときに、私にこう宣言する女性読者がいた。
「編集長、私、『東北食べる通信』を卒業します」
突然目の前で退会宣言をされて、私は思わず「なんで?」と聞き返した。
すると彼女はこう言った。
「『食べる通信』が嫌になってやめたいのではありません。一切不満はありません。この二年間で五人の生産者と仲良くなって、今では家族ぐるみの付き合いをしています。これ以上多くの生産者とはこんなに深いお付き合いはできないので、読者の座を次の人に譲ろうと思います。だからやめるんじゃなく、卒業なんです」と。
彼女は何人かの生産者の現場を訪ねたり、酒を飲んだりする間に、将来的に移住したいふるさともできたという。生産者からは「都会で震災があったらこっち頼ってくればいい。食べ物はいくらでもあるし、空き家もある。行政にかけ合ってやる」とも言われている。「東北食べる通信」の読者は1500人限定で、キャンセル待ちが出ることもあると知っているから、この出会いのチャンスを次の人に譲りたいと言ってくれたのだ。

私はこの言葉を聞いて、涙が出るほど嬉しかった。「食べる通信」はある意味で学校なのだとも思った。異文化である地方の農漁村、そして一次産業を知り、学び、理解する学校。彼女はそこを卒業し、より生産現場に深く参加する次のステージに進学したのだ。

こうして卒業した読者の中には、その後付き合いのある生産者とより交流を深め、より深く応援している人もいる。なぜなら自分が好きになったその土地を守っている彼らには、そこで生き続けてもらわなければならないからだ。さもなければ、いざ東京で首都直下型の地震が起きた時、ようやく見つけた逃げ込む先、疎開先がなくなってしまうのだから。
これこそが「連帯の関係」といえるのではないだろうか。その人は生産者のためだけでなく、自分のためにもその生産者を応援しているのである。

2016年夏現在で、「食べる通信」は北海道から沖縄まで、全国34の地域に広がった。卒業生の中には、より関わりの強い他の「食べる通信」に転向する読者も出ている。「食べる通信」同士のコミュニティもつながり始めている。私たちは全国に100の「食べる通信」ができることを目標にしている。今はまだ、どんな景色が広がっているのか想像できないが、楽しみでならない。
「食べる通信」をパスポートにして、都市住民が地方の生産者とまざり合う。双方が刺激し合いながら変化して、新しいふるさとが生まれる。それは都市住民の生存基盤となり、生きる実感を取り戻し、都会での仕事や生活をより充実して送れるエネルギー源にもなる。

■食物連鎖を改めて知る
地方の生産者と出会うことで、生き方を変えた都市住民も少なくない。

とある外資系会社に勤めるOLが、「食べる通信」で取り上げた石巻の牡蠣漁師、阿部貴俊さんを訪ねた。東京での生産者交流会でその漁師と出会い、現場に行きたくなったのだ。漁師は快く船に乗せてくれて、この日は穴子漁を見せた。黒い筒の中に餌となる鰯を入れて海に放り投げておく。翌朝この筒を引き上げてみると、見事に大きな穴子がかかっていた。
船上で漁師は、まな板と包丁を用意して「穴子をさばいてみて」と女性に言った。そんな体験はしたことがないから、彼女はたじろぐ。漁師は暴れる穴子の目玉に釘を打ち込んで、包丁を彼女に手渡した。彼女は最初ためらいながらも、やがて目をそらしながら「ごめんね」と言って腹を割いた。
するとその胃袋からは、鰯が出てきた。前の日に餌として筒に入れた魚だ。その鰯と穴子の内臓は捨てていいと指示され、彼女はわしづかみにして海に放り投げた。するとカモメや他の魚が集まって、一斉にそれらを食い散らかしていく。

彼女はその様子を見ていて、「小学校の時に習った食物連鎖という言葉を思い出した」と言った。人間が穴子を食べるということは、穴子だけでなく鰯の生命も奪うことだし、死んだ穴子の内臓を食べて生き延びる小魚や海鳥もいる。そんな自然界では当たり前の光景を目の当たりにすることで、彼女は他の生命を奪って自分の命に変えることが「食べる」という行為なのだと改めて思ったのだ。
だからこそ「いただきます」であり、「ごちそうさま」なのだ。自分自身も自然界の大きな命の循環の中にいる。人もその生命の循環の一部分であるに過ぎないことを改めて感じ、生きていることを実感したとも言っていた。

彼女は都会に戻ってからも、日々の食材の選び方や食事の仕方が少し変わったという。こうした体験を通し、中には価値観が激しく揺さぶられ、死生観や働き方、生き方まで変化したという人もいる。そういう人たちに共通しているのは、都会での仕事や生活がより充実して送れるようになったということだ。それは私自身が震災後、多くの生産者と出会ったときの感覚と一緒だった。

彼女のように「食べる通信」の読者となり、生産者や地方の生活スタイルと出会うことで生きる実感を取り戻し、価値観の優先順位が変わった人は少なくない。
この変化は数値化して評価することは難しい。しかし講演や車座座談会でこの類の話をすると、実に多くの都市住民が共感しながら聞いてくれる。みんな生きる実感に飢えていることをひしひしと感じる。この変化こそが社会を大きく変える可能性を秘めている、と私は感じている。人間が変容していくのだ。人間が変われば、つくる仕組みや制度、政治、経済もおのずと変わっていくことになる。

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2019年05月09日

自然と接続する回路~滋味豊かな食の背後にある生命感を掴む

いまや全国30ヶ所以上の地域で展開されている、「食べる通信」
この発起人である高橋博之氏は、現代社会が抱える「リアリティ(≒生きる意欲)の喪失」「全て他人事」を「現代人自らが生み出した化け物」と称す一方で、その突破口を「自然・食・農」に見出そうとしています。

滋味豊かな農漁産物の、背後にある自然や働く人々の生命感を掴む。
生産と消費の関係を越えた、価値の共感関係・コミュニティづくりが、現代の閉塞を突破していく。

食べる通信発刊の背景にもつながる、高橋氏が捉えている『農』の価値。
その一端を、彼が記した書籍より紹介します。

以下、転載(都市と地方をかきまぜる:光文社新書)

 

■食べることは自然との唯一の接点

そもそも自然とつながって生きる人々には、自己など存在しない。自然は自分であり、自分は自然なのだから。自分も自然の一部だという感覚があれば、そこに自己という独立した存在は成り立たない。したがって自然という概念も存在しない。自分と自然は一緒なのだ。

自然と暮らすアイヌには「自然」を表す言葉がなく、あえて表現するなら「カムイ(神)だ」と彼らは言う。農家が持っている「田んぼは自分で、自分は田んぼである」という感覚。漁師が持っている「海は自分で、自分は海である」という感覚。こういう感覚を持っている人の中で、自分探しに頭を悩ませている人を見たことがない。そして生きる実感がないと悩んでいる人もいない。

ふるさと難民がこうした感覚を取り戻せるとしたら、それは生産者、そして生産者の向こうに広がる自然とつながれる「食べもの」、あるいは「食べる」という接点を捉え直すことによると私は思っている。私たちは食べる行為を通じて、環境(自然)が私たちの体を通過している。そして体の一部とその自然は常に入れ替わっている。

生産者と消費者の関係は、現代の流動化社会においても、お互い依存できる分かりやすい関係ではないだろうか。消費者は食べないと生きていけないし、生産者は買ってもらわないと生活できない。お金と食べものという交換可能な貧しい関係を、食べる人とつくる人という交換不可能な豊かな関係に昇華できれば、私たちはこの流動化社会を漂流しながらも、溺れずに泳ぎ切ることができるのではないだろうか。
都会と田舎が価値で結びつく新しいコミュニティの中心には、だからこそ農漁業があると思う。

 

■自然と接続する回路
生産者と直接つながって食べものを買い、その関係を続けていると、都市にいながらにして自然とはなんたるかを知ることができ、人間の力ではどうにもならない自然と間接的につながることができる。なぜなら私たちは食べるという行為を通じて、体の中に自然を取り込んでいるからだ。

都市で生きる私たちは、普段は食べものの表側しか見えないので、なかなかそのことを理解しにくくなっている。生産者から直接購入し、食べものの裏側が見えると、そのことが理解できるようになっていく。

>私たちの体をつくる食べものは、もともとは他の生き物の体の一部だった。分子レベルで見るとその生きものの体の一部は私たちの体の分子に合成され、もともと私たちの体の一部であった分子はその分だけ分解され、体外に放出される。つまりその生きものの体の一部が、私たちの体の一部と入れ替わっているのだ。車のガソリン給油に例えれば、ガソリンは燃料になるだけでなく、エンジンやボディ、シャフトの一部に成り代わるということになる。

こうして食べものは単にエネルギーになるだけでなく、私たちの体そのものになる。そうやって取り込まれる生きものたちもまた同様に、他の生きものを取込み、水や太陽といった自然の力を取り込みながら生きていた。つまり私たちは食べるという行為を通じて、自然環境が体の中を通っているということになる。だから自分の健康や命を考えることとは、他の生きものも含めた自然を考えることであり、その自然を考えることとは自分の健康を考えることに他ならない。すなわち自分の命と他の生きものの命、そして自然はすべてつながっている。

>生産者から直接食べものを買うということは、生産者が食べものの裏側の世界にあなたを誘ってくれるということである。農家や漁師は、あなたの口に運ばれる食べものがどういう自然環境で育ったのかをあなたに伝えるだろう。自然と自分の生命がつながっていることを知って理解しながら食べることで、あなたは間接的に自然とつながることができるのだ。

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posted by noublog at : 2019年05月09日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List