30年後、僕らは誰の作った何を食べているのか?~産直アプリ「ポケマル」が伝える、食の豊かさ |
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2019年05月30日
ある漁師が伝える、農漁村の価値~自然の懐に抱かれている、という感覚
この国の中心で都市住民が渇望する「人、地域、自然との関わり」や「生きる実感」が、実はこの国の辺境で苦しみ悶える地方の農漁村に残っている。
今回は、とある漁師の実感発の言葉から、その価値を捉えていきます。
そうすることで、所謂「地方創生」の本質も見えてくるように思います。
少なくとも、都市の資本やノウハウで地方を救おう、などというような、一方通行的なテーマではない。
現代社会が抱える閉塞を突破する可能性を、「農」は持っていることに気付かされます。
以下、抜粋引用(都市と地方をかきまぜる:光文社新書)
■人間の強靭な精神を解放した大震災
「津波にぜんぶ持っていかれても、僕は海を憎んでいない。日頃から海に食わせてもらっているんだから。今も海に出ると、いつも自分の命が喜んでいるのが分かります」
そう語ったのは、南三陸町歌津伊里前川の30歳の漁師、千葉拓さんだった。
手塚家は、牡蠣、ワカメなどの養殖のかたわら、伊里前川でシロウオの珍しい漁を営んできた。この漁は、川に幾何学状に積み上げた「ザワ」と呼ばれる石垣の隅にシロウオを追い込んで捕獲する。全国で数ヶ所しかやっていない漁で、条件が整ったきれいな川でしかとれないという。
シロウオは近年、日本では高級食材として扱われており、生きたままポン酢なので食べる踊り食いは格別の味。環境省の汽水・淡水魚類レッドリストで「絶滅危惧Ⅱ(VU)」に指定されるほど希少な存在だ。減少の原因は、川や海の水質汚染、河口堰設置やコンクリート護岸など河川改修による産卵場消失と考えられている。
自然を活かすも殺すも、全ては私たち人間次第なのだ。
千葉さんは、これ以上自然を壊して海を貧しくするのはやめようと、震災後、海と陸を隔てる巨大防潮堤の建設に反対してきた。人間に恵みを与えてくれる母なる優しい自然、人間の命を奪い去ることもある父なる恐ろしい自然。ふたつはセット、どちらかだけ人間の都合よく切り取ることはできない。津波の脅威から逃れようと海と陸を分断してしまえば、結果として海の恵みも減ってしまう。事実、奥尻島の津波被害では、復興の過程で大きな防潮堤をつくったが、海の生態系が変わり、漁獲高も減り、漁師の減少は震災前より加速している。
千葉さんはまた、震災後の被災者たちは目が輝いていたと驚くことを言ってのけた。
「震災を体験して、現代社会に生きる人間はどう変わったか?僕は震災で家も船も現代社会のしがらみも価値観もなくなった世界を体験してしまった。その世界は電気も水道もガスも金もない世界だった。光と熱は木を燃やせば電気以上に暖かい場を提供してくれた。水は森が創り出す湧き水が川となり無限の情けを僕らに与えてくれた。金は紙切れになった」
千葉さんたちを救ったのは、自分たちの命を脅かした自然だったのだ。そして、自然の摂理を利用した知恵。その知恵を共有し、さらに生き延びるための知恵を出し合う仲間たちに救われた。
千葉さんは、現代社会の価値観に抑圧され眠っていた、人間の強靭な精神が解放されるのを感じたという。水がいつもより余計に使えることや、燃やす木がたくさんあることなど、些細なことにもありがたみを感じ、感動したと振り返る。身近に幸せがあった。そして自然に生かされているという謙虚な心が腑に落ちた、と。
あのときに感じたことを土台にして、暮らしや社会を作り直さなければならないと千葉さんは心に誓う。
「震災から時間が経ち、少しずつ薄れていくあのときのみなぎるようなみんなの目の輝きと、生命そのものを燃やしているかのような強い想い。またヒシヒシと現代社会の仕組みにくるまれようとしているけど、あの日感じたあの熱い想い。そして人間の美しくはかない本来の姿。心の軸にしっかりと持ち続けて生きたいと思う」
■自分は自然の懐に抱かれている、という感覚
千葉さんは、尊敬する地元の漁師からこんなことを言われたことがある。
「海に出るときは欲を出すな。無事に帰ってくればそれでいい。拓、お前はそういう気持ちで海に向かえ。今から海にお邪魔しますからよろしくっていう気持ちだ。苦しい時にこそ欲は出てくる。でも絶対欲を出すな。あえて言うなら、その日の家族を養えるくらいだけ恵んでくださいという思いを伝えろ。そういう気持ちでいれば必ず海は助けてくれる。魚でも牡蠣でも想いは伝わる。そういう気持ちでいれば必ずよいものがとれる、大漁になる」
この言葉を聞いて、千葉さんは泣いたという。自分は、親にも地域の人からも、漁師として、家族を養うものとして、欲が足りないと言われてきた。でもその漁師は欲と駆け引きは違う、欲は出すなと言ってくれた。その漁師は20代から釣り一本で生計を立てている。50代で独身ということもあり、毎日海に出て、ときには川や沼まで釣りに行ってその魚を売り、生活している。だから地域では浮いた存在になっていたが、千葉さんはその漁師のことが好きだ。自分も次世代にそういうことを伝えられる漁師になりたいと、意を決している。
「自分は自然の懐に抱かれているだけで、何もしていない」
牡蠣をつくるのは、人間ではなく海だ。その言葉が、畠山さんの持論に重なり合う。人間の力で自然をコントロールできると錯覚してきた西欧近代文明は、大きな転換期を迎えている。それが輝きを失いつつある今、自然に頭を垂れ、自然と折り合いをつけながら生きてきた漁師の生活は、豊かさやしあわせ、私たちの「生」を考える上で、大きな示唆を与えてくれる。
投稿者 noublog : 2019年05月30日 TweetList
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