2019年5月17日

2019年05月17日

販売部数の拡大ではなく、「生産者と消費者のコミュニティづくり」のために~「食べる通信」を”卒業”していく読者たち

「食べる通信」が持つ特徴の一つは、「購読者数を1500人に限定している」こと。

それはそもそも発刊目的が部数拡大ではなく、「生産者と消費者お互いを顔の見える関係にしていく」ことにあるから。

では、購読者数を限定させながらも内輪化せず、むしろ活動が広がっていっているのはなぜか。そこには、

【購読者が食べる通信の意志を継いで卒業(退会)し、生産者との交流をさらに深める行動に向かい、生きる実感を取り戻していく】

そのような好循環が今の広がりにつながっているようです。

以下、転載(都市と地方をかきまぜる:光文社新書)

■私、卒業します
2013年の夏に生まれた「東北食べる通信」は、現在四年目を迎えて新たなフェーズに入ったと思っている。
それは「卒業生」を送り出すようになったことだ。

ある日、「車座座談会」を開いているときに、私にこう宣言する女性読者がいた。
「編集長、私、『東北食べる通信』を卒業します」
突然目の前で退会宣言をされて、私は思わず「なんで?」と聞き返した。
すると彼女はこう言った。
「『食べる通信』が嫌になってやめたいのではありません。一切不満はありません。この二年間で五人の生産者と仲良くなって、今では家族ぐるみの付き合いをしています。これ以上多くの生産者とはこんなに深いお付き合いはできないので、読者の座を次の人に譲ろうと思います。だからやめるんじゃなく、卒業なんです」と。
彼女は何人かの生産者の現場を訪ねたり、酒を飲んだりする間に、将来的に移住したいふるさともできたという。生産者からは「都会で震災があったらこっち頼ってくればいい。食べ物はいくらでもあるし、空き家もある。行政にかけ合ってやる」とも言われている。「東北食べる通信」の読者は1500人限定で、キャンセル待ちが出ることもあると知っているから、この出会いのチャンスを次の人に譲りたいと言ってくれたのだ。

私はこの言葉を聞いて、涙が出るほど嬉しかった。「食べる通信」はある意味で学校なのだとも思った。異文化である地方の農漁村、そして一次産業を知り、学び、理解する学校。彼女はそこを卒業し、より生産現場に深く参加する次のステージに進学したのだ。

こうして卒業した読者の中には、その後付き合いのある生産者とより交流を深め、より深く応援している人もいる。なぜなら自分が好きになったその土地を守っている彼らには、そこで生き続けてもらわなければならないからだ。さもなければ、いざ東京で首都直下型の地震が起きた時、ようやく見つけた逃げ込む先、疎開先がなくなってしまうのだから。
これこそが「連帯の関係」といえるのではないだろうか。その人は生産者のためだけでなく、自分のためにもその生産者を応援しているのである。

2016年夏現在で、「食べる通信」は北海道から沖縄まで、全国34の地域に広がった。卒業生の中には、より関わりの強い他の「食べる通信」に転向する読者も出ている。「食べる通信」同士のコミュニティもつながり始めている。私たちは全国に100の「食べる通信」ができることを目標にしている。今はまだ、どんな景色が広がっているのか想像できないが、楽しみでならない。
「食べる通信」をパスポートにして、都市住民が地方の生産者とまざり合う。双方が刺激し合いながら変化して、新しいふるさとが生まれる。それは都市住民の生存基盤となり、生きる実感を取り戻し、都会での仕事や生活をより充実して送れるエネルギー源にもなる。

■食物連鎖を改めて知る
地方の生産者と出会うことで、生き方を変えた都市住民も少なくない。

とある外資系会社に勤めるOLが、「食べる通信」で取り上げた石巻の牡蠣漁師、阿部貴俊さんを訪ねた。東京での生産者交流会でその漁師と出会い、現場に行きたくなったのだ。漁師は快く船に乗せてくれて、この日は穴子漁を見せた。黒い筒の中に餌となる鰯を入れて海に放り投げておく。翌朝この筒を引き上げてみると、見事に大きな穴子がかかっていた。
船上で漁師は、まな板と包丁を用意して「穴子をさばいてみて」と女性に言った。そんな体験はしたことがないから、彼女はたじろぐ。漁師は暴れる穴子の目玉に釘を打ち込んで、包丁を彼女に手渡した。彼女は最初ためらいながらも、やがて目をそらしながら「ごめんね」と言って腹を割いた。
するとその胃袋からは、鰯が出てきた。前の日に餌として筒に入れた魚だ。その鰯と穴子の内臓は捨てていいと指示され、彼女はわしづかみにして海に放り投げた。するとカモメや他の魚が集まって、一斉にそれらを食い散らかしていく。

彼女はその様子を見ていて、「小学校の時に習った食物連鎖という言葉を思い出した」と言った。人間が穴子を食べるということは、穴子だけでなく鰯の生命も奪うことだし、死んだ穴子の内臓を食べて生き延びる小魚や海鳥もいる。そんな自然界では当たり前の光景を目の当たりにすることで、彼女は他の生命を奪って自分の命に変えることが「食べる」という行為なのだと改めて思ったのだ。
だからこそ「いただきます」であり、「ごちそうさま」なのだ。自分自身も自然界の大きな命の循環の中にいる。人もその生命の循環の一部分であるに過ぎないことを改めて感じ、生きていることを実感したとも言っていた。

彼女は都会に戻ってからも、日々の食材の選び方や食事の仕方が少し変わったという。こうした体験を通し、中には価値観が激しく揺さぶられ、死生観や働き方、生き方まで変化したという人もいる。そういう人たちに共通しているのは、都会での仕事や生活がより充実して送れるようになったということだ。それは私自身が震災後、多くの生産者と出会ったときの感覚と一緒だった。

彼女のように「食べる通信」の読者となり、生産者や地方の生活スタイルと出会うことで生きる実感を取り戻し、価値観の優先順位が変わった人は少なくない。
この変化は数値化して評価することは難しい。しかし講演や車座座談会でこの類の話をすると、実に多くの都市住民が共感しながら聞いてくれる。みんな生きる実感に飢えていることをひしひしと感じる。この変化こそが社会を大きく変える可能性を秘めている、と私は感じている。人間が変容していくのだ。人間が変われば、つくる仕組みや制度、政治、経済もおのずと変わっていくことになる。

投稿者 noublog : 2019年05月17日