【農の歴史】第6回 日本農業の歴史~、農業は渡来人支配の歴史でもあり、共同体温存の歴史でもある。 |
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2021年10月14日
『農村学校をつくろう!』シリーズ-7~中世・近世における日本の学び・子育てはどうなっていた?
前回までの記事で、農の場を、人材育成や学びの場として活用している事業事例をいろいろと見てきました。
これからは、学力や学歴よりも「何があっても生き抜く力」がより求められていく時代。現代の学校教育がどうしても学力に偏ってしまう中、今一度、人間が本来、大人になっていく過程で必要としている学び・子育てのあり方はどのようなものなのか?を整理してみたいと思います。
近代的な学校教育が始まる以前の、中世〜近世にかけて。
当時は、大半(約9割)の家庭が農業や漁業で生計を立てており、子育ては、その家業を継ぐ、あるいは農村共同体を担っていく人材を育てることそのものでした。
また、子供は授かりものであり、大切に育てる「子宝思想」という考えがあり、とても大切に子育てをされていたのには、一方で、子供が重要な生産力としても見られており、戦力にするということも大きな課題だったからなのかもしれません。
当時、子供達はどうやって集団の生産課題や自治の担い手になっていったのでしょうか?
■ いつも大人と一緒にいて、大人を真似た子供たち
当時の子育ての様子を、『日本子ども史』(森山茂樹 中江和恵:平凡社)より抜粋しながら考察してみたいと思います。
中世の様子を今に伝えてくれる絵巻物の中には、実にたくさん子ども登場するといいます。大人の生活が描かれているところには、必ず子どもも登場するといってよいほど、子供は大人と一緒にいました。
赤ん坊は、おんぶされているかだっこされているか、抱かれて乳を飲んでいるかしながら、いつも大人と一緒にいます。
もう少し大きくなると、家事にしろ仕事にしろ、大人を真似て遊んだり、手伝ったりするようになります。遊びながら大人を真似ることで、実際の仕事や生活の術を身につけていったようです。
まずはこちらの絵から
(画像はこちらからお借りしました)
こちらの絵は、『絵師の草紙』(鎌倉時代末期)の中の一場面。
”絵師の子が二人、父のそばで腹ばいになって絵をかいている。仕事の見習いか遊びか見分けがつかないが、いずれにせよ親の仕事を真似ているのだろう。絵師は畳の上に座っていて、文机が前に置かれているが、子どもたちは板敷きの部分にいる。当時、子どもにまで机が与えられることはなかったのだろう。腹ばいになって読んだり書いたりしたようである。”(日本子ども史)
つづいてこちら
(画像はこちらよりお借りしました)
こちらは『石山寺縁起』(十四世紀前半)の中の絵。
”子どもたちも簡単な仕事をしている。かんなを使って板を削っている大工は父であろう。右側の子どもは削った木屑を集めており、左側の子どもは板を押さえている。”(日本子ども史)
また、絵は見つからないのですが、こんな記述もあります。
“十四世紀初めに書かれた『春日権現験記』に描かれた絵で、子どもが天秤棒を肩にかついで薪を背負い、炭俵を背負った牛を引いている。顔だちから十歳よりは上のようだが、かなりな重労働である。農村の子どもであろう。また『一遍聖絵』には農村風景とともに稲束を背負った馬を引く牧童が描かれている。”
■大人に管理されずにのびのびそだつ
江戸時代の子育ての様子について、こんな記事もあります。
“大人の最大の関心は子供の教育だったし、子供は幼い頃から礼儀作法を仕込まれて育った。放任のように見えたのは子供の遊びに干渉しなかったからです。
子供は子供だけで遊ばせ子供も遊びの中でルールを守り、何かが発生した時には年長の子供の裁決で解決し、遊びの中から色んなことを学んでいった。
自由奔放でありながら子供独自の世界で人間関係を築き、大人を煩わせることは無かった。
自由奔放ではあってもいざとなれば大人のような威厳と落ち着きの有る振舞が出来、それを可能にしたのが普段から大人の世界に慣れ親しんでいたからです。
子供は大人と一緒に行動したり年長の子は年少の子を子守りし、自分も世の中の一員だと自覚していて、幼い頃から大人の世界を経験し「芝居ごっこ」とか「戦ごっこ」を遊びに取り入れ、遊びの中で大人の振る舞いを身に付けていった。
子供は大人に対して恐怖や不安を覚えることなく育ち『失敗したら怒られる』『大人が気分悪くならないよう』とは考えなかった。”
★生きる上で必要な学びは「真似」で全て身につく
ここまで見てきたところで、子供たちが、生活の場、生産(仕事)の場、或いは地域自治の場などあらゆる場面で大人たちとともに過ごしているというのは、現代と大きき異なる点です。
そして、大人たちは、(子供の教育のためではなく)あくまで自分たちが生きていくための仕事をしており、子供たちはそんな大人を真似しています。そのなかで生きるために必要な全てを身につけていってるようです。
大人は、子供たちを大切に、溺愛しながらも、決して、「あれしなさい」「これはだめ」など干渉や管理せず、子供たちはのびのびと遊び、そのなかで、やらされるのではなく、自然に自ら大人たちの真似をしていったのではないかと思います。
全ての学びの原点は「真似る」事であること。そして、こどもたちは、「自ら真似するものであること」は、今度の学びの場を考える上で非常に重要なヒントになりそうです。
投稿者 o-yasu : 2021年10月14日 TweetList
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