2021年10月12日
2021年10月12日
【農の歴史】第6回 日本農業の歴史~、農業は渡来人支配の歴史でもあり、共同体温存の歴史でもある。
日本の稲作の歴史は紀元前900年に遡る。九州の板谷遺跡や菜畑遺跡がその拠点でもある。縄文晩期の最も寒冷化した時期である。ただ、この伝来から拡大までは約1世紀 1000年がかかっておりおそらく寒冷化で食料がなかった時期には拡散していない。紀元前200年に徐福一団が大陸から退去して列島に渡来しており、彼らのその後の伝説が各地にできたことからしてこの時期、縄文の寒冷化が終わり人口が増大に転じた時期、そこを起点にして縄文部落は自らの農業を手掛けるようになっていった。
それは舶来信仰と同時に集落の人員を何とか食い繋げる期待があった。
信仰まで至ったのはそこに登場した稲作技術が待ち望んでいたものであったことの裏返しでもある。しかしこの稲作の登場と稲を神格化する日本人の指向性はその後稲作拡大の原動力となっていった。大きく4つの段階に分けて書いてみた
■第1段階
寒冷期~BC1000年~BC200年
縄文時代の人口削減。縄文中期には26万人いた人口が4万人まで削減した時代。江南地方から渡来 呉越戦争の敗者が日本に漂着。九州で稲作農業始まる。主には渡来人だけの集団での水田農業。土着の縄文人は山に移動し渡来人の農耕をまだ見ている段階。農耕を始めた渡来人と農耕をしない縄文人集落が混在する形。
寒冷期で食料がないから農業を始めたと見る向きもあるが、本当に食べるものがないような時期にリスクの高い農業などを始めるのだろうかというのが疑問。
おそらく寒冷期のこの時期は農業は初めていない。せいぜい渡来人が縄文人を取り込んで自分たちの技術を教えて小規模の水田稲作を始めた段階だったろう。
投稿者 tano : 2021年10月12日 Tweet