こんにちは、こまつです。
今回は、「次代を読む」 [1]から、
「『知識人』が撒き散らす旧観念こそ、全面的な閉塞状況を作り出した真犯人である」
を紹介します。
「知識人」が撒き散らす旧観念こそ、
全面的な閉塞状況を作り出した真犯人である
しかも、現実に背を向けたその狂った観念が、人々の頭の中を支配してしまっている。その結果、人々が何か物を考えようとしても、その観念を足がかりにするしかないので、考えれば考えるほど狂った観念世界に嵌り込んでゆき、まともに物を考えることが出来なくなる。だから、まともな人々は、むしろそんな観念など見向きもしなくなり、物を考えることまで止めて終った。全般的な思考停止である。
この社会は、人々の共認によって成り立っている。従って、共認形成こそ、社会形成の生命部である。だが、その共認形成が発信階級によって支配され、しかもその中身=観念が狂っているとしたら(そしてその結果、普通の人々は思考停止状態にあるとしたら)、社会は全面閉塞に陥るしかない。
現代社会の至る所で噴出する異常現象は、全てこの異常な現実否定→倒錯思考の観念パラダイムが生み出したものであると言っても過言ではない。しかも、その旧観念は、新しい可能性の出口を塞ぎ、人々の活力を奪い取ってゆく。従って、知識人が撒き散らす旧観念こそ、この社会を全面閉塞させた真犯人なのである。
「農学栄えて農業滅ぶ」
「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」
近代農学の祖、東京農大初代学長、横井時敬 [2]の言葉が想い起こされます。
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学者や研究者というのは、とかく現場を見ることなく研究室にこもってしまうものです。私たちの農園にやってくる研修生の中には、大学の農学部の学生が少なくありませんが、彼らが決まって口にするのは、「農業の現場をもっと知りたい」ということです。彼らは、大学の勉強が現実の役に立っているという実感が、殆ど得られていないのです。それでは何のために勉強するのかが判らず、活力も湧いてこないでしょう。
作物をしっかり観察し、生産に従事する農民の声を聞く。その中から現場の問題や課題を発掘し、「なんで?⇒どうする?」を追究することによって、現実の役に立つ認識や技術を構築していくことが本来の農学の役割であり、そのように徹底した実学でなければならない。
横井の言葉は、現実から乖離した学問に対する警句なのでしょう。
近代農業は、機械化や農薬や化学肥料によって、或いは様々な便利な道具や資材の開発により、飛躍的に生産性が向上しました。これは誰もが認めるところだと思います。
その結果生産者は、どの農薬を使うのか、どの肥料を使うのか、どの資材を使うのか、という事だけを考えれば、それで済むようになりました。また、特に産地などでは、「栽培指針」(栽培マニュアル)に従って栽培するということが一般的で、それにより、品質の維持・向上、均質化が図られています。
しかし、そのことによって、状況に応じて自ら考え工夫する、ということが出来ない生産者や若者が増えているように感じます。それは、答えだけが与えられ、それに至る「なんで?」や「どうする?」という追究過程が捨象されているからではないでしょうか。
現実を直視する、「なんで?」「どうする?」を考える、できる人の真似をする・・・
まさに、現実の中にこそ答えがある、ということを忘れてはならないのだと思います。