2020年09月10日
農業は脳業である10~田んぼに新たな生態系をつくりだす
無肥料・無農薬で米ができるか。
突破口は、「田んぼに新たな生態系をつくりだす」という発想。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
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2020年09月03日
農業は脳業である9~近代化を超える技術の創造
近代化農業技術は、百姓の無能化を促進する。
近代化を超える技術は、百姓たち自身の手による創意工夫の中から生み出される。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
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2020年09月01日
コロナ禍後をみすえて いま、農家力・地域力を高める時
本日は、農文協の緊急特集記事です。
昨年の年末から始まったコロナ禍。未だに収束の気配はなく、いつまでこの状態が続くのかは、全く予測がつきません。
一方、この状態に適応する形で、様々な産業において、これまでの働き方が変わってきており、人々のライフスタイルも変革の状況にあります。
そのような中において、これからの農業はどのように変わっていくのか?農文協の編集者が今回のコロナ禍において農家の現実の有り様に接する中で、今後の「農のかたち」に肉薄します。
転載開始 【リンク】
今月号の緊急企画「コロナで見えた農家力」に込めた編集者の思い…。
――農家は「3密」とは対極の田畑で、日々地道に働いて、食べものをつくり出している。そこには、地に足をつけた暮らしの強さ、確かさがある。世の中が変わろうとしている今、「農家力」が新たな世界を切り拓くカギになるはずだ。
農家、農村に取材に出かけることができない状況のなか、多くの農家から原稿をお寄せいただいた。そんな農家の声を励みにしながら、「新たな世界」を切り拓くカギになる「農家力」について考えてみたい。
■発揮された自給、加工、共同の力
「農家力」というと、その基本はやはり「自給」なのだと、改めて思い知らされる。
10年前に新規就農してネギ農家になった静岡県磐田市の小城寿子さんは、「ネギ農家が米をつくりたくなった話」を寄せてくれた。
「有事のときもお米さえあれば大丈夫かも!? 今回のコロナ騒動で、真っ先に考えたことがこれです。保存がきいて主食になるお米があれば、突然収入が減っても少しは気持ちに余裕が持てそうですよね。しかも、パンデミック(世界的大流行)となると、急激な感染拡大で食料品の流通や販売がストップするかもしれません。そんなときはいくらお金があっても食べるものが買えず、生きていけないのです。
『お米さえあれば……』は極論かもしれませんが、あながち間違いともいえないでしょう」。
こうして小城さんは、安くて小さい田植え機をネットで探し、知り合いのつてで田んぼを借り、近所の稲作農家やJA職員に相談にのってもらい、自家用米づくりをスタートさせた。
「多くの方々のご協力に感謝です。こんなご時世だからこそ、人とつながる1次産業のよさを再認識できました」。
熊本県菊池市の村上厚介さんのところでは、近くに住む仲間たちから「これから経済破綻など何が起こるかわからない。自分の食べ物は自分でつくりたい」と相談があり、みんなで手植え、手刈り、天日干しで1町6反の米づくりを進めるという。
飲食店へ米を販売してきた愛知県大口町の服部農園・服部都史子さんは、キャンセルが相次ぐなか、チラシなどで「私たち、この町の農家です! お米売ってます!」とアピール、分づき米など米のラインナップを充実させて、直売所のお客さんを増やしている。
「今回のコロナ騒動で、就農当初の『この町の、顔が見える人たちに食べてもらいたい』という想い・原点に立ち返った感じですね。地域の方もだんだんと、私たちからお米を買うことが地元の農業の応援につながると、認識し始めてくれています」。
自給の延長にある地産地消や加工などの力も大いに発揮されている。
福岡県朝倉郡の筑前町ファーマーズマーケットみなみの里では、売り先がなくなった学校給食用キャベツを、子どもたちにたくさん野菜を食べさせたいと、冷凍お好み焼きに大変身させた。大阪府能勢町の伊藤雄大さんは、売り先に困っている農家とともに野菜セットをつくり販売、「届ける直売所」だ。
学校の職員や旅館など、仕事を失った人々の雇用を農家が受け皿になっている取り組みも紹介した。「雇用」というより、困ったときの助け合いだ。
■攻撃にさらされた相互扶助のしくみが国民を支えた
ところで、新型コロナは飲食業や観光業、文化事業にかかわる人々などに大変な痛手をもたらしているが、パニックや混乱が起きているわけではない。国民は不安を抱えつつ自粛生活を受け入れ、身動きがとりにくいなかでも、人とのつながりや助け合う小さな工夫を大切にしている。外出自粛には、自分の安全だけでなく「人さまに迷惑をかけたくない」という気持も強く働いているように思う。これは人々が持ち続けている共同の精神のあらわれなのではないだろうか。
これをたどっていくと、農家や庶民が伝承してきた相互扶助の精神に行きつくような気がする。近代市民社会的にみれば民主主義、あるいは「一人は万人のために、万人は一人のために」という協同組合の精神ということになろうか。
農協も、人手不足で悩む農家と仕事を失った地域の人をマッチングするなど、国民への食料供給にむけて地域の農業を守ろうと奮闘している。布マスクを手づくりして地域の人々に無料配布したJA女性部も少なくない。
数十年前から宅配事業を手掛けてきた生協は、急激に増えた需要に応えようとがんばっている。医療の現場でも、医療の崩壊を食いとめよう必死だ。
コロナ禍のなかで国民の生活を支えているのは、規制改革会議や安倍官邸政治が進めてきた経済至上主義と競争原理、食料の海外依存と農家減らし、JA解体攻撃、地域医療縮小路線ではなく、そんな逆境に抗い、守ってきた地域農業、地域自治、協同組合などの相互扶助のしくみなのである。
■注目したい「地域づくりの重要性と出口戦略の提言」
それでは、農家力がカギとなって切り拓く「新たな世界」はどのような世界で、どのように切り拓かれるのだろうか。ここで、一つの提言に注目したい。
持続可能な地域社会総合研究所・所長の藤山浩さんは5月1日、「コロナ危機下における地域づくりの重要性と出口戦略の提言」を発表した。藤山さんは農文協刊「シリーズ田園回帰」(全8巻)の第1巻『田園回帰1%戦略 地元に人と仕事を取り戻す』の著者。本書は販売部数1万部を超え「田園回帰」のバイブル本として評価されている。その後、藤山さんの編著で「図解でわかる田園回帰1%戦略」(3部作)も発行され、田園回帰の現場での実践書として自治体職員などで活用されている。
藤山さんは、この提言の冒頭でこう述べている。
「私たちは、コロナ危機に対して、むしろ従来から共に取り組んできた地域づくり手法を活用しその体制や取り組みを進化させることが、長期的な視点において持続可能な地域社会実現につながると考えています」。
自治体の中には、地域づくりの取り組みを一時棚上げして、コロナ危機に集中しようとする動きもみられるが、いまこそ地域づくりのギアを入れる時だ、というのが藤山さんの主張だ。
提言では、ウイルスの爆発的な流行の背景には、「大規模・集中・グローバル」という今の文明の設計原理があること、そしてこの危うさを直視して、東京一極集中を解消し、持続可能な循環型社会へと舵を切る時が来ていることを指摘する。さらに、ウイルス危機だけでなく、例えば国内でも首都直下地震、世界的には地球温暖化といった巨大リスクが待っているとしたうえで、転換の方向についてこう述べる。
「循環型社会への転換を図るのであれば、『小規模・分散・ローカル』の設計原理で動く地方の出番となります。経済対策は未来志向で進めるべきです。再生可能なエネルギーや資源の多くが存在する農山漁村を甦らせる国民的な事業が必要だと考えます」。
そして「地方の独自性と潜在力を活かす戦略」として
①自治体ごと、地域ごとのデータ分析が出発点
②地域ごとの危機の現状、弱み、強み等の見取り図を描く
③今こそ、お金を地元でしっかり回していく
④計画的な田園回帰、定住促進の実施
の4点をその方法とともに提示する。田園回帰をめぐってはこう述べる。
「このままでは、東京をはじめとする大都市で大量の失業が発生します。リモートワークが可能なら、よりリスクが低く再生可能資源に恵まれた地方定住が進むでしょう。もちろん、大量の地方移住を直ちに行なえば、感染拡大の引き金となってしまいます。客不足で喘いでいる観光施設や空き校舎、空き家等を活用して待機施設をつくり、計画的に進めていくのです」。
地方への移住希望者は増えているが、しばらくは感染拡大の懸念もある。そこで待機施設をつくり、安全の確保と移住にむけた学習や準備をすすめてはどうか、ということで、藤山さんも島根県内の自治体と協議を始めたという。
■まとめ
こうして、今回紹介された、農業従事者の現実の活動に目を向けますと、単に農作物を提供するといった効率第一の仕事のあり方はすでになく、相互扶助による社会の変革にまで実態は動いています。
更に、彼らは、お上(政府)からの指針や規制改革に従うといった流れではなく、自主自立の精神の元、地元地域の人々と一体になりながら、共存共栄に向かうことがこれからの自らの活動を確固たるものとするし、更に、都市からの定住者の受け入れも視野に入れるといった現実も見据えています。
自らの生き方は、自らが決める。そして、地域づくり手法を活用し、その体制や取り組みを進化させていけば、長期的には、持続可能な地域社会実現に向かう。
この姿は、あらゆる産業に先駈けて、先端に収束する「新しい農のかたち」=本源社会のひとつの姿とは言えないでしょうか? では次回もお楽しみに
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2020年08月27日
農業は脳業である8~解放の畜産
近代農法との対比からみえる、合鴨水稲同時作の魅力。
伝統農法の再生、プラス、発想の転換。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
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2020年08月20日
農業は脳業である7~面白さが農業を再構築する
未知追求が仕事を再構築していく。
近代農法では得られない、合鴨水稲同時作の「面白さ」とは。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
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2020年08月18日
消費者と農家がつながる「農コン」のススメ【ゼロからはじめる独立農家】
コロナの影響で、様々な産業が痛手を受けています。
農業もそのうちのひとつですが、今回の記事は、人と人が繋がっていく事で、この痛手を回復していく可能性が実現できていくというお話です。
今まで、作り手側の顔が見えなかった農作物を「農コン=農業コンパ」という形で「顧客」と「農作物と生産者」が醸成された関係になっていくのです。コロナ後のひとつの世界。
では、続きはどうぞ・・・・・2020/07/30
転載開始【リンク】
6次産業化という言葉も当たり前に使われるようになってきました。その目的は加工販売することではなく、付加価値をつけるということ。では農家の持つ最大の付加価値とは何でしょう。つながりが価値を生む、そんな新しい時代におすすめのイベントとは――?
■農家であることが価値になる時代
農業団体の集まりにおいて「昨今厳しい農業情勢ですが」と慣用句のように使われているのを聞くたびにもったいないなと感じてしまいます。農業は斜陽産業だと自己暗示をかけているようなものです。可能性が「あると思っている」か「ないと思っている」か、その前提が違うと結果はまるっきり違ってきますよね。
21世紀は環境の時代、今、農業がとても見直されてきています。「菜園生活 風来(ふうらい)」を営む私のもとには毎週のように新規就農の相談がありますし、本屋に行くと農家の書いた本がずらっと並んでいます。このようなことは少し前には考えられませんでした。ある意味農業は憧れの産業になりつつある。それにもかかわらず農家自身がマイナスイメージを出しているのはとてももったいないと思います。
我が菜園生活 風来は、自称日本一小さい農家(耕地面積30アール)ということで収穫量は限られています。その農産物をできる限り価値を高めて売りたい、付加価値をつけたいということでいろいろやってきたのですが、「農家の最大の付加価値は農家であること」そう確信しています。
それは先述したように農業自体が見直されてきたというのもありますが、農産物ほど差別化できるものはないからです。例えばパソコンを買う時、同じ型のパソコンであれば(販売元に信用がおけるという前提ですが)安いところから買いたくなるのが普通でしょう。しかしトマトの場合、同じ品種においてもまったく同じものはありません。糖度や硝酸態窒素、価格など数値で測れる部分もありますが、育てる人によって意味合いが違ってくるのです。
意味合いとはその農家の思い。農家によって味、安全性、収量と肥料のバランスなどへの考え方はマチマチ。そしてその時の天候、育てる土地によっても変わってきます。その結果が農産物。共通しているのはよい物を育てたいということ。人(農家)によってこれほど変わるものはありません。
そしてさまざまな農家に出会い気づいたのが、前向きな農家はとても面白いということ。
別連載「北の宇宙人農家達」【リンク】
ではその中でも特徴的な人達を挙げていますが、まさにキャラが立っています。冒頭に述べたような「農業は厳しい」なんて言葉、そんな農家からは聞いたことがありません。そしてそんな人が育てた農産物はおいしい。「農家の人柄が味に出る」とはよく言われる言葉ですが、まさにその通りだと実感しています。
■「かかりつけ農家」を見つけよう、がテーマのイベント
農家と食べる側が直接話せる機会として、収穫祭などのイベントがあります。私自身サービス業出身で人と接するのが好きでよく参加していたのですが、その場でお客さんとじっくり話をするというのは、できそうでなかなかできません。なぜなら販売している農産物は生鮮品なので、売れ残り=ロスとなる。その場で売り切ることがメインのミッションになってしまいます。また求める側も人それぞれ。味という人もいれば、安さ、新鮮さとバラバラなので、収穫祭後も連絡が取れるようにとパンフや名刺を渡してもなかなかつながれないのが現状でした。
そこで農産物ではなく「農家の人柄を知ってもらう」をメインにしたイベントをやってみたらどうだろう、とFacebookにイベントページを立ち上げました。そのイベント名が「農コン」。婚活のコンではなくコンパのコン。男女の出会いならぬ農家との出会い、つまり「かかりつけの農家を見つけよう」をテーマにしました。
本当に来てくれる人はいるのだろうかと不安もありつつイベントを立ち上げたところ、定員25人が半日で予約いっぱいに。迎える側の「ホスト農家」7人も加えて計32人、会場に無理を言って結果的に総勢40人の会となりました。そんなリアルの農コンはこれまで5回開催したのですが、5回とも募集をかけてから半日から1日で予約が埋まる盛況ぶりとなっています。
実際の運営方法はというと、会場として知り合いのライブハウスを貸し切り。貸し切り料金は、ワンドリンク、ワンカレー、会場費込みで1人2000円×人数分、おつまみやドリンクの追加はそれぞれキャッシュオンデリバリー(現金引き換え)にて。カレーにしたのはホスト農家の米や野菜がいろいろ使えるからです。参加費は手数料やリスクを考えて2500円に設定しました。
当日は各テーブル(1テーブル5~6人)に1人の農家をホスト役として配置。参加者は農家を囲む形で座ってもらいます。流れとしてはまず乾杯。少しの歓談タイムのあと、ホスト農家が順番で5分のプレゼンタイム。何を育てているか、また農家になった思いなどを話してもらいます。プレゼンがうまい農家もいますが、言葉数が少なくても現場のリアルな話が出るので参加者は皆さん真剣に聞いてくれます。その後はもう一度歓談タイム。30分ぐらいでホスト農家が席替えして別のテーブルに移ります。最後は参加者それぞれに一言もらって終了。
元々農家に興味がある人が来ているので、毎回、最初から大盛り上がり。5回が5回とも私の冒頭挨拶の言葉で「宴たけなわですが」と冗談で言うぐらいです。 会えるアイドルならぬ、会える農家が人気に。農家そのものがコンテンツになる。そんな時代だと回を重ねるごとに実感しています。
■農コンのススメ
そんな農コンですが、実際にやってみて思った以上の効果がありました。農産物そのものでなく、最初に農家の人柄や思いを聞くことで、その農家が育てたものなら何でも特別に感じるようになります。直売所では、その農家のものがあれば他と比べて多少高くても買ってくれるという人が続出しました。
また農コンの後、参加者がツアーを組んで農家に直接遊びに行ったり、援農に行ったりするなどのつながりが深まっています。あとは飲食や食品の関係者も毎回多く参加するようになり、直接取引がはじまるということもしばしば。異業種がつながる場として、ホスト農家になった人からも感謝されています。農産物は1次産品。食産業のベースであることの可能性をあらためて感じました。
育てる側と食べる側の間に入る流通が複雑になればなるほど、農産物は「商品」になります。農業である以上、農産物はもちろん商品ですが、ひとりひとり人格を持った人が育てているという実感をしてもらえるほど関係性が近くなると、高い安いを超えた物になります。それは曖昧なことかもしれませんが、体に入れるものだからこそ安心して食べられる大切さを求める。そのことに気づいた人が農コンに参加しているのでしょうし、そういった人はみだりに値切ったりもしません。
ウィズコロナの中でリアルの農コンは自粛となりましたが、非接触、分断が進む今だからこそつながりを求めている人はいるはず。ということで5月には「オンライン農コン」にも挑戦しました。システムの不具合など大変なところもありましたが、こちらもリアル農コン同様に盛り上がりました。オフラインに比べて県外在住の参加者が多く、オンライン農コンでもさまざまなつながりが生まれています。
この時代、農家をやっているというだけで何か思いを持っている人は多いと思います。その思いを消費者に直接伝えることで、本当の意味での顔が見える関係になれるのではないでしょうか。その関係性を生み出すための農コン。全国に広まるといいなと心から思っています。
以上転載終了
■まとめ
こうして、今回の記事に接しますと農業の可能性は、良質な農作物の提供だけではないことが見えてきます。
食べ物を安全でおいしくいただくという事は、野菜を作る人の人となりを知ってこそ、そして、それをいただく人の人となりを知ってこそ、成立するものであるということが見えてきます。
購入者がおいしい野菜をいただくことを期待し、作り手はその期待に応える。食した側は充足感でいっぱい。そして作ってくれた人に感謝と・・・・。
野菜という媒体を通じて、人と人の持続可能な関係が、醸成されていく。本来の人同士のつながりの可能性は、まさに「農にあり」。
「新しい農のかたち」のひとつの型とは言えないでしょうか? では次回もお楽しみに
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2020年08月12日
農業は脳業である6~合鴨ワンダーランドが呼び起こす”既視感”
合鴨水稲同時作の風景が、古来より稲作農耕民族であった私たちに塗り重ねられてきた潜在思念を呼び起こす。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
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2020年08月06日
農業は脳業である5~合鴨農法、その発想と技術体系
合鴨農法の追求。(リンク)
目先的な生産・経済効率に傾倒しがちな近代農法とは一線を画した、発想と技術体系。
日本の稲作の歴史は約3000年といわれるが、自然・土地・生物循環の構造や秘められたエネルギーに同化すれば、なおも新たな可能性が生まれる余地は大いにありそうだ。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
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2020年07月30日
農業は脳業である4~一つの鳥に万の宝あり
あまり過重労働にならず、だれにでもできて、循環的・永続的で、環境によく、魚が戻ってくるような有機農業の技術。(リンク)
合鴨農法の追求に、その可能性をみる。
一つの鳥に万の宝あり。一鳥万宝、その中身。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
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2020年07月28日
今の時代 -心がかわく理由- そして食から農へ
紹介する記事は、2013年にスモールファーマーズ/古谷壮弘氏のコラムです。
現代の私たちの心の有り様を的確にとらえています。心の乾く時代とは何か?
その中で、実は人という種が自らが作った社会システムの中で、人の先端可能性の本能機能である観念:「考える」ことをできなくなっているという事実が浮かびあがってきたのです。
では、転載開始【リンク】 2013.03.19
21世紀は「心の時代」と言われます。心ってなんて難しいんだろうと思います。他人の心も自分の心も。そう感じるとき、心がかわくという表現をすることがあります。
「心の時代」とは「心がかわきやすい」時代……表現の仕方は色々とあるにせよ世相に敏感な企業のキャッチフレーズにもその片鱗が見て取れます。
・ こ・こ・ろ・も・まんたんに・コ・ス・モ・石油(コスモ石油株式会社)
・自然と調和する こころ豊かな毎日をめざして(花王株式会社)
・お金で買えない価値がある。買えるものはMasterCardで。(マスターカード)
・マチのほっとステーション(株式会社ローソン)
などなど…
◆私たちの心がかわきやすい理由を探る
今の時代は昔に比べて単に苦労が多いとか労働時間が長いとかそんな話しではないはずです。4500年前のピラミッドや1260年前の東大寺大仏の建設、1000年以上続いた中国の科挙試験を初めとする世界の過酷な試験競争などそれぞれの時代ごとに大変だったことはありました。戦争も古代より繰り返されています。
でもそれにしても私たちは、現代に特有と感じる「心のかわき」を感じることがあります。
何かがおかしい…、私も含めそう感じている人は多いと思います。
現代に特有なことが原因だとすると、過去1万年の歴史の中でここ最近だけに特徴的なことがらとは何か。同じように現代に特有の問題である急激な人口増加や環境破壊などの原因とも言えます。
◆原因
「心がかわきやすい」「環境問題、急激な人口増加」などに共通する原因をつきつめると、
”人間の生理的に耐えられるスピードを超えたサービスと仕事が日を追うごとに加速していること”…これにいきつきます。徹底して帰納すればこれに行きつくはずです。
便利でスピーディかつ、表面的な欲求にすぐ対応しているサービスは自分にあわせてくれているように見えますが、自分の考える時間、感じる時間がなくなっています。選び抜かれた少しの商品とサービスが次々に自分の前に並んでいき、それをスピーディに受け取ることが当たり前になっています。
サービスを仕事として提供する側もスピードをあげて開発します。グローバルに投資を受け、短期的な利益を上げ、投資家にメリットを出さざるを得ない社会構造ではスピード違反などとは言っていられません。
サービスを受ける側、与える側双方がスピードアップする中、人によってそのスピードに疑問を持ったり耐えられなくなったりするのは当然とも思います。
それなのにそれをなんとか解決する術(すべ)を知っている人はなかなかいません。教えてくれる人もいません。結局自分で考えないといけないのですが、スピードアップする世界がそのヒマとスキを与えてくれません。
◆もう一つの問題
そのうえ、スピードの速さはもう一つ大きな問題を作り出します
スピードの速さが世界の構造を複雑にして巨大にし、個人個人の仕事が細分化されることで個人個人のコントロールできる範囲をせばめています。
遠く離れた国で作られた製品、使い方だけわかるが原理のわからない機械、どこの誰がどうやって育てたかわからない食べ物、表面的な欲求を次々に満たすことはできてもわからないことがどんどん増えています。
わからないことはコントロールすることもできないわけで、自分の生活の中でコントロールできる範囲がどんどんせばまっています。自由のようで自由でない、全て自分で決めているようで、他人の決めた少しの選択肢の中でしか選ぶことは許されない。
しかもその選択肢はどこの誰がどういう基準でどういう思想で作ったかよくわからない。そんな世界が加速しています。
このように人間の生理的なスピードを超えた世界はそのスピード自体が問題なだけでなく、コントロールできる人生の範囲を狭めてしまうことにも大きな問題があります。
コントロールできない人生が生理的な限界を超えたスピードを強要される……これでは「心がかわく」はずです。満たされないはずです。
これに関して環境ジャーナリストの枝廣淳子さんは「自分の手綱を自分でしっかり握ることが大事」という表現をされています。
ではどうすれば理解できる範囲を広げ、コントロールできる範囲を増やし「心のかわき」をうるおすことができるのでしょうか。
◆人生の一番基本の行動は「食べること」
そこで「食べること」が大事になってくると考えています。「食べること」は自分の人生を作る一番基本の行動です。ここが自分でコントロールできないと、全てがコントロールできず、自分の人生が自分のものでなくなります。
「食べること」のコントロールには自分で調理することだけでなく、自分で作ることも含まれます。一次産業が主要産業だった頃は食べ物は自分で作り、自分で調理し、自分で食べるのが基本でした。そこには苦労はあってもわからない範囲はなく、自分で「食べること」をコントロールしていました。その全ては代々家と地域で受け継がれており自然と教わることでした。
ここに立ち返ることが大事です。時代をさかのぼるのではありません。今を生きるために、自分の人生をコントロールするために、「食べること」を理解するのです。理解するだけでなく自分で作る量が増えればもっと良いですし、他の人に「食べること」を理解してもらうという精神で農作物の販売、流通をすることは心の底から喜ばれる行為です。
「食べること」を自分で徹底して理解する、体と頭で納得する、自分のものにする、自分の生活の中に組み込む、周りに広める。その行動が加速する世界と理解できない範囲が増えていく中で、かわきやすい心をうるおす最高の方法だと私は考えています。
以上転載終了
◆まとめ
振り返ると、今の社会は、学校の試験制度も日常生活においてもすべてが与えられ、加えて、自ら感じたり、考えるという行為を行うヒマやスキがないことは実感するところ。
このコラムに出会い、今を生きる人たちにとって、日常の「食」という行為は、本能(五感のすべて)に直結しながら。自身で考えること。自身でコントロールすることを可能にする行為であり、潜在的に必要であることが大きな気づきでした。
更に、新しい農とは?をこのブログで追求していますが、本能に直結した「食」という行為が本能をまっとうに復活させる一つの筋であり、更にその「食物」をつくる農が背後にきっちり存在することが、本来の人間の真っすぐな生き方、自らの生きる元に繋がる活動であることも気づきでした。
自らが作った社会システムの中で、人の先端可能性である観念機能(自ら考えること)を進化させていくためには、農を通じて食に繋がっていく行為が、人らしく生きる今の私達の「心のかわき」を潤すことを可能にするのです。まさに農のあたらしい形・視点とは言えないでしょうか? では次回もお楽しみに
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