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今の時代 -心がかわく理由- そして食から農へ

紹介する記事は、2013年にスモールファーマーズ/古谷壮弘氏のコラムです。

現代の私たちの心の有り様を的確にとらえています。心の乾く時代とは何か?

その中で、実は人という種が自らが作った社会システムの中で、人の先端可能性の本能機能である観念:「考える」ことをできなくなっているという事実が浮かびあがってきたのです。

 

では、転載開始【リンク [1]】 2013.03.19

21世紀は「心の時代」と言われます。心ってなんて難しいんだろうと思います。他人の心も自分の心も。そう感じるとき、心がかわくという表現をすることがあります。

「心の時代」とは「心がかわきやすい」時代……表現の仕方は色々とあるにせよ世相に敏感な企業のキャッチフレーズにもその片鱗が見て取れます。

・ こ・こ・ろ・も・まんたんに・コ・ス・モ・石油(コスモ石油株式会社)

・自然と調和する こころ豊かな毎日をめざして(花王株式会社)

・お金で買えない価値がある。買えるものはMasterCardで。(マスターカード)

・マチのほっとステーション(株式会社ローソン)

などなど…

 

◆私たちの心がかわきやすい理由を探る

今の時代は昔に比べて単に苦労が多いとか労働時間が長いとかそんな話しではないはずです。4500年前のピラミッドや1260年前の東大寺大仏の建設、1000年以上続いた中国の科挙試験を初めとする世界の過酷な試験競争などそれぞれの時代ごとに大変だったことはありました。戦争も古代より繰り返されています。

でもそれにしても私たちは、現代に特有と感じる「心のかわき」を感じることがあります。

何かがおかしい…、私も含めそう感じている人は多いと思います。

現代に特有なことが原因だとすると、過去1万年の歴史の中でここ最近だけに特徴的なことがらとは何か。同じように現代に特有の問題である急激な人口増加や環境破壊などの原因とも言えます。

 

◆原因

「心がかわきやすい」「環境問題、急激な人口増加」などに共通する原因をつきつめると、

”人間の生理的に耐えられるスピードを超えたサービスと仕事が日を追うごとに加速していること”…これにいきつきます。徹底して帰納すればこれに行きつくはずです。

便利でスピーディかつ、表面的な欲求にすぐ対応しているサービスは自分にあわせてくれているように見えますが、自分の考える時間、感じる時間がなくなっています。選び抜かれた少しの商品とサービスが次々に自分の前に並んでいき、それをスピーディに受け取ることが当たり前になっています。

 

サービスを仕事として提供する側もスピードをあげて開発します。グローバルに投資を受け、短期的な利益を上げ、投資家にメリットを出さざるを得ない社会構造ではスピード違反などとは言っていられません。

サービスを受ける側、与える側双方がスピードアップする中、人によってそのスピードに疑問を持ったり耐えられなくなったりするのは当然とも思います。

それなのにそれをなんとか解決する術(すべ)を知っている人はなかなかいません。教えてくれる人もいません。結局自分で考えないといけないのですが、スピードアップする世界がそのヒマとスキを与えてくれません。

 

◆もう一つの問題

そのうえ、スピードの速さはもう一つ大きな問題を作り出します

スピードの速さが世界の構造を複雑にして巨大にし、個人個人の仕事が細分化されることで個人個人のコントロールできる範囲をせばめています。

遠く離れた国で作られた製品、使い方だけわかるが原理のわからない機械、どこの誰がどうやって育てたかわからない食べ物、表面的な欲求を次々に満たすことはできてもわからないことがどんどん増えています。

わからないことはコントロールすることもできないわけで、自分の生活の中でコントロールできる範囲がどんどんせばまっています。自由のようで自由でない、全て自分で決めているようで、他人の決めた少しの選択肢の中でしか選ぶことは許されない。

しかもその選択肢はどこの誰がどういう基準でどういう思想で作ったかよくわからない。そんな世界が加速しています。

このように人間の生理的なスピードを超えた世界はそのスピード自体が問題なだけでなく、コントロールできる人生の範囲を狭めてしまうことにも大きな問題があります。

コントロールできない人生が生理的な限界を超えたスピードを強要される……これでは「心がかわく」はずです。満たされないはずです。

これに関して環境ジャーナリストの枝廣淳子さんは「自分の手綱を自分でしっかり握ることが大事」という表現をされています。

ではどうすれば理解できる範囲を広げ、コントロールできる範囲を増やし「心のかわき」をうるおすことができるのでしょうか。

 

◆人生の一番基本の行動は「食べること」

そこで「食べること」が大事になってくると考えています。「食べること」は自分の人生を作る一番基本の行動です。ここが自分でコントロールできないと、全てがコントロールできず、自分の人生が自分のものでなくなります。 

「食べること」のコントロールには自分で調理することだけでなく、自分で作ることも含まれます。一次産業が主要産業だった頃は食べ物は自分で作り、自分で調理し、自分で食べるのが基本でした。そこには苦労はあってもわからない範囲はなく、自分で「食べること」をコントロールしていました。その全ては代々家と地域で受け継がれており自然と教わることでした。

ここに立ち返ることが大事です。時代をさかのぼるのではありません。今を生きるために、自分の人生をコントロールするために、「食べること」を理解するのです。理解するだけでなく自分で作る量が増えればもっと良いですし、他の人に「食べること」を理解してもらうという精神で農作物の販売、流通をすることは心の底から喜ばれる行為です。

「食べること」を自分で徹底して理解する、体と頭で納得する、自分のものにする、自分の生活の中に組み込む、周りに広める。その行動が加速する世界と理解できない範囲が増えていく中で、かわきやすい心をうるおす最高の方法だと私は考えています。

以上転載終了

 

◆まとめ

振り返ると、今の社会は、学校の試験制度も日常生活においてもすべてが与えられ、加えて、自ら感じたり、考えるという行為を行うヒマやスキがないことは実感するところ。

このコラムに出会い、今を生きる人たちにとって、日常の「食」という行為は、本能(五感のすべて)に直結しながら。自身で考えること。自身でコントロールすることを可能にする行為であり、潜在的に必要であることが大きな気づきでした。

更に、新しい農とは?をこのブログで追求していますが、本能に直結した「食」という行為が本能をまっとうに復活させる一つの筋であり、更にその「食物」をつくる農が背後にきっちり存在することが、本来の人間の真っすぐな生き方、自らの生きる元に繋がる活動であることも気づきでした。

自らが作った社会システムの中で、人の先端可能性である観念機能(自ら考えること)を進化させていくためには、農を通じて食に繋がっていく行為が、人らしく生きる今の私達の「心のかわき」を潤すことを可能にするのです。まさに農のあたらしい形・視点とは言えないでしょうか? では次回もお楽しみに

 

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