2020年12月15日
自然農法という選択(1/2)
今日の記事【農業技術研究所 歩屋(あゆみや)】は、前回紹介した自然農法の福岡正信氏 そして 時代をさかのぼり、自然農法の先駆者である岡田茂吉氏両名に影響を受け、自らも自然農法の研究・実践を行っている歩屋さんのHPから、紹介させていただきます。自然農法とは何かに迫る全二回でお送りします。
目次
1、先駆者たち
2、味と品質
3、肥料を使わず大きく育つのか?
4、難易度は?
5、自然農法の理論 “オカルト”という批判はもう古い!?
今回は上記の1と2を紹介します。では・・・・【リンク】
転載開始
1、先駆者たち
自然農法とか、自然栽培という言葉は、一般にはまだ聞き慣れない言葉でしょう。それでも10年前に比べれば、ずいぶんと知られるようになったと思います。
数年前に、「奇跡のリンゴ」という映画が制作されて話題になったことがあります。実話をもとにした映画です。過去、不可能と言われていた無農薬リンゴの栽培に成功した男性がいます。青森県弘前市のリンゴ農家、木村秋則(きむら・あきのり)さんといいます。
彼の育てるリンゴは“奇跡のリンゴ”と呼ばれ、それが映画のテーマになりました。
私は、いまから10年以上も前の2006年12月、NHKのプロフェッショナルという番組で、木村さんのことを知りました。そのとき、言葉にならないほどの衝撃を受け、そこから農業研究の道をひた走ることになりました。
いまから思うと懐かしさも感じます。テレビ番組では「無農薬リンゴ」に焦点が当てられていました。当時の世の中は、「農薬を使わないこと」に価値がありました。もちろん、その傾向は今でもそれほど変わりません。私もそこに感動したのは間違いありません。
ところが、良く調べてみると、木村さんの行ってきたのは「自然農法」だったのです。つまり、農薬を使わないのはもちろんのこと、肥料を一切使うことなく果樹や野菜を栽培する技術があり、自然農法と呼ばれていることがわかりました。
そして、自然農法について調べれば調べるほど、その奥深さや難しさに言いようのない魅力を感じました。
自然農法には、2人の先駆者がいます。1人は、岡田茂吉(おかだ・もきち)さん(1882-1955)、もう1人は木村さんに影響を与えた福岡正信(ふくおか・まさのぶ)さん(1923-2008)です。
岡田さんは、世界救世教という新興宗教の創始者であり、幼いころの大病をきっかけに、人糞を使った農業に異を唱え、「本来ならば、農業に肥料や農薬など必要ない」と新しい農業論を提唱しました。さまざまな独自理論を唱え、多くの方々が熱心に今日まで研究を重ねています。
福岡さんは、やはり若いころに大病を患い、当時の農業技術に不信感を抱いたようです。仕事も農業試験場の研究員をしていたこともあり、「野菜や米・麦は(肥料も農薬も)なにも施さず実る」と考え、自ら山奥に入り、自然農法を実践しました。著書の「わら一本の革命」は海外でも有名で、砂漠の緑化運動にも尽力してきました。
岡田さん、福岡さんの影響を受けて、いろいろな人たちが自然農法にチャレンジしてきて、いまに至ります。その中で、一躍有名になった実践者が、リンゴの木村さんでした。
では、「農業に肥料も農薬もいらない」という考え方は、どこまで信頼性があるのでしょうか。だれが実践しても可能なのか、それとも特別な能力がないとできないのか。それが私の最大の関心事でした。
ジャーナリストであった私は、さまざまな本を読んだり、実践者に会いにいったりして、その技術の実際のところを探し求めていくと、残念ながら、まだ簡単には取り組めない、発展途上の技術であることがわかりました。
自然農法の歴史はまだ100年ほどの若い技術で、理論と呼べるほどの科学的な研究はほとんどなされていないのです。そこで、私自身も技術の発展に役立ちたいと、研究の道に入りました。目的は、自然農法の仕組みを科学的に解明すること。そして、希望すればだれにでも実践できる理論を提案すること(つまり再現性の確立)、その2点です。*当社の自然農法理論は特許を取得しています。これは従来の自然農法の考え方、技術とは全く異なる視点から確立した技術であることが認められたという意味では、単純に自然農法の分類には入らないかもしれません。
2、味と品質
21世紀に入り、農作物や食品全般の「偽装」がよく話題になります。何が本当で、何がウソなのか。命に直結する食べ物での分野で、このような問題がひとつでも起きることは、異常な状態であると思います。
消費者のほとんども、この問題に薄々気づいてはいても、疑いだしたらキリがないことをよく知っているので、あきらめているのではないでしょうか。
しかし、本当にあきらめてしまっては、子供や孫の世代に危険な食べ物を押し付けることと同じではないでしょうか。幼い子供たちは、自分の力で選ぶことができません。私たち親や祖父母たちは、ここが踏ん張りどころだと思うのです。
さて、自然農法という興味深い栽培方法が提唱されてから、まだ100年も経っていません。そのほかにも、有機農法と呼ばれる技術もあります。これらの技術は何がどう違うのか。また、味や品質の違いはどうなのか。何が問題なのか。そのことを考えてみます。
農業技術は、大きく3つのグループに分けれらています。その違いについてまとめました。
①慣行農法(かんこうのうほう):一般的に行われている技術。使用しているもの=化学肥料、有機肥料、農薬、遺伝子組み換え種子
②有機農法(ゆうきのうほう):農薬や化学肥料への反発から生まれた技術。使用しているもの=有機肥料(動物性、植物性)
③自然農法(しぜんのうほう):自然との一体感を重視する情緒的な技術。使用しているもの=一切不使用。ただし、有機肥料(植物性堆肥のみ)は可とされる。
ざっと、このような感じです。日本ではほとんどが慣行農法で、ごく一部が有機農法(全耕作地の1%未満)です。自然農法は、全体から見れば、ほぼゼロに等しいでしょう。(欧米では、急速に有機農法が広がっています)
では、味や品質はどうなのでしょうか。
【味】
いまの社会は、慣行農法の作物がほとんどで、食べ比べた経験のある人は少ないと思います。なので、「どうやって栽培しても、味はたいして変わらないのではないか」と思っている人が多いでしょう。
しかし、実際には違います。
野菜や果物の味は何で決まるかご存知でしょうか。ずばり肥料と農薬です。肥料の味、農薬の味があるのです。(ただし、農薬の味は、舌がしびれるピリピリ感です)
化学肥料を使った作物はエグミが多く、有機肥料を使った作物は、例えば牛糞や鶏糞などの家畜糞を使った場合、糞由来の味がします。甘味料を肥料に使えば甘くなります。
逆に自然農法は、初めて食べたときに「あれっ?」と思うほどあっさりしていると言われます。エグミがなく、ピリピリ感もありません。舌にまとわりつくようなベタベタした甘味もありません。
そして、しばらく食べ続けていくと、自然農法特有の、ほんのり微妙で複雑な味わいが判別できるようになります。同時に、慣行農法や有機農法で栽培された作物の強い味(臭い)に違和感を覚えるようになることが多いようです。
【品質】
自然農法の作物について検索すると、「腐敗実験」をしている情報に出会います。慣行農法・有機農法・自然農法の3つの作物(野菜・果物・米など)をガラス容器に密封し、時間が経つとどうなるか比較実験するのです。
結果は、慣行農法⇒すぐ腐敗する。有機農法⇒少し遅れて腐敗する。自然農法⇒腐敗せず発酵する。
これこそ、私が自然農法の研究の道に入った動機です。
「新鮮野菜」という言葉があります。あるいは、ビニール袋に入れて野菜を放置していると、腐敗して溶けてしまう経験を持っている人も多いと思います。いまの野菜は、新鮮なうちに食べないといけません。
しかし、冷静に考えてみましょう。密閉して腐るということは、新鮮な野菜を食べても、密閉された胃腸の中で、野菜は腐ってしまう可能性があります。逆に、密閉容器で発酵する野菜を食べると、胃腸の中でも必ず発酵する、つまり乳酸菌などの善玉菌が増えるということになります。
地球上のどんな生き物も、自然のものを食べて生きています。もちろん、人間もそうでした。食べて腐敗するものは、本来の人間の食べ物とはいえません。腐らない農作物、それが自然農法の作物です。
腐敗する食べ物が、さまざまな病気の原因になっている可能性があります。その視点に立つかどうかが、自然農法を選択するかしないかの分かれ道になるのでしょう。
以上転載終了
○まとめ
歩屋さんの言葉を借りれば、動物も植物も生態系の中で(循環系統の中で)生命を宿している。人も同じ。なので、本来、体に摂取する食物(野菜)も自然のままの状態が当たり前であり、そこが非常に重要であること。
自然のままのものは、腐敗せずに醗酵する。なので、例えば、その食物(野菜)がどんな状態であっても体には良いもの。
すなわち、自然のものは全て、生きるために生まれてきているのだから、自然のままのものを生態系上位のものが食しても、生きるための要素が無限に存在しているので、全てプラスに連鎖・循環している。それがまさしく生命原理であるという事。それが本来の姿であると・・・
なので、慣行農法や有機農法によってつくられた野菜は、そもそも自然の摂理に反しているだけでなく、体に悪い食物になり果ててしまった。という事なのでしょう。
紹介した自然農法の先駆者たちは、両名共若い頃大病を経験しています。その経験は、自身の「生」に直撃し、自然のあり様、自らの本能に直結した不整合を感じたから、自然農法という領域に突き進んだのかもしれません。次回は、続きです。では、お楽しみに・・・
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2020年12月10日
農と金融5~自然に触れていれば不自然さが分かるようになってくる
【農と金融4~つくり手の復権】
に続いて。
都会は、不自然さに違和感を持たせなくする。
以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)
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2020年12月03日
農と金融4~つくり手の復権
【農と金融3~消費から贈与へ】
に続いて。
「安くておいしい」が、いかに矛盾しているかという事実。
お金の存在が、その気づきの邪魔をしている。
以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)
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2020年12月01日
日本の哲人・福岡正信氏の自然農法 - 砂漠の緑化へ
本日は、自然農法の先駆者 福岡正信氏 の紹介になります。彼の農に対する思想は何か?
このニュースはJFS ニュースレター No.45 (2006年5月号)に掲載されたものですが、まさに、この時期に 人と農の関係と繋がりを深く追求していくには、非常に気づきが多い記事です。では・・・・【リンク】
転載開始
耕さず、肥料も農薬も使わず、除草もしない農法があります。「自然農法」です。
日本の自然農法の大家と言われる福岡正信氏は、約60年間、独自の理論と思想、哲学に基づいた自然農法に取り組んできました。1975年に出版された著書『わら一本の革命』は、英語、フランス語、スペイン語、中国語、ロシア語などに翻訳され、20-30カ国もの国で読まれており、自然農法の実践だけでなく、環境悪化の根本原因を指摘し、人間の生き方までを示すその思想・哲学は世界中の多くの人々に影響を与えてきました。この号では、福岡氏の思想と実践をお伝えしましょう。
1913年、愛媛県伊予に生まれた福岡氏は、高等農林学校農業部を卒業後、横浜税関に就職しました。そして25歳の時、転機が訪れます。急性肺炎を患い、入院するのですが、この時の孤独な体験により、退院後も苦しみ、生死について悩み、悶々とした日々を過ごすようになります。そしてある朝、「この世には何もない」「人間は何をしようとしても、何もできるものではない」「人知・人為は一切が無用である」と気づきます。福岡氏の「一切無用論」「無」の思想の誕生でした。
その思想を、自らの実践で証明するため、1937年、郷里の伊予へ帰り、父親の果樹園で百姓生活に入ります。1939年、第二次世界大戦の戦況が厳しくなったころ、高知県農業試験場での勤務を始め、そこで科学農法を指導、研究しながら終戦を迎えます。1947年、伊予に戻り、それ以後、百姓として独自の自然農法を続けてきました。
1979年に訪米した福岡氏は、砂漠化したカリフォルニアの大地を見て、自身の自然農法のノウハウによって砂漠を緑化できることに気がつきました。アメリカで自然農法に取り組むコミュニティを巡りながら、アメリカの近代大型農業と牧畜が砂漠化の原因になっていることを説いてまわります。それがきっかけとなって、国連砂漠化対策局長に砂漠化防止の技術指導を頼まれ、中国、インド、アメリカ、アフリカなど世界各地で砂漠の緑化に取り組むようになったのです。
1988年に、インドの最高栄誉賞であるデーシコッタム賞、アジアのノーベル賞とも称されるフィリピンのラモン・マグサイサイ賞、1997年には、世界の持続可能な開発に貢献した政治家、企業経営者、学者、NGO等に授与されるアース・カウンシル賞を受賞。現在、93歳の福岡氏は、緑化運動から退き、自然農園も非公開にして、郷里の伊予で静かに過ごされています。
◆思想と哲学に基づく自然農法
福岡氏の自然農法は、人間の科学の完全否定から始まります。福岡氏はその著書で「とにかく私は、従来の農業技術を根本的に否定するところから出発しております。これは、私が、科学技術というものを、完全に否定しているということです。今日の科学を支える西洋の哲学の否定にもとづいているわけです」と述べています。
また、「私が考えている自然農法というのは、実をいうと、いわゆる科学農法の一部ではないんだ、と。科学農法の次元からはなれた東洋哲学の立場、あるいは東洋の思想、宗教というものの立場からみた農法を確立しようとしている」とも述べています。自然を利用しようという西洋的な思想ではなく、人間は自然の一部であるという東洋的な思想を重んじ、人間の科学が不完全で不要なものであることを、”何もしない”自然農法で証明しようとしたのです。
著書『自然に還る』では、「食の狂いが体を狂わす。考え方を狂わす。あらゆることに影響する。体の健康も食から来る。そして、体から思想も生まれる」と、人間が生きていくうえで、食を非常に重要なものと位置づけ、食の取り方として「身土不二」という言葉を何度も使っています。身土不二とは、「身体(身)と環境(土)とは不可分(不二)である」という意味で、「人と土は一体であり、暮らす土地でその季節に取れる物を食する事で、体は環境に調和し健康でいられる」というメッセージです。
◆福岡式自然農法
現在、日本のほとんどの農家は、化学肥料と農薬を用いる化学農法を行っています。しかし近年、食の安全に注目が集まるにつれ、減農薬や有機農業など、環境に配慮した農業に取り組む農家も徐々に増えてきました。最近、有機JASマークをスーパーなどで目にすることが多くなりましたが、これは登録認証機関から有機JAS規格に基づいて生産されたと認定をうけた農作物につけられるものです。ここでの有機農法 とは、原則3年以上無農薬無化学肥料で、かつ堆肥などの有機物による栽培方法です。
それでは、化学肥料や農薬を使用しない自然農法は、有機農法なのでしょうか?福岡氏は、人智による科学的農法を否定し、「人為は無用」となるべく人の手をかけない農法を作り上げてきました。有機肥料を施す有機農業は、人間による施肥という行為がなされるので、福岡氏の目指した自然農法の理想とは異なるものと考えられます。
自然農法について、福岡氏は著書の中で、次のように語っています。「健全な稲を作る、肥料がいらないような健全な、しかも肥沃な土を作る、田を鋤かなくても、自然に土が肥えるような方法さえとっておけば、そういうもの(田を鋤く、堆肥や化学肥料をやる、農薬をやること)は必要でなかったんです。あらゆる、一切のことが必要でないというような条件を作る農法。こういう農法を私はずっと追求しつづけてきたわけです。そして、この三十年かかって、やっと、何もしないで作る米作り、麦作りができて、しかも、収量が、一般の科学農法に比べて、少しも遜色がない、ということころまで来た」。
自然農法について、埼玉県で福岡式自然農法を試みている松本宗雄氏に話をうかがいました。現在、少数ですが、日本各地で「自然農法」と称する農法に取り組んでいる人々がいます。しかし、それぞれ似て非なるもののようです。なぜなら自然農法といっても、確立された定義があるわけではなく、取り組んでいる人が各々独自のやり方でやっているからです。とはいっても、福岡氏のもとで自然農法を学び、独自にやり方を作り上げていった人が多く、福岡式自然農法が自然農法の元祖ないしは源流の一つといえそうです。
福岡式自然農法には、不耕起、無肥料、無農薬、無除草という四大原則があります。不耕起とは耕さないことで、農家の常識では理解しがたい事のようですが、松本氏は「耕した土は乾燥しやすい」と言います。また、有機肥料を含め堆肥をやると、作物を過保護にしてしまいます。無肥料にすることで、強靭な作物ができ、味も濃くなることを実感しているそうです。無除草に関しては、雑草を根から抜くのではなく花の咲く頃を見計らって刈るそうです。そして刈った雑草はそのままその場所に倒しておくと、夏は保湿、冬は保温の役割をしてくれ、腐って肥料にもなります。
また、水も極力やりません。水をやらないと、根が水をもとめ、地中深く根を張っていきます。ところが水をやると植物は簡単に水を手に入れることができ、根は浅くしか張らない、弱い作物になってしまうそうです。
種まきの際には、さまざまな種をまぜて、バラバラに蒔きます。そうすると、その場所と相性のよい作物が出芽します。そのため、どこに何が生えてくるか、まったくわかりません。福岡式自然農法は、傍から見れば、植物が乱雑に植わって、ほったらかしの状態に見えます。見方によっては荒れ放題の畑のように見えるので、隣接する農家や近所の人は嫌がるそうです。野菜が整然と並んだ畑が常識の日本では、なかなか周囲に理解されにくい農法なのかもしれません。
不耕起、無肥料、無農薬、無除草で水もやらない農法と聞くと、非常に楽で簡単な農法と思われがちですが、決して簡単なものではありません。福岡氏はその著書で、「自然と放任は違う」と何度も書き記しています。松本氏によると、「人間の手が入らない自然は、そのままにしておいて、自然のサイクルにまかせておけばよいのだが、一度人間の手の入ってしまったものは、放っておいても自然の形には戻らないので、自然の形に戻るよう手を貸さなければならない」そうです。この自然の形に戻るよう手を加える方法が難しく、経験を要します。福岡氏自身も試行錯誤と失敗を繰り返しながら、自然農法を作り上げていったようです。
近年、石油の需要が大きく伸び、その利権をめぐって世界中で紛争が絶えません。化学農法で使用する肥料や農薬は石油が原料ですし、耕耘機を動かす燃料も石油です。石油問題はエネルギーだけでなく、肥料や農薬に頼っている化学農法にとっても危機となります。しかし、自然農法は、耕耘機などの機械も、肥料や農薬も使用しません。石油を必要としない農法なのです。まさに持続可能な農法といえるのではないでしょうか。
◆粘土団子と砂漠の緑化運動
福岡式自然農法の米作りは、米麦連続不耕起直播という方法で、その名の通り米と麦を連続で作り、耕さず、苗を作らず直に田圃に籾を蒔く農法です。しかし、直接籾をまくと、すぐに鳥に食べられてしまいます。そこで福岡氏は、粘土に種子を入れて団子を作り、それを田圃に蒔くという方法を考案しました。粘土団子は、粘土と水になるべく多くの種類の種を混ぜて練り、空気を抜いて、小さくまるめて3-4日乾燥させると出来上がりです。
種子を粘土で覆うことにより鳥や虫のえさになることを防ぎ、種子自身を乾燥から守ります。また、球形にすることで割れにくく、地面と接した一点に日中と夜との気温差で生じた結露による水分が集まり、発根させるという仕組みです。
低コストで水遣りや肥料のいらない粘土団子は、砂漠に種を蒔くのに最適です。そして、この粘土団子を使った緑化運動が始まりました。福岡氏は、種集めを呼びかけ、ギリシャ、インド、タンザニア、フィリピンなど世界各地で粘土団子を蒔き、成果をあげてきました。現在、福岡氏自身は砂漠の緑化運動から退いていますが、今でも、ギリシャやスペイン、アメリカ、イタリア、インドなどで、粘土団子を使った緑化への取り組みが続けられているようです。
しかし、種が芽吹き、下草、野菜、樹木などの豊かな緑を砂漠が取り戻し、緑化の真の成果が確認できるのは、あと5年、10年、あるいは何十年とかかるかもしれません。自然を破壊することは簡単ですが、一度失われた自然を取り戻すことは、大変時間がかかり難しいものなのです。
◆自然を生活に取り戻すこと
日本は第二次世界大戦後、経済を大きく拡大させ、世界中から物資を輸入し、生きていくうえで最も大切な食べ物さえ、地球の裏側から持ってくるようになり、物があふれるようになりました。その結果、科学の作り上げた現代の日本社会の中では、緑や食を支える農業は、生活から遠くなってしまいました。
しかし、自然がないと人間は生きてゆけません。日本の生んだ哲人は、自然農法を通じて、人間は科学の力がなくても生きられることを証明しました。人間は自然の中で生かされているという事を、もう一度思い出さなければならないのではないでしょうか。種をまき、緑や農を生活の近くに取り戻すことが、持続可能な社会への、一歩なのかもしれません。
参考図書わら一本の革命 福岡正信著 春秋社(スタッフライター・米田由利子)
以上転載終了
◆まとめ
彼の自然農法とは、「まさに人は生態系の一部なのだから、農業もその中でに営まれることが本来の姿」である。
なので、自然を牛耳て、コントロールしていくような西洋科学(科学技術)を駆使した農法とは真逆の農法に挑戦したのだと思います。
自然を見つめ、真実を掴み 自然本来の中で生きて行く究極の農に肉薄していくこと。そこには、本源の地平に通じる「生=命」があると・・・・・では次回もお楽しみに
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2020年11月27日
農と金融3~消費から贈与へ
【農と金融2~「お金第一」が生きる意欲を失わせる】
に続いて。
関係性の切れる消費から、関係性の生まれる消費へ。
贈与経済への道筋をつける、一つの切り口。
以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)
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2020年11月19日
農と金融2~「お金第一」が生きる意欲を失わせる
【農と金融1~金を払い、関わり合う価値を捨ててきた】
に続いて。
「お金第一」崩壊の足音がそこまで来ている。
終わりを迎える前に、お金とは何なのか、社会に何をもたらしたのか、改めて問う。
以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)
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2020年11月19日
伝統農法「冬水田んぼ」。雑草を減らすのに役立ち、豊かな土壌にする農法について
今日は、伝統農法の冬水田んぼについての紹介になります。田んぼは収穫が終わると水を抜いてしまうことが普通。冬に水が張っている田んぼは、私は、見たことがありません。
ところが、先人たちは、冬に水を張ることで、生態系を豊かにし、自然に雑草を減らし、良質な土づくりが可能な農法をあみ出しました。
転載開始【リンク】
適切な農業生産を行っていれば、農業は二次的な自然環境の形成や環境保全といった機能を果たしますが、農業資材等を不適切に利用するとかえって環境に負荷を与え、自然環境の劣化を招いたり、土壌劣化など、環境へ負荷を与えてしまいます。
そこで、環境に配慮した循環型農業に関心が高まっているわけですが、昨今、伝統農法「冬水田んぼ」が注目を集めています。
◆冬水田んぼとは
通常、稲を刈り終わった後の田んぼには水が張られていませんが、「冬水田んぼ」は、稲を刈り終えた田をあえて湛水状態(田に水を張り続けた状態)にしておくことを指します。
◆冬水田んぼのメリット・デメリット
〇メリット
水を張り続けることで、多種多様な生物を育むことができます。
それにより得られるメリットには
・土づくりに役立つ
・雑草対策に役立つ
ことが挙げられます。
寒い季節に水を張り続けることで、低い温度でも活動する酵母や乳酸菌などの微生物、イトミミズやユスリカなどの生物が増殖し、田の表層数cmのところに「トロトロ層」と呼ばれる、土壌の粒子が細かくなった層ができます。
そして「トロトロ層」に棲む小動物を食べに、さまざまな鳥がやってきて、冬水田んぼは鳥たちの憩いの場になります。鳥たちは田に糞をしますが、その糞には植物の生長に欠かせない窒素やリン酸などの栄養素が含まれています。この栄養を糧に、春に植えられた稲は育っていきます。
この「トロトロ層」は雑草対策にも役立ちます。雑草の種子がトロトロ層に埋没すると、種子が発芽するのに十分な太陽光が届かなくなるため、雑草は発芽できなくなります。
なお冬水田んぼの湛水時、米ぬかを散布すると雑草対策により効果的です。米ぬかが微生物のエサになり「トロトロ層」ができる手助けになるだけでなく、米ぬか散布による抑草効果も期待できるからです。
米ぬか散布の効果に関する記事:米ぬか散布で得られる効果とは。病害虫の発生を抑え、作物の味を良くする!?
〇デメリット
とはいえ、デメリットもあります。安曇野市農業再生協議会が実施した「ふゆ水田んぼ研究プロジェクトチーム」の活動内容からは、冬水田んぼの難しい一面が見えてきます。
冬水田んぼの取り組みを検証する3年もの調査結果には、
○:3年目にして、米の食味値(蛋白・アミロース等)が市内の平均値に比べて多少評価が上がった。
×:3年目にして、10a当たりの収量が市内の平均値を大きく下回った。水管理に手間がかかり、農家の負担が増えた。
とありました。調査結果の文中には“本市においては、冬期湛水を行うことによる農家へ対するメリットははるかに小さいことが分かりました”とあります。収量に影響を与え、労力がかかるこの農法は、効率的な生産活動を軸にするとあまり好ましくありません。
他には
・その地域の気象や圃場条件によっては実施が難しい(冬に水が不足する地域ではできない)
・冬水田んぼの効果は、無農薬栽培圃場が前提であり、慣行農法をしていた圃場で実施してもすぐに効果は出ない
などが挙げられます。
注目を集める理由 それでも、冬水田んぼに取り組む地域によっては、
・冬水田んぼで収穫したコメをブランド化して販売
・田んぼの生き物調査や自然観察会を企画
・農作業の体験ツアーを企画
するなど、冬水田んぼを所得向上や新たな事業に活用しています。
冬水田んぼには、先で紹介した微生物やイトミミズ、ユスリカなどの他、トンボの幼虫のヤゴやメダカ、食べ物を求めてやってくるカモやガン、サギなどの生息が確認されています。水田周辺の整備による生育域の減少や環境変化により、生息数が減少しているニホンアカガエルの産卵場所にも。
効率的な生産には向いていないかもしれませんが、この農法がきっかけで、持続可能性のある農業への注目がより高まるかもしれませんね。
◆まとめ
「冬水田んぼ」では、良好な自然環境が持続し、結果的に、質の高い美味しいコメの栽培に繋がっていくという、生態系の中に稲作がきっちり組み込まれているという農法です。
なので、自然が織りなす「あり様」から様々なものが生まれてくるわけで、自然の容量を超えた効率的なものとは相いれないのは当然と言えば当然。そういう意味では、自然の理にかなった農法と言えるのかもしれません。
肥料がない 時代に、このように自然の力に頼りながら、生産を営む先人たちの豊かな発想。
そもそも、農業の原点は、「冬水田んぼ」のように、まさに自然と一体になりながら、自らが生きていくための必要最低限の作物をつくり食するという事であったはず。「冬水田んぼ」は、現代の農が忘れてしまった農の原点を呼び起こす農法とは言えないでしょうか?では、次回もお楽しみに
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2020年11月12日
農と金融1~金を払い、関わり合う価値を捨ててきた
農と金融。一見まったく違うバックボーンを持つふたりの対談が紡ぎ出す、これからの社会像、生き方。
以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)
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2020年11月06日
新・兼業農家論4~老若男女みなが一緒に50年後を考える村Ⅱ
【新・兼業農家論3~老若男女みなが一緒に50年後を考える村Ⅰ】
に続いて。
以下、転載(「ビジネスパーソンの新・兼業農家論」2020著:井本喜久)
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2020年10月29日
新・兼業農家論3~老若男女みなが一緒に50年後を考える村Ⅰ
農ある暮らしを中心に置こうとする志が、村を、街をひとつにしていく。
以下、転載(「ビジネスパーソンの新・兼業農家論」2020著:井本喜久)
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