日本の哲人・福岡正信氏の自然農法 - 砂漠の緑化へ |
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2020年12月03日
農と金融4~つくり手の復権
【農と金融3~消費から贈与へ】
に続いて。
「安くておいしい」が、いかに矛盾しているかという事実。
お金の存在が、その気づきの邪魔をしている。
以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)
新井)僕は、安けりゃ安いほうがいいだろうっていうふうに思っているいまの経済を生んでいるのは、定価だと思ってるんです。
高橋)そうですね。本当にそうだ。
新井)市場もそうじゃない。だから、安けりゃ安いほど、というところに行くんじゃなくて、みんながギフトしあうような関係をしつづけるようになってくると、健全なインフレは起こると思っていて、それをつくりたいんだよね。
一生懸命やっている人たちがバカを見る社会って、僕は絶対あっちゃいけないと思っている。それは何のせいかっていうのを遡って考えてみると、いまの社会ってコストをかければかけるほど損だってなるんだけど、そのせいなんだよ。それはなぜかっていうと定価が決まっているから。それに対して原価は下げるほうにいかない限り儲からないからっていう話になるんだけど、そうすると原価を下げる圧力がどんどんかかるわけ。そうするといい物をつくれるわけがない。
高橋)疲弊していく。
新井)疲弊していくよね。そうじゃなくて、かかるものはちゃんとかかるんだと。かかる分以上にギフトしてくれるっていう環境をつくれば、経済は健全になっていくんだよ。だからちゃんとしたものをつくろうって思うし。
高橋)いま、日本は外国から「安くておいしい国」って言われるんですよ。あの国は、お徳な国だって。でも、考えてみれば、安くておいしいって、変なんです。いいものはそれなりに手間をかけているんだから相応の値段がするのは当たり前じゃないですか。「安くておいしい」が成り立っているのは、誰かがどこかで犠牲になっているからなんです。食の世界で言えば、生産者や料理人がそう。これって、持続可能じゃないですよね。だから、これを逆回転させて、つくり手の復権をしないといけない。
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高橋)ポケマルで、生産者からこういう声が上がってるんですよ。「あんた、五分の関係をつくるって言ってるけど、ちょっと売りたくないお客さんがいるんだ」と。「こっちは選んじゃいけないのか」と。
新井)まっとうだと思う。お互いが決めればいいし、世界的にも、みんな双方向に移っていってるわけだし、テクノロジーでそれができる時代なんだから、早くそっちに行っちゃえばいい。だから、選ばれる消費者じゃなきゃいけないし、選ばれる生産者じゃないといけない。その健全なコミュニティを僕らeumoはつくりたいし、そこに向かって早く前に進みたい。
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新井)最終的には「生産している人たちがもっとも価値があるんだ」っていうお金じゃないと、生産者がそっぽを向くと思っていて。
というのは、たとえばどんな天変地異が起こるかわからないけど、想像できないようなことが起こったときに、ゼロにはならないんだよね。大量に均質的につくってきたものっていうのは、たとえば干ばつとか大雨とかそういったものには弱い。でも生命力のあるものって基本的には生き延びる力があるから、ちょこっとは残るんだよね。本当につくりつづけてきた生産者たちは、その生き延びたものを手にしているから、彼らとつながっているかどうかって僕はすごく大切なことだと思っている。
別に不幸を生みたいわけじゃないけど、でもそうならないと本物が見分けられないとか、本物が浮かばれないっていう社会にしちゃいけないと思うし、そういうときに僕らがつくるeumoというお金で信頼関係がつくれていれば、救われていく人たちが出てくるんだと思っています。
投稿者 noublog : 2020年12月03日 TweetList
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