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2020年11月06日

新・兼業農家論4~老若男女みなが一緒に50年後を考える村Ⅱ

【新・兼業農家論3~老若男女みなが一緒に50年後を考える村Ⅰ】

に続いて。

 

以下、転載(「ビジネスパーソンの新・兼業農家論」2020著:井本喜久)

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■自然の恵みの恩恵をいただく仕組みづくりを
今西猛さんは、山師の仕事の傍ら、原木椎茸や渡川産の天日干し米をネットショップ「渡川山村商店」で販売しています。この渡川山村商店では、自然の恩恵をいただく私たちが、「自然に無理をさせない仕組み」が作られています。これは、今西さんが感じる違和感と向き合い、考えだしたアイデアばかりです。

<アイデア➀>収穫するまでに時間がかかる。だから「原木しいたけオーナー制度」
今西さんが販売している原木椎茸と菌床椎茸を食べ比べてみると、肉厚さ、味の旨味、香りがまったく違って、こんなにも椎茸がおいしいものかと衝撃をうけました。
今、日本で流通している「日本産の木から生えた生椎茸」は、たった1割しかありません(平成25年農林水産省統計調べ)。私たちが口にしている椎茸の多くは、中国産、またはおがくずから作られる日本産菌床椎茸で作られているのです。

昔ながらの原木椎茸は、クヌギの木を伐採し、葉枯らしを行うところからスタートします。その木を1mほどに切り分けて、種菌を植え付け、山の中で寝かせます。実際に、原木椎茸が生えて商品にできるのには約2年かかります。当然、それまでは投資し続けるしかありません。そのため、新たに原木椎茸を作り始めるにはハードルが高く、一度、原木椎茸を作るのを辞めてしまうと復活させることが難しいのです。

そこで今西さんが考案したのが、「原木しいたけオーナー制度」。年間5,000円でオーナーになると、旬の時期に生椎茸と乾燥椎茸が送られてきます。それだけでなく、椎茸の駒打ち体験や採れたての椎茸をその場で味わえる椎茸炭火焼など、今西さんが企画するイベントに参加できる権利も。
菌を植えてから収穫できるまでの2年間、一切、収入がありません。だから新規参入がしにくく、生産者の高齢化に伴って、原木椎茸を作る人は年々減っていっています。そこで、クラウドファンディングのような考え方を取り入れて、原木しいたけオーナー制度を作りました」と話す今西さん。

原木オーナーが集まるFacebookのグループには、原木椎茸が届いた喜びやレシピ、イベントから生まれた参加者同士のつながりが生まれ、確実に渡川のファンが増えています。

<アイデア➁>いつ採れるかわからない。だから「採れたときでいいよ」システム
原木椎茸は採ってからすぐに鮮度が落ちていきます。これまで一番おいしい原木椎茸を口にするのは、生産者の特権のようなものでした。まとめて出荷することが難しいので、市場にはなかなか生では出回らない原木椎茸。その本当のおいしさを知ってほしい、と今西さんが考案したのが、「採れたときでいいよ」システムです。
事前に注文を受け、原木椎茸が採れたときに送るという仕組みです。いつ送られてくるかわからない反面、もっともおいしい状態、時期のときに自宅に届きます。
納期はありません(笑)。自然の時間、自然の力に任せて、消費者であるお客様には、私たちを信頼してもらって気長に待っていただいています」と笑う今西さん。

そもそも自然の恵みである農作物が、いつの季節も、同じ形のものがスーパーに並ぶことのほうが不自然なこと。自然の恵みを、もっともおいしい状態で消費者に届けることを考えたときに、生まれたシステムでした。実際に、この「採れたときでいいよ」システムで購入した方は、ほぼリピーターになることが、おいしいことのあらわれ。旬の食べ物は、驚くほどおいしいのです。

 

今西さんの活動は多岐にわたります。山師、渡川山村商店の運営、コワーキングスペース「ca-ba」や飲食店「HUTTE」の運営。そして、美郷町のジビエPR促進事業まで。全ては、一貫して「渡川を100年後も持続させる」ため。
そのためには、自分一人でできることには限りがあります。だからこそ、今西さんはあらゆる業種、セクターの人と手を取り合い、一丸となって取り組みます。
『鹿肉エベレスト丼』もその一つ。獣害に悩まされている地域の人たちや行政と共に、「鹿肉をおいしく食べてもらえるには?」と開発した丼は、2016年市町村対抗グルメコンテストで準グランプリをとりました。
今西さんが運営するHUTTEでは、その鹿肉エベレスト丼をはじめ、鹿肉のハンバーガーなども提供していて、これまで鹿肉に馴染みのなかった世代にも幅広く支持されています。

これら革新的なサービスや取り組みは、「自然に無理をさせたくない」「消費者に喜んでもらいたい」「渡川を100年後も持続させたい」という思いから生まれたものです。だからこそコアなファンが集まり、山と街がつながる仕組みが生まれています。
仕組みそのものを真似するというよりは、自分たちの本当に大事にしたいことを追求していった先に、新たなビジネスモデルが生まれるのだと今西さんの姿から学ぶことができました。

 

【Author’s Point】
僕がこれまで訪れた限界集落の中でもっとも美しく、もっとも感動させられたのが宮崎の渡川。宮崎の山奥にありながらここ数年で30代を中心にUターン人口が一気に増え、小さい子供たちがいっぱいいる村だった。人口は、360人ほどで、そのうち100人が40歳以下。若者&子供の率がとても高い。宮崎市内から車で2時間半ほども進む山奥の村なのに、なぜ? と思いながら、僕は渡川で初めて、山師・今西猛くんに出会った。

彼に出会ってわかったのは「家族や仲間を大切に想う心がいつも全面に出ている」ということ。それを象徴するのが、彼らが手掛けた「渡川物語」というYouTube動画だった。中身は、村人たちの普段の何気ない姿と音楽だけ。その動画の中で、彼らが一番メッセージしたかったのは「渡川がいかに素晴らしい村であるか」ということだったんだけど、それは、村の外の人に対してではなく、かつて村で暮らしていた村出身の若者たちに対してだった。結果、ブーメランのように、若者たちが戻ってきて、林業や農業、村おこしに取り組んでいる。

そして、僕が村を訪れたときに、村民の集会が開催されるというので参加させてもらったのだが、そこで話されていた内容に衝撃を受けた。上は90歳のお年寄りから下は16歳の若者までが集まって「50年後の渡川をどうするか」を話していた。林業というのは、自分たちが植えたものが、50年以上経ってやっと商売になる。林業が未だに生きている村だからこその集会はとても多くのことを学ばせてくれた。

限界集落「渡川」の可能性を最大化して広く全国へ発信する男、山師の今西猛くん。
彼らの活動に、今後も目が離せない。

投稿者 noublog : 2020年11月06日 List   

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