2021年03月11日

農のあるまちづくり4~世界のトレンドⅡ.NY、上海、ロンドン。そして日本の可能性

世界の先進都市で増える農的空間。

背景には、都市の課題を解決する農、という強い課題意識がある。

そして各国との比較から見えてくる、日本の都市農業の可能性。

全くゼロからつくり出すのではなく、有形無形の資産を再発見し、

活かし、受け継いでいくという視点。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

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2021年03月09日

コロナの時代に「百姓仕事」を考える。格差社会を超える「働き方改革」のために

コロナが発生し、社会がいたるところで、不具合がおきだしてから、ほぼ一年になる。この間、働き方は非常に変化してきている。

今やリモートによる会議はあたりまえになり、地方に本社がある企業の東京支店を閉鎖させ、変わって、社員は自宅から営業に向かうといった会社も現れてきている。また、本社機能を全て地方に移転する企業まで登場してきている。

その中にあって、農業は、働き方に生きがいを生み出し、知らず知らずのうちに、人と自然がお互いに適応し共存していける環境を形成していけるのだ。

私権社会に特有の時間を切り売りする「手段」としての労働から、労働それ自体が楽しいと思える活動へ。本当の「働き方改革」を実現させる可能性は百姓仕事の中にあると・・・・・

まさに自然と労働の一体化。そこには時間という概念は無く、充足感がその単位を包括するまでに至る世界を生み出す。

「農文協 2021年 3月号」から では・・・・リンク

 

転載開始

去年の今ごろは中国で発生した新型コロナ(COVID-19)という感染症の恐ろしさに、ようやく人々が気づき始めたころだった。あれから1年――。

感染症もじきに収まるだろうという期待も虚しく、いまだに当たり前の日常を取り戻すことができずにいる。医療現場の逼迫はいよいよ深刻な状況だし、病人を見舞ったり、年寄りを介護したり、はては身近な人を看取り、まともな葬式を出すことすらままならないつらい日々が続く。

ただ、悪いことばかりではない。新型コロナは、何が本当に大切かをわれわれに気づかせてくれる鏡にもなっている。

そのひとつが、農業という仕事のもつ「強さ」と「楽しさ」だ。

 

ブックレット『新型コロナ19氏の意見』から

昨年5月上旬に農文協ブックレットとして『新型コロナ19氏の意見』を緊急出版した。原稿を依頼したのは3月中〜下旬、締め切りは安倍晋三首相(当時)による緊急事態宣言発出直前の4月上旬という、まったく予測がつかない状況のなかで、ウイルス学や国際保健学をはじめ、哲学、人類学、社会学など各分野の専門家や、ジャーナリスト、探検家、農家まで多彩な顔ぶれが、知恵をしぼって新型コロナの引き起こした事態を分析してくださった。

そのなかで、農民作家の山下惣一さんは、玄海灘に面した畑で農作業を続ける自分は都市生活者のような「3密」とは無縁で、新型コロナがはびころうが、日常に変化はない、と書いた。そして、新型コロナはアマゾンの原生林の開発に見られるような「地球に巣食う白アリ(=人間のこと)への逆襲である」と喝破し、「身土不二の食生活と小規模家族農業こそがそれを根本的に解決する道だ」と述べる。「『新型コロナでわかった田舎暮らしの強さ確かさ』……田舎の実家を大切にしておけ」と。

一方、経済アナリストの森永卓郎さんの主張はこうだ。新型コロナによって中国から輸入が止まったとたんに、日本ではマスクから電動アシスト自転車、厨房設備やトイレに至るまで、日常生活を支えるあらゆるモノの供給に支障をきたした。それは最もコストの安いところから部品を大量調達するというグローバル資本主義の矛盾が露呈したということではないか。また、感染拡大が東京、大阪などの大都市でまず起こったように、大都市一極集中の脆弱性もあらわになった。今後の社会に求められるのは「大規模・集中」から「小規模・分散」への経済の転換だ。それを実現するには農業のあり方こそ重要だと言う。大規模農家に農地を集中させるのではなく兼業農家を守り、消費者も含めたより多くの人々が農業生産にかかわっていく。目指すは食べものや生活に必要なものを、できるだけ近くの人同士で分かち合う「隣人の原理」(ガンディー)の実現だ。それには、都会に住み、消費するだけのライフスタイルの転換が求められると説く。

 

◆「仕事の楽しさ」まで奪う格差社会

東京出身の経済アナリストである森永さんがこういう主張に至ったことも意外だが、自らそれを実践しているというから驚かされる。森永さんは埼玉県所沢市という「トカイナカ」(都会と田舎の中間)に住み、20坪ほどの畑を耕しながら、ラジオの生放送などに出演するため週2〜3回、1時間半ほどかけて電車で東京に通っている。農業をはじめたきっかけは群馬県昭和村の道の駅が運営する体験農園。そこに週末だけ通っていたのだが、コロナ禍で県境を越えた移動が困難になったことから、近所の畑を借りて農業をはじめたのである。「小さい農業」よりさらに小さい「マイクロ農業」の実践だ(詳しくは、3月に農文協から発行される『森永卓郎のマイクロ農業のすすめ』参照)。

近所の畑で農業を始めてまず気づかされたことは、農業は失敗の連続であることだ。道の駅の体験農園ではプロ農家が土づくりや苗をお膳立てし、日常の管理もやってくれたから無事育っていたのだった。素人の自分がなんでも育てられるほど農業は甘くない。にもかかわらず、農業は「楽しい」。周りの農家がいろいろアドバイスしてくれるのだが、そのアドバイスが〝みんな違う〞。つまり(根本的に言えば)農業にマニュアルは通用しない。誰にもしばられることなく、自分の意志にしたがい、自分で工夫するからこそ農業は楽しいのだ。毎朝2〜3時間畑に立つ時間は、マスクをする必要もなく、愛煙家である森永さんは野良仕事の合間に至福の一服を味わうこともできる。

森永さんは、『マイクロ農業のすすめ』でこうした「楽しい仕事」の対極にあるものとして、ウーバーイーツに象徴される現代の厳しい労働現場についても書いている。

ウーバーイーツとは現代版の出前持ちのことだ。料理を注文したい人はウーバーイーツのホームページにアクセスし、提携した飲食店の料理を選ぶと自転車やバイクで望みのところに配達される。消費者はクリックするだけで料理が届き、支払いもクレジットカードやスマホで済む。コロナ禍による外食の自粛に苦しむレストランが提携店に登録することで急成長し、コロナ禍で失業した人びとがその配達員となっている。

ここで問題なのは、配達員はウーバーイーツに雇用されているわけではなく、「個人事業主」として登録されていることだ。だから雇用保険も労災保険も適用外であり、たとえ配達中に事故にあっても、なんの補償もなされない。そしてスマホのGPS(位置情報)によって管理され、将棋の駒のように動かされて、その効率も厳しくチェックされる。この計器による徹底した労働管理はアマゾン(通販を主力とする巨大IT企業)の倉庫でのピッキング(伝票や指示書にしたがって、商品を取り出す作業)の現場も同様だ。作業員はハンディー端末を持たされて、ピッキングすべき品目との距離から瞬時に割り出される目標時間が提示される。もちろん、出前もピッキングも大事な仕事であるが、ここでは労働者に対する敬意はなく、誰にでも置き換え可能な駒として扱われているようにみえる。ウーバーイーツでは、新型コロナのために客とのちょっとしたやりとりもできにくいことも仕事のつらさに拍車をかける。

森永さんは現代の格差社会では「所得や資産」の格差だけでなく、「仕事の楽しさ」の格差も進んでいるという。それは大企業もけっして例外ではなく、知的で創造的な部分を担うのは、親会社のひと握りの経営層や企画部門に限られるという状況が進んでいる。

これに対して、森永さんがいうように、なぜ農業の仕事は「楽しい」のであろうか。

 

◆「百姓仕事」の楽しさの謎に迫る『田んぼの絵本』

「農業がなぜ楽しいか」という問いは、農家にとってあまりに当たり前すぎて、答えが見つからないかもしれない。

その手がかりを与えてくれるのが、『うねゆたかの 田んぼの絵本』である(全5巻、①『田んぼの四季』、②『田んぼの動物』は既刊。③『田んぼの植物』は2月、④『田んぼの環境』、⑤『田んぼの文化』は3月発行)。

著者の宇根豊さんは福岡県糸島市の「百姓」。福岡県農業改良普及員時代の1978年に減農薬稲作運動を提唱した人として知られている。本誌でもたびたび紹介してきたが、イネの株元に虫見板と呼ばれる下敷き状の板をあて、稲株を叩いて虫の発生状況を観察することで、防除暦に頼らない農薬の使い方を普及させた。その運動を通して、水田には害虫でも益虫でもない虫が圧倒的に多いことをつきとめ、「ただの虫」という概念を広めた。2000年福岡県を退職し、福岡県二丈町(現・糸島市)に移住、NPO法人「農と自然の研究所」を設立、この団体を母体に、「田んぼの生きもの調査」を開始する。地域の農家と子どもが一体となった調査はやがて全国に広がり、「田んぼの学校」と呼ばれるようになった。

その宇根さんが初めて子ども向けの絵本を書いた。絵本の舞台は宇根さんの田んぼであり、描かれるのはその「百姓仕事」である。宇根さんは苗代で育苗し、成苗2、3本を手植えしている。除草剤や農薬は一切使っていない。だからここに出てくる「お百姓」は宇根さんそのものなのだが、同時に、長年にわたって農家とつき合いながら、百姓仕事とは何かと問い続けるなかで気づいてきた、多くの農家の思いや感覚も投影されている。この絵本に登場する「お百姓」は、宇根さんであると同時に多くの農家でもある。

この絵本では、その田んぼと百姓仕事をめぐる素朴な疑問をめぐって、小林敏也さんによるダイナミックな絵ページと写真やグラフなどによる解説ページが一見開きごとに交互に展開していく。少しだけ紹介しよう。

「なぜ赤とんぼは人間に寄ってくるの?」のページでは、田んぼの中で疑問をもったお百姓が赤とんぼ(ウスバキトンボ)にその問いを投げかける。お百姓は赤とんぼの言葉から、自分が田んぼの中で仕事をするとイネに止まっていた虫たちが驚いて飛び立つこと、そして自分の姿が赤とんぼにとっては、小さな虫たちがいることの目印になることに気づく(①『田んぼの四季』)。

「足あとにオタマジャクシが集まってくるのはなぜ?」のページでは、田植え後ひと月ほど水を張った田んぼの中で、お百姓が草取りに歩いた足あとにオタマジャクシがたくさん集まる謎に迫る(②『田んぼの動物』)。水温が上がる初夏の田んぼでは、足あとのところは一段深くなっていて水温が低い。オタマジャクシは暑さを避けて、そこへ集まってくるのだった。

田回りの意味を問いかける話もある(③『田んぼの植物』「畦で草が『整列』するのはなぜ?」)。春のアゼでは、田んぼに近いところにヘビイチゴやオオジシバリなどが、遠いところにスイバやアザミなどが生え、その間にはオオバコやチカラシバなどが生える。それは、田んぼの近くには湿ったところを好む草が、遠いところには乾燥したところを好む草が生え、その間は人に踏まれても強い草が自然に残っていくからである。つまり、アゼの草を適度に刈り、田回りをすることが、アゼの草のすみ分けに一役買っているのである。

 

◆知らず知らずのうちに生きものを育てている

こうした疑問は、農家は口にしないまでも、日々の農作業の合間にふと感じることではないだろうか。『田んぼの絵本』はその疑問を解きほぐすことで、百姓仕事がイネを育てるだけでなく、田んぼやアゼ、用水路の植物や動物を豊かにする役割も果たしていることに気づかせてくれる。

そうは言ってもお百姓は赤トンボにエサを与えたり、オタマジャクシが休む場所をつくるために、田んぼを歩きまわって草取りをしたり、田車を押しているわけではない。アゼの植物の種類を増やそうとして田回りをしているわけでもない。あくまでイネの生長を助けるための仕事である。だが、イネのためと思っていることが、知らず知らずのうちに、ほかの生きものたちの生長も助け、田んぼ周りの環境を豊かにしていく。そして、自分の働きかけ(百姓仕事)が、田んぼのゲンゴロウやアゼのキンポウゲを増やしていることに気づくことが楽しさにつながっていく。

この「知らず知らず」「同時に」ということが、マニュアル化しにくい百姓仕事のおもしろさではないだろうか。

そもそもイネを育てる仕事そのものが、田んぼ一枚一枚の違いや、毎年変わる天候などによって一筋縄ではいかない難しさがある。精農家はそれを、イネに働きかけ、その結果を観察することをとおして感じとる。さらには、その働きかけが田んぼの生きものを豊かにし、そのことに日々の仕事の合間に「ふと気づく」。そこに百姓仕事の楽しさ、おもしろさが尽きない秘密があるのではないか。もし、これらが別々の仕事として行なわれるのであれば、それはそれでマニュアル化が可能になり、とたんにつまらない仕事に転化していくことだろう。

これまで子どもたちの学校や地域での稲作体験では、どういうわけか、田植えもイネ刈りも手仕事が基本となってきた。そこには、「多くの子どもがかかわれるように」とか「昔の仕事の大変さを知る」といった教育的な意味づけはなされていたかもしれないが、手仕事の意味そのものが問われることはほとんどなかった。

『田んぼの絵本』は「知らず知らず」「同時に」という自然とつき合う百姓仕事の本質が、手仕事の稲作体系においてより鮮明に現れることに気づかせてくれる。それは、現在の機械化された稲作体系のなかでも、少なからず残っていることではないだろうか。

 

◆コロナ後の社会を「仕事の楽しさ」から考える

『新型コロナ 19氏の意見』に巻頭エッセイを寄せた哲学者の内山節さんは、むらでの労働には「仕事」と「稼ぎ」のふたつがあるという。商品経済のなかで、おカネを得るための労働が「稼ぎ」であり、それでは割り切れない労働が「仕事」である。実際にむらでは共同体を維持するために溝さらいや道普請、お宮の掃除などさまざまな「仕事」がある。それだけでなく、田んぼでも山でも農家の労働には、イネを収穫し、用材を生産しておカネを稼ぐことだけでは割り切れない「仕事」の部分があり、そこに楽しさがあるのではないか。

まもなく、農文協から『内山節と語る 未来社会のデザイン』(全3冊)が発行される。東北地方の農家を前に語った3年分のセミナーをまとめたこの本のなかで、内山さんは、いま進められている「働き方改革」の方向に疑問を投げかけている。現代の企業社会は働く側も雇う側も労働を「手段」とする構造に取り込まれており、そのことが働く側を追い詰めている。この構造を変えることなく、ただ労働時間を短くしても、労働はつまらないまま密度が高まるだけで、本当の改革にはならないのではないか、と。

「むしろいま多くの人たちが望んでいるのは『労働時間なんて気にしないでもやりたいと言えるような労働をやりたい』ということ」ではないか。(自営業の人は)別に『何時間働いたからいくらの収入になるはずだ』という計算なんてやっていない。もともとはみんなそうやって暮らしてきた。それがいまのような状況になって、皆が追い詰められてきた。だから(中略)『この労働でいいのか』という、そのことを問い直さなければならない。そうなると、いまの資本主義という経済の仕組みや企業の仕組みをどう改革したらいいのかという課題になる」(『2 資本主義を乗りこえる』より)。

時間を切り売りする「手段」としての労働から、それ自体が楽しいと思える労働へ。本当の「働き方改革」を実現させるヒントは百姓仕事の中にある。(農文協論説委員会)

以上転載終了

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2021年03月04日

農のあるまちづくり3~世界のトレンドⅠ.韓国

農のあるまちづくり。

世界のトレンドはどこに向かっているのか?

まずは日本のお隣、韓国から。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

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2021年02月25日

農のあるまちづくり2~東京農村ビル

東京のど真ん中に、突如出現した「東京農村ビル」

ビルオーナーは、東京国分寺で300年続く農家の跡取り。

彼がこのビルに込めた志とは。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

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2021年02月25日

農業の6次産業化の理論と実践の課題

今回取り上げる寄稿文は、前回紹介した、農業の6次産業化を構築し、これまでの農のあり様を根本的に改革しようと、農村各地を飛び回り、活力を植え付けてきた故今村奈良臣氏の理論と実践の報告レポートである。

このレポートは、2012年、東日本大震災の翌年に寄稿したものであるが、当時の農家の変革の可能性が感じられるものになっている。

農村女性起業家の台頭。農産物直売所の増加と農業の6次産業化をめざす経営体が、地域農業の活性化とその改革に取り組んでいる姿を見ることができる。

一方、現在、コロナ禍にあって、農を取り巻く環境は、再び変革の兆しを見せており、このレポートから8年たった今日でも、更に農業の6次産業化は、確固たる形になっていく様相を秘めている。

今村氏は今回のレポートで、こう締めくくる。

「多様性のなかにこそ、真に強靭な活力は育まれる。画一化のなかからは、弱体性しか生まれてこない。多様性を真に生かすのが生命力に富むネットワークである」 

では・・・・ リンク

転載開始

1.  農業の6次産業化をなぜ考えたか

今から18年前、大分県の中山間地域に立地する大分大山町農協の設立間もない農産物直売所「木の花(このはな)ガルテン」を中心に、そこへ出荷している農民、組合員の生産・加工・販売に情熱を燃やしていた皆さん、そしてこの直売所に農産物などを買いに来る消費者の皆さんの活動や行動を、約1週間にわたって農家に泊めてもらい、つぶさに調査するなかで、「農業の6次産業化」という理論が生み出され、私の頭の中で定着していった。

当時、私は東京大学で研究活動を行うとともに学生たちを教えていたが、その傍ら、財団法人21世紀村づくり塾(現在は財団法人都市農山漁村交流活性化機構に改組)の副塾長として全国各地の農民塾、村づくり塾の塾生の指導にも熱意を燃やしていた。そうした活動のなかで、この「農業の6次産業化」を運動として進めようと全国の農村にわたって情熱を傾けて呼びかけた。

 

2. 「農業の6次産業化」とは何か  ─その理論の提示と確定─

「農業の6次産業化」を発想した当初は次のように考えを定式化した。「1次産業+2次産業+3次産業=6次産業」 この意味は次のようなことである。
近年の農業は、農業生産、食料の原料生産のみを担当するようにされてきていて、2次産業的な分野である農産物加工や食品加工は、食品製造関係の企業に取り込まれ、さらに3次産業的分野である農産物の流通や販売、あるいは農業・農村にかかわる情報やサービス、観光なども、そのほとんどは卸・小売業や情報・サービス産業、観光業に取り込まれているのであるが、これらを農業、農村の分野に取り戻そうではないかという提案である。
しかし、上記の「1+2+3=6」という定式化を3年半後に「1次産業×2次産業×3次産業=6次産業」と改めた。このように改めた背景については、次のような理論的・実践的考察を深めたからである。

第1に、農地や農業がなくなれば、つまり0になれば、「0×2×3=0」となり、6次産業の構想は消え失せてしまうことになる。当時、バブル経済の後遺症が農村にも深く浸透していたため、「土地を売れば金になる」といったような嘆かわしい風潮に充ちていた。とりわけ、この当時、農協陣営において、土地投機に関わる融資などを契機に膨大な負債、赤字を出す農協が続出していたことは、私の記憶に深く刻み込まれている。

第2に、掛け算にすることによって農業(1次産業)、加工(2次産業)、さらに販売・情報(3次産業)の各部門の連携を強化し、付加価値や所得を増やし、基本である農業部門の所得を一段と増やそうという提案を含んでいた。

第3に、掛け算にすることによって、農業部門はもちろん、加工部門あるいは販売・流通部門、さらにはグリーン・ツーリズムなどの観光部門などで新規に雇用の場を広げ、農村地域における所得の増大をはかりつつ、6次産業の拡大再生産の道を切り拓こう、ということを提案したものであった。

こうして「1×2×3=6」という農業の6次産業化の理論は、その実践活動を伴ないつつ全国に広まっていったのである。

 

3. 「6次産業論」の経済学理論による裏づけ=ぺティの法則について

6次産業というキーワードは、農業・農村の活性化をねらいとして、私が上記のような先進事例の実態調査を通じて分析・考察するなかから考えだし、世の中へ提唱したものであるが、「6次産業の理論的根拠は何かあるのですか?」という質問をときどき受けることがある。

実にもっともな質問で、理論的背景をしっかり押さえておいたほうが、仕事や活動のエネルギーの源泉にもなるので、この質問に答えておきたい。

6次産業というのは決して単なる言葉遊びや語呂合わせではない。

そこで、「ぺティの法則」について論及しておきたい。かつて、世界的・歴史的に著名な経済学者であるコーリン・クラーク(Colin G.Clark)は「ぺティの法則」を説いた。その主著である『経済進歩の諸条件』(大川一司他訳 “The Conditions of Economic Progress” 1940)において、コーリン・クラークは世界各国の国民所得水準の比較研究を通じて、国民所得の増大とその諸条件を明らかにしようとした。彼はその中で、産業を第1次、第2次、第3次の三部門に分け、

(1) 一国の所得が第1次産業から第2次産業へ、さらに第2次産業から第3次産業へと増大していく

(2) 一国の就業人口も同様に第1次産業から第2次産業へ、さらに第3次産業へと増大していく

(3) その結果、第1次産業と第2次産業、第3次産業との間に所得格差が拡大していく

ということを明らかにし、それが経済的進歩であるということを提起した。彼によって、この経験法則は「ぺティの法則」と名づけられたのである。では、なぜ「ぺティの法則」と名づけられたのか。
ぺティとは、ウィリアム・ぺティ(William Petty:1623-1687)のことで、いうまでもなく経済学の創設者とされるアダム・スミスに先行する経済学の始祖であると経済学説史では位置づけられている。ぺティは「土地が富の母であるように、労働は富の父であり、その能動的要素である」という思想のもとに労働価値説を初めて提唱するとともに、経済的諸現象について数量的観察と統計的分析を初めて行った偉大な経済学者であった。そのぺティに敬意をはらいコーリン・クラークは「ぺティの法則」と名づけたのである。

 

4. 1次産業は縮小し、2次・3次産業は拡大したが、主体的に何をなすべきか

周知のように、第1次産業は農林水産業、第2次産業は鉱業、建設業、広範にわたる多彩な製造業、第3次産業は残りの非常に雑多なもので卸売・小売業などの流通部門、金融保険業、運輸業、情報・通信産業、多様なサービス産業部門、飲食・旅館・ホテルなどの観光産業部門など非常に多くの分野を含む。

こうした産業分類を前提としつつ、一国の経済全体(マクロ経済)の構造変化を、100年以上にわたる長期の歴史過程の動態をとらえたのがぺティの法則である。いうまでもなくわが国においても、この100年、とりわけここ50年の動態変動過程をとらえてみると、統計的には繁雑になるので省略するが、第1次産業部門の所得、就業人口などの比率は急激に減少し、第2次産業さらに第3次産業部門が急激に増大してきており、欧米先進諸国はいうまでもなく日本と同様、あるいはそれ以上にぺティの法則は貫徹しているといえる。
さて、わが国の農業あるいは食料に関する統計分析やその実態の変動あるいは課題や問題点などについては繁雑になるので省略するが、その詳細については『平成22年度 食料・農業・農村の動向』、いわゆる『農業白書』の平成22年度版を参照してほしい。農業白書が50周年を迎えたので、大変に要領よく50年の変動の足跡をまとめてあるし、私も初代の食料・農業・農村政策審議会の会長を務めていた関係で寄稿してある。

さて、日本農業はこの50年の経済成長とその変動のなかで大きく地位は低下し、多くの問題点はかかえているが、それをいかに克服し、新しい発展の展望を描くべきか。わが国の農業・農村は次のようなすぐれた特質をもっている。

 

(1)農地は狭く傾斜地も多いが、四季の気象条件に恵まれ、雨量は多く、単位面積当りの収量は安定して高く、すぐれた生産装置としての水田をはじめとする諸資源に恵まれている。

(2)農業者の教育水準は高く、また農業技術水準が高いだけでなく、応用力にすぐれた人材が多い。

(3)農業の科学化、機械化、装置化などの水準が高く、その潜在的能力を活かす道が重要である。

(4)わが国には、階級・階層としての貧農は存在せず、一定の生活水準以上の安定的社会階層を形成している。

(5)さらに、歴史的に培われた村落・集落を基盤にした自治組織が形成され、地域資源の保全と創造に大きく寄与してきた。

 

たしかに農村人口の減少と高齢化は進んできてはいるが、以上あげた5点を踏まえつつ新たな展開、すなわち「農業の6次産業化」をキーワードに新しい展望を描かなければならないと考える。

 

5. 農業・農村の6次産業化の基本課題

農業の6次産業化を推進し、成果をあげて成功の道を切り拓いていくための基本課題として、私は次の5項目をこれまで掲げてきた。

〔第1の課題〕

消費者に喜ばれ愛されるものを供給することを通して販路の確保を着実に伸ばしつつ、所得と雇用の場を増やし、それを通して農漁村の活力を取り戻すことである。

〔第2の課題〕

さまざまな農畜産物(林・水産物も含む、以下同じ)を加工し、販売するにあたり、安全、安心、健康、新鮮、個性などをキーワードとし、消費者に信頼される食料品などを供給することである。

〔第3の課題〕

農畜産物の生産ならびにその加工、食料品の製造にあたり、あくまでも企業性を追求し可能なかぎり生産性を高め、コストの低減をはかり、競争条件の厳しいなかで収益の確保をはかることである。

〔第4の課題〕

新たなビジネスの追求にのみ終るのではなく、農村地域環境の維持・保全・創造、とくに緑資源や水資源への配慮、美しい農村景観の創造などに努めつつ、都市住民の農村へのアクセス、新しい時代のグリーン・ツーリズムの道を切り拓くことに努めることである。

〔第5の課題〕

農業・農村の持つ教育力に着目し、農産物や加工食料品の販売を通し、また、都市・農村交流を通し、先人の培った知恵の蓄積、つまり、「むらのいのち」を都市に吹き込むという、都市農村交流の新しい姿を創りあげることである。

 

6.農業の6次産業化の実践事例の考察

私はかつて21世紀村づくり塾の副塾長、そして現在は都市農山漁村交流活性化機構(略称「まちむら交流きこう」─21世紀村づくり塾など3団体の統合により再出発)の理事長を務めているが、これらの役職を通じて、一貫して農業の6次産業化の必要性、重要性を説き活動してきた。その一端を紙数の制約のなかで簡単に紹介しておこう。

(1) 農村の女性たちが立ち上がる─農村女性起業の展開

私の呼びかけに先ず応えてくれたのが、農村の女性たちのグループであった。農村女性による多彩な起業活動数の推移を見ると、統計がとられ始めた1997年に4040件であったものが、2002年には7735件、2008年には9641件と、激増という表現ができるように急速な伸びを見せてきた。詳細についてはここでは省略せざるをえないが、圧倒的に多いのは農・林・畜・水産物を原料とした食品加工であり、次いで多いのが朝市や直売所あるいはネット販売などの販売活動であるが、加工と販売の結びついたものが多く、地域的には東北や九州などといった男性優位であった地域にかえって女性起業の活躍が目立つのが特徴である。要するに、女性のリーダーシップのもとに農業の6次産業化の推進が担われている。

(2) 1兆円産業となった農産物直売所

ついで、農業の6次産業化のトップランナーとして躍り出てきたのが農産物直売所で、2010年には全国で1万7000か所を超えるに至り、その売上高は2009年にはすでに1兆円を超えたものと推計されている。直売所についてはその経営主体、運営主体などは多彩であり、農業者個人や農業者グループなどによるものが82%、農協によるものが14%、第3セクターなどによるものが3%などとなっている。ついで、農産物の加工、販売を一体として行う農業経営体も2010年農業センサスでは3万4000経営体と大幅に増加し、農業の6次産業化をめざす経営体が、地域農業の活性化とその改革に取り組んでいる姿を見ることができる。

 

7. むすびと展望

私はかねてより、次の一言を胸にいだき、かつ広く農村の皆さんに説いてきた。

「多様性のなかにこそ、真に強靭な活力は育まれる。画一化のなかからは、弱体性しか生まれてこない。多様性を真に生かすのが生命力に富むネットワークである」

どうか、この路線で活動を推し進めて頂きたい。「まちむら交流きこう」では、毎年「全国農産物直売所サミット」を開催してきた。今年はすでに第11回となり、11月末に山口県萩市を会場に盛大に開催された。昨年は、東日本大震災、福島原発禍を克服し支援の輪を広げようとのねらいをもって郡山市で開催した。毎回500人をはるかに超える全国からの参加者の熱気のなかで明日への活力を養い、その運営や地域の活性化のためのエネルギーの蓄積を行ってきた。直売所も実に多様性に富むが、サミットを通じて新たなネットワークを作り上げ、明日へ向けたエネルギーの糧となることを願っている。

東京大学名誉教授 公益社団法人 JC総合研究所 特別顧問 今村 奈良臣 

以上転載終了

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2021年02月18日

農のあるまちづくり1~プロローグ

小野 淳(おの あつし)氏。1974年生まれ。

株式会社農天気 代表取締役農夫、NPO法人くにたち農園の会理事長。
東京の真ん中でコミュニティ農園【くにたち はたけんぼ】を開設。

もともとはテレビマン出身だった小野氏が、
都会での農的コミュニティづくりに可能性を見出したのはなぜか。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

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2021年02月16日

新しい「農型社会」がはじまる

本日の論文は、今年(2021年)、農文協(農山漁村文化協会)がコロナ後の社会が今後どう変わっていくのか?そして、その中で農型社会が新しい可能性のある社会に繋がっていく。という事を希求したものである。
そして、今村奈良臣氏の地域創生論にも着目し、農業の6次産業化、5ポリス構想による農型社会の形成にも言及している。
社会変革の先端は農業にあり。農業をこれまでにない、可能性の産業として捉え、社会の幹になっていくという提言である。
では。・・・・リンク

今村奈良臣氏:大分県生まれ。1957年東京大学農学部農業経済学科卒業。1963年同大学院博士課程修了、1964年「農林国家経費の研究」で農学博士。農政調査委員会研究職員。1968年信州大学助教授、1974年東京大学助教授、1982年教授。1984-1985年米国ウィスコンシン大学客員研究員。1994年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授、2002年退職。

転載開始

2020年は、一人一人にとっても、世界的にも、あるいは人類史的にも、忘れることができない大厄災の年になった。新型コロナという暗雲のなかで新しい年・2021年を迎えることになったが、気持ちだけでも希望をもって新年を迎えたい。そして確かに、新たな希望が生まれているのだと思う。それを新しい「農型社会」へ希求としてとらえ、考えてみよう。

■「関係人口を増やすために、もうひとふんばりやな」
年のはじめ(2月号)に、「『関係人口』を増やして、新しい『農型社会』を」という主張を掲げた。だが、それからまもなく新型コロナの感染が拡大し、関係人口を増やす取り組みが困難になってしまった。しかし、コロナのなかで、潜在的な関係人口は確実に増えているようだ。

内閣府が行なった三大都市居住者へのコロナ禍の影響についての調査(5月25日〜6月5日)では、コロナ禍のなかで特に20代、30代の地方移住への関心が高まり、東京23区の20代では、「やや高くなった」を含め、35.4%に達している。この20代に、IUターンや地方での転職希望の理由を聞くと、多い順に「地元に帰りたいから」「都市で働くことにリスクを感じたから」「地元に貢献する仕事をしたいと思ったから」「テレワークで場所を選ばす仕事ができることがわかったから」という回答が寄せられている。
この田園回帰への志向はコロナが終息しても、もとにもどることはないだろう。コロナ禍のなかで人々は、東京一極集中の危うさ、格差社会の歪みにさらされ、これまでとはちがった生き方を模索しはじめた。

今月号では「農家が教える 免疫力アップ術」という巻頭特集を組んだ。新型コロナ以降、免疫力を上げる食べものや暮らしに注目が集まっているが、農村には野山や田畑の恵み、味噌などの伝統発酵食品など、「身体にいいもの、いいこと」がいっぱいある。

「農家は土いじりが仕事ですよね。この土いじりが、免疫力アップに最強なんですよ。日頃からある程度の微生物やウイルスを体に入れることにより、免疫力が鍛えられるんです」「新型コロナにも、負ける気がしません」という滋賀県野洲市の中道唯幸さん。村うちの会話や助け合い、共同作業もストレスを緩和し免疫力を上げるだろう。
「身体にいいもの、いいこと」がある農村・地域の価値にみんなが気づきはじめた。そんな流れを今後につなげたいと、今月号では「コロナだから、もっと人とつながる」という小特集も編んだ。「関係人口を増やすために、もうひとふんばりやな」というのは京都の柿迫義昭さん。ボランティアを呼んでの草刈り、ホタルまつりや水車サミットなど、むらぐるみで取り組んできた外から人を呼ぶ交流イベントは、残念ながらみんなストップ。だが、「ここはもう一度、外の人たちとどう繋がっていくか、集落をこの後どうしていくんか を考えるために神様が与えた試練やと思うのよ」と柿迫さん。2月には、雪まつりを予定していて、「たくさんの人がまた来てくれるといいなあ。今から楽しみなんよ」と期待をふくらませている。

一方、コロナは農村都市交流や関係人口について考えなおす機会になったというのは、新潟の鈴木貴良さん。柏崎市高柳町ではこの間「農村滞在型交流観光の町」づくりを進め、整備した温泉宿泊施設や観光施設にはたくさんの人々が来るようになったが、コロナ禍は各種観光施設をもろに飲み込み、県外からの予約はなくなった。しかし面白いことに、市内のいくつかのグループから新たにオファーがきた。子供遊び塾や自然公園で活動するグループ、野外自主保育のグループなど、地域の中でいろんな施設を活用して活動したいというニーズと出会ったのである。

「これまでの『農村体験』では、受け入れる側は準備や指導に追われるだけでしたが、今は来訪者たちが主体的に考え、動いて、農村を味わっていきます。私の役割も、子供たち、参加者たちが気付いたことに寄り添うコーディネーター役に切り替え、面白くてなりません。
県外から修学旅行や、大学生のゼミ合宿を受け入れるばかりだった状況に違和感を覚えていた私にとって、この発見はまさに晴天の霹靂でした。この町の素の暮らしや文化、自然の価値に気付いてくれるのは都会の人ばかりではない。ちゃんと市内にもいるし、もしかしたら地元の人も感じているかもしれない」。

■今村奈良臣さんの地域創生論に注目する
10月26日の菅内閣総理大臣の所信表明演説を聞いた。「活力ある地方を創る」として語られたのは、農産品の輸出推進と観光需要の回復の2点のみ。安倍政権のもと、インバウンドは約4倍の年間3200万人に、農産品の輸出額は倍増して年間9000億円になったと成果を誇った。コロナ禍で産業や企業をめぐる環境が激変するなか、企業を中心に都会から地方へ「新たな人の流れをつくる」と、安倍政権の「地方創生」の継承を表明するばかり。輸出や観光客の増大が本当に地域を豊かにしたかという振り返りはなかった。さらには、コロナ禍で不安が広がった日本の低い食料自給率にも、3月31日に閣議決定され農政の基本を定めた新たな「食料・農業・農村基本計画」にも、一切ふれなかった。

ここで、政府の地方創生政策を「官邸主導で強引かつ戦略なき戦術の連射」として批判し、農家・農村への熱い思いをもって「地域創生」論を展開してきた一人の研究者の提言に改めて注目したい。

今村奈良臣氏:東京大学の研究者でありながら、全国の農民塾や村づくり塾などを支援する「まちむら交流きこう」の理事長として、また「全国農産物直売ネットワーク」の代表として、農村に足しげく出かけ、農家や農協人、自治体職員と議論し酒を酌み交わしてきた活動的研究者である。今村さんから刺激と元気をもらった地域の活動家や農業青年、直売所の女性リーダーは各地にたくさんいる。

今村さんとは農文協も関係が深い。理事として32年間、会長として7年間、農文協の活動を支えていただいた。また、農文協も事務局として関わっているJA-IT研究会(現・JA総合営農研究会)の会長として、今村さんは2001年の設立当初から活躍された。
その今村さんが、新型コロナの脅威が騒がれ始めた2020年2月28日、逝去された。享年85歳。まもなく一周忌を迎えるにあたり、今村さんの最後の単著になった『私の地方創生論』(2015年・農文協発行)をもとに、「農型社会」の建設について考えてみよう。
今村さんは農業の近代化を柱とする旧農業基本法にもとづく最後の農政審議会会長を務めた。そして1999年9月、新しい基本法である「食料・農業・農村基本法」にもとづく初代の食料・農業・農村政策審議会の会長も務めた。就任にあたっては、「農政審議会会長時代の反省も込めて、『食料・農業・農村基本法』の核心をも踏まえて、次のような私なりの基本スタンスを、熟考のうえで腹に決めて、会長として臨むことにした」という。それは以下の5点である。

1.農業は生命総合産業であり、農村はその創造の場である
2.食と農の距離を全力をあげて縮める
3.農業ほど人材を必要とする産業はない
4.トップ・ダウン農政から、ボトム・アップ農政への改革に全力をあげる
5.共益の追求を通して私益と公益の極大化をはかる

■五つの提言の核心について
今村さんのこのスタンスは、終生、変わることがなかった。本書をもとに、それぞれの提言の核心についてまとめてみよう。
まずは「1.農業は生命総合産業であり、農村はその創造の場である」について。この提言の小項目には、食料自給率45%への向上と国民への安心・安定した食料供給とともに、農村がもつ保養・保健機能、都市・農村の交流によるとくに青少年への農と食の教育、さらに農村の伝統文化や先人の知恵の結晶を次世代に伝承し、豊かな心のよりどころを創るなど、後述の「5ポリス構想」の原型がすでに現れている。「生命総合産業」という言葉には、農業は食料生産だけにはとどまらない、暮らしをつくる特別な産業だという、本源的な農業のとらえ方があった。

その農業の本源的な力を発揮するには「2.食と農の距離を全力をあげて縮める」ことが大事になる。農業の近代化・産業化のなかで遠くなってしまった食と農の距離を、直売所を中心に「地産地消」を進め、それを広げて都市民ともつながる。こうして生命総合産業たる農業と地域、そして国民の食生活を一体的に再生、創造する。

そのためには、食と農をつなぎ地域をつくる企画力と実践力をもつ人材が必要だ。だから、「3.農業ほど人材を必要とする産業はない」のである。

そして地域の人材によって「4.トップ・ダウン農政から、ボトム・アップ農政への改革に全力をあげる」。
今村さんの研究者として高く評価されている業績に、補助金をめぐる「逆さ傘」理論がある。現地での入念な資料収集と調査にもとづいてまとめた『補助金と農業・農村』(1978年家の光協会刊、『今村奈良臣著作選集』農文協刊にも収録)は、経済研究で権威のあるエコノミスト賞に輝いた。簡単にいうと、中央集権・縦割り行政のもとバラバラにおりてくる補助金を、地方で傘を逆さにするようにして集め、地方の力で活かす「中央分権・地方集権」の提案である。
しかし、実際の「地域提案型創造的農政への転換」は簡単ではなかったという。
「会長としての在任中、農政改革に全力をつくしたつもりではあったが、旧来からの農政システムの全面的改革は容易ではなかった。唯一ともいってよい斬新な改革は、『中山間地域等直接支払制度』の創設である。画期的な制度で今に至るも高い評価が中山間地域はもちろん全国から寄せられている。最初の理論的提言から実に3分の1世紀を超えてようやく実現したということである。農政改革は容易でないとつくづく思う」。

最後に「5.共益の追求を通して私益と公益の極大化をはかる」について。今村さんは日本の農村の歴史的特徴をこう述べている。

「日本の社会、とくに農村は『公・共・私』の3セクター社会であり、欧米あるいは近年の中国は『公・私』の2セクター社会という特質を持つ。私は中国に50回以上行っているが、『共益』の考え方がないことを痛切に感じている。本来、中国は共益を追求する社会であったはずだ」
生命総合産業の創造の場である農村は共益・共助の世界であり、その追求によってこそ個々の農家も国もよくなると今村さんは考える。今村さんが生きていたら、菅総理の「自助」発言を苦々しく思っていたにちがいない。

「農業の6次産業化」の核心は、地域自給の取り戻し
今村さんといえば「農業の6次産業化」の提唱者としてよく知られている。その核心は「農業から生み出された付加価値を農村側に取り戻す」ことにあった。

「近年の農業は、農業生産、食料の原料生産のみを担当するようにされてきていて、第2次産業的分野がある農産物加工や食品加工は、食料品製造関係の企業などに取り込まれ、さらに第3次産業的分野である農産物の流通や販売、あるいは農業、農村にかかわる情報やサービス、観光なども、そのほとんどが卸・小売業や情報・サービス業、観光業などに取り込まれてきた。このように外部に取り込まれていた分野を農業・農村の分野に主体的に取り戻し、農家の所得を増やし、農村に就業の場を増やそうではないかというのが『農業の6次産業化』(1×2×3)である」。

しかし、その考え方はゆがめられていく。
「6次産業化法」や「農商工促進法」など、政府による農業6次産業化推進のための政策的推進・助成措置は「その実態の動向を注意深く見ていると、私の提起してきたような、『農業を主体・基盤とした6次産業化路線』ではなく、一言で斬るならば『3×2×1』、つまり、流通・販売企業等が中心となり、農産物等の加工企業をその傘下に従え押さえ込み、農畜水産業は単なる原料供給者の地位になりつつあるのではないかという憂慮すべき事態が進展しつつある。これは、きびしく警鐘を鳴らさなければならないと考えている」。
「農業の6次産業化は、別の表現で言うならば、『地産・地消・地食・地育』と表現することができる」と今村さんはいう。農業の6次産業化は、地域に内在していた農業・食・暮らしの地域自給を取り戻し、再創造することなのである。

■「5ポリス構想」による農型社会の形成
こうして深まった地域形成構想はやがて、「5ポリス構想」へと展開していく。
アグロ(農)、フード(食)、エコ(景観と生態系)、メディコ(医療・介護)、カルチュア(文化・技能)の五つの拠点(ポリス)がつくられ、それらのネットワークによって地域が形成される。

ここで大事なことは、これらの五つは経済合理主義、利益(もうけ)主義に侵されてはならない、人間が人間らしく生きるための分野であること。さらに、農業が土台にあってこそ食も景観も医療・介護も文化も豊かに展開できることである。
これが新しい農型社会にむけた今村さんの構想である。競争原理で成り立つ新自由主義とは原理的に異なる農的な世界、それは未来を構想する源泉になるにちがいない。

構想といっても頭でひねりだしたものではない。今村さんは大変すぐれた「表現者」であったが、これを支えたのは農家・地域の実践に学ぶことであり、そこから生まれた構想を地域に返し、磨きをかけていくことであった。本書では多様な事例が紹介されており、農型社会にむけた構想は実践としてすでに始まっているのである。

今村さんは亡くなる直前、80 周年をむかえる農文協へ、色紙にこんな言葉を書いてエールを贈ってくれた。

着眼大局 着手小局
そこには「全体を大きく見て戦略を構想し、実践は小さな事を着実に重ねていく」という言葉が添えられていた。

農型社会にむけ、それぞれの農家、地域が「私の地域創生論」を身近なところ、やれるところから一歩すすめる。そんな新年でありたいと思う。(農文協論説委員会)

以上転載終了

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2021年02月11日

農と金融12~共感資本社会の萌芽

【農と金融11~生きるリアルティの根拠】
に続いて。

生産者と消費者の分断は、「知らないこと」に起因する。

だからまず知る。そこには必ず何かしらの”共感”がある。そしてつながる。

 

以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)

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2021年02月09日

農業は面白く魅力あるもの 妥協せず 農業・農村を守る

今回の記事は、2015年 第27回JA全国大会の際に、哲学者:内山節が、農業組合に向けた提言である。6年前の農業協同組合がめざす道筋を示したものである。

農業の重要性・持続可能な生産性。そして農業を通じた人々の適応態としての生き様はもちろん、自然とともに生きる社会、人びとが結び合って生きる社会、さまざまな伝統文化を保存させている社会。人々は、日本的な社会の原点を農業や農村のなかに人々は、今、感じとりはじめているのではないか?

では・・・・リンク 

転載開始

資本主義が発生してから以降の経済史を振り返ると、資本主義の内部にはたえずふたつの考え方の対立があったことがわかる。そのひとつはすべてを市場にゆだねていこうという自由放任主義、今日的にいえば市場原理主義的な考え方であり、もうひとつは国家や市民、協同組合、労働組合などが一定の力をもつことによって市場経済が生みだす問題点を是正していかないと、経済も社会も荒廃していくという考え方であった。 

この考え方の対立の奥には、経済は何のためにあるのかをめぐる思想の違いがあった。経済が発展すれはすべてのことはうまくいく、ゆえに経済活動の自由を保障することが何よりも大事だと前者の人びとは思っていたのに対して、後者の人びとは経済はよりよい社会をつくるための道具だと考えていた。

私たちの目的は、持続的な社会、みんなが暮らせる社会、自分の仕事に誇りをもちながらに生きることのできる社会をつくることにあるのであり、そのためには経済はどうあったらよいのかを考える。それが後者の人びとの思想だった。 

◆矛盾に満ちた市場原理主義

今日とは、市場原理主義が世界を席巻している時代である。なぜそのような意見が強いのかといえば、金融が大きな力をもっているからである。その金融も古典的な銀行業務から投資的な金融に移ってきた。この金融が自由に活動できるようにしようとすると、それを阻害するさまざまな規制や仕組みが邪魔になってきた。投機的な活動はお金の移動にすぎないから、地域や人間の問題はどうでもいいのである。だがそれは矛盾に満ちたものでもある。たとえば現在のTPP交渉をみても、すべての貿易を自由化しようといいながら、アメリカ自身が自国産業を守るための関税の維持を譲ろうとしない。すべてを市場にゆだねるだけでは自国の社会が維持できないのである。そのことにも現されているように、市場原理主義は必ず限界に突き当たる。それだけを推し進めれば社会は荒廃してしまうし、社会にとっては必要でも市場の論理だけではうまくいかない産業が崩壊してしまうからである。いずれ世界は自由放任を放棄するときがくるだろう。

◆組合員・地域とともに生きる

そういう展望をもちながら、農業協同組合は自分たちの原点を守りつづけることが大事なのだと私は思っている。組合員がともに生きる世界を守りつづけること、地域を守る農協でありつづけること、作物の生産をとおして広く連帯していける農協であること。すなわち今日の市場原理主義の動きと妥協することなく、農業や農村を守ることがこの社会を守ることだという活動を維持しつづけることが、何よりも大事なのである。

◆自然と共生し農村を支える

もちろんいまの農協には自己改革すべき課題もあるだろう。だが、そもそも農協の存在を快く思っていない人たちと妥協するかたちで改革などする必要はない。それよりも地域で農業、農村を守ろうとしている人たちの意見をよく聞くことの方が大事だ。農業、農村の現場の意見を聞きながら、それを取り入れていくことが農協改革である。

農業は他の産業にはないいくつかの特徴をもっている。第一にそれは、自然との共同作業として成り立っている。第二に農村に支えられ、農村を支える産業であること、つまり生産物はどこにでも販売できるが、それを生みだす過程は農村のなかにしかありえない。農業には地域や自然との協同が必要なのであり、その意味では根源的に協同組合的産業だといってもよい。さらに第三に上げられるのは、農業はすべての人びととの「つながり」とともにあるということである。

生産物はあらゆる人たちの食卓を支えていく。そればかりでなく、農村が存在すること自体が、すべての人たちにとって大事な価値だといってもよい。とりわけ日本では一歩都市をでれば農村地帯が広がり、そのことが日本的精神を育んできた。とともに第四に、日本の伝統文化といわれるものの大半が農村で生まれたものだということも、忘れてはならないだろう。寺社の行事や今日なお消えてはいない日本的な自然信仰といったものも、農村とともに生きた人びとが定着させてきたものである。

農業は経済的価値だけでは計れないさまざまなものを生みだしながら、日本の社会の基盤を支えてきた。そして現在の人びとが農業や農村に求めているものは、これらのことを含めているのだと私は思っている。もちろん食料の生産は大事だけれど、それがすべてではない。自然とともに生きる社会、人びとが結び合って生きる社会、さまざまな伝統文化を保存させている社会。今日の人びとは、いわば日本的な社会の原点を農業や農村のなかに感じとりはじめているのである。とすれば農民や農村社会は、ときには日本文化に関心をもつ外国の人びとを含めて、もっと多くの人びとと連帯できるはずだ。そして、そういう新しい連帯社会をつくることも、農協が大胆に動いてこそ可能なのだと私は思っている。

千、二千年も変わらぬ農業

現在、このままでは日本農業はダメになるとか、農村も農協も改革しなければいけないと主張している人たちの顔ぶれを見ると、農業の長い歴史からみれば、昨日、今日生まれた産業を基盤にしてものを考えている人が多い。その多くは数十年後にはこの世に存在しているのかどうかもわからないものだ。にもかかわらず、そういう人たちの意見がまるで正義であるかのように流通しているのが今日でもあるが、そんなものに振り回される必要はない。縄文後期からの歴史をもっているのが日本の農業であり、農村なのである。そして、千年後も二千年後も維持されていかなければいけないのが、農業、農村なのである。とすれば、「今日の情勢」などに惑わされることなく農業、農村の価値を守っていく必要があり、それを守ることに意義を感じている人たちとの連帯を広げていくことこそが現在の農業協同組合の役割だといってもいい。

◆古老に学んだ継続する価値

私は群馬県の山村、上野村と東京とを往復する生活を四十年間つづけてきた。この村に行きはじめた頃、一人の村のおじいさんと立ち話になったことがあった。その人が私に「おい、農業は何でつづいてきたかわかるか」と聞いた。突然そんな質問をされた私は困って「誰かが食料をつくらなければいけないし」というようなことを言った。と、そのおじいさんは「哲学を勉強しているわりには頭が悪いな」といいながら楽しそうに笑ってこんなふうに答えた。「農業は面白いからつづいてきたんだよ」「農業をやめる機会は、いつの時代でもあったんだよ」と彼は言った。もちろん昔はいまほど簡単にやめることはできなかったけれど、決意すれば不可能なことではなかった。しかし、やめずにつづけてきた。それは農業が面白く、つづけるだけの魅力のあるものだったからだ、ということである。農協が守らなければいけないのは、この世界である。

以上転載終了

内山節:東京都世田谷区出身。東京都立新宿高等学校卒業。高校卒業後、大学などの高等教育機関を経ておらず、大学などの研究職についていなかったが、2004年から2009年まで立教大学の特別任用教員(大学院異文化コミュニケーション研究科特任教授)としても活動、その後、東京大学大学院人文社会系研究所兼任講師、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授などを歴任。1970年代、渓流釣りなどの縁から群馬県上野村に住むようになり、現在でも、東京上野村との往復生活を続けている。上野村では畑を耕し、森を歩きながら暮らしている。2001年、特定非営利活動法人森づくりフォーラム理事、現在、代表理事。

 

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2021年02月04日

農と金融11~生きるリアルティの根拠

【農と金融10~すべてが自分ごとになる世界へ】
に続いて。

”いまある自分の「生」そのものに生きるリアルティの根拠を求めたいのに、それを求めること自体が許されない社会”、とは。

 

以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)

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