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2021年02月16日

新しい「農型社会」がはじまる

本日の論文は、今年(2021年)、農文協(農山漁村文化協会)がコロナ後の社会が今後どう変わっていくのか?そして、その中で農型社会が新しい可能性のある社会に繋がっていく。という事を希求したものである。
そして、今村奈良臣氏の地域創生論にも着目し、農業の6次産業化、5ポリス構想による農型社会の形成にも言及している。
社会変革の先端は農業にあり。農業をこれまでにない、可能性の産業として捉え、社会の幹になっていくという提言である。
では。・・・・リンク

今村奈良臣氏:大分県生まれ。1957年東京大学農学部農業経済学科卒業。1963年同大学院博士課程修了、1964年「農林国家経費の研究」で農学博士。農政調査委員会研究職員。1968年信州大学助教授、1974年東京大学助教授、1982年教授。1984-1985年米国ウィスコンシン大学客員研究員。1994年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授、2002年退職。

転載開始

2020年は、一人一人にとっても、世界的にも、あるいは人類史的にも、忘れることができない大厄災の年になった。新型コロナという暗雲のなかで新しい年・2021年を迎えることになったが、気持ちだけでも希望をもって新年を迎えたい。そして確かに、新たな希望が生まれているのだと思う。それを新しい「農型社会」へ希求としてとらえ、考えてみよう。

■「関係人口を増やすために、もうひとふんばりやな」
年のはじめ(2月号)に、「『関係人口』を増やして、新しい『農型社会』を」という主張を掲げた。だが、それからまもなく新型コロナの感染が拡大し、関係人口を増やす取り組みが困難になってしまった。しかし、コロナのなかで、潜在的な関係人口は確実に増えているようだ。

内閣府が行なった三大都市居住者へのコロナ禍の影響についての調査(5月25日〜6月5日)では、コロナ禍のなかで特に20代、30代の地方移住への関心が高まり、東京23区の20代では、「やや高くなった」を含め、35.4%に達している。この20代に、IUターンや地方での転職希望の理由を聞くと、多い順に「地元に帰りたいから」「都市で働くことにリスクを感じたから」「地元に貢献する仕事をしたいと思ったから」「テレワークで場所を選ばす仕事ができることがわかったから」という回答が寄せられている。
この田園回帰への志向はコロナが終息しても、もとにもどることはないだろう。コロナ禍のなかで人々は、東京一極集中の危うさ、格差社会の歪みにさらされ、これまでとはちがった生き方を模索しはじめた。

今月号では「農家が教える 免疫力アップ術」という巻頭特集を組んだ。新型コロナ以降、免疫力を上げる食べものや暮らしに注目が集まっているが、農村には野山や田畑の恵み、味噌などの伝統発酵食品など、「身体にいいもの、いいこと」がいっぱいある。

「農家は土いじりが仕事ですよね。この土いじりが、免疫力アップに最強なんですよ。日頃からある程度の微生物やウイルスを体に入れることにより、免疫力が鍛えられるんです」「新型コロナにも、負ける気がしません」という滋賀県野洲市の中道唯幸さん。村うちの会話や助け合い、共同作業もストレスを緩和し免疫力を上げるだろう。
「身体にいいもの、いいこと」がある農村・地域の価値にみんなが気づきはじめた。そんな流れを今後につなげたいと、今月号では「コロナだから、もっと人とつながる」という小特集も編んだ。「関係人口を増やすために、もうひとふんばりやな」というのは京都の柿迫義昭さん。ボランティアを呼んでの草刈り、ホタルまつりや水車サミットなど、むらぐるみで取り組んできた外から人を呼ぶ交流イベントは、残念ながらみんなストップ。だが、「ここはもう一度、外の人たちとどう繋がっていくか、集落をこの後どうしていくんか を考えるために神様が与えた試練やと思うのよ」と柿迫さん。2月には、雪まつりを予定していて、「たくさんの人がまた来てくれるといいなあ。今から楽しみなんよ」と期待をふくらませている。

一方、コロナは農村都市交流や関係人口について考えなおす機会になったというのは、新潟の鈴木貴良さん。柏崎市高柳町ではこの間「農村滞在型交流観光の町」づくりを進め、整備した温泉宿泊施設や観光施設にはたくさんの人々が来るようになったが、コロナ禍は各種観光施設をもろに飲み込み、県外からの予約はなくなった。しかし面白いことに、市内のいくつかのグループから新たにオファーがきた。子供遊び塾や自然公園で活動するグループ、野外自主保育のグループなど、地域の中でいろんな施設を活用して活動したいというニーズと出会ったのである。

「これまでの『農村体験』では、受け入れる側は準備や指導に追われるだけでしたが、今は来訪者たちが主体的に考え、動いて、農村を味わっていきます。私の役割も、子供たち、参加者たちが気付いたことに寄り添うコーディネーター役に切り替え、面白くてなりません。
県外から修学旅行や、大学生のゼミ合宿を受け入れるばかりだった状況に違和感を覚えていた私にとって、この発見はまさに晴天の霹靂でした。この町の素の暮らしや文化、自然の価値に気付いてくれるのは都会の人ばかりではない。ちゃんと市内にもいるし、もしかしたら地元の人も感じているかもしれない」。

■今村奈良臣さんの地域創生論に注目する
10月26日の菅内閣総理大臣の所信表明演説を聞いた。「活力ある地方を創る」として語られたのは、農産品の輸出推進と観光需要の回復の2点のみ。安倍政権のもと、インバウンドは約4倍の年間3200万人に、農産品の輸出額は倍増して年間9000億円になったと成果を誇った。コロナ禍で産業や企業をめぐる環境が激変するなか、企業を中心に都会から地方へ「新たな人の流れをつくる」と、安倍政権の「地方創生」の継承を表明するばかり。輸出や観光客の増大が本当に地域を豊かにしたかという振り返りはなかった。さらには、コロナ禍で不安が広がった日本の低い食料自給率にも、3月31日に閣議決定され農政の基本を定めた新たな「食料・農業・農村基本計画」にも、一切ふれなかった。

ここで、政府の地方創生政策を「官邸主導で強引かつ戦略なき戦術の連射」として批判し、農家・農村への熱い思いをもって「地域創生」論を展開してきた一人の研究者の提言に改めて注目したい。

今村奈良臣氏:東京大学の研究者でありながら、全国の農民塾や村づくり塾などを支援する「まちむら交流きこう」の理事長として、また「全国農産物直売ネットワーク」の代表として、農村に足しげく出かけ、農家や農協人、自治体職員と議論し酒を酌み交わしてきた活動的研究者である。今村さんから刺激と元気をもらった地域の活動家や農業青年、直売所の女性リーダーは各地にたくさんいる。

今村さんとは農文協も関係が深い。理事として32年間、会長として7年間、農文協の活動を支えていただいた。また、農文協も事務局として関わっているJA-IT研究会(現・JA総合営農研究会)の会長として、今村さんは2001年の設立当初から活躍された。
その今村さんが、新型コロナの脅威が騒がれ始めた2020年2月28日、逝去された。享年85歳。まもなく一周忌を迎えるにあたり、今村さんの最後の単著になった『私の地方創生論』(2015年・農文協発行)をもとに、「農型社会」の建設について考えてみよう。
今村さんは農業の近代化を柱とする旧農業基本法にもとづく最後の農政審議会会長を務めた。そして1999年9月、新しい基本法である「食料・農業・農村基本法」にもとづく初代の食料・農業・農村政策審議会の会長も務めた。就任にあたっては、「農政審議会会長時代の反省も込めて、『食料・農業・農村基本法』の核心をも踏まえて、次のような私なりの基本スタンスを、熟考のうえで腹に決めて、会長として臨むことにした」という。それは以下の5点である。

1.農業は生命総合産業であり、農村はその創造の場である
2.食と農の距離を全力をあげて縮める
3.農業ほど人材を必要とする産業はない
4.トップ・ダウン農政から、ボトム・アップ農政への改革に全力をあげる
5.共益の追求を通して私益と公益の極大化をはかる

■五つの提言の核心について
今村さんのこのスタンスは、終生、変わることがなかった。本書をもとに、それぞれの提言の核心についてまとめてみよう。
まずは「1.農業は生命総合産業であり、農村はその創造の場である」について。この提言の小項目には、食料自給率45%への向上と国民への安心・安定した食料供給とともに、農村がもつ保養・保健機能、都市・農村の交流によるとくに青少年への農と食の教育、さらに農村の伝統文化や先人の知恵の結晶を次世代に伝承し、豊かな心のよりどころを創るなど、後述の「5ポリス構想」の原型がすでに現れている。「生命総合産業」という言葉には、農業は食料生産だけにはとどまらない、暮らしをつくる特別な産業だという、本源的な農業のとらえ方があった。

その農業の本源的な力を発揮するには「2.食と農の距離を全力をあげて縮める」ことが大事になる。農業の近代化・産業化のなかで遠くなってしまった食と農の距離を、直売所を中心に「地産地消」を進め、それを広げて都市民ともつながる。こうして生命総合産業たる農業と地域、そして国民の食生活を一体的に再生、創造する。

そのためには、食と農をつなぎ地域をつくる企画力と実践力をもつ人材が必要だ。だから、「3.農業ほど人材を必要とする産業はない」のである。

そして地域の人材によって「4.トップ・ダウン農政から、ボトム・アップ農政への改革に全力をあげる」。
今村さんの研究者として高く評価されている業績に、補助金をめぐる「逆さ傘」理論がある。現地での入念な資料収集と調査にもとづいてまとめた『補助金と農業・農村』(1978年家の光協会刊、『今村奈良臣著作選集』農文協刊にも収録)は、経済研究で権威のあるエコノミスト賞に輝いた。簡単にいうと、中央集権・縦割り行政のもとバラバラにおりてくる補助金を、地方で傘を逆さにするようにして集め、地方の力で活かす「中央分権・地方集権」の提案である。
しかし、実際の「地域提案型創造的農政への転換」は簡単ではなかったという。
「会長としての在任中、農政改革に全力をつくしたつもりではあったが、旧来からの農政システムの全面的改革は容易ではなかった。唯一ともいってよい斬新な改革は、『中山間地域等直接支払制度』の創設である。画期的な制度で今に至るも高い評価が中山間地域はもちろん全国から寄せられている。最初の理論的提言から実に3分の1世紀を超えてようやく実現したということである。農政改革は容易でないとつくづく思う」。

最後に「5.共益の追求を通して私益と公益の極大化をはかる」について。今村さんは日本の農村の歴史的特徴をこう述べている。

「日本の社会、とくに農村は『公・共・私』の3セクター社会であり、欧米あるいは近年の中国は『公・私』の2セクター社会という特質を持つ。私は中国に50回以上行っているが、『共益』の考え方がないことを痛切に感じている。本来、中国は共益を追求する社会であったはずだ」
生命総合産業の創造の場である農村は共益・共助の世界であり、その追求によってこそ個々の農家も国もよくなると今村さんは考える。今村さんが生きていたら、菅総理の「自助」発言を苦々しく思っていたにちがいない。

「農業の6次産業化」の核心は、地域自給の取り戻し
今村さんといえば「農業の6次産業化」の提唱者としてよく知られている。その核心は「農業から生み出された付加価値を農村側に取り戻す」ことにあった。

「近年の農業は、農業生産、食料の原料生産のみを担当するようにされてきていて、第2次産業的分野がある農産物加工や食品加工は、食料品製造関係の企業などに取り込まれ、さらに第3次産業的分野である農産物の流通や販売、あるいは農業、農村にかかわる情報やサービス、観光なども、そのほとんどが卸・小売業や情報・サービス業、観光業などに取り込まれてきた。このように外部に取り込まれていた分野を農業・農村の分野に主体的に取り戻し、農家の所得を増やし、農村に就業の場を増やそうではないかというのが『農業の6次産業化』(1×2×3)である」。

しかし、その考え方はゆがめられていく。
「6次産業化法」や「農商工促進法」など、政府による農業6次産業化推進のための政策的推進・助成措置は「その実態の動向を注意深く見ていると、私の提起してきたような、『農業を主体・基盤とした6次産業化路線』ではなく、一言で斬るならば『3×2×1』、つまり、流通・販売企業等が中心となり、農産物等の加工企業をその傘下に従え押さえ込み、農畜水産業は単なる原料供給者の地位になりつつあるのではないかという憂慮すべき事態が進展しつつある。これは、きびしく警鐘を鳴らさなければならないと考えている」。
「農業の6次産業化は、別の表現で言うならば、『地産・地消・地食・地育』と表現することができる」と今村さんはいう。農業の6次産業化は、地域に内在していた農業・食・暮らしの地域自給を取り戻し、再創造することなのである。

■「5ポリス構想」による農型社会の形成
こうして深まった地域形成構想はやがて、「5ポリス構想」へと展開していく。
アグロ(農)、フード(食)、エコ(景観と生態系)、メディコ(医療・介護)、カルチュア(文化・技能)の五つの拠点(ポリス)がつくられ、それらのネットワークによって地域が形成される。

ここで大事なことは、これらの五つは経済合理主義、利益(もうけ)主義に侵されてはならない、人間が人間らしく生きるための分野であること。さらに、農業が土台にあってこそ食も景観も医療・介護も文化も豊かに展開できることである。
これが新しい農型社会にむけた今村さんの構想である。競争原理で成り立つ新自由主義とは原理的に異なる農的な世界、それは未来を構想する源泉になるにちがいない。

構想といっても頭でひねりだしたものではない。今村さんは大変すぐれた「表現者」であったが、これを支えたのは農家・地域の実践に学ぶことであり、そこから生まれた構想を地域に返し、磨きをかけていくことであった。本書では多様な事例が紹介されており、農型社会にむけた構想は実践としてすでに始まっているのである。

今村さんは亡くなる直前、80 周年をむかえる農文協へ、色紙にこんな言葉を書いてエールを贈ってくれた。

着眼大局 着手小局
そこには「全体を大きく見て戦略を構想し、実践は小さな事を着実に重ねていく」という言葉が添えられていた。

農型社会にむけ、それぞれの農家、地域が「私の地域創生論」を身近なところ、やれるところから一歩すすめる。そんな新年でありたいと思う。(農文協論説委員会)

以上転載終了

投稿者 noublog : 2021年02月16日 List   

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