2021年2月9日

2021年02月09日

農業は面白く魅力あるもの 妥協せず 農業・農村を守る

今回の記事は、2015年 第27回JA全国大会の際に、哲学者:内山節が、農業組合に向けた提言である。6年前の農業協同組合がめざす道筋を示したものである。

農業の重要性・持続可能な生産性。そして農業を通じた人々の適応態としての生き様はもちろん、自然とともに生きる社会、人びとが結び合って生きる社会、さまざまな伝統文化を保存させている社会。人々は、日本的な社会の原点を農業や農村のなかに人々は、今、感じとりはじめているのではないか?

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転載開始

資本主義が発生してから以降の経済史を振り返ると、資本主義の内部にはたえずふたつの考え方の対立があったことがわかる。そのひとつはすべてを市場にゆだねていこうという自由放任主義、今日的にいえば市場原理主義的な考え方であり、もうひとつは国家や市民、協同組合、労働組合などが一定の力をもつことによって市場経済が生みだす問題点を是正していかないと、経済も社会も荒廃していくという考え方であった。 

この考え方の対立の奥には、経済は何のためにあるのかをめぐる思想の違いがあった。経済が発展すれはすべてのことはうまくいく、ゆえに経済活動の自由を保障することが何よりも大事だと前者の人びとは思っていたのに対して、後者の人びとは経済はよりよい社会をつくるための道具だと考えていた。

私たちの目的は、持続的な社会、みんなが暮らせる社会、自分の仕事に誇りをもちながらに生きることのできる社会をつくることにあるのであり、そのためには経済はどうあったらよいのかを考える。それが後者の人びとの思想だった。 

◆矛盾に満ちた市場原理主義

今日とは、市場原理主義が世界を席巻している時代である。なぜそのような意見が強いのかといえば、金融が大きな力をもっているからである。その金融も古典的な銀行業務から投資的な金融に移ってきた。この金融が自由に活動できるようにしようとすると、それを阻害するさまざまな規制や仕組みが邪魔になってきた。投機的な活動はお金の移動にすぎないから、地域や人間の問題はどうでもいいのである。だがそれは矛盾に満ちたものでもある。たとえば現在のTPP交渉をみても、すべての貿易を自由化しようといいながら、アメリカ自身が自国産業を守るための関税の維持を譲ろうとしない。すべてを市場にゆだねるだけでは自国の社会が維持できないのである。そのことにも現されているように、市場原理主義は必ず限界に突き当たる。それだけを推し進めれば社会は荒廃してしまうし、社会にとっては必要でも市場の論理だけではうまくいかない産業が崩壊してしまうからである。いずれ世界は自由放任を放棄するときがくるだろう。

◆組合員・地域とともに生きる

そういう展望をもちながら、農業協同組合は自分たちの原点を守りつづけることが大事なのだと私は思っている。組合員がともに生きる世界を守りつづけること、地域を守る農協でありつづけること、作物の生産をとおして広く連帯していける農協であること。すなわち今日の市場原理主義の動きと妥協することなく、農業や農村を守ることがこの社会を守ることだという活動を維持しつづけることが、何よりも大事なのである。

◆自然と共生し農村を支える

もちろんいまの農協には自己改革すべき課題もあるだろう。だが、そもそも農協の存在を快く思っていない人たちと妥協するかたちで改革などする必要はない。それよりも地域で農業、農村を守ろうとしている人たちの意見をよく聞くことの方が大事だ。農業、農村の現場の意見を聞きながら、それを取り入れていくことが農協改革である。

農業は他の産業にはないいくつかの特徴をもっている。第一にそれは、自然との共同作業として成り立っている。第二に農村に支えられ、農村を支える産業であること、つまり生産物はどこにでも販売できるが、それを生みだす過程は農村のなかにしかありえない。農業には地域や自然との協同が必要なのであり、その意味では根源的に協同組合的産業だといってもよい。さらに第三に上げられるのは、農業はすべての人びととの「つながり」とともにあるということである。

生産物はあらゆる人たちの食卓を支えていく。そればかりでなく、農村が存在すること自体が、すべての人たちにとって大事な価値だといってもよい。とりわけ日本では一歩都市をでれば農村地帯が広がり、そのことが日本的精神を育んできた。とともに第四に、日本の伝統文化といわれるものの大半が農村で生まれたものだということも、忘れてはならないだろう。寺社の行事や今日なお消えてはいない日本的な自然信仰といったものも、農村とともに生きた人びとが定着させてきたものである。

農業は経済的価値だけでは計れないさまざまなものを生みだしながら、日本の社会の基盤を支えてきた。そして現在の人びとが農業や農村に求めているものは、これらのことを含めているのだと私は思っている。もちろん食料の生産は大事だけれど、それがすべてではない。自然とともに生きる社会、人びとが結び合って生きる社会、さまざまな伝統文化を保存させている社会。今日の人びとは、いわば日本的な社会の原点を農業や農村のなかに感じとりはじめているのである。とすれば農民や農村社会は、ときには日本文化に関心をもつ外国の人びとを含めて、もっと多くの人びとと連帯できるはずだ。そして、そういう新しい連帯社会をつくることも、農協が大胆に動いてこそ可能なのだと私は思っている。

千、二千年も変わらぬ農業

現在、このままでは日本農業はダメになるとか、農村も農協も改革しなければいけないと主張している人たちの顔ぶれを見ると、農業の長い歴史からみれば、昨日、今日生まれた産業を基盤にしてものを考えている人が多い。その多くは数十年後にはこの世に存在しているのかどうかもわからないものだ。にもかかわらず、そういう人たちの意見がまるで正義であるかのように流通しているのが今日でもあるが、そんなものに振り回される必要はない。縄文後期からの歴史をもっているのが日本の農業であり、農村なのである。そして、千年後も二千年後も維持されていかなければいけないのが、農業、農村なのである。とすれば、「今日の情勢」などに惑わされることなく農業、農村の価値を守っていく必要があり、それを守ることに意義を感じている人たちとの連帯を広げていくことこそが現在の農業協同組合の役割だといってもいい。

◆古老に学んだ継続する価値

私は群馬県の山村、上野村と東京とを往復する生活を四十年間つづけてきた。この村に行きはじめた頃、一人の村のおじいさんと立ち話になったことがあった。その人が私に「おい、農業は何でつづいてきたかわかるか」と聞いた。突然そんな質問をされた私は困って「誰かが食料をつくらなければいけないし」というようなことを言った。と、そのおじいさんは「哲学を勉強しているわりには頭が悪いな」といいながら楽しそうに笑ってこんなふうに答えた。「農業は面白いからつづいてきたんだよ」「農業をやめる機会は、いつの時代でもあったんだよ」と彼は言った。もちろん昔はいまほど簡単にやめることはできなかったけれど、決意すれば不可能なことではなかった。しかし、やめずにつづけてきた。それは農業が面白く、つづけるだけの魅力のあるものだったからだ、ということである。農協が守らなければいけないのは、この世界である。

以上転載終了

内山節:東京都世田谷区出身。東京都立新宿高等学校卒業。高校卒業後、大学などの高等教育機関を経ておらず、大学などの研究職についていなかったが、2004年から2009年まで立教大学の特別任用教員(大学院異文化コミュニケーション研究科特任教授)としても活動、その後、東京大学大学院人文社会系研究所兼任講師、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授などを歴任。1970年代、渓流釣りなどの縁から群馬県上野村に住むようになり、現在でも、東京上野村との往復生活を続けている。上野村では畑を耕し、森を歩きながら暮らしている。2001年、特定非営利活動法人森づくりフォーラム理事、現在、代表理事。

 

投稿者 noublog : 2021年02月09日