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2021年02月25日

農のあるまちづくり2~東京農村ビル

東京のど真ん中に、突如出現した「東京農村ビル」

ビルオーナーは、東京国分寺で300年続く農家の跡取り。

彼がこのビルに込めた志とは。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

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■迎賓館のある東京の一等地に生まれた「農村」
赤坂見附駅を降りて、徒歩3分。
駅出口を出て、通りを2本はさんだ「赤坂みすじ通り」にできた新築5階建てのビルの看板には、「東京農村」とあります。
赤坂といえば、皇室の赤坂御用地ちあり、ホテルニューオータニ、全国ネットのテレビ局TBSの本社があって、古くは大物政治家たちの密会場所である料亭が並んでいた、まさに都心中の都心。そこに「農村」とは、どういうことでしょう?

 

■多摩の農家が赤坂にビルを建てた理由
「農業を専門に、いい仕事をしている農家たちが東京にもいるのに、ほとんど知られていない。それを、こんな場所から発信したら面白いだろうなと、思い切りました」
そう語るのは、東京農村ビルのオーナー、中村克之さんです。実は中村さん自身が東京・国分寺市で300年近く続く農家の跡取りなのです。
いまでこそ跡取りですが、中村さんは婿養子。生まれは神奈川県横浜市で、仕事もIT関係でした。
「農業は継がないという約束で、農家の長女と結婚して養子に入りました。でも、娘が生まれて、ある日一緒に義父の畑を散歩していたら、畑でキュウリをとってポリポリ食べて『おじいちゃんのキュウリおいしい!』って言うんです。それを見て、転職しちゃいました(笑)。ITでいくらいい仕事をしても、娘にこんな感動は与えられないって思いまして」
そう中村さんは照れ臭そうに語ります。東京都農林総合研究センターで1年間の研修を受け、2009年からイチゴの施設栽培を始めました。これも「娘はイチゴが好きなので…」、決めたそうです。

ただ当時、中村家の農地は、半分以上が道路用地として買収されることが決まっていました。なんと買収される農地の代地として選んだのが、赤坂のこの土地だったのです。
「最初は自分たちで活用しようなんて思わず、義父が相続税対策として駐車場にしていました。でも地元の農家たちといろんな活動をしていくうちに、もっと東京多摩の農業をPRしたいって気持ちが湧いてきたんです。この場所を使って何かしたいと思い、義父に提案したら『好きにすればいい』って。あっさり認めてくれました」
嬉しかった反面、動かす金額は大きく、責任重大です。そこで中村さんは、栽培するイチゴと野菜を出荷している㈱エマリコくにたちの代表、菱沼勇介さんに相談しました。
エマリコくにたちは「東京農業活性化ベンチャー」。国分寺市に隣接する国立市で、2011年に創業しました。毎日2回、近隣の契約農家をまわって集荷した野菜を、JR国立・立川・西国分寺の各駅の近くで経営する、八百屋3軒・飲食店2軒から消費者に届けています。売りはもちろん、抜群の鮮度です。
話を聞いた菱沼さんは、こう直感したそうです。
「なるほど、国分寺の畑が赤坂に移転すると考えると、おもしろいことができそうだ」
こうして、地元の農業ベンチャーの協力を得られることになり、中村さんは東京農村ビルの建設に踏み切りました。

 

■多摩野菜のアンテナショップを都心につくる
それでは、東京農村ビルの内部を案内しましょう。ただし、私がビルを訪ねたのはオープン前。完成イメージ図とオーバーラップさせながら解説を進めます。
ビルのオーナーは国分寺・中村農園の中村さん。テナント選びやコンセプトづくりなど、ビル全体のプロデュースはエマリコくにたちの菱沼さんが担当しました。

みすじ通りに面した角地の1階は、エマリコくにたちが経営する多様なワインが飲める「Tokyo Bistro SCOP」。もちろん一番の売りは週3回、畑から自社便で直送される東京野菜の料理です。2階と3階も飲食店で、同じく野菜は東京産。4階はシェアオフィスで、食や地域活性化のスタートアップに場所を貸します。そして5階が、東京農村の顔ともいえるシェアキッチンです。
まず目に飛び込んでくるのは、床から天井まで届く装置から生えた野菜たち。これは縦型水耕栽培システム「SAI」というもので、壁面緑化などに使われる技術を応用しています。LEDもついていますが、最上階なので日光も最大限取り入れるガラス温室のような空間になっています。育っているのはバジルなどのハーブ。東京農村の飲食店に食材として提供されます。
その奥にあるのが、フロアの主役であるシェアキッチン。料理の試作や撮影に使ったり、貸し切りのVIPパーティー会場としても機能します。

シェアオフィスとシェアキッチンは、菱沼さんが代表を務める一般社団法人「MURA」の運営です。完全な営利目的ではなく、東京野菜や地域活性化のコミュニティが生まれる場として使われるということ。「農村」と名付けた意味もそこにあって、井戸端でワイワイと闊達な議論がなされていくような場をめざしています。

ビル一棟がまるごと東京の食農PRの場。前代未聞の試みですが、菱沼さんの狙いはその先に広がる東京野菜の流通にあります。
「最初は1台のハイエースが週3回、多摩地域の野菜を集荷しながら、赤坂見附にやって来るところからスタートです」と菱沼さん。集荷した野菜は、このビルと近隣スーパーの「東京野菜コーナー」に配送されます。
「そうやって『東京野菜』のブランディングを進めながら、やがては取引を、ほかの飲食店や青果店、周辺ホテルへと広げていくつもりです」
エマリコが運営する立川市の八百屋「のーかる」には、立川駅周辺の20以上の飲食店が、地場でつくられた野菜を仕入れにやって来ます。これと同様のことが赤坂見附の「東京農村」を拠点に、「東京野菜」というブランドで広がっていくのです。

「そうなると、野菜とイチゴの栽培をがんばらなきゃな、って気になりますよね。まわりの農家仲間にも期待されています」と嬉しそうな中村さん。これまでの農業が、生産者と消費者の役割がはっきり分かれ、互いの距離も遠いものだったとすれば、「ここでお互いの距離を詰め合う関係を築いて、その中で生産者として勝負していきたい」と語ります。
「いざ始まったら気になって毎日、赤坂に来ちゃいそうです」と、ワクワクを隠し切れない様子です。

「食農の新しいライフスタイル」とは、遠くなってしまった都市と農業の関係性をふたたびつなげることで、”農が身近にある豊かな暮らし”を実現しようとするムーブメントではないかと思います。

私が提供する農体験サービスの主眼も、まさにこれです。「農業をどうするか」より、孤食・フードロス・安心で健康な食、などのキーワードに象徴される「都市の食生活をどうするか」。こちらのほうが、より優先して解決すべき課題ではないかというアプローチです。

都市生活者が農業について語るとき、こんな論調になることが多いのではないでしょうか。
『農業は旧態依然とした産業であり、非合理で儲かっていない。合理性と生産性を上げることでバージョンアップし、儲かる産業にして次世代に引き継がなければ』
かつては私も似たようなことを思っていました。しかし農業の世界に入って10年以上、いまでは、こんな思いが年々大きくなっています。
「バージョンアップさせるべきなのは、むしろ都市のライフスタイルではないか?」
もちろん農業界にも課題は多いでしょう。ただ、人口減少が始まり、都市規模が縮小していくなか、これからどんな農業生産が求められるかは、都市に暮らす人々の食生活のあり方によって大きく変わります。

さらに食をアウトソーシングして、外食や中食が中心になるのか。それとも、食材を買って調理する余裕を持てるのか。後者なら、食材を生産者から直接買ったり、収穫体験に参加したり、自分で農産物を育てるようなライフスタイルが普及するのか。
大消費地の人々が、どんな食生活を選択するかによって、生産も流通も変わるのです。
一方で、食を供給する生産者にとっても、日本全体の口の数と胃袋のサイズが年々、減少していくことはほぼ確実です。そんななかで、ただ限られたパイを奪い合うのではなく、「農のマーケット」そのものを拡大する努力が不可欠。そのためには農業の、”食糧供給以外の面”にフォーカスした展開が必要なのではないでしょうか。

この本ではさらに、都市のなかで、あるいはその周辺の農業現場で起きているユニークな取り組みに焦点を当てていきます。生きることの根本である私たちの「食べる」が、これからどうなっていくのか?また「食べる」だけではない農業の価値を、どのように生み出していくのか?
それを見通す鍵を探りたいと思います。

投稿者 noublog : 2021年02月25日 List   

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