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2020年11月19日

農と金融2~「お金第一」が生きる意欲を失わせる

【農と金融1~金を払い、関わり合う価値を捨ててきた】
に続いて。

「お金第一」崩壊の足音がそこまで来ている。
終わりを迎える前に、お金とは何なのか、社会に何をもたらしたのか、改めて問う。

 

以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)

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新井)鎌倉投信時代からずっとソーシャルベンチャーを支えてきたけど、ソーシャルベンチャーという言葉の違和感がいつもたまらなかった。待てよと。そもそも会社っていうのは社会のためにあるのであって、ソーシャルベンチャーなどという名前をつけなきゃいけないのはおかしいだろうと。そもそもみんな社会のためにがんばっているんだから、社会のために必要とされない会社なんて残るわけがないって、まっとうな経営者たちは思うだろうと。
何が悪いんだろうって思っていたら、「あ、そもそもお金の定義が悪いんだ」と気づいた。お金になる行為をビジネス、お金にならない行為をボランティアっていうんだよという人がいる。でもちょっと待てよ。これがおかしいんじゃないか。社会のためになることがお金になって、社会のためにならないことがお金にならないほうが正しいだろうと思って。
だっておかしいじゃない。僕は子どもの目線で見てるわけよ。子どもから見てそういうふうに思うじゃん。だって社会のためにがんばってくれるんだったらお金になればいいし、社会のためにならないんだったら…。

高橋)いまは社会のためにならないことがお金になり、社会のためになることはボランティア。

新井)そう。これって、おかしいじゃない。

高橋)あれ、なんでこうなってんだ…?

新井)そこで、お金の定義が悪いんだって思ったんだよ。だったら、お金の定義を変えればいいことじゃないか。お金ってそもそも幻想であって、あったら便利だよねってみんな思っている。じゃあなんで便利かっていったら、物と物を交換するときにお金を介在させたほうが便利だから。それなら、お金はあったほうがいいね、というくらいのものだったはずで、その範疇だったらよかったんだよ。それを越えてしまった。
なかでも、貯められるのがよくないんじゃないか。貯める行為が悪いんじゃない。貯められると、その貯める行為を「目的」化するんだよ、人は。お金は「手段」だったはずなのに。

高橋)なるほど…。なんかわかってきた。衣食住が足りず、短命で、みんな生きることに必死だったときは、ある程度幸せに生きるためにはいろいろな物が生活に必要だし、それを手早く手に入れるために使われたお金は、そのときはあくまで交換の手段だった。ところが衣食住も満ち足り、もはやそんなに物が必要ではないにもかかわらず、さらにお金を貯めて、もっといい物を買おうとしている。手段から目的になってしまった。

新井)いま消費っていってもたかが知れてるじゃない?だってもう物は満ちている状態だから。その状況のなかでみんな「買え、買え」と言うわけでしょう。経済を回すために。

高橋)もはやいまって買い替え需要しかないですよね。

新井)そうそう。それって、そのお金を循環させても、環境破壊を生んだり無駄な物をつくりつづけたりって行為になってしまう。もちろん豊かにならないし、幸せにならない構図なわけです。だから、お金を目的化してしまうっていう行為が存在してしまうと、社会って悪い方向に行くっていうのがよくわかるでしょ。
それ以外にも、お金は価値尺度になるっていう機能がある。確かに、目の前のものが1万円だとわかることはすごくいいことなんだけど、本当にそれはいいことなんだっけっていう疑問がよぎるわけです。この点は、改めて議論したい。なぜかっていうと、市場メカニズムっていうのがそこに入ってくるから。
要は価値尺度で均一化したようなものを人間はつくりつづけるわけですよ。測りやすいようにしていく。わかりやすいとか測りやすいっていうものに対して取引量が増える、速くなるっていう流れを、お金がつくるわけですよ。
お金って同じ色で、表情もなければ全部同じ形、要はのっぺらぼうなわけだから、どの1万円でも変わらない。だから、流通するスピードは速くなるわけです。それって市場と同じだなと思っていて。無機質な同じものを、お金だけならよかったのに、市場によってさらにスピードアップさせようとする。

高橋)そうか。つまり同質化していく。多様性とか固有性とかは、もういらないと。

高橋)いまのお話、食べ物の世界でもそうで、同じ形のものをたくさんつくって市場に出せるのが、いままでは一番優秀な生産者だと。だから固有性、バラバラっていうものは、あるいはストーリーや思いっていうのは「ノイズ」でしかなく、ものすごく画一的な食の世界になってきたんですよね。
さらにその方向で食の問題、つまり年間8億人がまだ栄養失調状態にあるという問題を解決しようとしているのが、「植物工場」なんだと思っています。あちこちに農地のいらない野菜工場をつくって、水がなかろうが土がなかろうが、どこでも誰でも同じものをつくれるっていう世界をつくろうとしているんですよ。
そうなると、もはや多様性の真逆で、その土地がその土地である必要もない。だって誰でもどこでもいつでも同じものをつくれるわけだから、やっぱりその土地特有の空間や時間といった固有性っていうものを破壊していくようにしか、僕には思えないんですよ。
でも、そもそも同じ味なのに曲がっただけで捨てられるとか価値がつかないって、誰が決めたんだと。そう考えると、日本の地方が衰退してきた理由っていうのは、自然は多様で、そこで育まれる食文化も多様だったのに、もはやそれがノイズとしてしか扱われなくなり、さらに新井さんがおっしゃるようにお金を介在させることによって同質化、同質化、同質化の波にさらされてきた。
食べ物は、その土地の自然環境や地域文化といった複雑な要素が有機的に絡み合って生み出されてきたのに、そうした文脈から食糧生産だけを部分的に切り取って、とにかく広いところで農薬をまいてロボットを入れて生産性を上げるのっぺらぼうな農業を推し進めているんじゃないか、という話にグググッと来てるんですよね。

新井)そもそも人間が幸せになっていくために必要なのは何なのか。これは、ハーバード・メディカル・スクールが75年超も追跡調査をしたという研究結果でも、良好な人間関係だとわかっている。関係性なのよ、すべては。だから、関係性にフォーカスしていかないといけないのに、その関係性を奪うような行為、面倒くさいものをなるべくなくしていこうとする行為、これは違うはずなんだよね。

高橋)そうか。バラバラだっていうことは、みんな何かが得意で何かが足りず、こいつの足りないところは俺は救えるな、俺の足りないところはこいつに補ってもらえるな。それが自分が生きる意味になっていく、ということですよね。

新井)そう。

高橋)同じ形だったらパズルのピースみたいにならない。

新井)別に一緒にいたって同じことしかできない。

高橋)まさにツルツルだ。

新井)関わりようがないよね。

高橋)引っかからないですよね。

新井)引っかからない。だからみんな凸凹しているからいいわけで、なぜそれを是としないのか。みんなそう願っているのに、なぜ効率を上げようとするのか。均質化できているかどうかでしか測ってもらえない。そうしたら、行く末は自分自身を否定することになっちゃう、だから苦しいんだよね。そこに100年時代になっちゃって、「あ、まだ生きなきゃいけないんだ」と、生きることがつらくなる。こんな社会で本当にいいんだろうか。

高橋)わかります!ますますツルツルであることが求められ、このまま寿命が延びたら生き地獄ってことですよね。

新井)生き地獄。だからつらいんだよね。

高橋)時代が変わり、量じゃなくて質が求められる時代になった。にもかかわらず、寿命に関していうと、人生100年時代になるっていうことばかりが先行し、その人生の中身をどう豊かにしていくかっていう議論は置き去りになっている感じですよね。

新井)そう。だから、10歳から39歳までの各年代の死因の第1位が自殺なんてことが起こってしまうんです。

投稿者 noublog : 2020年11月19日 List   

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