2020年07月22日
農業は脳業である3~田んぼに魚が戻ってくる技術
農業近代化は、子どもたちの眼には「田んぼや池や川から魚が消えていく現象」として映った。
退屈で面白くない空間になってしまった、現代の川、山、田んぼ。
かつて子どもたちが魚獲りに心躍らせたような田んぼを取り戻すために、問われる技術とは。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
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2020年07月16日
農業は脳業である2~農業近代化と引き代えに失ったもの
確かに存在した日本の農の原風景。(リンク)
それから半世紀。
農業近代化と引き代えに私たちが失ったものは、計りしれない。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
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2020年07月14日
まやかしの食料自給率目標と農政の亀裂
本日は、食糧自給率についてのお話です。食料自給率の目標の裏側には、ある組織の思惑があったのです。その内容に迫ります。
転載開始
キャノングローバル戦略研究所 【リンク】
研究主幹 山下一仁[研究分野]農業政策・貿易政策 2020.07.07
◆食料自給率目標の裏側
食料自給率とは、国内生産を輸入も含めた消費量で割ったものだから、飽食と言われる今の消費を前提とすると、自給率は低くなる。今の生産でも、過去の食生活を前提とすると自給率は上がる。飢餓が発生した終戦直後の自給率は、輸入がなく国内生産が消費量に等しいので100%だが、今よりこの時の方が望ましいという人はいないはずだ。消費量の変化によって上下する食料自給率という指標に意義はない。
しかし、2000年閣議決定された食料・農業・農村基本計画は、10年間で食料自給率(カロリーベース)40%(当時)を45%に引き上げることを目標とした。以降政府は20年もこの目標を掲げているが、逆に37%へ下がっている。
閣議決定された目標がこれほど長期間達成されなければ、普通の役所なら担当者の責任問題が生じるはずだが、農水省で責任を取った幹部も俯(うつむ)く職員もいない。自給率向上は、予算獲得や関税維持のための看板に過ぎないからだ。
食料自給率は、最も成功した農政プロパガンダである。小学校の教科書にも食料自給率が低いことが記述されており、国民のほとんどが、これを引き上げるべきだ、そのためには農業保護が必要だと考えるようになっている。このような中で食料自給率が上がれば、もう農業予算など要らないのではないかと言われてしまう。自給率は低いままの方がよいのだ。
◆自給率低下の政策を採ってきた農政
そればかりか農政は自給率を低下させてきた。真面目にカロリーベースの自給率を上げようとすれば、米の減産を行う減反政策を廃止すべきだった。(※全体の食料消費量は変わらないなかで、米価低下で米の代替品であるパン、うどんなどの外国産由来の麦製品の消費は減少する一方、国産の米の生産量が増えるので、食料自給率は向上する。輸出が行われるようになると、米の自給率は100%を超える。)
ところが、農政はJA農協の圧力に屈し、1960年以降食管制度の下で米価を大幅に上げて国産の米の需要を減少させ、さらに麦価を据え置いて輸入麦主体の麦の需要を拡大させた。外国品優遇政策を採れば、自給率が低下するのは当たり前だ。高米価政策は95年の食管制度廃止以降も減反制度によって継続し、現在毎年10万トン以上の米が減産されている。
今では米を500万トン減産する一方、麦を800万トン輸入している。1960年当時米の消費量は小麦の3倍以上もあったのに、今では同じ量まで接近している。2011年家計調査では米の購入額はパンを下回った。もはや日本は安倍総理が主張するような”瑞穂の国”ではない。亡国農政の仕業である。
思い返せば、1993年ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉で米の関税化特例措置をアメリカ等に認めさせたとき、その根拠として食料安全保障などの非貿易的関心事項を掲げた。この当時米の生産量は1千万トンを超えていた。それが減反で今では750万トンもない。米の生産を4分の1以上も減少させて、何が食料安全保障だろうか?戦前農林省の減反案を潰したのは陸軍省だった。今に陸軍省はなく、代わって農協が懸命に米減産の旗を振る。
高米価政策は、JA農協の繁栄の基礎となった。農協は高い米価と高い肥料・農業機械などの資材価格の両方で販売手数料を稼いだ。それだけではない。高米価で零細な農家が大量に滞留した。これらの農家の主たる収入源は兼業収入と年金収入である。2003年当時で兼業所得は農業所得の4倍、年金収入は2倍である。JA農協は銀行業を兼務できる日本で唯一無二の法人である。これらの所得はJA農協の口座に預金され、JAバンクが預金量百兆円を超える日本第二位のメガバンクに発展することに貢献した。
米農家の所得を補償するなら、米価を低くしてもアメリカやEUのような直接支払いをすればよい。日本でも酪農には加工原料乳の不足払いがある。しかし、そのような政策は、多数の米農家に立脚するJA農協の利益に反するものだった。
アメリカにもEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。これらの団体とJA農協が決定的に違うのは、JA農協それ自体が経済的な行為を行っていることだ。このため、JA農協が代弁する利益は農家と言うより自己の組織の利益である。米価を下げても直接支払いをすれば農家は保護されるが、農協は利益を受けない。規模拡大による構造改革をすれば農村は救済されるが、農家戸数が減少する農協は基盤を失う。
◆農政トライアングルに起きた亀裂
農政は、農協、農林族議員、農水省の三者による”農政トライアングル”で実施されてきた。ところが、今回の一部の農林族議員から、自給率目標を掲げるべきではないという否定的な意見が出された。目標未達成に責任を取ろうとはしない農水省とは違い、20年かけても目標が達成されないことに選挙民から彼らへの批判が出ているからだ。
もちろん農協や農水省は、国民から農業保護への支持を取り付けるために、自給率目標を降ろしたくない。そこで、農水省は、食料自給率を高く見せかける方便を考えた。畜産物について、ほとんどを海外からの輸入飼料に依存していること(国内の飼料自給率は25%)を無視した新しい自給率の提案である。
これまでの食料自給率は、輸入飼料から生産された畜産物を国産とは扱ってこなかった。輸入飼料が途絶えると畜産の生産もなくなってしまう。輸入飼料の加工業のような畜産には、食料安全保障上何らの意義もないからである。
今回農水省は、完全輸入飼料依存の畜産物でも国産とカウントする食料自給率も提示した。食料全体の自給率は従来の37%が46%に上昇する。ごまかしだが、農水省としては自給率が低位にとどまることについての責任逃れをしようとしたのだろう。
ところが、JA農協は、飼料自給の向上がおろそかになるという正論を主張して反対した。減反の基本は、他の作物に転作すれば補助金を交付することで、主食用米の生産を減少させることである。その転作作物として重要なものが飼料米である。つまりJA農協は、飼料自給向上という政策目標が失われれば、飼料米生産への転作補助金がカットされ、米価を維持できなくなるのではないかと恐れたのだ。
◆蛻(もぬけ)の食料安全保障政策
農業村の人たちが無意味な食料自給率向上を議論している一方で、食料安全保障政策は何も進んでいない。
新型コロナウイルスの影響によるロシアやインドなどの輸出制限をきっかけに、評論家たちが日本で食料危機が起きると主張する。TPP交渉の際には、食料が戦略物資として使われると主張する農業経済学者もいた。彼らは世界の穀物供給政策について、まったくの素人である。
食料として最も重要な農産物は、カロリー供給源となる穀物と大豆である。小麦、大豆、トウモロコシなどの輸出国はアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの先進国が主体だ。小麦について見ると、この三カ国では輸出量が生産量の6~7割もの割合を占めている。これらの国が輸出を制限すると、国内に穀物があふれ、価格が暴落し、深刻な農業不況が生じる。結果的には、米中貿易戦争による大豆輸出減少と同じ現象が起きる。消費面では、穀物価格が上昇しても所得水準が高いので、インドのような輸出規制をする必要はない。大豆の禁輸と対ソ穀物禁輸という70年代の輸出制限で大きな痛手を被ったアメリカは、二度と輸出制限を行わない。
ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉の最終局面で、私も含めた日本交渉団は輸出制限を禁止すべきだという提案を行った。私はアメリカが反対するのではないかと思ったが、杞憂だった。反対したのは、作況で輸出国になったり輸入国になったりするマイナーな輸出国インドだった。
2008年のように穀物価格が3倍になっても、経済力のある日本では食料危機は起きない。日本で食料危機が起きる唯一のケースは、軍事的な紛争などでシーレーンが破壊され、輸出国の小麦や牛肉などを積んだ船が日本に接近できないときである。これに対処する最も効果的な食料安全保障政策は、減反廃止による米の輸出である。危機時には輸出に回していた米を食べるのだ。輸出は財政負担の要らない備蓄の役割を果たす。同時に米の増産による農民、農地など農業資源の確保もできる。
それでも十分ではないかもしれない。この時石油などの輸入も途絶するので、農業機械は使用できないし、化学肥料や農薬の生産・供給も困難となる。現在のような単収が期待できない以上、より多くの農地資源を確保するため、ゴルフ場などを農地に転換しなければならない。また、機械、化学肥料、農薬を労働で代替せざるを得ないため、国民皆農も視野に入れた教育も考えなければならない。食料有事法制が必要なのだ。流通面では、戦時戦後におけるような配給制度を復活しなければならない。しかし、購入通帳の用意はない。
農政は食料危機をあおるばかりで、必要な対策については十分に検討してこなかった。そもそも減反という亡国農政の廃止に農協が反対する以上、食料安全保障政策などできそうにない。
以上転載終了
◆まとめ
農政が、これまで掲げてきた食糧自給率の値は、予算獲得や関税維持のため、農政のしくまれたプロパガンダを成立させるための数字であり、選挙民から彼らへの批判が出たとたんに数字の母数を変えて自給率を上げるというやり口は、まさに詐欺行為そのもの。
次代やこれからの人々の意識潮流が本源可能性に向けて動きだしていく中で現実の農業体制を見ると、農政と農協の己第一の所業によって、日本の農業の将来に蓋をし続けていく危機感を覚える。
食料安全保障政策についても全く何も考えていないという状況にも愕然とする。果たして日本は、これからどうなっていくのか?少なくとも、今の農政や農協には答えは出せないのは明らかであろう。
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2020年07月09日
農業は脳業である1~原風景
今から50年前、確かに存在した日本の農の原風景。
カネに代えられないこの価値を、これからの時代にどう再構築していくか。
以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)
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2020年07月02日
農的社会13~コミュニティ農業Ⅲ.循環させる力
あらゆる地域資源をひとつながりものとして循環させていく仕組み作りが、
コミュニティ農業の基盤になる。
以下、転載(「未来を耕す農的社会」2018著:蔦谷栄一)
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2020年07月02日
〜自然と人の“あいだ”を取り戻す協生農法〜近代農業の限界から登場した農法~
今回のレポートは、近代農業の存在意義について論じています。そもそも人類も数多ある生物のひとつの種であり、自然の生態系の中で存在しています。
遠い昔、人類は自らの生存をかけ、外圧適応のひとつの生産様式として農業を開発しました。
そして、時代は変わり、自然をコントロ―ルしながら、近代農業は存在しています。一斉に同じ種類の野菜や穀物を栽培し、それも水と栄養を過剰ともいえる量を与えながら収穫高を確保する。
果たして、この生産様式は、正しいのか?つまり、地球環境や生態系といった視点でこの生業を俯瞰してみた時にまだまだ改善の可能性があるのではないかと・・・・
焦点は、「共生農法」・・・今回は共生農法についての記事を紹介します。
Published by EcologicalMemes on 2020年4月18日
転載開始【リンク】
「地球の生態系に包摂された生命として人はどう生きるのか」
こうした感覚は当たり前のようで、そのつながりを切り離してきた現代社会では失われてしまいやすい。気候変動や生物多様性などの危機が深刻化する中、わたしたちは自然の生態系とどのように関わっていくことができるのだろうか。
本記事では、2019年12月に開催された『Ecological Memes Forum ~あいだの回復~』で行われた体験型セッション「生態系を回復する技術〜シネコカルチャーを巡る対話~」の内容をレポートする。
ナビゲーターは一般社団法人シネコカルチャーの福田桂(ふくだけい)氏。
~中略~
■生態系の「あいだ」を回復する協生農法とは
草木が生い茂る山々から着想を得た協生農法は、近代農業における三つの常識「耕す、肥料を使う、農薬を使う」を一切せず、土、植物、昆虫、空気、水などの生態系が潜在的に有する自己組織化の力を総合的に活用する技術である。その方法論は、生物が海から陸に上陸し、動植物が協同して陸地の表土の仕組みを作り上げた地球の生命の歴史に基づいているのだという。
生態系が崩壊した土地に豊かな生態系を回復させる手法として現在も研究が進行中で、近代農業による環境破壊で砂漠化したアフリカのブルキナファソで導入され、食糧危機を回避する手法としても注目を浴びている。
始まりは、何もない土地から。一般社団法人シネコカルチャーHPによると、協生農法は周囲の自然界に開かれた土地があればどこでも実践できるそうだ。
土地を東西方向に畝らせ、数種類の果樹を植える。その果樹の陰に多様な苗を植え、その苗の陰にさらに多種多様な種を蒔く。いずれも多種類を混生させるのには、単一種の生存に依存しない複雑な生態系をつくる意図がある。ここに適切な水分量と一日約4時間の日光があれば、何もなかった更地が緑に覆われる土地に蘇るそうだ。
近代農業では、単一種の生育条件に最適化させた土地で大量栽培する手法が一般的であるが、収穫後に農地は更地になり、そこに生物の姿はない。食糧を収穫する前後の土地は砂漠と化し、その土地を訪れたはずの昆虫や鳥など周囲の生態系への影響がデザインされていないことに、福田氏は違和感を投げかけた。
■植物の野生性を目覚めさせる協生農法
そして話は、複雑な生態系の中で目覚める植物の野生性に及ぶ。協生農法で植物を育てると、植物本来の姿に出会い驚く瞬間があるそうだ。植物には、蓄積された養分を土壌から吸い出し代謝させる機能が本来備わっているが、近代農法ではこれを利用して土壌に水と肥料を大量投入するため、スーパーに並んだ野菜は”水ぶくれ”した状態といっても過言ではない。
植物の中には厳しい環境を生存する野生の力が眠っている。それを目覚めさせるのは、近代農法のように野菜を膨張化する栽培環境ではなく、複雑で多様な生命が蠢き合う環境の特徴の一つといえる。協生農法で野菜を育てると、見慣れない姿に驚き、力強い香りや味を感じる瞬間が訪れるだろう。植物本来の野生の姿に出会うことも、協生農法の楽しみのようだ。
■50億年目の地球に存在する、生態系ネットワークの歴史
協生農法による植物と土地の変容について話し終えると、福田氏は植物が育つために必要な光、水、土、空気がどこからやってきたのかを、太陽系が誕生した50億年前に遡って語り始めた。1巻の本に1億年分の歴史が記述されるとするならば、太陽系の誕生から今日に至るまでを50巻の本に例えられるそうだ。最初の登場人物は、生まれたての太陽と周りに浮遊する石のかけらだった。
~中略~
50億年の地球の歴史は、複雑な生態系の歴史でもあった。福田氏は近代農法を次のように表現した。海と山の”あいだ”にある自然、つまり地球の生命が陸地に進出し苔や微生物などと共に複雑な生態系を形成した歴史を抜き去っているのが近代農法ではないかと。食糧を収穫した後の農地は生物のいない砂漠になる。生命の上陸以前の何もない土地が、生命の上陸によって森になるまでには数千万年の歳月を要したことを踏まえると、別の方法もあるのではないかと疑問を投げかけた。
『地球の歴史』50巻目の最後のページには、人類の誕生と農業の歴史が記される。50億年かけて地球が育んできた複雑な生態系が、人間の営みによって損なわれるのが現代ならば、人間が生態系を回復させる営みもあっていいはずだと感じたそうだ。協生農法の方法論は、生物が海から陸に上陸し、動植物が協動して陸地の表土の仕組みを作り上げた地球の生命の歴史に基づいている。これが、福田氏が協生農法を広める理由だ。
■植物を食べることは、星屑を自分に取り込むこと
~中略~
「植物が育つのに何が必要か」と問いかけると土、水、光、空気と挙げてくれる子ども達に対し、これらは宇宙からやってきたという説明をするそうだ。いずれも50億年の地球の営みを通して形成された姿であり、一朝一夕では到底作り得ない特別感を感じてもらうことからシネコプランターの説明は始まる。
土には数種類あり、赤土、黒土、腐葉土と広げて見せた。地球の歴史を遡ると、元々赤土だけが存在していたところに腐葉土のような有機物が混入して黒土が生まれたそうだ。さらに赤土の起源を遡ると、石類が登場する。ここで、鉢植えの中に地球の地層を再現するかのように石類、赤土、黒土、腐葉土と順に重ねて置き、さらに苔、シダ植物、地衣類、菌類を乗せて最後に種を散らし、小さな地球を完成させた。
我々が植物を食べるのは、地球という惑星の一部を身体の養分にしていることだと福田氏は繰り返した。植物は地球の養分を吸って育ち、人はその植物を食べて育つ。そして死んだのち人は土に還るが、それは星に還ることであり、自分たち自身も地球という惑星の一部、星屑を借りて生きている存在なのだと話した。植物を食べる自分が、50億年の地球で脈々と続く生命の循環ネットワークの中にいることを想像させるワークショップであった。
■人と生態系のあいだ“渚”で交わる生命の循環
人はどのように生態系と関わればよいか。この問いに対し、福田氏は、人と植物のあいだの空間を“渚(なぎさ)”と呼んで説明した。渚とは、協生農園の境界部分に位置し、人が立ち入って植物に介入してもいい空間だ。例えば、繁りすぎた植物や乾燥して白くなった葉など、自分たちにとって不要なものを刈っていい。ただし、刈った植物は渚エリアの土壌に還してあげることがルールである。生態系の循環を途切れさせないこと。実った野菜や果実を分けて頂くという姿勢。渚における生態系との関わりには、この二つが肝要である。
~中略~
■編集後記:自然に包摂された生命として生きる
数十億年の生態系の歴史を、近代農業が一瞬のうちに破壊することの意味をどう捉えるべきか。福田氏の問いかけの根本はここにあるように感じた。
人の営みと自然の関係性を捉え直す機会は過去にもあった。例えば、高度経済成長期に発生した四大公害病。甚大な健康被害が生じたと同時に、生態系を回復させるには膨大な時間を要することが判明し、これを発端に数々の工業規制が生まれた。また漁業では、持続的な食糧確保を目的に、漁獲量が魚の再生量を超過しないよう総量規制が一部運用される。しかしいずれも、人が自然から恩恵を受け続けるための対症療法であり、抜本的な関係性の変化にはつながってこなかった。
もしかしたらスタート地点が違うのかもしれない。
福田氏は、生きていく中で失いたくない価値観の一つを“社会から切り離された価値観”と表現していた。そのために、毎日火や水に触れるそうだ。千年前にも千年後にも通用する自然原理に触れることで、日常生活だけでは失われる人間らしさを取り戻そうと心がけているらしい。~中略~
自然の生態系に包摂されているという視点で、自分の暮らしやあり方に違和感や心地よさを見つけたとき、それは地球と自分のあいだを漂う流れに身を任せていく旅の始まりになるかもしれない。
以上転載終了
■まとめ
現在、共生農法を実践している農業家は、いくつか存在しています。彼らが、一様に主張するのは、現在の農業、特に近代農業に対する疑問です。
農業は、自然相手の生業として存在しています。ところが、今回のレポートに接すると、近代農業の実態は、作物の収穫後は反対に自然を破壊した環境を作り出し、(土地を砂漠化させ・・・)生産する作物は、過剰な水と肥料で水膨れさせた成果品(=半人工物)というように、人間本位によって登場した生産様式と言えなくもない。ことに気づきます。
これまで、農業は公害とは無縁な存在でした。しかし、実態は大きな矛盾をはらんでいること。大量生産、大量消費の近代農業の限界。この現実の問題点がクローズアップされているのです。
水、空気、火といった地球に存在するあらゆる自然原理に触れながら、本能(五感)をフル回転させ、自然と自分たちが一体になる生き方。
生態系、自然循環の中に人類が存在することを受け入れれば、共生農法は、人と自然を繋ぐ延長線上に存在し、本来、まさに人が生態系の一部に存在する「新しい農のかたち」としての次代の農法となっていくとは言えないでしょうか? では次回もお楽しみに!
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2020年06月25日
農的社会12~コミュニティ農業Ⅱ.地域農業の主体
地域農業の持続的な発展への期待。その中心に、営農法人は存在している。
以下、転載(「未来を耕す農的社会」2018著:蔦谷栄一)
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2020年06月18日
農的社会11~コミュニティ農業Ⅰ.概観
日本農業の持つ特質を生かす「コミュニティ農業」、その概観。
以下、転載(「未来を耕す農的社会」2018著:蔦谷栄一)
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2020年06月18日
有機農法を続けて得た熟練の境地「稲に見られている」
今回は、有機農法を手掛けている農業家のお話です。
「作物の声を聞け――」彼は、稲を徹底的に観察することで稲と一体的になれるまでの境地に行きつく。そして、今では「稲に見られている」と話す。
独特な感覚でこの境地に至るまでの経緯。そしてついに彼は、「稲」自体が最高の状態で生育するための手法を会得したのだ。(2020/06/15発信)
転載開始【リンク】
作物の声を聞け――。先輩農家から、そんなふうに言われたことはないだろうか。ふつうに解釈すれば、作物がうまく育っているかどうかを、鋭敏に察知できるよう「よく観察しろ」という意味だ。地道な作業がその感性を磨く。だが茨城県稲敷市のコメ農家、大野満雄(おおの・みつお)さんはもっと踏み込んで、「稲に見られている」と話す。経験に基づくリアルな感覚だ。
■有機農法のコメ作り、雑草を抜き続ける日々に訪れた特別な瞬間
大野さんは農業法人の東町自然有機農法(茨城県稲敷市)の代表だ。自社農場の33ヘクタールを中心に、仲間の農家の分を合わせて100ヘクタール近くの田んぼで作られたコメを販売している。販路はパックご飯の製造会社やスーパー、米店など。大野さんの営農の考え方に共感してくれる売り先だ。栽培で最も重視しているのが、有機農法だ。15ヘクタールの田んぼで農薬や化学肥料を使わずに育てている。その他の多くの田んぼは、農薬や化学肥料の使用量を地域の半分以下に抑える特別栽培でコメを作っている。有機栽培はコメの生産調整(減反)が1970年に始まった後、東町自然有機農法の前代表だった父親が始めた。理由は二つある。一つは、生産調整で麦や大豆を作った後、畑を田んぼに戻してコメを作ると、水田特有の雑草が生えにくいことに気づいたからだ。もう一つは、栽培方法で特色を出すためだ。有機でコメを育てる農家はいまも少数派だが、当時はもっと珍しかった。
大野さんはいま63歳。30代半ばで父親の後を継いで代表になった。そのころ一番苦労したのが、雑草退治だ。前年に麦や大豆を作った田んぼ以外でも、農薬を使わずにコメを作るようになっていたからだ。田植えをした稲の縦の列を「条」と呼ぶ。田んぼに入り、両手を左右に伸ばして雑草を取ることができるのは5条が精いっぱい。1日かけて雑草取りをしても、50メートルの田んぼを1往復することしかできなかった。それでも有機栽培をやめはしなかった。いまほど強い確信を持っていたわけではないが、そのころすでに有機農業に意義を感じ始めていたからだ。農薬を使わずにコメを作ることをあきらめず、ただこつこつと雑草を抜き続けた。そうした地道な努力を続ける日々の中で、ある特別な瞬間が訪れた。代表になってから10年ほどたったとき、奈良県にある自然食品店を訪ねた。その帰り、時間が余ったので京都市にある東本願寺に立ち寄った。本堂に入ると、たくさんの参拝客がいた。だが目を閉じると参拝客が意識から消え、過去に東本願寺を訪れ、祈りを捧げた人々のイメージが心に迫ってきた。田んぼに入って雑草を取り続けてきたことと、この体験の因果関係を説明するのは難しい。ただ大野さんがはっきり覚えているのは、この体験の直後にある強い衝動がわき起こったことだ。「田んぼのそばに花を植えたい」
■花を育てる中で気付けた稲の違い
大野さんは京都から戻ると、有機栽培でコメを育てている自分の田んぼの脇の農道にコスモスの種をまくことを決めた。農道は長さが120メートルで、幅が十数メートル。その中央の7~8メートルを花壇にすることにした。農道は機械で耕すのが難しいほど、硬く踏み固められていた。大野さんは「機械が壊れてもいい。やらなければならない」と思い定め、懸命に耕して種をまいた。秋には、コスモスがピンクや白のきれいな花を咲かせた。この美しい光景が、大野さんにある直感をもたらした。「種をまかないと、芽は出ない。芽が出ないと、花は咲かない」。金銭的な見返りをいっさい求めず、ただ花を育てる中で生まれた直感だ。これが、農業に対する揺るがない確信となった。「天が教えてくれた」。大野さんはそうふり返る。この直感は、稲作への向き合い方を見つめ直すことにもつながった。見慣れた稲の姿が違って見えるようになったのは、雑草を刈っていたときのことだ。「稲は一本一本違う。子孫を残すため、一生懸命生きている」。そう気づいた途端、目の前で育つ稲がそれぞれ個性を帯びて目に迫ってきた。
「自分が稲に対して何をしているのか。稲はそのことを見ている」。そんな思いに包まれた。作物を観察するという一方的な感覚ではなく、「稲がこっちを見ている」と実感したのだ。技術の巧拙が試されているというより、稲に向き合う誠実さが問われているような感覚なのかもしれない。こうした気づきを通し、雑草に対する考え方も変わっていった。「稲は大切だが、雑草もまた脈々と生きてきた」。そう気づいたことで、雑草を取り切る必要はないと思うようになった。伸び放題にしていたのでは稲が育たないので、できるだけ雑草を抜く。だがゼロにしようとは思わない。その結果、稲が雑草に負けてよく育たないこともある。そんなときは「稲が十分に育つための環境を作ることができなくて、申し訳ない」と考えるようになった。土作りから水の管理を含めてよりよい環境を作れれば、もっと元気に育ち、雑草に負けなかったのではないかと思うようになったのだ。稲が何を求めているのかを考えるようになったことで、栽培のきめ細かさが増した。だが追求しなかったこともある。収量だ。大野さんは「稲の本来の力からすると、いまの平均収量は多すぎるのではないか」と考える。「収量を追求し過ぎると、稲がいい子孫を残すことを妨げる。おいしいコメにもならない」。大野さんはそう話す。稲が健全に育ったのかどうかがわかるのは、秋に稲穂が実ったときだ。大野さんによると、「黄金色の状態が違う」。そんな稲の表情を見分けることができるのも、熟練による感性だろう。
■広い面積でコメを作る意味とは
「稲がこちらを見ている気がする」。この独特な表現を大野さんから初めて聞いたのが、1年前。小雨が降る中、田んぼで育つ苗を見ながら、大野さんは「いい表情をしている」という趣旨のことを言った。今回はこのことを深掘りするために、改めて取材をお願いした。1時間以上にわたって丁寧に話してもらったが、正直、大野さんが感じていることをきちんと理解し、伝えることができたのかどうか自信はない。ここで確認しておきたいのは、仲間の農家の分を合わせると、100ヘクタールという広い面積で作ったコメを扱っている点だ。そのうち有機栽培をしているのが15ヘクタール、自社の栽培面積だけでも8ヘクタールある。この大きさに意味がある。今回の取材で有機農業について質問したとき、大野さんは「農薬や化学肥料を使わないという栽培方法の意味だけではない」と強調した。では有機農業の価値とは何か。「自分は有機の里と言っているが、その中で人と人が結びついて農業を続けていくことができればいいと思っている」。ごく狭い面積で自分だけでやっていたのでは、この目標にたどり着くことはできない。しかもつながりを感じる相手は、人間だけではない。「我々は朝起きたら空気の香りや風の流れを感じ、鳥のさえずりを聞く。そして一日の仕事を始める」。ここまで話した後、しみじみと「農業って面白いよなあ」と語った。地道に長年、稲と向き合い続けたことで得た力強い感慨だった。
以上転載終了
■まとめ
対象を真っすぐ見ていると、対象の声が聞こえてくる。そして、彼らがこちらを見ている。(自分が対象に見られている)という感覚になってくる。
そうすると、彼らが、快適な活動を営むにはどうしたらよいかに思いがはせる。まさに対象との一体感。この対象が、人や動物ではなく、「稲」(植物)であることに今回は衝撃を受けた。
よくこのレポートを読むと、大野さんは、現実の対象にしっかり肉薄している。「稲」の最高の状態(色だったり 大きさだったり 手触り 香りと・・・)に、日々詳細に、丁寧に育てて(観察して)いなければこのような感覚にはならないと想像はつく。まさに、現実直視の賜物。
現代の「植物の背後に精霊を見た」という感覚を地で体験している方だと思う。
更に言うなら、この観察は、本能をフル回転させなければ成立しない。「稲」を取り巻く自然環境を、そして「稲」そのものを五感で、素直に感じることで、更に一歩踏み出す。(追求する。)
現代人が忘れかけている本能機能の正しい付き合い方。大野さんは、我々に人間本来の存在(適応そのもの)を教えてくれているのではないだろうか? 次回もお楽しみに!
続きを読む "有機農法を続けて得た熟練の境地「稲に見られている」"
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2020年06月11日
農的社会10~急増するGM添加物
農に対する本質的な評価、期待が急速に高まってきている一方で、
経済効率偏重の判断は未だ横行している。
その多くは、コロナ禍の陰に隠れ、人知れず進行する。
以下、【急増するGM添加物 14品目が承認待ち】より引用
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