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農業は脳業である2~農業近代化と引き代えに失ったもの

確かに存在した日本の農の原風景。(リンク) [1]

それから半世紀。

農業近代化と引き代えに私たちが失ったものは、計りしれない。

 

以下、転載(「農業は脳業である」2014著:古野隆雄)

■急速な変化~機械と農薬がやってきた
幼年時代のことだから、いつごろからかはっきりしない。たぶん農業基本法が制定された1961年以降であろう。我が家も耕耘機を購入し、同時に牛を手放した。牛がいなくなると、堆肥の原料の牛糞がなくなる。堆肥はつくらず、田畑には化学肥料のみを投入した。村中がそうなっていったのである。

「耕耘機になって楽になった。牛の世話をせんでよくなって、何か物忘れしたごたる」
当時よく耳にした話である。これは百姓の本音だろう。牛には、一日も欠かさず鎌で畦草を刈って、朝と夕方に給餌せねばならなかった。一方で耕耘機なら、使用時に燃料を注げばすんだ。
耕耘機は、やがて乗用トラクターに代わっていった。田植えも、腰が痛く、人手を要する手植えから、歩行用の田植機に代わる。稲刈りも、バインダー(稲の刈り取りと結束を同時に行う機械)になり、コンバイン(稲の刈り取りと脱穀を同時に行う機械)になった。これで田植えや稲刈りは、信じられないほど楽になった。

母の体験談によれば、農薬のない時代は、朝早くに田んぼの水の表面に油を落として広げ、檜の葉で稲の葉をたたいて、害虫のウンカを落として防除していたという。最初に登場した農薬は、たしかホリドールだったと思う。村中総出の共同作業で、ゴムホースを引っ張り、長いハンドルのついた手動式の噴霧機で散布して、ウンカなどを退治した。その光景はいまでも忘れられない。
この共同作業はかなり辛かったらしい。母は嘆いていた。
「ホリドールを散布すると、目がまわるごときつい」
ホリドールを散布した田んぼには赤い札が立てられ、子どもたちは近づかないように言われた。その後、次々に新しい農薬が開発されていく。父が白いタオルで口をきつく結び、農薬散布機を背負う。この散布機には「ナイアガラ」という、長さ約30メートルの軽いホースがついていた。その先端を母が握っている。そして、田んぼの畦の両側に立ち、パダンサイドやパダンバッサという農薬を散布しながら平行移動していく。ナイアガラの下側には数センチおきに小さな穴が開いていて、そこから稲の上に散布されるのだ。その様子がまるで、ナイアガラの滝のようである。ナイアガラとは実に上手な表現だ。

私は子どものころ、この仕事を手伝った。風が吹くと、田んぼ全体が農薬の白い霧で覆われる。イやな辛い仕事だ。風でナイアガラが宙に舞う。
「引っぱれ。ゆるめれ」
大声で怒鳴り合う。どうも農薬は、人の心をイライラさせるようだ。

除草剤は、2-4DやPCPという新しいタイプが登場した。その結果、手取り除草をしなくてよいので、身体が楽になったのは確かだ。夏中かかっていた炎天下の辛い除草作業から解放された。
こうした農業近代化の総仕上げとして、我が村でも1970年代後半に基盤整備事業が行われた。どの田んぼも縦100メートル×横30メートルの長方形になり、水路は三面コンクリート張りで、用排水分離の直線になった。草の生えていた田舎道は、すべて直線のアスファルト道に変身した。機械作業と水の利用効率を上げるため、何の面白さもない画一的風景に変容したのだ。

 

■農業近代化の功罪
結局、農業近代化は、辛い「人間労働」を化学肥料や農薬・除草剤や機械などの化石エネルギーに置き代えていく、「限りない省力化」の過程であった。たしかに、「便利」で、仕事は「楽」になった。それは、高度経済成長のもとで多くの農民の生活感覚に合致した。だから受け入れられたのだろう。
近代化の便利さをだれもが享受し、どの農家も物質的に豊かになっていく。貧しくて何もなかった我が家も、ラジオ、テレビ、洗濯機、車、新しい家、トラクター、コンバインと、物に囲まれて暮らすようになった。私たちの生活全体が近代化され、便利になっていったのは、歴史的事実である。その大きな流れの一部が、農業近代化なのだ。

ただし、問題点もあった。トラクターやコンバインは便利で楽であったが、同時にとても高く、当時で数百万円もしたのだ。購入するためには、農業か農業外で苦労して働き、現金を得なければならない。コンバインの導入で節減される肉体労働と、コンバインを買うために投入する労働の収支は、いったいどうなっていたのだろうか。しかも、コンバインを導入しても、稲の収量は増えないのだ。
「二町(ヘクタール)や三町の稲をつくっていても、とてもコンバインや田植機や乾燥機は買いきらんばい」
たいていの農家は、農外収入や米以外の換金作物の売り上げを機械代にあてる。私の村ではイチゴが多くつくられていた。つまり、農業近代化で田植えや稲刈りは省力化されたが、生活全体をとおしてみると、たくさんの物と情報を得るために、かえって忙しくなった面もある。

農業近代化は部分的に合理的であっても、総合的合理性に欠けていたかもしれない。いわゆる機械化貧乏である。収入を得るために機械を買うのではなく、機械を買うために米を作る。何のための機械化だろうか?いつのまにか、労働の節約という「手段」が「目的」に変化していた。農業近代化と引き代えに私たちが失ったものは、計りしれない。

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