2009年02月13日
日本が食糧自給を低下させた背景 ~アメリカの巧みな共認支配
●日本は余剰小麦の処分先
1945(昭和20)年、第二次世界大戦が終結した。アメリカはそれまで兵士の食糧として消費されていた農産物が余るようになっていった。
アメリカは1951年に軍事援助的意味合いの強いMSA協定を各国と結んでいた。それを1953年に食糧援助を含むものに改正、これを餌に締結国の軍備強化を義務付け味方陣営をさらに増やそうとしていた。この改正の裏に1953~54年が世界的な小麦の大豊作の年だったというのがある。アメリカ政府が抱える小麦の在庫は、その倉庫代だけでも一日2億円かかるほど。同年、大統領に就任したアイゼンハワーは農村出身。農民の期待に応えなければならない。当然、この余剰小麦をどうするか?となる。
1954年、日本はアメリカの働きかけをうけてMSA協定に調印。「日本はこの協定締結で小麦60万トン、大麦11万6千トンほか、総額5千万ドルのアメリカ農産物を受け入れ、その食糧を国内で販売しその代金を積み立て(見返り資金)4千万ドルはアメリカ側の取り分として日本に対する軍事援助などに使われ、残り1千万ドルが日本側の取り分として経済復興などに使われた」。 (書籍引用)
そう、アメリカに余った小麦を売りつけられたのです。
応援お願いします。
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posted by pochi at : 2009年02月13日 | コメント (9件) | トラックバック (0) TweetList
2009年02月12日
食糧を自給できない深層には敗戦国という現実がある。
こんにちわちわわです。
先日、なんで日本は先進国の中で最も自給率が低いのかを話し合いました。その中で浮かんできたのが、日本は敗戦国であるという事実です。
戦後、国防を他国に委ねた日本は、エネルギー、食糧という安全保障上重要な要素も他国に委ねることに抵抗を失ってしまたのではないでしょうか。
日本狂ってると思った方↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa at : 2009年02月12日 | コメント (11件) | トラックバック (0) TweetList
2009年02月11日
達人とは、同化能力に秀でた人たち
最近のマスメディアでは、『農』や『自然』にまつわる情報が、日に日に増えてきているように感じます。普段はめったに見ることのないTVですが、先日、偶然目にしたものを紹介します。
山の声を聞け ~林業再生にかける80歳~
2月 9日(月)午前0:35~1:18 NHK総合テレビ
大阪・千早赤阪村に、全国から注目されている山の達人がいる。林業を経営する大橋慶三郎さん、80歳だ。若手林業家に林業再生の切り札を伝授する大橋さんの活動を追った。
大橋さんが考える林業再生の切り札とは、山の中に作る道だ。道さえあれば、簡単に山に登り、伐採した木を搬出することができる。コストはかからず利益が上がる。
しかし、道は崩れやすい。そこで徹底的に観察し、危険な場所を避けて道を作るのが大橋流。「山は人間と同じ。異常があれば、必ず表に出る。」と言い、50年前に作った道も崩れはない。
80歳と高齢ながら、今でも山に分け入り、後進の林業家を現場実施指導する姿に、慄然とする気迫が感じられました。昇るときは自力ながら、斜面を降りる時には弟子の介添えを必要とするほど足腰が衰えつつあるというのに、語る言葉は力強いのです・・・。
現地での実施指導の場面では、・・・情景を目にして、手に触れ、足裏に感じて、這い蹲って移動する時の抵抗を全身で受け止めることで、対象を捉えよ・・・と云っているように思えます。
状況を見切った結果を聞き、その根拠を糺すなかで、明らかにしていく「理(ことわり)」なので得心できるのです。次代を担って欲しいという期待が響き・伝わるのです。 「口伝」 とは、そういうことだったのか、と想いに至りました。
posted by staff at : 2009年02月11日 | コメント (8件) | トラックバック (0) TweetList
2009年02月10日
農協(JA)って何?
みなさん、こんにちは
最近、農協という組織が気になっています
そもそも気になりだしたのは、なぜ日本の農業政策は他の先進国と違うのか?なぜ、日本だけが自給率が低いのか?
日本の農業政策は「世界の非常識」
というところから始まったのですが、周りに聞いてみても 調べてみても (実家が兼業農家なので)記憶を思い返しても 🙄 変なことがいっぱいあるんですよね
まだまだ、全くよく分からないのですが、継続課題ってことでよろしくお願いします
こんなこと知ってるって人、ぜひ教えて下さい
まず、農協(JA)とは
ローカル通信舎さんから引用させていただきました
おもしろい記事ありがとうございます
どの記事もすごく興味深いです
posted by tateko at : 2009年02月10日 | コメント (5件) | トラックバック (0) TweetList
2009年02月09日
中食・外食が成長!現在の食のかたち~
突然ですが、昨日、何を食べましたか?
私は通りがかりに島根の物産展を見つけて、突入
きんかんと、雪中大根のおろしとご飯を頂きました
雪中大根・・・雪の中で糖度を高めた甘ーい大根
とっても甘くて、美味しかったです
けれども、偶然出会ったその物産展に寄らなければ、その日のご飯はコンビニおにぎりetc,,,
加えて、普段も出前の食事が多い日々です。
私の食生活は偏っているかもしれませんが・・・
今回は現在の食のあり方に迫ります
実は外食産業よりも、中食産業が盛んだとか・・・
でも、中食って何なんでしょうー??
先へ進む前に、応援よろしくお願いします
posted by staff at : 2009年02月09日 | コメント (8件) | トラックバック (0) TweetList
2009年02月08日
農林畜産複合経営は楽しくてリスクも分散
書籍からの紹介です
『田舎で起業!』田中淳夫 著
写真はおそらく植林された杉林を背景に棚田で寝転ぶ牛たち の構図です。
複合生産の可能性 という意味で、記事そのものも大変面白いのですが、
戦前から戦後にかけての生産様式が「複合から分業に転換したのは何故なのか?」が、読み取れる興味深い文章でした。
まずは応援お願いします。
posted by pochi at : 2009年02月08日 | コメント (8件) | トラックバック (0) TweetList
2009年02月07日
地元発・ものづくり発のモクモクファーム
こんにちは。
新しい農業の成功事例として、モクモクファームの記事がるいネットに掲載されています。
【書籍紹介】伊賀の里 新農業ビジネスただいま大奮闘(モクモクファーム)(1/3)
【書籍紹介】伊賀の里 新農業ビジネスただいま大奮闘(モクモクファーム)(2/3)
【書籍紹介】伊賀の里 新農業ビジネスただいま大奮闘(モクモクファーム)(3/3)
私もこの本を読んでみました。
地元の養豚をどうする?という課題からスタートして、様々な取り組みを次々と実現させていく様子には、とてもわくわくし、これからいろんなことが出来そうだ、と勇気やヒントを与えてくれるものでした。
特に、社長である木村氏の言葉は、実践の中から生まれて来たとても説得力のあるものでした。そこで、数ある木村氏のコメントの中から、印象に残ったものを一部ご紹介したいと思います。
応援 よろしくお願いします
ありがとうございます
posted by sbaba at : 2009年02月07日 | コメント (6件) | トラックバック (0) TweetList
2009年02月06日
いのちの種を未来に・・・固定種・F1種・遺伝子組替種子の問題
■お久しぶりです!まるいちです。
最近はずっと「みんなが、社会が【農】に期待していることは何か?」を考えています。
食の大元、お米や野菜を作ること、はもちろん、教育や癒し、充足の場を提供する事・・・いっぱいあります。
今日は、「自家採種に挑戦!野菜の生命力を引き出す」の記事にもありますが、現代に野菜達の品種の記事です。
まず、将来に向けて日本で育ち、根付いた【固定種】を守ろう、と努力している「野口の種・野口種苗研究所」の紹介です。
この中では、遺伝の法則、固定種とF1種の違い、F1種の作られ方、そして遺伝子組み換え種子の話まで触れられています。 少し長いですが、引用します。
最後の続きには、重複する部分もありますが、野口さん著作の本【いのちの種を未来に】の要約を紹介しておきます。
●以下、「かわいそうな野菜たち」より引用
もともと固定種というのは、何かと何かが自然交雑してできたものがほとんどです。交雑して変わった形態が出てきたものを何年もかけて作り続けながら固定していき、それが人手に渡り、また違う土地で栽培され、交雑と気候により変化していきます。交雑と、土地に適応しようとする野菜の力で、多種多様な作物が産まれてきたのです。
キュウリは今、「ブルームレス」というカボチャ台木に接いだ真っ青なF1ばかりになっていますが、昔のキュウリというのは「半白」タイプのものでした。「華南型」といって黒いイボの、日本では一番古いタイプのキュウリです。全身青いタイプのキュウリは「華北型」といって、明治以後、日清・日露戦争を経て入ってきた品種です。そしてこれらのキュウリが交雑して固定種になっていくうちにF1の時代になり、味がなく堅いだけの「ブルームレス」キュウリの全盛時代になってしまいました。
現在、なぜ一代雑種の時代になったかというと、戦争で食べ物がなくなったことが原因です。第二次世界大戦後、都市はまったくの焼け野原でした。大勢の兵が復員してきたりして、食料は絶対的に不足していました。アメリカの進駐軍が、この状況を改善するよう要求してきました。増産に必要な化学肥料は、大正時代から存在しています。電気で水を分解して空中の窒素を固定するという方法で化学肥料を製造してきました。ところが戦後、電力不足で窒素肥料ができなくなりました。窒素肥料は爆弾原料でもあります。戦後、爆弾の必要性がなくなり、アメリカの軍需産業の爆弾原料が余ってしまい、食糧不足を窒素肥料の利用で解消しようとしました。
それと同時に復員兵が海外から持ち込んだシラミ防除のためにDDTが日本に上陸しました。また同じころに日本に農業協同組合ができました。タキイ種苗が「長岡交配福寿1号トマト」という初めての一代雑種のトマトを作って売り出しました。それまでも農業試験場等で一代雑種は作られていましたが、販売したのはタキイ種苗が初めてです。タキイ種苗は、これから続々と一代雑種の種を発表していきます。
食糧難の時代に、化学肥料とDDTにはじまりパラチオン(ホリドール)等の農薬が外国から入ってきて、大量に使われました。食糧増産という掛け声の中で、ビニールハウス、農薬、化学肥料、一代雑種は成長していきました。
1971年日本有機農業研究会が発足しますが、その前に野菜指定産地制度を含む野菜生産出荷安定法が公布されました。これがモノカルチャー(単一作物生産)の元凶です。高度経済成長とともに、農家は長男だけが残り、次男・三男は都会の他業種へ移行していきます。残った長男たちは食料増産のために畑を大規模な指定産地にして、地元の農協に舵取りをさせて、地域の作物を全部まとめて、単一作物生産農家を生み出しました。
単一作物生産農家なら天候不順で経営が悪化した場合、補助金を出すという指定産地制度のおかげで日本中がモノカルチャーになり、周年栽培を売り物にしたF1が台頭してきました。それまで自分で種採りしていたのが、種を買う時代となりました。これがF1、一代雑種誕生の歴史です。
メンデルの法則は、メンデルの死後認められました。それが世界で広まり日本にも伝わりました。当時の日本は、蚕が最大産業で、メンデルの優性の法則と雑種強勢を利用して、世界で初めて蚕を使って一代雑種の生き物を作りました。その後、植物でもナスなどを使って一代雑種を作ってきました。当時、アメリカでは一代雑種はトウモロコシで使われていました。戦争が始まるまで、一代雑種の研究は試験場で行い、種屋に技術を売っていました。
戦後は、種屋が自ら一代雑種を作っていきます。つい最近まで、マメ科とキク科だけは一代雑種はできないと言っていましたが、シュンギクやレタスでできるようになりました。インゲンでも雄性不稔が見つかり、近々できそうだということです。
一代雑種の種がどのように作られているか説明します。現在、私たちが普通に食べている野菜は、種を作る過程がブラックボックスのようなものです。種屋は製造過程の秘密を明かしません。種の小売店にも明かしません。一代雑種の作り方はそれぞれの花の構造によって異なりますが、以下のようです。
ナス科の場合、花が開いてしまうと自分の花粉で受精してしまうので、つぼみの時につぼみを無理やり開いて雄しべを全部抜き取ります。元の花が持っているオスを取り除くのでこの操作を「除雄」といいます。雌しべのみにした花に必要な種類の雄しべの花粉を運んで掛け合わせます。これが一代雑種の作り方の基本です。
この「除雄」という概念がすべてに広がって行きます。いまだにトマト・ナスはこの方法で一代雑種を作っています。ウリ科は同じ一株に雄花と雌花があります。他殖性なので、自分の花粉より他の株の花粉をほしがります。でも同じ品種の花粉が付くと一代雑種は作ることができません。翌日咲きそうな雄花をちぎるか、洗濯ばさみのようなもので物理的に開花しないようにしておきます。そして、必要な品種の雄花を集めておき、雌花の開花前に花をこじ開けて人間が受粉します。
アブラナ科の一代雑種製造は、最近まで日本のお家芸といわれていました。これを発見したのは、タキイ種苗にヘッドハンティングされた研究者の禹長春博士です。自家不和合性を利用する、アブラナ科野菜の一代雑種の作り方を確立しました。アブラナ科の野菜は、自分の花粉では実をつけることができません。他の株の花粉でないと、実が付かない性質をもっています。自分の花粉では実が付きませんが、同じ母親からとれた種、兄弟分であれば実がついたりします。この兄弟分の花粉がかかっても受精しないよう、純系の度合いを強めてホモ化し、自分の仲間では絶対に花粉が実らないようにします。
例えばそのような小松菜とカブを作ったとします。その小松菜とカブを交互に畑に蒔きます。そうすると、小松菜の花粉がかかったカブと、カブの花粉がかかった小松菜が実ります。必要なのがカブの花粉がかかった小松菜だとしたら、それが受粉して種が実ったことを確認したら、他方は全部潰してしまいます。こうして必要な、小松菜が母親でカブが父親の種だけを取ることができます。これが自家不和合性利用です。
この親を維持するために日本人の手先の器用さがいきてきます。自家不和合性は開花すると機能しますが、幼いつぼみのときは機能しないので自分の花粉で受粉します。つぼみ受粉で親をつなぎ、つないだ両親を交互に蒔いて掛け合わせるというわけです。親を維持するために小さな菜の花のつぼみを開いて受粉を繰り返すというのは気の遠くなる作業でした。今はつぼみ受粉を行わず、密閉したガラス温室に一酸化炭素を流し込んで、一酸化炭素中毒にする。そうすると成長した菜の花でも、苦し紛れに自分の花粉で受粉するのだそうです。
ニンジンやタマネギは雄性不稔(葯や雄しべが退化し、花粉が機能的に不完全になること)を利用します。これを最初に発見したのはアメリカの人で、タマネギを栽培していて発見しました。人間も1万人に一人ぐらいの割合で男性原因の不妊が出るそうですが、植物にもまれに葯や雄しべが退化した株が出てきます。その株は自分の花粉では実がつきませんから、それを利用するわけです。雄性不稔は、ミトコンドリア内の遺伝子の変異が原因で起こる母系遺伝ですから、雄性不稔株の子は雄性不稔になります。雄性不稔の株を増やしておいて、そのそばに必要な品種を栽培しておけば、なにもしなくても一代雑種の種が実ります。雄性不稔を利用するのが一番生産効率が良いということで、キャベツやハクサイの自家不和合性個体も、ダイコンの雄性不稔株を使って雄性不稔化され、現在、雄性不稔利用が一代雑種生産の主役になっています。
トウモロコシは、上にある雄花の花粉が下の雌花に落ちて受粉します。トウモロコシで最初に一代雑種を作ったときは、数万人の学生アルバイトを動員して、トウモロコシ畑のすべての雄花を刈り取る除雄方式だったそうです。トウモロコシは風媒花なので、そばに必要な花粉のトウモロコシを植えて生産していました。タマネギで雄性不稔が見つかったので、トウモロコシでもあるはずだと探して見つかったそうです。トウモロコシで見つかった雄性不稔株で実用化されたのはたった一種類でした。その雄性不稔株にいろいろな種類を掛け合わせて、様々なトウモロコシを作りました。ところが、その雄性不稔株が特定の病気に抵抗性を持っていなかったために、アメリカ全土のトウモロコシがその病気で一斉に駄目になってしまったことがありました。以来、いろいろな種類の雄性不稔系統を探し、現在のトウモロコシ王国になりました。
蚕から始まった一代雑種作りの原点は、「自家不和合性」や「除雄」での「雑種強勢効果の発現」が目的でした。「雄性不稔」が見つかってから、いかに雄性不稔株を見つけて増殖し、また近縁種に取り込むかということが土台になりました。その株に何をかけたら効率よく商品ができるかという一代雑種作りに変化したのです。今では「雑種強勢」はあるに越したことはないが無くてもいい。と、ないがしろになってきました。そして今は、雄性不稔株を見つけるより「遺伝子組み換え」技術で雄性不稔因子を組み込もうという流れになっています。この流れは「遺伝子組み換え反対」を叫び続けないかぎりどんどん進んでいくでしょう。
一代雑種ができにくい植物に、キク科があります。例えばタンポポの花は、ひとつの花ではなく無数の花が集まってひとつの「花」の形をしています。品種改良のためには、この一つ一つの花に他の花の花粉をかけて、一粒ずつの雑種を生み出します。キク科はイネと同じように自殖性ですから、良い組み合わせの雑種が一株でも生まれれば、それを殖やして新品種が誕生します。でもこの新品種は、イネと同様固定種になって、種を買った人が自家採種すれば簡単に増やせてしまいます。開発者の権利が守られません。そこで種苗の「品種登録制度」というものが生まれました。
キク科のゴボウは放射線を照射して遺伝子に傷を付けると短くなるということがわかって、短い新品種が生まれました。その新品種の保護期間が過ぎたため、もう一度放射線照射をしたころ、もっと短くなって、おまけにゴボウ特有のアクまでなくなりました。こうしてできた新品種を再度品種登録したのがサラダゴボウです。自家採種できますが、それをすると訴えられます。また、植物には傷付いた遺伝子を修復しようとする機能がありますから、長くなったりアクが出てくるかもしれません。
最近はキク科のレタスで一代雑種ができるようになりましたが、これはレタスの花が大好きなハエを発見し、雄性不稔株レタスのハウスにそのハエを離して、一つずつの花の交配を可能にしたんだそうです。ただ、ハエの数も限られているし、隔離した環境で行わなくてはいけないということで、種の収量が少なく非常に高価なものとなっています。
放射線照射を調べていたら、放射線照射こそ環境汚染であるといって非難しているホームページがありました。なんと遺伝子組み換え推進派のホームページでした。
現在、植物の遺伝子組み換えには、「アグロバクテリウム」という細菌を使う方法が一般的です。
「アグロバクテリウム」とは、「根頭癌腫病」という植物のガンといわれる病気を引き起こす植物病原性土壌細菌です。植物に感染して、自分の体内の遺伝子領域を宿主の細胞の核内に送り込み、自分が生きていくために必要な養分を作らせます。この菌を利用して遺伝子組み換えを行うわけです。ただ、今日でも、アグロバクテリウムの遺伝子がなぜ細胞に入り込むことができるのかは未解明です。その程度のものに任せて遺伝子組み換えを行っています。
現在は、農薬がらみの遺伝子組み換え作物が現実に使われていますが、組み換えをした作物は自分で遺伝子修復の機能が働いているそうで、長続きしないそうです。一番怖い遺伝子組み換え技術が「ターミネーター」と呼ばれるものです。「ターミネーター」種子は、農家の自家採種を抑えるために開発されています。これは世界中から反対を受けていますが、今でもひっそりと実験を続けていると非難されています。
今、種苗会社の世界で恐ろしいことが起きていて、GM(遺伝子組み換え)開発会社が世界各地の種苗会社を傘下に入れつつあります。今後、資本を乗っ取られた種苗会社でGM種が売られることが危惧されます。
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posted by nara1958 at : 2009年02月06日 | コメント (7件) | トラックバック (0) TweetList
2009年02月05日
【書籍紹介】農産物の銘柄づくり戦略
今回は、このブログで本の紹介をします、正国です。
気になる部分を抜粋引用しています。
特に「頭で食べる時代」というのは、時代の流れとしてポイントだと思います。
【書籍紹介】農産物の銘柄づくり戦略 坂本文雄著
○銘柄とは何だろう
銘柄の銘の字を分解すると、お金と名前になる。
お金と名前はついて回る。だから、有名になることはお金も入るということである。銘柄の柄は、あいつはガラが悪いとか良いとか、服装や態度などの印象をみる場合によく使われる言葉である。そうすると、銘柄とは、服装や態度や行動や製品などに関するガラの上に、名前やお金に責任を持つという意味が込められているということだろう。
○市場が望む条件を耕す
卸売市場から評価を受ける銘柄産地の条件とは。
①計画的、安定的かつ継続的で、適切な出荷量を有すること。
②絶対的に優秀な商品力を有すること。
③他産地が容易にまねの出来ない組織力、情報力、機動力を有すること
・・・他の産地を圧し、足元にも寄せ付けないほどの強い競争力を持っていなければならない、ということである。
○情報を見る目と発信できる力
とにかく、生産や流通、消費をめぐるあらゆる玉石混交の情報がとびかっているため、よほど目をこらして対処していかないと、山と積まれた資料を前になすすべもなく、いたずらに時間だけが過ぎていくことになる。情報化社会だけに、だれもが情報を入手しやすい環境にあるが、逆に、自分にとっては何が価値ある情報なのかを注意しながら、情報を取捨選択することをしないと、ロクな対応は生まれてこないことになる。
しかし一方で、園芸農産物は、販売を促進する上で「自分が作り出す発信情報」がより重要である。どんな情報を集め、整理し、あるいは作り出して、取引先や消費者に提供していくか。まず、生産ありきであり、そのことが販売、消費につながっていく以上、それがまず第一である。
○”楽農”にも迅速な対応を
「作れば売れる時代は終わったのだ、取引先や消費者が欲しいものを、ほしい時期に提供する時代だ」といわれて久しいが、なかなか実際の取り組みには結びつかない。本当にできないのなら、これこれの理由で困難だという反応さえもない。資金や技術、労力の問題でたしかに即応がむずかしい事情もあるが、従来からこれでやってきた、という意識が先に立ち、変化への対応がおろそかになっていないだろうか。
現状のやり方に固執し、指摘された点はむずかしいから、自分に都合のいい他の点を改善してみようと、指摘を歪曲する。そのように、現実から目をそらし、根底からの改革に勇気が足りないのでは、取引先と連携して互角に取り組んでいくことはできない。
実は、取引先など需要者と互角に取り組める体制をつくっていくことこそ、これからの銘柄作りの最も重要なポイントの一つなのである。
○人材革新~ベテラン営農指導員の言葉~
私は田舎生まれで農業の経験もあるが、「農業はだれでもできる」という者もいた。
農業をするには、気象、植物生理、自然科学、農業科学、土木工学、経済学等々の知識が必要であり、優秀な人材でなければできるものではない。そのためには、本を読む、話を聞く、研修などを通じて実際に体験してみる。そして自ら考えてみる機会をできるだけ多くつくって、自分で自分を、学ぶ、体験する、考えるという環境に追い込んでみることで、初めて体得できるものなのではないだろうか。
○頭で食べる時代の到来
過去半世紀にわたる食生活の変遷を大筋で見ると、「腹で食べた時代」「口で食べた時代」「目で食べた時代」「頭で食べた時代」となるそうだ
戦後の食糧難から増産に向かう時代は、人々は食料を「腹」で食べた。芋雑炊、豆雑炊のほか、床芋が主流で、いつも腹ペコだった。銀シャリとかいって、白米飯の夢をみながら腹いっぱい食べるのを無上の喜びとしていた時代であった。
その後、食料不足の時代が過ぎると、人々は口で食べる時代になる。おいしい果物、ホクホクのカンショやカボチャ。甘みのあるやわらかなキャベツ、ニンジンなどが求められるようになった時代であり、とにかくおいしいもの、おいしくないものを口で味わえるようになったじだいであった
続いて、目で食べる時代は、過剰時代で産地間、品目間の競合時代である。味がよいだけでなく、みてくれや格好がよいもので、果物などは高級イメージのものが人気を集めた。野菜類も外見のきれいなものが選択され、過剰包装とか漂白ものの発生がめだったことや、食べる雰囲気も花や光、器などで演出する気配りの時代であった。
現在は頭で食べる時代である。消費者は成熟し、「モノから心」の時代。これは安全か、健康によいか、栄養はどうか、値ごろはどうか、子供や成人病予防のためには、などを考え、自分の価値観に沿って選択的に消費する時代なのである。
しかし、これらの腹→口→目→頭へという時代背景や消費者の意識の変化が、チャンネルを切り替えるようにして次の時代へ移って行ったのではなく、腹と言う基礎の部分に口や目や頭という要素がプラスされて、現在は複合的に求められている時代にあるといっていいのではないだろうか。
○銘柄づくりの具体的方策
顧客ニーズの把握、と一口で言っても、なかなかむずかしいものである。・・・そんなときは、顧客の苦情、不満、不便といった文句、クレームのなかから「顧客ニーズ」が発見できるという。ニーズ、要望という肯定的なかたちで把握できなくても、クレーム、苦情という否定的なかたちで受け入れて分析し、それに対応するかたちで解決すれば、結果的に「顧客ニーズの把握」につながるという逆発想もあるそうだ。
・・・この転換期に、「いまやらずにいつやる」「おれがやらなくてだれがやる」という気概を持ち、ベストを尽くして銘柄を育てようではないか。胸を張って次の世代に語り継げるものを作っていこう。
最後に応援お願いします。
posted by totokaka at : 2009年02月05日 | コメント (7件) | トラックバック (0) TweetList
2009年02月04日
「卵かけご飯」ブーム!?その魅力とは?
最近は、密かに“卵かけご飯”がブームだとか
2/1の「J-CASTニュース」の記事にありました。
http://www.j-cast.com/2009/02/01034228.html
「たまごかけご飯」ブーム 各地に専門店が登場
岡山県美咲町では「たまごかけご飯」の専門店がオープン、1年間で7万食以上を売り上げた。観光客も増え、これで「町おこしを」と意気込んでいる。さらに、「たまごかけご飯」専門店は各地に出現、どこもにぎわっている。たまごかけご飯の魅力とは何か?
なんと、「たまごかけご飯」の専門店だそうです。しかも年間7万食
このブログでも、せきやさんが“卵かけご飯”の記事を書いてくれてましたね。
「定食つくりました」
ここでも、やはり大盛況だったみたいですが、それにしても、こんなに人気の卵かけご飯の魅力って何でしょう?気になりますね
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posted by komayu at : 2009年02月04日 | コメント (9件) | トラックバック (0) TweetList