| メイン |

2009年02月13日

日本が食糧自給を低下させた背景 ~アメリカの巧みな共認支配

●日本は余剰小麦の処分先
 1945(昭和20)年、第二次世界大戦が終結した。アメリカはそれまで兵士の食糧として消費されていた農産物が余るようになっていった。
アメリカは1951年に軍事援助的意味合いの強いMSA協定を各国と結んでいた。それを1953年に食糧援助を含むものに改正、これを餌に締結国の軍備強化を義務付け味方陣営をさらに増やそうとしていた。この改正の裏に1953~54年が世界的な小麦の大豊作の年だったというのがある。アメリカ政府が抱える小麦の在庫は、その倉庫代だけでも一日2億円かかるほど。同年、大統領に就任したアイゼンハワーは農村出身。農民の期待に応えなければならない。当然、この余剰小麦をどうするか?となる。
1954年、日本はアメリカの働きかけをうけてMSA協定に調印。「日本はこの協定締結で小麦60万トン、大麦11万6千トンほか、総額5千万ドルのアメリカ農産物を受け入れ、その食糧を国内で販売しその代金を積み立て(見返り資金)4千万ドルはアメリカ側の取り分として日本に対する軍事援助などに使われ、残り1千万ドルが日本側の取り分として経済復興などに使われた」。 (書籍引用)
そう、アメリカに余った小麦を売りつけられたのです。
%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%B0%8F%E9%BA%A6%E6%88%A6%E7%95%A5%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%A3%9F%E7%94%9F%E6%B4%BB.gif
応援お願いします。

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ


●栄養改善運動の名の下に行われた食糧支配
 当然、この小麦を食べるのは日本人。厚生省は「栄養改善運動」を行った。その柱となったのが“粉食奨励”、代表的なのがキッチンカーである。「栄養改善運動」のための資金の出所については当時からあまり公にしにくい雰囲気があった。キッチンカーの資金の出所は、洋食普及のために一生懸命働いた栄養士、保健婦には内緒にされた。彼らは厚生省の仕事として解釈していたのである。もちろん国民も知らされなかった。アメリカは、キッチンカー12台を運行させるのに、車の制作費、ガソリン代、食材費、人件費など総額1億数千万円を(財)日本食生活協会に提供しているが、その資金の出所について、当時の関係者は、『ことさら隠そうとしたわけではないのですけれども、何と言いますか、アメリカの資金について触れるのは、協会の中ではタブーのような空気がありましてね』と語っている。
%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%EF%BC%92.jpg
このようにしてアメリカは、自国の食糧を確保しつつ余ったものを外に売る=攻撃的な食糧政策を行ってきた。アメリカは、日本が敗戦という極限状態におかれている中、食糧支援という形を装って日本の食生活の欧米化を図った。“結い”や“もやい”といった相互扶助の精神で集団生活を営んできた日本人にとって、アメリカの支援は疑いようもなく、平和友好の証しとして快く受け入れられた。アメリカの画策と日本の精神が嵌りに嵌ったのである。アメリカにしてみれば、これほど思惑通りになるとは思わなかっただろう。
戦争だけでなく、自然災害などもネタにされた。戦後行われた栄養改善指導の「キッチンカー」「学校給食」、伊勢湾台風の復興支援に行われた「豚空輸作戦」、アメリカは戦後一貫して日本人の舌を馴らし、食生活を変えてまで輸出してきた。当初から“混乱期につけこんだ長期的な戦略”を企てていたのである。自主生産すべきものを「輸入でええやん」と促がすことで、集団の結集軸である根本的な共認課題を破壊し、共同体そのものを破壊する。次第に「豊かさ追求」が国家を挙げての共認になっていった。農業の近代化、規模拡大、効率化、機械化を全て補助金漬けで日本自ら展開していくようになる。日本は世界に先駆けて食糧支配の実験場にされてきたのである。
●補助金漬けで招いた赤字財政と農家の活力低下
 補助整備の名目でどんどん田園が大型機械の使える水田に生まれ変わった。農家は機械化が進むことで作業(除草・農薬・施肥・集荷)が楽に出来るようになったが、その分負担金として長期負債を背負わされるようになっていく。米は余るほど多く作られるようになり、買い上げしていた政府も困り、減反政策や転作政策などでコントロールするようになる。しかし、政府の転作政策は失敗。補助金漬けの政策で財政は赤字になり、1967年(昭和44年)自主流通米制度が発足した。
’60年代、それまで農業を営んでいた働き盛りの男達の中には、物質的な豊かさを求めて都市労働者(サラリーマン)に転向する者が増えてきた。労働力を賃金で切り売りする市場の住人になっていった。水稲に比べると他の作物は手間のかかるもの。作らなくても(減反)、作っても(転作)補助金が貰える状況に農家の多数は、減反しながら米農家を続け、別の仕事をしながら収穫などの繁忙期のみ田んぼに出る、といった兼業農家になっていったのである。農村では残されたおじいちゃん、おばあちゃん、おかあちゃんが農業を行う「三ちゃん農業」が増えていく。
共同体の消滅、働き手の流出による生産基盤の弱体化の中で心もとなくなった農家は、農業協同組合(現JA)に頼らざるを得ない。生産に関する全てのことを農協主導のマニュアルとお金で解決するようになっていった。このようにして人々の生活は、かつての「仲間の期待がかかる集団的営み」から「お金がかかる個人の営み」に変貌したのである。
●自己防衛よりも豊かさ幻想を追いかけた日本国民

余剰小麦の受入→食文化の改変→生産基盤の崩壊→金漬けの近代化→生存基盤の集団を破壊

戦後一貫して日本は自己防衛を忘れ、豊かさ実現のための市場拡大に身を置いた。「グローバリズム」のもと、市場のルールが優先され、生産調整一本やりになってしまった。共認支配により国の生産基盤=安心基盤である集団は崩壊させられ、バラバラな個人として消費者に仕立て上げられた。日本の成功事例から食の外部依存へと導くことによって売上げ市場の拡大⇒価格支配できる、という旨みを知ったアメリカは、世界的に豊かさ共認を広げていった。後進国が豊かさを求めたときに、農業から工業に転換させ、食糧を他国アメリカに依存するように仕向ける。一極支配を踏み台にして、 「買わないと食えない」という状況を作り出してきたのである。結果、食糧の幻想価値が拡大し、実質を遥かに超えた価格で取引されることが可能になった。
戦後の日本の農政は実は「緑の革命」のさきがけではないだろうか?最初の緑の革命は、1940年代にメキシコで行われたとされている。日本の終戦は1945年、時代がピタリと合う。東南アジアで行われる前に日本で農業の近代化の流れがあった。これを成功モデルに世界銀行が途上国へ向かった流れも見えてくる。

投稿者 pochi : 2009年02月13日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.new-agriculture.com/blog/2009/02/788.html/trackback

コメント

企業が参入して、安くておいしくて安全な食料が供給できるようになったら消費者としては嬉しいですね♪
企業なら大規模な農業経営もできるから自給率も上がりそう☆

投稿者 ぽにょ : 2009年8月19日 14:56

企業が参入するのは良いのかもしれないですが、儲け主義(市場原理)からの新たな市場拡大という方向にならないといいのですが・・・
みんなが求めているのは、安心・安全な食。
慎重に考えていきたいですね☆

投稿者 プニョ : 2009年8月19日 15:53

安くて美味しくて安全な食料・・・それは本当に有り難い☆ぜひ余ってる土地を有効利用してほしいです!!
ただちょっと気になるのは、
>そこに住んでいなくとも原則自由に農地を借りることができ、また、業者や外国資本が賃貸契約をすることができる。
なんとなく外国資本が入ってくることに一抹の不安を感じずにはいられません
今後の展開に注目したいと思います

投稿者 ふにょ : 2009年8月19日 15:59

企業が参入して安くておいしい国産が食べれるのはいいですけど、企業が農業を独占してるって当事者意識がどんどん薄れて消費者と生産者の壁が厚くなりそうですね・・・

投稿者 へにょ : 2009年8月19日 21:25

ぽにょさん、ぷにょさん、ふにょさん、へにょさん、コメントありがとうございます!
一見、消費者としては嬉しいようにみえますね~。しかし、よくよく考えると、それはあくまで消費者の意識で、当事者としてみてみると、実はいいことばかりではないんです!
是非、次の記事のシミュレーションを読んで見てください☆

投稿者 ミシ : 2009年8月20日 09:53

一見自国でなんとかしようという法改正に見えますが結局は支配構造を抜けられないんですね。
ただ、企業の農業参入がしやすくなったとして、どれだけの企業が成功できるのか気になります。

投稿者 ∫mosimoboxdx : 2009年8月20日 22:51

hermes usa evelyne 新しい「農」のかたち | 農地法改正→企業参入後の農業はどうなる??①

投稿者 hermes bags poland : 2014年1月29日 11:36

hermes bags dubai flag 新しい「農」のかたち | 農地法改正→企業参入後の農業はどうなる??①

投稿者 designer inspired handbags wholesale uk : 2014年2月18日 14:52

hermes bags blog cabin 新しい「農」のかたち | 農地法改正→企業参入後の農業はどうなる??①

投稿者 hermes bag price list : 2014年2月21日 05:07

コメントしてください