2009年2月6日

2009年02月06日

いのちの種を未来に・・・固定種・F1種・遺伝子組替種子の問題

■お久しぶりです!まるいちです。
最近はずっと「みんなが、社会が【農】に期待していることは何か?」を考えています。
食の大元、お米や野菜を作ること、はもちろん、教育や癒し、充足の場を提供する事・・・いっぱいあります。
今日は、「自家採種に挑戦!野菜の生命力を引き出す」の記事にもありますが、現代に野菜達の品種の記事です。
まず、将来に向けて日本で育ち、根付いた【固定種】を守ろう、と努力している「野口の種・野口種苗研究所」の紹介です。
 この中では、遺伝の法則、固定種とF1種の違い、F1種の作られ方、そして遺伝子組み換え種子の話まで触れられています。 少し長いですが、引用します。
 最後の続きには、重複する部分もありますが、野口さん著作の本【いのちの種を未来に】の要約を紹介しておきます。
●以下、「かわいそうな野菜たち」より引用

 もともと固定種というのは、何かと何かが自然交雑してできたものがほとんどです。交雑して変わった形態が出てきたものを何年もかけて作り続けながら固定していき、それが人手に渡り、また違う土地で栽培され、交雑と気候により変化していきます。交雑と、土地に適応しようとする野菜の力で、多種多様な作物が産まれてきたのです。
 キュウリは今、「ブルームレス」というカボチャ台木に接いだ真っ青なF1ばかりになっていますが、昔のキュウリというのは「半白」タイプのものでした。「華南型」といって黒いイボの、日本では一番古いタイプのキュウリです。全身青いタイプのキュウリは「華北型」といって、明治以後、日清・日露戦争を経て入ってきた品種です。そしてこれらのキュウリが交雑して固定種になっていくうちにF1の時代になり、味がなく堅いだけの「ブルームレス」キュウリの全盛時代になってしまいました。
 現在、なぜ一代雑種の時代になったかというと、戦争で食べ物がなくなったことが原因です。第二次世界大戦後、都市はまったくの焼け野原でした。大勢の兵が復員してきたりして、食料は絶対的に不足していました。アメリカの進駐軍が、この状況を改善するよう要求してきました。増産に必要な化学肥料は、大正時代から存在しています。電気で水を分解して空中の窒素を固定するという方法で化学肥料を製造してきました。ところが戦後、電力不足で窒素肥料ができなくなりました。窒素肥料は爆弾原料でもあります。戦後、爆弾の必要性がなくなり、アメリカの軍需産業の爆弾原料が余ってしまい、食糧不足を窒素肥料の利用で解消しようとしました。
 それと同時に復員兵が海外から持ち込んだシラミ防除のためにDDTが日本に上陸しました。また同じころに日本に農業協同組合ができました。タキイ種苗が「長岡交配福寿1号トマト」という初めての一代雑種のトマトを作って売り出しました。それまでも農業試験場等で一代雑種は作られていましたが、販売したのはタキイ種苗が初めてです。タキイ種苗は、これから続々と一代雑種の種を発表していきます。
 食糧難の時代に、化学肥料とDDTにはじまりパラチオン(ホリドール)等の農薬が外国から入ってきて、大量に使われました。食糧増産という掛け声の中で、ビニールハウス、農薬、化学肥料、一代雑種は成長していきました。
 1971年日本有機農業研究会が発足しますが、その前に野菜指定産地制度を含む野菜生産出荷安定法が公布されました。これがモノカルチャー(単一作物生産)の元凶です。高度経済成長とともに、農家は長男だけが残り、次男・三男は都会の他業種へ移行していきます。残った長男たちは食料増産のために畑を大規模な指定産地にして、地元の農協に舵取りをさせて、地域の作物を全部まとめて、単一作物生産農家を生み出しました。
 単一作物生産農家なら天候不順で経営が悪化した場合、補助金を出すという指定産地制度のおかげで日本中がモノカルチャーになり、周年栽培を売り物にしたF1が台頭してきました。それまで自分で種採りしていたのが、種を買う時代となりました。これがF1、一代雑種誕生の歴史です。
 メンデルの法則は、メンデルの死後認められました。それが世界で広まり日本にも伝わりました。当時の日本は、蚕が最大産業で、メンデルの優性の法則と雑種強勢を利用して、世界で初めて蚕を使って一代雑種の生き物を作りました。その後、植物でもナスなどを使って一代雑種を作ってきました。当時、アメリカでは一代雑種はトウモロコシで使われていました。戦争が始まるまで、一代雑種の研究は試験場で行い、種屋に技術を売っていました。
 戦後は、種屋が自ら一代雑種を作っていきます。つい最近まで、マメ科とキク科だけは一代雑種はできないと言っていましたが、シュンギクやレタスでできるようになりました。インゲンでも雄性不稔が見つかり、近々できそうだということです。
 一代雑種の種がどのように作られているか説明します。現在、私たちが普通に食べている野菜は、種を作る過程がブラックボックスのようなものです。種屋は製造過程の秘密を明かしません。種の小売店にも明かしません。一代雑種の作り方はそれぞれの花の構造によって異なりますが、以下のようです。
 ナス科の場合、花が開いてしまうと自分の花粉で受精してしまうので、つぼみの時につぼみを無理やり開いて雄しべを全部抜き取ります。元の花が持っているオスを取り除くのでこの操作を「除雄」といいます。雌しべのみにした花に必要な種類の雄しべの花粉を運んで掛け合わせます。これが一代雑種の作り方の基本です。
 この「除雄」という概念がすべてに広がって行きます。いまだにトマト・ナスはこの方法で一代雑種を作っています。ウリ科は同じ一株に雄花と雌花があります。他殖性なので、自分の花粉より他の株の花粉をほしがります。でも同じ品種の花粉が付くと一代雑種は作ることができません。翌日咲きそうな雄花をちぎるか、洗濯ばさみのようなもので物理的に開花しないようにしておきます。そして、必要な品種の雄花を集めておき、雌花の開花前に花をこじ開けて人間が受粉します。
 アブラナ科の一代雑種製造は、最近まで日本のお家芸といわれていました。これを発見したのは、タキイ種苗にヘッドハンティングされた研究者の禹長春博士です。自家不和合性を利用する、アブラナ科野菜の一代雑種の作り方を確立しました。アブラナ科の野菜は、自分の花粉では実をつけることができません。他の株の花粉でないと、実が付かない性質をもっています。自分の花粉では実が付きませんが、同じ母親からとれた種、兄弟分であれば実がついたりします。この兄弟分の花粉がかかっても受精しないよう、純系の度合いを強めてホモ化し、自分の仲間では絶対に花粉が実らないようにします。
 例えばそのような小松菜とカブを作ったとします。その小松菜とカブを交互に畑に蒔きます。そうすると、小松菜の花粉がかかったカブと、カブの花粉がかかった小松菜が実ります。必要なのがカブの花粉がかかった小松菜だとしたら、それが受粉して種が実ったことを確認したら、他方は全部潰してしまいます。こうして必要な、小松菜が母親でカブが父親の種だけを取ることができます。これが自家不和合性利用です。
 この親を維持するために日本人の手先の器用さがいきてきます。自家不和合性は開花すると機能しますが、幼いつぼみのときは機能しないので自分の花粉で受粉します。つぼみ受粉で親をつなぎ、つないだ両親を交互に蒔いて掛け合わせるというわけです。親を維持するために小さな菜の花のつぼみを開いて受粉を繰り返すというのは気の遠くなる作業でした。今はつぼみ受粉を行わず、密閉したガラス温室に一酸化炭素を流し込んで、一酸化炭素中毒にする。そうすると成長した菜の花でも、苦し紛れに自分の花粉で受粉するのだそうです。
 ニンジンやタマネギは雄性不稔(葯や雄しべが退化し、花粉が機能的に不完全になること)を利用します。これを最初に発見したのはアメリカの人で、タマネギを栽培していて発見しました。人間も1万人に一人ぐらいの割合で男性原因の不妊が出るそうですが、植物にもまれに葯や雄しべが退化した株が出てきます。その株は自分の花粉では実がつきませんから、それを利用するわけです。雄性不稔は、ミトコンドリア内の遺伝子の変異が原因で起こる母系遺伝ですから、雄性不稔株の子は雄性不稔になります。雄性不稔の株を増やしておいて、そのそばに必要な品種を栽培しておけば、なにもしなくても一代雑種の種が実ります。雄性不稔を利用するのが一番生産効率が良いということで、キャベツやハクサイの自家不和合性個体も、ダイコンの雄性不稔株を使って雄性不稔化され、現在、雄性不稔利用が一代雑種生産の主役になっています。
 トウモロコシは、上にある雄花の花粉が下の雌花に落ちて受粉します。トウモロコシで最初に一代雑種を作ったときは、数万人の学生アルバイトを動員して、トウモロコシ畑のすべての雄花を刈り取る除雄方式だったそうです。トウモロコシは風媒花なので、そばに必要な花粉のトウモロコシを植えて生産していました。タマネギで雄性不稔が見つかったので、トウモロコシでもあるはずだと探して見つかったそうです。トウモロコシで見つかった雄性不稔株で実用化されたのはたった一種類でした。その雄性不稔株にいろいろな種類を掛け合わせて、様々なトウモロコシを作りました。ところが、その雄性不稔株が特定の病気に抵抗性を持っていなかったために、アメリカ全土のトウモロコシがその病気で一斉に駄目になってしまったことがありました。以来、いろいろな種類の雄性不稔系統を探し、現在のトウモロコシ王国になりました。
 蚕から始まった一代雑種作りの原点は、「自家不和合性」や「除雄」での「雑種強勢効果の発現」が目的でした。「雄性不稔」が見つかってから、いかに雄性不稔株を見つけて増殖し、また近縁種に取り込むかということが土台になりました。その株に何をかけたら効率よく商品ができるかという一代雑種作りに変化したのです。今では「雑種強勢」はあるに越したことはないが無くてもいい。と、ないがしろになってきました。そして今は、雄性不稔株を見つけるより「遺伝子組み換え」技術で雄性不稔因子を組み込もうという流れになっています。この流れは「遺伝子組み換え反対」を叫び続けないかぎりどんどん進んでいくでしょう。
 一代雑種ができにくい植物に、キク科があります。例えばタンポポの花は、ひとつの花ではなく無数の花が集まってひとつの「花」の形をしています。品種改良のためには、この一つ一つの花に他の花の花粉をかけて、一粒ずつの雑種を生み出します。キク科はイネと同じように自殖性ですから、良い組み合わせの雑種が一株でも生まれれば、それを殖やして新品種が誕生します。でもこの新品種は、イネと同様固定種になって、種を買った人が自家採種すれば簡単に増やせてしまいます。開発者の権利が守られません。そこで種苗の「品種登録制度」というものが生まれました。
 キク科のゴボウは放射線を照射して遺伝子に傷を付けると短くなるということがわかって、短い新品種が生まれました。その新品種の保護期間が過ぎたため、もう一度放射線照射をしたころ、もっと短くなって、おまけにゴボウ特有のアクまでなくなりました。こうしてできた新品種を再度品種登録したのがサラダゴボウです。自家採種できますが、それをすると訴えられます。また、植物には傷付いた遺伝子を修復しようとする機能がありますから、長くなったりアクが出てくるかもしれません。
 最近はキク科のレタスで一代雑種ができるようになりましたが、これはレタスの花が大好きなハエを発見し、雄性不稔株レタスのハウスにそのハエを離して、一つずつの花の交配を可能にしたんだそうです。ただ、ハエの数も限られているし、隔離した環境で行わなくてはいけないということで、種の収量が少なく非常に高価なものとなっています。
 放射線照射を調べていたら、放射線照射こそ環境汚染であるといって非難しているホームページがありました。なんと遺伝子組み換え推進派のホームページでした。
 現在、植物の遺伝子組み換えには、「アグロバクテリウム」という細菌を使う方法が一般的です。
「アグロバクテリウム」とは、「根頭癌腫病」という植物のガンといわれる病気を引き起こす植物病原性土壌細菌です。植物に感染して、自分の体内の遺伝子領域を宿主の細胞の核内に送り込み、自分が生きていくために必要な養分を作らせます。この菌を利用して遺伝子組み換えを行うわけです。ただ、今日でも、アグロバクテリウムの遺伝子がなぜ細胞に入り込むことができるのかは未解明です。その程度のものに任せて遺伝子組み換えを行っています。
 現在は、農薬がらみの遺伝子組み換え作物が現実に使われていますが、組み換えをした作物は自分で遺伝子修復の機能が働いているそうで、長続きしないそうです。一番怖い遺伝子組み換え技術が「ターミネーター」と呼ばれるものです。「ターミネーター」種子は、農家の自家採種を抑えるために開発されています。これは世界中から反対を受けていますが、今でもひっそりと実験を続けていると非難されています。
 今、種苗会社の世界で恐ろしいことが起きていて、GM(遺伝子組み換え)開発会社が世界各地の種苗会社を傘下に入れつつあります。今後、資本を乗っ取られた種苗会社でGM種が売られることが危惧されます。

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投稿者 nara1958 : 2009年02月06日