最近のマスメディアでは、『農』や『自然』にまつわる情報が、日に日に増えてきているように感じます。普段はめったに見ることのないTVですが、先日、偶然目にしたものを紹介します。
山の声を聞け ~林業再生にかける80歳~ [1]
2月 9日(月)午前0:35~1:18 NHK総合テレビ
大阪・千早赤阪村に、全国から注目されている山の達人がいる。林業を経営する大橋慶三郎さん、80歳だ。若手林業家に林業再生の切り札を伝授する大橋さんの活動を追った。
大橋さんが考える林業再生の切り札とは、山の中に作る道だ。道さえあれば、簡単に山に登り、伐採した木を搬出することができる。コストはかからず利益が上がる。
しかし、道は崩れやすい。そこで徹底的に観察し、危険な場所を避けて道を作るのが大橋流。「山は人間と同じ。異常があれば、必ず表に出る。」と言い、50年前に作った道も崩れはない。
80歳と高齢ながら、今でも山に分け入り、後進の林業家を現場実施指導する姿に、慄然とする気迫が感じられました。昇るときは自力ながら、斜面を降りる時には弟子の介添えを必要とするほど足腰が衰えつつあるというのに、語る言葉は力強いのです・・・。
現地での実施指導の場面では、・・・情景を目にして、手に触れ、足裏に感じて、這い蹲って移動する時の抵抗を全身で受け止めることで、対象を捉えよ・・・と云っているように思えます。
状況を見切った結果を聞き、その根拠を糺すなかで、明らかにしていく「理(ことわり)」なので得心できるのです。次代を担って欲しいという期待が響き・伝わるのです。 「口伝」 とは、そういうことだったのか、と想いに至りました。
大橋慶三郎氏の言葉を列挙するだけでは、十分に伝わらないかも知れませんが、・・・
・謙虚に(自分の我儘を出さずに)、山の声を聞け
・根の浅い植物がある処は、地下水脈が浅い・地崩れの危険大
・尖った石がある処は、山崩れがあった処
・山に傷のあるところは、掻き回すな
・山紫陽花の自生するところは、土がもろい
・イノシシが土浴びをした跡が見て取れる処も、土がもろい etc.
これらは、山に道を拓くにあたって、体得した「理」なだけに、
ずっしりとした手応えのあるものです。

▲写真図解 作業道づくり [2] 大橋慶三郎、岡橋清元 共著 より
一見、同じような傾斜に見える山の斜面にも、平坦に近い「棚」があるそうです。そこを狙って道を拓くのがコツなわけですが、その見分け方が面白く、且つ、うなってしまいました。
それは、斜面の身を預けて、斜面に沿う目線で上方を見渡した時に、「空」が見えた処が「棚」だと云うのです。つまり、その原理は、「へ」の字の右側の線に沿って下から見れば、左側の短辺のように後退した「棚」があると、目線の先には「空」があるから、というわけです。
うなってしまったのは、その話に及んだ時に、
山を踏査しても手掛かりを得られずに、力尽きて、
斜面を背にするようにして小休止していて、
ふと上方を仰ぎ見た時に発見したのではなかろうか?
という想いが、ふわぁ~っと、湧いてきたからなんです。
なんか、潜在思念に導かれるようにして、得たものでは? と想えたんです。
「山の声」が聞こえた、って感じ・・・。
大橋慶三郎氏のドキュメントを見ているときに、ふと、法隆寺宮大工・西岡常一氏と通ずるものがあるなぁ~、と思いました。
「中国の老子という人は、教育は人間をだめにすると言うてますな。生まれたまんまのほうがよろしいということでしょうな。人間もみんな自然の中に置かれ、生かされてきているんです。建築でもそうや。自然から飛び出すというわけにはいきませんやろ。みんな自然の中での行いです。ですから自然というもんを理解せないかんですな。自然を無視して建築はできませんわ。」(法隆寺宮大工 西岡常一氏の語録より)
「一本の木を見たらこれはどういう山で育ったのか、南側に生えていたのか北側なのか、嶺に近いところか谷なのか、いろいろ考えます。…まずは木に感謝するというのがいちばんです」
「木は大自然が育てたいのちであり、1000年も1500年も山で生き続けてきた。1000年のヒノキには1000年のいのちがある。そのいのちを建物にも生かすのが、宮大工の務めだ」(宮大工 西岡常一の遺言 山崎佑次 著 より)
両者に共通するのは、
とことん自然対象に同化して、声ならぬ声に耳を傾けること
そうすることで、「理」が見えてくる、ということ
こうしてみると、
『達人とは、同化能力に秀でた人たち』と云えそうです。
by びん