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2009年07月21日

日本の農業と法体系との関係シリーズ ~農業政策の歴史(古代史~現代)~

日本の農業政策を歴史を遡って見てみましょう

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農制度

日本の農業政策を遡るとなんと飛鳥時代になります。
Q.この時代は、土地の所有は誰のもの???
A.天皇のもの(一応)
この時代は律令制といって天皇中心の中央集権国家を目指していたために、土地を人民に与え、そこから「祖」としてお米を納めることが決まりになっていました。
(これが後の明治時代の地租改正につながります)
しかし、当時の天皇の力からしても、すべての人民に与えるだけの十分な農地を確保することが出来ない、もしくは集落内ではない遠くの集落に口分田があるような状況で、非効率で、農地開拓をしていかなければならないような状態だったのです。
つまりこの時代、「天皇のもの」というおぼろげながらの法があったのですが、実態は彼ら特権階級が裕福に暮らせる程度でしか機能はしていませんでした。
結局そんなこんなで、口分田、班田収受法が機能しきれていませんでした。
そこで止む無く許可したのが、
3世代だけの所有を認めた
「三世一身法」(723年)
しかし、この時代、一人で農業をするのではなく、集団で農業をすることが基本であったため、3代で所有権が移るということはなかなかできず、また貴族、寺社等の政府以外の有力者に反感を買ってしまったためにわずか20年しかもちませんでした。
そこででてきたのが、教科書でおなじみ
「墾田永年私財法」(743年)
これによって開墾した新たな土地を私有化することが出来ました。
しかし、ここでも厳密には個人のものではなく、集団・集落のものという考え方が一般的だったようです。
(貴族、寺社等の特権階級はのぞく)
そして、この墾田永年私財法は800年後の太閤検地まで有効だったのです。
それで発展したのが、「荘園制度」です。
荘園の中には、政府・地主ともに税を納める必要があったものから、政府には支払わなくてもよい荘園も出てきて、政府以外の勢力(貴族・豪族・寺社等)が大きな力を持つことになった背景があるのです。
荘園によって差があることは時の政府としてはいい話ではありません。
荘園を政府が強制的に買い取る制度が出てきたことがありましたが、結局のところ権力者同士の私権闘争が主であったために、末端を貫く法制度としては緩いものでした。
そのころ、一般の農民は「惣村」と呼ばれる農民の自治組織をつくりだし、自分たち自ら、農業用水の確保であったり、堤防の造成等をしてきました。
そして大きな流れを変えたのが
「太閤検地」(1582)
これによって、すべての土地や家屋に「石」という単位を用い、集計・統合され、そこから税収として年貢を納める形に変化してきました。
つまり、全国的に分国制による領主の支配が始まったわけです。
(それまでは、その集落ごとにすべての物事が決められ、つくられていったのです)
また、ここでも惣村は解体されていきましたが、個人で年貢を納めるのではなく、集落全体で年貢を納める「村請制度」を採用しています。
それが江戸時代が終焉するまで続いていたのです。
ここで面白いことは、日本の農業は江戸時代まで集落で税を納めていたということです。
集落の統合度も高かったといえる事象なのではないでしょうか。
また、全国的に検地が行われたために、江戸時代では米不足のときに幕府が直接米を諸侯等から供出することが出来、飢饉を最小限にとどめることが出来たそうです。
そして、土地に関しても、個人主義が導入されたのが明治時代の「地租改正」です。
これによって、一人一人に農地の私有権を与えるという日本の農地史上初めての出来事が起こりました。
しかし、個人にいざ分け与えたものの、集約性や効率性を考えると集団でやっていたころに比べると格段と下がってしまいます。
そのため、うまくやる農家と失敗してしまう農家と出てきてしまい、農家間の貧富の差がひろがり、貧しい農家は、裕福な農家に土地を売ってしまい小作人に転じることが多数発生しまい、
「寄生地主と小作人」
に分かれてしまい、農業従事者の全体の70%が小作人という状況になったのです。
その後、第2次大戦後、GHQによりこの小作人が共産党支持者が多かったことから、小作人を解放ということで土地を与えることで保守層へと転換させる「農地解放」が行われました。
そして、1952年に「農地法」が制定され、農地を農業従事者しか持てなくなり、日本の農業保護政策の根幹の一つになりました。
こうやって歴史的に農地をみてみると近代、個人への所有ということになると「法」というものがどんどん作られ、改定されていき、より個人へ、そして衰退していっているように感じます。
また、現在の農地法は農家を「農地」に縛りつけ、彼らに農地を守る責任を押し付けているようで、農地をどうやって潤わすかということなしに法令化されています。
新規就農する人の壁になっているのもこの農地法の縛りがあります。
新しいことをやろうとしても既存の法制度というものが重く圧し掛かっています。こういった法制度も含めて農業を変えていくことが望まれているのです。
飛鳥時代から現在までの農地の制度として、

・飛鳥~奈良 →律令制の元、土地は国家のもの
・平安時代~室町時代 →土地を開墾した者、土地を治めている者のもの
・明治時代~戦前 →土地は個人の所有物
・戦後 →農地は農家だけが所有するべきもの

というように現在に近づくにつれて、農地をもつ個人が限定されていくという歴史が見えてくるように思います。
そして、その当時の国家の統合体制により、農地の所有であったり、税の納め方も変わってきているということも面白い点だと思います。
最後に当ブログの応援をよろしくお願いします

投稿者 sari : 2009年07月21日 List   

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