2006年12月29日

2006年12月29日

キューバの再生可能エネルギー

■今回はキューバのエネルギー偏です。

 1989年の社会主義圏の倒壊によって、キューバは国際市場から石油を購入することができなくなってしまう。世帯用には年間400万トンの石油が使われていたが、これを200万トンまで削減しなければならなかった。エネルギー使用を50%削減するという必要性が、エネルギー計画の大胆な改革や再生可能エネルギーの大がかりな推進へとつながったのだ。

Cubaene199610-02.jpg
ポッチ宜しくお願いします
 

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投稿者 tiwawa : 2006年12月29日  

2006年12月29日

食べ残しどうする?

雅無乱さんの投稿を読んで、ものすごく「食べ残し」が気になってきた関谷です
ということで、引き続き食べ残しについて。
今の現状について、
一日あたりの食料エネルギー 食料供給量 2637kcal
                    食料摂取量 2026kcal
その差額が約600kcal。
この600kcalというのは、1日3食たべたとして、1食分をまるまる捨てている計算になります。また、年間で考えてみると、3700万人が1年間生きるのに必要なカロリーだそうです。
チョ----無駄してる!!
ものすごい量であることは分かりますが、なんでこんなに食べ残しが出てくるのか??
その原因はたくさん上げることが出来ると思いますが、その1つに市場のしくみ
があるのではないでしょうか。
需要量<供給量の状態であることは、有り余るほどの食べ残しが出ていることが端的に表しています。それに追い討ちを掛けるように、日本の人口は、ピークを超えて減少路線に入った
そうですね。
このことから市場縮小→ますすます消費者有利の様相を呈していくことでしょう。
そうは言っても、現代では、何かしらお金を稼がなければやっていけないわけで、食品産業も、食べ物を売ってナンボ。利益を出さなければやっていけません。
そのため、消費者の消費ゴコロをくすぐるためにありとあらゆる手がつくされています。それに煽られて私たちは必要以上にモノを買って、結局捨ててしまっている。
言い換えれば、無駄を作り出すことが、食品産業の命題になっていて、その無駄のおかげで市場が持っているとも言えるのではないでしょうか?
そう考えると、ものすごくやりきれなくなってきますね。 😥
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じゃあ、どうすればいいんでしょう?
ここで、そのカギとなりうる斬新な視点を紹介します。
るいネットから「超国家・超市場論10 何をするにもお金がかかる社会」http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=30710
以下引用です。
市場(交換取引)は私権闘争を原動力としており、従って、お金が万人の評価指標として社会的に共認されたものであるにも拘わらず、それは専ら私的な充足の為にのみ使われ、社会統合の為には(国家以外)使われない。従って、市場は社会統合には、殆ど寄与しない。(そこで、もし人々が、私的な充足の為だけではなく、社会統合の為に、例えば『認識形成の場』にお金を使う様になれば、大変面白いことになる。近く、それを提起したい。)
引用終わり。
お金の使われ方を、「私的な充足のため」から「社会(統合)のため」に転換できれば。というところがポイントです。
もちろん、この2つは、全く分離しているわけではないと思います。
社会のためにお金を使い、評価されるようなシステムができたら。私もとてもおもしろいことになると思います。
「社会のためにお金を使う」
みなさんどう思いますか?

投稿者 keitaro : 2006年12月29日