2006年12月6日
2006年12月06日
世界最大の有機農業立国、キュ―バのバックグラウンド
『キューバの有機農業に可能性を見た。』の続編です。
●18、19世紀:砂糖生産の中心地
・サトウキビはスペイン人たちによってが植えられ、
・その生産は、100万人に及ぶアフリカ人の奴隷たちによってなされていた。
・19世紀には世界最大の砂糖生産国となり、その最大の市場は米国だった。
・1827年にハイチからフランス人たちが移民した。
→は2,000以上のコーヒー・プランテーションもできた。
このコーヒー農園の生産も奴隷に頼っていた。
・19世紀後半、米国はキューバのスペインからの独立戦争を支援。
●20世紀
・前半:タバコや柑橘類も重要になり、米国と貿易がなされた。
・米国の大統領や政治家たちは、何度もキューバを買収・侵入を試みた。
・1920年代:多くの米国企業がキューバのビジネスや銀行に多額の投資。
→農地の約3分の2も所有。
・1933年:クーデターによって、フルヘンシオ・バチスタが権力を握る。
→その後の選挙によって、バチスタ政権は倒壊。
・1952年にバチスタは再びクーデターを引き起こす。
・1953年~1959年1月:
キューバ革命でフィデル・カストロは権力を掌握。
→米国所有の鉱山、銀行、電力会社を含む大企業を国有化する。
・米国は間髪をおかず、キューバの貿易封鎖を課すことでこれに報復する。
・革命家たちはソ連に支援を求める。
→結果として、30年もソ連からの膨大な補助金頼みの体制に陥る。
換金作物が農業経済の中心に置かれるという悪い面もでる。
・1960年~1989年:
主な輸出品は、砂糖、コーヒー、タバコと柑橘類などの換金作物。
キューバで消費される食料の55%がソ連から補助された輸入食料。
家畜飼料さえ97%は、輸入されたトウモロコシやダイズ。
この間に、識字力向上・医療システム開発・農業や園芸研究などに注力。
1980年代前半以来、オルターナティブな農業にも対処。
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投稿者 staff : 2006年12月06日 Tweet