2006年12月23日

2006年12月23日

西洋と東洋の自然観と農業の違い(メソポタミア:ギルガメシュ叙事詩から考える)

雅無乱http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeyaです。今日は、農業の起源と環境破壊について考えてみます。
NHKスペシャルの四大文明:第二集「メソポタミア」を、先日やっと観ることができた。
この番組では、栽培の始まりから「文明の黎明期」≒都市国家の成立のあたりまでを紹介していた(撮影当時の1990年代は、湾岸戦争のアメリカの攻撃によって一部は破壊されていたが、イラクのいろいろな遺跡の様子が出てきていて、そういう意味でも興味深かった。今はもっと徹底的に破壊されてしまっているだろう)。
T641473A.jpg
※「ウルのジッグラト」画像はここ↓から
http://jp.encarta.msn.com/media_461550220_761572159_-1_1/content.html
栽培の起源 は9000年前の、トルコ・アナトリア高原。ユーフラテス川の源流の「肥沃な三日月地帯」と呼ばれている土地である。定住して狩猟・採集生活を営んでいた部族が、野生の麦を栽培し始めたのが最初と考えられている。
当時はまだ土器は無かった。麦を粉にする際に用いたと思われる石臼や、ヤギの角に薄くした石をはめ込んでつくった「鎌」などが発見されている。麦は、粉にして水を混ぜて、熱した石の上に薄く延ばして焼いて食べていたらしい。
その後、チグリス・ユーフラテス川の下流域に栽培は拡がり、最盛期の生産性は76.1倍(=一粒から76.1粒収穫できる)だったそうだ。現代でもヨーロッパで15倍から16倍、アメリカで23倍だから、いかに当時の生産性の高さが驚異的であったかがわかる。
ところが、BC2350年からBC2100年にかけて、単位面積あたりの麦の収量が最盛期の4割にまで急激に落ち込む 。この急激な収穫量が激減は、乾燥地における灌漑農業のやりすぎによる塩害と、上流のレバノン杉の過剰伐採による水不足が原因と考えられている。
そして、BC2000年くらいに、このあたりの文明は滅亡する。
番組では世界最古の記録された物語「ギルガメシュの叙事詩」が紹介された。
http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku39.htmlも参考にしながら紹介する。
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投稿者 nanbanandeya : 2006年12月23日