農協シリーズ第2弾 「日本の農業の現状」 |
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2009年07月08日
農協シリーズ第3弾 誰が日本の農業を衰退させたのか?
バトン受け取りました
前回の「日本の農業の現状」でも述べられているように、800%近い関税をかけて、日本はコメを保護しているのだそうです。≒日本のコメは海外のコメの8倍近い値段がするということ!
消費が減ってもコメは基幹作物であり続けると考えられ、保護されてきました。
しかし、1961年にあった農業基本法の基本哲学は、まったく別物です。
「米価を下げて米の生産を抑制させながら需要を拡大し、麦価を上げ、麦の生産を増加させて需要を抑制させる。米価を下げても、農業の規模拡大などの構造改革を行ない、コストを減少させれば、米作所得は向上できる。」
なぜこの方向性からかけ離れた消費が減少する米価引き上げ・米の減反、消費の伸びる他産物(主に麦)を安く輸入という施策が取られていったのか?
(これこそが食糧自給率の低下原因の大部分を占めているのに・・・ )
誰がそれを支持したのか?
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◆食糧管理法の下で行われた、高米価政策と減反が日本の農業を衰退させた!
(食糧管理法については、こちらに詳しく書かれています→リンク)
多くの補助金で保護されていると言われてしまう米農家の現状をみてみると・・・
生活を農業所得に依存している主業農家の各農産物における生産シェアは、
野菜82% 牛乳95% 米38%
と、米の生産はほとんど兼業農家によって非効率に行われている現状です
現在、日本の米の単収は、粗放的な農業を行っているカリフォルニアより3割も低いという。
同じく高価格支持政策を取りながらも減反をしなかったEUでは、穀物単収が増加し、フランス小麦は、アメリカの3倍もある。
なぜ主業農家が減少し、非効率な兼業農家が増えているのか?
その原因が減反です。
農協の政治的基盤となっている圧倒多数の零細兼業農家に、農協は減反を強制しようとはしませんでした。(詳しくは、下の農地法で明らかに☆)しかし、食管法で政府買い上げと言う形を取り、政府負担が増えていく一方だった為、減反は決行されました。経営面積に応じて、一律の減反面積を配分するという形で。少数派の主業農家に規模縮小を迫るかたちとなったのです
ところで農協は、常に高米価を維持したい(≒高いマージンを確保したい)という意図からか、政府買い入れがあるうちは、農協は減反へ反対していました。しかし、95年の食管法廃止に伴い、備蓄米に政府の買い入れが限定されてしまっては、高米価は減反によってのみ維持されることになります。そのため農協は、減反を支持・推進する立場にたったのです。その利益第一の象徴的な事例がこちら↓
食管法が廃止されると自らが困ると判断した農協は、全国一律一割減反を提示し、10アール当たり4万円以上の保証金を要求した。そしてこれは、「農協→与党」と政府の間で一大政治折衝になった。田中角栄自民党幹事長の下で行われた調整で、当初考えられた150万トン規模の米の減反を100万トンに減少させ(補償金は3万5千円で決着)、残る50万トン分の米生産に相当する面積の農地を、宗宅幼稚などへ転用させて消滅させる という案で決着した。農地資源を減少させ、農業を犠牲にすることで、農家、農協の利益を守ったのだ。
◆農地改革が日本の農業を衰退させた!~住宅・工業用地など地域振興と引き換えに農業は衰退~
日本の農家が所有している農地の大部分が、戦後の農地改革によって、地主からただ同然で小作人に分け与えられた物である。(農地改革について詳しくはこちらをご覧下さい→リンク)
農地改革による多数の小作人の創出。これは当初から零細農業の固定化を意図していたのです。
アメリカは共産主義に対抗するため農地改革を行い、日本の農村を保守勢力の金城湯池にするのだと考えていた。その狙いは見事なまでに実現した。小作人の立場にたつ農村の社会主義運動は、農地改革の推進に協力し、終戦直後かつてない昂揚を見せたが、皮肉にも農地改革が進展し地主勢力が解体する中で、急速に収束していった。
農地改革に続き零細農業構造改善という農業改革を考えていた農林省は、小作地の保有制限などの農地改革の枠組みを恒久的な制度として残すことに反対だった。しかし、アメリカと与党は農村の保守化を継続しようとした。
リンク
農政は説得され、農地は分け与えられました。農家に、分け与えられた土地を当時農地価格が農業の収益をはるかに上回って上昇していきます。その時点では、農地の転用規制が確立していなかったため、安い農地を住宅などへの転用することで、大きな利益を得られるという期待が高まったためです。だから農地を手放す者はいませんでした。
(その後農政が農地制度について見直し、経営規模拡大のための議論を活発に行った時期もあったが、与野党の消極性・農協の非協力的態度から実現されることはありませんでした。)
現在では農振法で農用地区域の転用は禁止されています。そしてこの見直しは5年に1度が原則となっているのですが、農家から転用計画が出されると毎年のように見直されている現状があるそうです。
これは、地町村長に農用地区域の指定を任せているため。地域振興を担う市町村長が土地生産性の低い農地よりも宅地や工業用地が優先します。また、選挙民が転用したいといってくると、ノーとはいえないのです。兼業農家によって、補助金確保のために農用地区域に指定してもらい、転用する為に農用地区域を解除してもらう・・・こうして虫食いのような農地ができている。それが現在の農業の実態なのです。
少し前の記事ですが、中日新聞に寄せられた声より引用。
◆転用判断 悩む農業委員
農業委員として、農家の問題や農地行政の一端を背負っているが、今回の記事で豊田市の農業委員の苦悩がよくわかる。
大手自動車や電気産業などが立地する県内有数の工業地帯である私の地元にも昨年、大きな面積の農振農用地の除外申請があった。
それは、物流施設を建てるための除外で、転用申請では、市の企業誘致課も入った事案。市は低額な農地の固定資産税より、安定した多額な法人税が入ることを優先し、企業立地を進めようとしているようだった。
われわれ農業委員会は、そこを許可してしまえば、次から次へと申請が出ることを恐れ、何日も熱心に協議した。その結果、たまたま申請書類に不備があることを理由に、いったんは取り下げさせることになった。
しかし、再度、書類を整えて申請されたとき、どう判断したらよいのか、悩んでいる。市のトップダウンで転用を進められれば、農業委員が存在する意味はなくなってしまう。
農業委員会は、農地を守り、新しい農業の後継者を育てる役割を持つ。だが、農業者の高齢化、後継者不足などの現実を目の当たりにする中で、他人の土地の転用申請を判断するのは、大変つらい。
転用のための農振除外申請について、判断基準を協議しているが、逆に規制を緩めることも考えなくてはいけないと思っている。
新しい農業をつくっていきたい。
みんなが求め、必要と判断していることを実現していきたい。
それは、現状の市場原理主義のしくみ・考え方では、実現しません。
農業構造改善には向かわず、経済原理から外れて一貫した高米価政策をとった農政。
「高米価」「兼業」「農地転用による資産の売却差益」によって、旨みを得た米兼業農家と農協。
これらがあいまって、日本の農業は倒れても、農家は生き残ると言われるまでになったのです。
続きは、今回の農協シリーズでもっとも押さえたい!「農協の大罪」について、展開していきます。
(参考・引用文献:山下一仁著「農協の大罪」)
投稿者 megu3 : 2009年07月08日 TweetList
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コメント
投稿者 megu : 2010年2月27日 02:44
アメリカ農業を真似しただけの、戦後農政の決定的誤り
『るいネット』に「日本の官僚は優秀でなく運が良かっただけ」「高度経済成長期は、目標が明らかな時代なので優秀でなくても務まった」という投稿があるが、 その高…
投稿者 日本を守るのに右も左もない : 2010年2月27日 21:42
新しい「農」のかたち | 日本農業史
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投稿者 hermes black wallet : 2014年2月18日 03:32
>日本の農業はどのような変遷を辿ってきたのか?
それぞれの何でがきになります!まずは農業の始まりから・・・楽しみにしています☆