2021年07月01日

農のあるまちづくり20~都市のすき間が「新しい里山」となるⅤ

現代都市に生まれつつある、新しい形の里山について考えていく。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

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2021年06月25日

洪水と水害をとらえなおす

農業には、水は欠かせない。水が無ければ、成立しない生産活動である。

しかし、昨今の自然外圧は、これまで経験したことの無い状況を作り出している。川の氾濫や内水氾濫という予測を超えて水の災害が非常に多くなってきた。

特に、地方における台風や断続的な豪雨は、農地を直撃し、人々の生活を根こそぎ奪いとってしまう。

しかし、過去にも洪水災害はあったのも事実。その都度、先人たちは、その時代にあって、最新の技術を使いながら、水と格闘しきた。そしてなんとか農業を営んできたのである。

そこで、今回は、治水とは何か?について、また、先人達と現在の我々が、水に対してどのような意識の違いがあるか?について農文協の主張文から考察したい。

では・・・・リンク

 

転載開始

◆自然観の転換と川との共生

一昨年7月の西日本豪雨水害、昨年10月の台風19号広域水害、そして今年7月、球磨川の氾濫など熊本県を中心に大きな水害が発生した。被災した皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、コロナ禍のなか、困難を伴う復旧が順調に進むことを切に祈っている。

今後も予想される大水害への不安が広がるなかで、農家や地域の人々にぜひ手にとっていただきたい本がある。

『洪水と水害をとらえなおす 自然観の転換と川との共生』(農文協プロダクション発行・農文協発売)

新潟水害をはじめに、2000年代の六つの大水害の発生のしくみを丹念に描き、現代の治水の到達点と問題点を整理し、今後の治水のあり方を指し示した本だ。

著者は日本の河川工学研究の第一人者として著名な大熊孝さん(新潟大学名誉教授)。大熊さんは、川と人の関係を地域住民の立場から研究を続け、住民運動の側に立って社会的な発言もしてきた。本書にこんな記述がある。

「近年の水害で最も問題であるのは、床上浸水で寝たきり老人が逃げられずにそのまま溺死することである。これを強く意識させたのが2004年7月の新潟水害であった。その後、2016年8月の岩手県小本川水害、2018年7月の西日本水害、そして2019年10月の台風19号水害などで多くの老人が寝たきりのまま溺死している。

想像してほしい。ひたひたと水が押し寄せてくるなかで、逃げる手立てのないまま水位の上昇とともに溺れるのである。どんなに苦しいか、どんなに悔しいか、どんなに悲しいか、長く生きた人生をこんなかたちで息絶えねばならないのである。こんな地獄を誰が出現させてしまったのか? それが問われなければならない」

そんな怒りや、河川工学者としての自分の不甲斐なさを感じながら、大熊さんは本書の執筆に向かった。こうして専門知識がなくても興味深く読め、そして、川と人間の共生を願う熱い思いが伝わってくる本が誕生した。

 

◆「洪水」と「水害」のちがいから治水の基本を考える

大熊さんは、洪水と水害を明確に区別する。「洪水」は川から水が溢れる自然現象であり、水が溢れてもそこに人の営みがなければ「水害」とはいわない。そして、農家なら納得できると思うが、洪水にはいいこともある。

 

「たしかに豪雨や大雪は直接的な災害をもたらすが、これらがあるからこそ豊富な水が得られ稲作ができるし、洪水氾濫があるから肥料となる新たな土壌が置いていかれ、豊作が約束されてきた。私の若い頃の水害調査での稲作農家の聞き込みでは、10年に一度ぐらいの氾濫は、収穫が得られなくとも、肥料を置いていってくれ、翌年からの収量が高くなるので、許容できるとのことであった。また、川の生態系は時々洪水が起こり、石礫が流れ、瀬や淵が形成されることを前提として営まれており、洪水による時々の攪乱なしには魚類の生息も持続しえない。その魚類などを食料としてきた人間にとっては、洪水も間接的に恵みの存在であったのである」

こうした洪水と水害のちがいを踏まえて、大熊さんは治水の基本を次のように考える。

「どんなに技術が進んでも人が死を免れないように、災害を完全になくすことはできない。現代でも、川に堤防を築き、ダムをいくら造っても、何十年かに一度は異常な豪雨があり、洪水を完全に川の中に押し込めることは不可能なのである。そうであるならば、床下浸水ぐらいなら受け入れるなかで、人身被害がないような対策を立てればいいのである」

そんな大熊さんは、国の治水計画の柱になってきたダムについて問い続けてきた。大きなダム建設は川の恵み・生態系と流域住民の暮らしを破壊し、一方では巨額な税金が使われるが、それで水害を克服できたのか? 2004年の新潟の五十嵐川・刈谷田川水害や2015年の鬼怒川水害などの調査・研究をもとにこう述べる。

「基本的にダムは、川の全流域のなかでかなり上流域に造られ、川の全流域に対してダムが支配できる流域面積は小さく、豪雨のときに本当に役立ったのかどうか判然としないというのが実態である」

今月号では、「台風19号『八ッ場ダムが首都圏を氾濫から救った』は本当か?」と題する大熊さんの論文を掲載した。ここでは、八ッ場ダム上流の山は保水力が高く、洪水量を左右する流域全体に占める八ッ場ダム上流域の割合は小さく、ダムの水位低減効果は高々40cm程度で、堤防には充分な余裕があり、「『首都圏を氾濫から救った』というのは少し大げさ過ぎるように思う」と述べている。

 

◆球磨川の氾濫と水害 ダムは役立ったかをめぐって

今回の球磨川の氾濫に対し、「ダムがあれば水害を防げたのではないか」という声が一部から出されている。そこにはこんな事情がある。球磨川水系では1966年から治水など多目的の国営川辺川ダム計画が進められたが、反対する流域市町村の意向をくんだ蒲島郁夫知事は2008年9月に計画反対を表明。09年から国と県、流域市町村でダムに代わる治水策を協議してきたが、ダムにこだわる国の意向もあってか、抜本策がとられずにきたのである。そこで「ダムがあれば」という話が出てくるのだが、大熊さんは先日開催されたシンポジウムで、「人生の終わりを非業の死で迎えねばならなかったことは どんなに悔しいことであったか」と今回の水害に遭われた方々へ哀悼の意を表したうえで、ダムについての見解を発表している(「流域治水の最前線シンポジウム 温暖化時代の水害政策を求めて」7月22日、参議院議員会館)。データを示しての報告だが、結論は以下のようである。

今回の球磨川水系の特徴の一つは、両岸から小さな支川が直角に肋骨状に流れ込んでいることで、このようなところに大きな雨域で豪雨があると、全川で一気に水位が上昇して同時に最高水位に達し、それが長く継続する。特に今回は、狭窄部(川幅が狭まったところ)で少し早めに最高水位に達しており、これが人吉からの洪水流下をかなり妨げたのではないかと考えられる。このように、流域全体で、一気に同時に最高水位に達する場合、ダムがあってもその効果はほとんどないのではないか、ということである。

一方、大熊さんはこうも述べている。

「今回の洪水では、人吉の青井阿蘇神社(国宝)の楼門や拝殿が1.5mほども水没している。1200年の歴史を持つ同神社の記録に、そのような浸水記録はないとのことである。今回の洪水水位は過去最大といって過言でない」

その意味では「天災」ともいえるが、世界的な豪雨の頻発から見ると地球温暖化による「人災」というべきであろうと大熊さん。それでは、このような大洪水にはどのように対処すればいいのか。シンポの報告で大熊さんはこう述べる。

「氾濫危険地域に人が住まないことが究極の水害対策といえるが、今後の人口減少を想定しても、その実現は無理であろう。結局は、氾濫地域に人は住み続け、大洪水には避難し、被害を最小限に抑える以外に方法はないと考える。

人吉の河道流下能力を河床掘削により現況より高める必要はあると考える。しかし、下流に狭窄部があり、谷合には多くの集落があるので、それには限界があり、河道から洪水が溢れることを前提とせざるを得ない。その場合、両岸に水害防備林を造成し、氾濫流の水勢を弱め、土砂を濾過する方法が次善の策であると考える。そのうえで、建物を耐水性に造るしかないと考える。

京都の桂川右岸にある桂離宮は、洪水が溢れることを前提として、水勢を弱め土砂を濾過する『笹垣』と呼ばれる水害防備林を造成し、書院は高床式にしてある。それによって、400年を経ても建物と庭園の美は維持されてきている」

少なくとも200〜300年のスパンで持続可能な治水策を考えるべきだと大熊さん。200〜300年のスパンで考えると、ダムは必ずや土砂で満杯となるだろう。こうして治水の手段としてダムは選択肢から外すしかないということになる。

 

◆スーパー堤防をどう考えるか

大熊さんは本書で以上のような主旨を、実証をまじえて存分に展開している。その基本は、ダムより、「越流しても破堤しにくい堤防」にある。堤防を越えて水が溢れても壊れない、あるいは壊れても被害の少なくなるように堤防をつくること。

「破堤するにしても、人家のないところで、ゆっくり時間がかかって破堤すれば、氾濫流の勢いも弱く、氾濫量も少なく、人が死ぬことも家が破壊されることもなかったと考える。たとえ床上浸水でも、せいぜい10〜20cmであれば、枕を高くするか、上半身を起こせば呼吸をすることができ、死ぬことはない。天井に達するような浸水は絶対に避けるべきなのである」

国交省の考え方では、計画高水位を1cmでも超えて洪水が流れれば、堤防は破堤するという前提ですべての議論が行なわれていて、それがダム建設の根拠の一つにもなっているが、水が溢れても壊れない堤防のつくり方はあるし、壊れても被害を最小限にする手立てはある、というのが大熊さんの見方。といっても、スーパー堤防をよしとはしない。確かに強固で壊れにくいだろうが、スーパー堤防の施工には、大量の土砂が必要なうえに、堤防沿いが人家の密集地である場合、ダム建設の場合の集落移転と同じような立ち退き問題が発生し、その建設には膨大な時間と資金を必要とする。スーパー堤防は、今後の治水計画の柱にはなりえない、という。

東日本大震災の津波の後、三陸海岸では巨大な防潮堤が造られているが、これにも異を唱える。

「このような堤防は、非常時だけの対応を目的としたもので、日常的な人と自然の関係を完全に断ち切るものである。人が自然と対峙して生きていけるかのような傲慢さが漂っている。まさに『国家の自然観』による自然との決別である」

「巨大な津波や洪水が来ると予想された場合には、それを克服するのではなく、避難し、受け流すという考え方こそ、この地球において人が生き続けていける術でないかと考えるのであるが、どうであろう」

 

◆「国家の自然観」と「民衆の自然観」

「国家の自然観」という言葉が出てきたが、大型ダムに象徴される大がかりな治水に対し、大熊さんが未来にむけて大事に思うのは、歴史のなかで培われてきた「民衆の自然観」に基づく治水である。それは「災難に遭いながら、壊滅的な災難を逃れる」という発想だ。

「伝統的治水工法では、被害が相対的に少ないところに越流堤を造り、そこから洪水を氾濫させ、ほかの勝手なところでの破堤を防ぐという方法がよくとられていた。そうした究極の治水ともいうべき方法が400年前から存在していた」として、本書では信玄堤や加藤清正の「轡塘」(くつわとも)、先にもふれた桂離宮の水害防御策のしくみを紹介している。

「これらは、著名な治水家がかかわっていた場合もあるが、基本的には地域の自然をよく知った地域住民が主体となって『民衆の自然観』の上につくりあげていた治水と考えていい」と大熊さん。

「近代化以前にとられていた治水策は、地域ごとの防備を主眼として、越流堤と遊水地を配し、地域全体としての被害を軽減させる方法がとられていた。これは、政治的に上から決められることもあったが、原則的にはそれぞれの地域で十分話し合って、遊水地や越流させる場所などが決められていたと考えていい。これを近代的な民主主義感覚で眺めれば、平等でないといえるかもしれない。しかしおそらく、自然の地形や開発されてきた歴史の時間蓄積が考慮されて決められていたはずである。地形は場所ごとで異なり、そこに住んでいる人たちにとって平等ではなく、そこに住んできた歴史的時間の蓄積も違うはずであり、基本的に開発の古いほうが尊重される。治水は、本来、近代的ないわゆる民主主義が通用するものではないと言っていい」

近代的な民主主義とは異質だが、そこには充分な話し合いと共同体(むら)があった、という。

「地域住民だけで話し合いがもたれ、越流場所や氾濫区域を決めてきたということである。おそらく、越流場所をどこにするかは、利害が絡むので激しい議論になったはずである。しかし、地形や水田の状況から、地域住民同士の話し合いで場所が決定されたのであろう。この『お上に頼らず自らの地域を守る』ということは、かつての日本では各地で見られたことであり、地域住民の文化度が相当に高かったことを示しているといえる(略)。いわば『民衆の自然観』を根底として、共同体的段階の技術が十分に発揮されているのである」

 

◆新しい「都市の自然観」が農村とつながるとき

最後に、「民衆の自然観」を基礎とした現代の地域の治水や防災について考えてみたい。

「国家の自然観」のもと、治水は行政まかせという状況が進んできたが今、地域を守るために、「多面的機能支払」などの国の施策を活かし、地域行政とも連携をとりながら共同体的・自治的な治水・利水・防災を進める動きがさまざまに生まれていて、『現代農業』の姉妹雑誌『季刊地域』ではこれを精力的に取り上げてきた。改めてアピールさせていただくと、災害・防災は『季刊地域』の主要テーマであり、毎号「防災コーナー」を設けて、地域としての災害への備え方を記事にしている。

『季刊地域』の過去の記事を見たいという要望が強く、農文協ではこの春から「ルーラル電子図書館」に『季刊地域』を収録することにした(とりあえず10号から、現状40号まで)。「電子図書館」で、「災害・水害・洪水」をキーワードに検索(見出し検索)すると52件、「ダム・堤防」では17件、「ため池」で30件、「水辺」で16件、「遊水地」でも2件の記事がヒットする。水害対策や、水害軽減と利水・景観づくりを同時に実現する工夫などが豊富にあり、さらに「土砂災害跡地に広葉樹を植栽 適地適木で災害に強い森林づくり」など水害とも関係する山や森林活用の記事も多い。巻頭特集でも「水路・ため池・川 防災と恵み」(No.38)では、「土のうと粗朶(雑木の枝などを束にしたもの)の使い方」までとりあげ、「小さいエネルギーで地域強靭化」(No.36)には「停電2日半、断水2週間 西日本豪雨災害を地エネで乗り切った」話などもある。

気候変動のなかで、地域の自然への洞察と地域資源を活かす治水・防災の文化と技術が求められている。

それは都市ともつながる。

大熊さんは本書の最終章「第8章 自然と共生する都市の復活について」で、都市はその地域の自然や開発の経緯によってローカルな個性をもち、都市における自然条件を明確に把握することが不可欠としたうえで、こう述べる。

「都市に住む多くの人たちが、地域の自然に根差した『都市の自然観』というものをつくりあげ共有する必要があるのではないであろうか。それが『国家の自然観』の見直しだけでなく、忘れられた『民衆の自然観』の再認識にもつながると考えられる」

都市のまわりにも農地があり自然があり、川を溯っていくと水を貯める水田があり森林があり、地域の生産と暮らしがある。自然から隔絶された都市ではない、新たな「都市の自然観」が生まれ農村とつながるとき、川と人間の共生も豊かにイメージされるだろう。(農文協論説委員会)

以上転載終了

 

◆まとめ

この主張文を読むと先人たちは、いかに自分たちの頭で考え行動していたかが分かる。今、我々一人一人がこれから取り組む課題は、「民衆の自然観」を取り戻す。すなわち、自然の摂理、生命原理を感じ、自らが地域に根差した自然観を取り戻していくことであろう。

国家にたよって何も考えないという現在の有り様。意識の向かう先を日々の生活の中から変えていく。そのためには、本能、共認をフル稼働させ、自らの頭で考え行動することが求められているのだ。では、次回もお楽しみに・・・

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2021年06月24日

農のあるまちづくり19~都市のすき間が「新しい里山」となるⅣ

300年前に書かれた農業の教科書『農業全書』。

豊かな言葉で語られる「里山」の価値は、現代にも通ずる。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

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2021年06月18日

市場原理から生活原理へ~ 世界が多元的に再編成される時代がやってくる~

今回紹介する主張文は、今から30年以上も前のものである。当時、社会主義が崩壊するというまさに世界の体制が大きく変わろうという時代に突入する中で、人類的な視点から「新しい社会のかたち」予測している。

そして、30年たった現在、その「あたらしい社会」=経済原理を超えた農を中心とした生活第一の価値観による「根源的生活原理」に基づく世界は実現しているであろうか?

当時この主張の主宰である「農文協」の提言から現在を検証してみたい。

では・・・・リンク

転載開始

 

◆いま人類が立っている歴史的位置を見きわめる

いよいよ1990年代を迎える。

80年代には、”来るべき二一世紀“のことばかりが論議され、その手前にある、肝心の90年代のことがよくつかめないままだった。二一世紀がいかにバラ色に描かれても、その手前が暗黒ならば、バラは単に、机上に描かれた絵にすぎない。

果たして90年代はどういう時代になるのか。90年代の世界の動き方によって、我々が二一世紀をどのように迎えるのかが決まる。

世界の動き方は、じつは1970年代から大きく変わっていた。そこに注目しよう。70年代の大きなできごとは石油危機とニクソン・ショックである。

石油危機は、いま客観的に考えれば、人類に資源問題の重要性を警告したできごとであり、人間と自然が調和する方向で生産力を発展させていかなければならないことを教えてくれた。

一方、ニクソン・ショックは覇権的な中心国による世界支配の時代が終わったことをあからさまに、全世界に告げたできごとであった。

今ふりかえってみれば、70年代に世界は、その進む方向を大きく変えたのだった。それを一言でいえば、覇権的中心国にリードされる時代から、多元的中心国によって人間と自然とが調和する道を模索する時代に入ったということになる。一つの国が多くの国をリードして(支配して)ブロックをつくる。そこに資本主義対社会主義という構図が生まれる。戦後の世界史は七〇年代まで、米・ソ両国を覇権的中心国とし、他の国々をその周辺国とする二大陣営の軍事的対立を軸とした歴史であった。石油危機とニクソン・ショックがそれをくずした。そして、その後の世界史は、米・ソに代わる覇権的中心が現われるのでなく、中心そのものが次第に多元的になってくるように動いている。80年代はその徴候が現われ、徐々に、また急激に多元的中心が形成されてきた時代であった。

1985年から開始された、ソ連:ゴルバチョフのペレストロイカ政策や、それに先行する中国:鄧小平の経済改革政策は、いずれも世界に新しい時代を形成するに足る根本的な政策転換である。

前者は資本主義か社会主義かの政治闘争=階級闘争の思考方法を捨て、全人類的価値を優先させる思考であり、後者は一国の国民経済の中に資本主義制度と社会主義制度の二本立てを許す政治思考である。

これまでの政治思考とは根本的に異なる思考なのだ。社会主義の二大国の国家指導者が相前後して、世界に新しい思考の宣言をしたところに新しい時代への始まりが表徴される。

二〇世紀は、資本主義対社会主義の闘争の歴史であった。世界はいまその歴史に終止符を打とうとしている。資本主義は資本主義のまま、世界市場の盲目的法則の支配を克服する方向で、社会主義は社会主義のまま、国家権力による強制的計画経済の支配を克服する方向で、ともに人類の当面している新しい課題に立ち向かおうとしているのである。新しい課題とは、人口、食糧、資源、環境問題の克服にほかならず、そこにこそ、人類が自然と人間の調和を目指さなければならない根源がある。それに世界は気付きはじめた。来るべき90年代は、この世界的な大きな潮流を、覇権的中心ではなく多元的中心の形成によって一層確実に不可逆的に進める時代である。残り少ない二〇世紀のうちに、世界を多元的中心群の連携という構図によって再編成すること、それによってはじめて二一世紀はバラ色として到来するだろう。

 

◆経済の原理を超えるカギは世界の農業のあり方にある

資本主義の原理は、自由な世界市場という場に、活発な競争原理を働かせ、世界各国の最も安い商品を世界各国人民が自由に購入できるようにし、その結果、同一所得で最も多くの消費(“豊かさ”)を公平に享受できるようにするということである。

社会主義の原理は国家による合理的な計画経済によって、失業のない、社会保障の充実した、貧富の差が激しくならない形での生産と分配を行なうことによって、国民の生活の安定をはかるということである。

しかし、どちらも、経済効率を基本に据えた考え方である点では変わりがない。つまり、両者は同じ次元での二つの異なった対応に過ぎない。しかも、社会主義経済においても市場の原理はとり入れられてきたし、資本主義経済においても金融・財政等をとおして計画経済の原理はとり入れられてきた。どちらも現実には原理を貫徹する条件をもたなかったのだ。

なぜそうなったのか?

資本主義の政策も、社会主義の政策も、すべてを商品と化する市場の論理の解明を土台にした経済学の上に立てられた政策である。

ところが生産力の発展一般ではなく、いまや、自然と人間の調和する方向での生産力の発展が課題である今日では、政策は経済学の枠組を超えて、自然と人間を包摂した、より根源的な次元での論理を土台に構築されなければならなくなった。

同じことを別のいい方でいえば、経済学そのものが人間の労働・生活を根源的に把握した論理とならなければ成り立たないのである。そこから、経済現象をつかみなおさない限り、今日の人口・食糧・資源・環境の問題を解決することはできない。これまで資本主義、社会主義の両制度ともに、自然と人間の直接の結び目である農業問題については、ついに問題解決の方法をつかむことができなかったのも、その政策が経済効率という枠組を超えられなかったからである。

農文協は、市場原理でとらえることのできない領域として、医(健康)食(食べ物)農(農業)想(教育)の四分野を設定し、出版活動をとおして、新しい知の枠組の形成にとりくんできた。

医の分野が市場原理になじまないことは誰もが認める。しかし、食と農の分野となると、必ずしも、そういう国民的合意が成立しているわけではない。安くて、安全で、栄養があり、うまければよい、という市場原理でのとらえ方が一般的である。しかし、こういうとらえ方をつづける限り、今日の世界の食糧問題は解決しないし、解決の糸口からも遠ざかるばかりである。

農文協は市場原理の根底にある根源的な生活原理の次元まで掘りさげて食べものを把握しようとして、『日本の食生活全集』全五〇巻を企画した。

この全集は、大正から昭和初期の庶民の食生活を古老からの聞き書によって再現するという企てであるが、われわれはこの全集の編集過程をとおして、食とは、地域の自然(山・川・海・田畑)、地域の歴史、そして地域の住民の習俗・習慣・信仰のすべてを内にこめているものであり、地域での四季折々の労働と生活を表現しているものであることを確認した。このような根源的生活原理の把握の上に立って、食糧の生産と消費(分配)の原理を組立てることによって、食糧・農業問題の現代の課題を解決する糸口がつかめると考えているのである。

食べ物の生産は基本的に土地に依存する。人間が作物をつくるのではなくて、自然が作物をつくる。人間は自然が生産する手助けをしているのである。

人間の主要食糧の生産が、土を離れて化学的に行なわれるとするならば、たしかに市場原理によって食糧を考えることは妥当であろう。しかし、現代においては、自然が人間を媒介して食糧を実現しているのであって、その逆ではない。それなのに市場の原理は自然を包摂していない。その故に食と農の分野は、医の分野同様に、市場原理になじまないのである。

 

◆食糧問題の世界的解決は新軍縮の動きと大いに関係する

~中略~

1990年代は、一方で本格的な軍縮の時代となるであろう。そして「世界の平和」のために使われてきた軍事費が世界の飢えの救済援助にむけられるならば、それは人類史の新しい時代に最もふさわしい政策となろう。

大事なことは、この食糧の無償援助は被援助国の国内農業の発展のためにこそあるということだ。大地主制が残っている国では農地改革をすすめるための資金として、またプランテーション型(強制的な輸出型)農業が主流となっている諸国では、その国の食糧自給率を高める政策をすすめる資金として、援助が活用される。そのような援助が必要なのである。援助する国の食糧確保のための援助は、本末転倒である。

食べ物も、農業も、それぞれの地域の自然と伝統によって異なる。それぞれの国が、それぞれの国の独自の農耕文化と食生活文化を全面的に展開させることが、それぞれの民族が自立し、多元的中心の一つとなり、世界が調和的に発展する基本なのである。

超大国の軍縮がすすむことと、食糧・農業問題が世界各国で独自の方法で解決の方向へすすむこと、この二つは大いに関係しており、二つが併行し、関連し合ってすすむとき、世界の多元的再編成が可能になる。

 

◆市町村の自治能力の広がりが新しい時代を支える

世界の農業の大勢は家族型農業である。コルホーズ型の農業(ソ連)が家族型農業に変貌しつつあり、プランテーション型農業(インド、東南アジア、南アメリカの地域でも、農業の発展進路はいま、家族型農業の方向をむいている。

そうしたなかで、日本の農業は、農地改革を経て、主として自作地による家族型農業によって営まれてきた。成熟した資本主義経済の中で強固な地歩を築いた家族型農業を外圧・内圧に屈せず、いかに発展、完成させるか。人類の新しい時代にふさわしい、家族による小農経営の在り方の創造こそが、国際化時代の日本の農業が課せられた人類史的課題だ。食と農を自由な市場での競争原理から切り離し、自然との調和をはかる先駆的な実践である。

日本は、古くは中国に、新しくは欧米諸国に学んで、日本独自の政治や経済や文化を形成してきた。日本の農家は独自に小農経営発展の道を創造する力を充分もっている。その蓄積されてきた力の源泉は、小農経営がそのまま他から独立に、バラバラに自己を発展させてきたのではないというところにある。自然村=「むら」共同体の共同に支えられて発展してきたのである。小農経営は、一面自立・一面共同によって維持され発展する。

さらにもう一つ、注意しなくてはならないのは、今日到達した生産力の発展段階では、小農経営を支える基盤は、もはや自然村=「むら」の範囲を超えるということだ。市町村自治体の規模にまで、かつての「むら」の機能を拡大していくことが求められる。そして、このことは同時に、農が農として独立しているのでなく、地域の工や商と連携していくことでもある。農工商の連携の調整役を果すのがかつての士、いまの地方公務員である。この新しい「士」農工商の連携が成り立てば、食・農の分野にとどまらず医の分野にも想(教育)の分野にも、経済原理を超える動きが、確実に興ってくるだろう。市町村自治体の働きが期待される。

農協も大きな役割を果すことができる。日本では、完備された農業の協同組織としての農協が全国隅々まで、行政組織と同じ程度に強く組織されている。信用・販売・購買・利用・営農・共済に到るまで、機能はきわめて包括的だ。このような有利な条件が地域にあるのは世界で日本だけである。

日本の農家は、自らの自治能力によって「むら」を形成し、山と川と田畑を中心に自然を自らの力で人間と調和させ、「ふるさと」=「むら」を創り出してきた。そして多面的な機能をもつ農協組織が農家自身の手によって組織されており、有能な行政マン集団は役場に結集されている。それらのすでにある「制度」を農家が「ふるさと創生」に生かすことが、人類史の新しい時代=世界が多元的中心の国家群に再編成される時代を根本から支えることになる。多元的中心国家群による調和的な世界の形成の土台は、多元的中心市町村群によって支えられるのだ。

1990年代を人類史の新しい時代への転換点にしたい。世界の状勢は明らかに新しい時代に入りつつある。まだ、紆余曲折があるにせよ、かつてのような東西冷戦の時代にもどることはない。核兵器は廃絶の方向に、軍事費は削減の方向に、中心国と周辺国の国際関係は多元的中心国の調和的国際関係の方向にすすんでいく。そして小農的家族経営が見直される時代がやってくる。世界がそのような時代を切り開くか否かは、日本の農家の力に大きくかかっている。 (農文協論説委員会)

以上転載終了

 

◆まとめ

30年前の提言から、現在の農の状況を検証すると、農業従事者の数は、年々減少し、加えて、高年齢化が急速に進んでいる。

一方その中にあって、農業に魅力を感じる若者が登場、半農半Xといった農業半分、他の仕事が半分といった自給自足を基本とした新しい働き方を模索し始めている。

また、産直販売、農園での体験学習、マルシェ(市場)といった農業の六次産業化もあたり前として、世の中に定着しつつある。

そして、21世紀に突入し、スマート農法といったAI技術、ドローンの活用、人工衛星からの作物の管理等といった技術も発展してきており、極力自然にダメージを与えず、きめの細かい管理を行うことができるようになった。これまでのように人の手をかけずに収穫が可能になるのだ。

現在、「新しい農のかたち」は、発展途上と思うが、この30年の中で、農業の進化は、目を見張るものがあり、今回の主張のように農業を中心とした「多元的中心市町村群」という世界。将来、日本の生産の骨格を形成していく可能性は十分あり、農業の魅力にきづき、農業人口が増えていけば、革新的な産業変革に繋がっていくのではないでしょうか?では、次回もお楽しみに

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2021年06月17日

農のあるまちづくり18~都市のすき間が「新しい里山」となるⅢ

農業が自然と人間の協働作業というならば、

里山もまた、自然と人間の協働作業によってつくり上げられてきた結晶といえる。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

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2021年06月10日

ウィズコロナの時代に、木を植え、木を活かすことの意味

前回は、農業と林業の兼業について紹介しましたが、今回は木を植えることによる可能性についての特集記事がありましので、紹介します。

そもそも、日本人にとって、樹木は生活を支える上で、極めて貴重な資源でした。更に、農業や漁業の栄養分になっていく一方で、水害や土砂崩れといった地域の自然や人命を守り存続させていくという役割を担う極めて重要な資源でもあったのです。

ところが、戦後の高度成長期、日本国内のエネルギー政策の転換、木材に変わる石油製品の台頭、建築の非木造化等の推進によって、樹木の活用は、衰退の一途。

その中にあって、現在木材の価値をもう一度見直そうという動きも登場してきています。

今回は、今、忘れられた樹木(植林)の可能性に焦点を当て、更には、農業とのつながりや補完性についても紹介していきます。

こうして、紹介記事を読むと樹木の無限の可能性を感じます。また、農業との関連性を突き詰めていくと、地域の人々の豊かな生き方に直結していく潜在力をも秘めています。

では・・・・リンク  

転載開始

◆人の手に負えない自然を前に

今年3月20日、長崎県諫早市の多良岳中腹で小さな植樹祭があった。山に木を植えることを通じて海の再生を考えようという「第1回森里海を結ぶ植樹祭」。開催場所から見下ろせる、国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防は、開門か開門反対かで地域が二分された状態が20年余りにわたって続いている。開門の是非を争う裁判がどちらに決着してもしこりが残ると考えた人たちが、分断や対立を乗り越え、未来世代の幸せを最優先に農家と漁家、林家がつながろうという目的でこの植樹祭を企画した。

残念ながらコロナ禍のため縮小開催となったが、参加者40人はクヌギの苗木550本を植えた。今後、下草刈りなどの機会に「育樹祭」を企画し、改めて多くの人に参加を呼びかけるという。

本誌の姉妹誌『季刊地域』2020年春号(41号)は「山に農地にむらに木を植える」という特集を組んだ。この特集の冒頭に登場する福島県田村市の青木一典さんは、集落内のあちこちにカエデやモミジを植えているという人だ。青木さんの集落では、11年の原発事故で農業ができなくなった農地が草ぼうぼうになっている。なんとかしたいのはやまやまだが、ここで農作物を栽培しても風評で売れない。だったら代わりに「30年後も50年後も、ここがきれいな集落であるように」と願っての植林だ。

原発がまき散らした放射能は、人が地中から掘り出し濃縮したウラン燃料がもたらした、いわば人の手に負えなくなった自然。かたや諫早湾干拓では「森で涵養された栄養豊かな水は本来なら海の生物を育む源」だが、「森(川)と海の間に閉鎖的な調整池が設置され、森から生み出される良質の水は滞留することにより発がん性物質を含むまでに汚染され」ている。そしてその排水は「かろうじて漁業を続ける潮受け堤防外の漁場に深刻な影響を与え続けて」いるのだ(植樹祭参加者、京都大学名誉教授・田中克さん)。

新型コロナウイルスも放射能も、微生物が富栄養化した水さえも、私たちは制御しきれない。ウィズコロナの時代といわれる今、この地球上で私たち人間よりはるかに先輩である「木」の力を借りることは意味のあることのように思える。

~中略~

◆耕作放棄地対策として木を植える

耕作放棄地は農村が抱える大きな課題の一つだ。荒廃した農地を放置しておきたくはないのだが人手がない。大分県臼杵市の中ノ川集落でもそうだった。

同集落の廣瀬建義さん(75歳)が行動を起こしたのは、公務員を定年退職して区長となった15年前のことだ。廣瀬さんは農業委員にもなり、機械が入らず耕作できない山際の田んぼやヤブ化したミカン畑を「農地パトロール」で「非農地」と判定し、木を植えることができるようにしていった。農地とは米や野菜や果樹などを栽培する土地で、一般の樹木は植えられないことが農地法に定められている。樹木を植えるには「農地転用」の手続きが必要なのだが、農業委員会による非農地判定はそれに代わるものだ。

農地でなくなった土地には所有者それぞれがスギやヒノキを植えた。水分が多い水田跡はスギ、ミカン畑の跡はヒノキが多かった。10年前にクヌギを植え、あと数年でホダ木にできると楽しみにしているシイタケ農家もいる。

木を植えることで土地の管理はずいぶんラクになる。植えて5年ほどは年3回の下刈りが必要だが、木が生長して林床が日陰になれば年1回ですむ。木の管理に農業機械のような高い投資は不要、チェンソーと刈り払い機があればいい。

「木を植えて山に戻すのも山村の景観を守る手立て。ヤブだらけの農地や山を放置したまま、次の世代にツケを回すことだけは避けたい」と廣瀬さん。

スギ・ヒノキをおカネに換えるには長い時間がかかるが、もう少し短期間で収入を得られる木もある。岩手県二戸市の浄法寺地区は漆の生産が盛んで国内生産量の70%以上を占める。とはいえ国産の漆は国内需要のわずか3%。文化庁が、国宝・重要文化財の塗装補修に使う漆を2018年度から国産漆にすると決めたことを受け、二戸市では16年から遊休農地へのウルシの植栽事業に取り組んでいる。肥培管理が必要なウルシは、木といっても果樹と同じ扱いで農地にも植えられるのだ。

植栽したウルシの木は、15年ほどたって直径10cm以上になったところで、漆掻き職人が1本2000円で所有者から購入する。これを所有者側から見れば、こんな計算が成り立つ。1haあたり1200本を植栽すると、途中で枯れる木が2割として残るのは960本。この販売収入は192万円。自家労力で植栽やその後の管理を効率的に行なえば、1ha分の費用(労賃を含む)は73万円。差し引き最大119万円の差額が残る。もちろん、収入が得られるのは植栽の15年後だが、ウルシの栽培は投下労働力(おもな作業は下刈り)が少ないことから、高齢化が進む農家の農地の運用法として、タバコや雑穀、果樹の代わりに選ばれている(「岩手県北部地方の農家がウルシ植栽を選択した要因」山形大学・林雅秀、日本森林学会誌2019年101巻6号)。

漆掻き職人にとっては、足場のよい土地にウルシの木がまとまっていることで作業効率が上がるメリットがある。手が足りず耕作できなくなった農地は、木を植えて山に戻す、山に預ければいいのだ。

◆スギ・ヒノキ一辺倒から多種共存の森へ

一方、近年は、戦後の拡大造林でスギ・ヒノキばかりを植えたことへの反省として広葉樹を植える動きもある。スギやヒノキの人工林の所有者にとっては、森林組合などに委託して木を伐採・出荷しても割に合わない状態が長く続いていることから、間伐をせずに放置された人工林が少なくない。鬱蒼とした人工林は林床に植物が生育できず、木自体の根も貧弱だ。スギ・ヒノキだから自然災害に弱いというわけではないのだが、放置人工林は豪雨にともなう表層崩壊の一因と考えられる。そこで、人工林皆伐後の広葉樹の植栽や針広混交林化を行政も後押ししている。

徳島県上勝町の田中貴代さん(71歳)が広葉樹の苗木づくりを始めたのは、集落林のブナが枯れているのを心配したことがきっかけだった。田中さん夫婦が暮らす八重地集落は上勝町の最奥部。近くの高丸山(標高1438m)の山頂付近は集落が所有するブナの森で、飲み水をはじめとした生活用水と田んぼの水源として大切に守られてきた。戦時中、政府から戦闘機のプロペラ用にブナ材の供出命令が出たときには、集落の世話役がブナ林の大切さを訴えて伐採を中止させたという逸話も残っている。

ブナの天然林は高い保水力を持つといわれるが、人工林でもそれに近づける道はある。『季刊地域』6回にわたって「針広混交林のつくり方」を連載していただいた東北大学名誉教授の清和研二さんの記事にこんな記述がある。スギ人工林の間伐の程度を変えて表層土壌に水が浸透する速度を調べたところ、スギ3本中2本を切る強度間伐区が最大で、ついで同1本を切る弱度間伐区、無間伐区は最低だったというのだ。

強度間伐区では、天然更新した広葉樹がスギの樹冠近くまで育ち、多様な植物が豊富に生育していた。植物の多様性が高いと土壌中の根の密度も高くなる。それに、針葉樹より落葉樹の葉っぱや細根を好んで食べるミミズが増える。ミミズは土にもぐり糞を排泄し、土を軟らかくして隙間を増やす。だから大雨が降っても水は地表面を流れず土中に浸透し、時間をかけて河川に流れ込むため、洪水を防ぐ効果が大きいと推測される。

また強度間伐区では、張り巡らされた細根が硝酸態チッソなどをよく吸収し、水の浄化能力が高いことも明らかになった。針葉樹だけでなく広葉樹など多様な植物が生育する山は、水源涵養機能に加え水の浄化機能も高いのである。

前述の徳島の田中さんは、集落内のスギの皆伐跡に県の事業で32種の広葉樹を植えることになり、その苗木づくりも買って出た。以来、これまでに育てた広葉樹の苗木は150種。すべて周囲の山から集めたタネで育てたものだ。それを、徳島県森林組合連合会を通じて近隣の植林用に販売してきた。今後は、自分が所有する約50haのスギ山を強間伐してこれらの広葉樹を植え、針広混交林にしていきたいという。

◆雑木の知られざる値打ち

ところで、清和さんの連載の最終回は多様な広葉樹の売り方がテーマである。清和さんは、林家も木材業者も広葉樹の価値をわかっていないと書いている。

「有用広葉樹」と呼ばれる樹種がある。ミズナラ・カンバ類は家具材、クリは枕木や土台、イタヤカエデは床材、といった具合だ。有用広葉樹のなかでも観賞価値のあるイチイやケヤキ、イヌエンジュに至っては「銘木」といわれる。だが「有用」な広葉樹はこれだけなのか?

「有用広葉樹」の由来は、材面が美しかったり、材質が安定して加工しやすいこともあるが、戦後の拡大造林時代に原生林を大量伐採したとき、木材業者が大径材を効率的に入手できたことが大きいのではないかと清和さんは疑っている。そしてこう続ける。

「日本の山間地の実情は異なる。有用広葉樹などという言葉はなかった。もっと多くの種類の広葉樹を『実用的に』使ってきた長い歴史がある。家の構造材だけでなく、農器具や生活用具に利用してきた。木々の性質を知り尽くした縄文の昔から伝わるような利用方法がある」

そうした利用法を現代的に復活させたのが、長野県伊那市の有賀恵一さん(70歳)だ。有賀さんは、「雑木」と呼ばれる広葉樹約60種を使って建具や家具をつくる。その原点は、山形県小国町で過ごした高校時代にある。高校の近くのブナ原生林がスギを植えるため大量伐採され、それが製紙用のチップにしか使われないと知り「もったいない」と思ったことだ。その後、父親の経営する建具店での修業時代、自分の店も含め、同業者がみんなプリント合板に飛びついたことへの反発もきっかけとなった。無垢の広葉樹をもっぱらチップにする一方、表面に木目をプリントした「偽物の木」を使うことに「疑問や不満がつのる毎日」だったという。

有賀さんは、チップ工場などから仕入れた多種類の広葉樹を板に挽いて天然乾燥し、ドアやタンスや流し台などをつくるようになった。中でもおもしろいのは、多種類の広葉樹を組み合わせた「いろいろドア」や「いろいろダンス」だ。多種の雑木から採った板はじつに様々な色で、それが美しい調和を生み出す。それに、こういう使い方をすると、細い木や曲がった木でも問題なく使えるのだ。ちなみに、国産漆の増産のため植栽が増えているウルシの材は黄金色。有賀さんがつくるカッティングボード(まな板)でも鮮やかなアクセントになっている。

有賀さんの他にも広葉樹の値打ちをうまく引き出している事例が多数出てくる。たとえばクヌギを活かした「昆虫林業」。薪炭林の需要がなくなって里山のクヌギやコナラは大径化し暗い森になっている。宮崎県美郷町にIターンした菅原亮さん(37歳)はそんなクヌギ林を借り、切り出したクヌギで原木シイタケをつくるうえ、大好きなクワガタやカブトムシの養殖を成功させた。クヌギの樹液はこれらの虫の成虫の大好物。材はクワガタの幼虫のエサやすみかになる。シイタケの廃ホダはカブトムシの幼虫のエサとすみかだ。

クヌギを茶道用の高級炭にして売る記事もある。クヌギの炭は切り口が菊の花のように美しく火持ちもよい。石川県珠洲市の大野長一郎さん(43歳)は耕作放棄地にクヌギを植林し、茶道用の炭を焼く炭焼き職人を自分の集落に増やす「炭焼きビレッジ」構想を実現しようとしている。

また、クスノキから国産樟脳をつくるのは宮崎県日向市の藤山健一さん(61歳)。樟脳は昔から防虫剤として使われてきたが殺菌効果もある。ナフタリンと違って衣類ににおいが残りにくく、ハッカのようにさわやかな香り。コロナ禍の影響か、この春はとくに売り上げが伸びている。

針葉樹以上に利用が進んでいない広葉樹は、それだけ伸び代が大きいということでもある。

◆スギは日本の秘められた宝物

広葉樹の話題ばかり取り上げたが、42号の特集にはスギの値打ちの引き出し方の記事もある。スギの学名「クリプトメリア ジャポニカ」とは「日本の秘められた宝物」という意味。京都大学名誉教授の川井秀一さんによれば、その名の通り、スギには他の材料にない優れた効能がある。スギの香り成分に含まれる、心身を落ち着かせリラックスさせる効果や、スギ材が空気中の有害物質を吸着する効果、ウイルスやバクテリア、カビ、ダニの生存を抑える調湿効果などだ。こうした効果を発揮させるには、材の木目が見える面ではなく、それと直角に切った木口が空気にふれるようにしたほうがいい。この手法は部屋の内装などに取り入れられている。

また、スギの香り成分を活かすには、スギ材を乾燥するとき天然もしくは低温で乾燥したほうがいいという。熊本県山鹿市の若手林家・野中優佳さん(28歳)は、実家の山50haを引き継いだ5年半前からこの低温乾燥(45℃)を取り入れた。父親の代は原木を木材市場に出荷する経営だった。だが低温乾燥を取り入れたことで、所有する山のスギやヒノキはすべて内装用の板や構造材に加工し、製品として販売するようになった。その分、売り上げも増えたが、個人のお客さんが野中さんのところのスギをぜひ使いたいと訪ねてくることがうれしいという。

野中さんは5人姉妹の4番目。物心ついた頃から、林業という父親の仕事を恥ずかしいと思い、「林業とはキツくて危険な仕事、魅力を見出せない仕事」と思って育ったそうだ。しかし成人して父親と二人で山に入り、父親から祖父や曽祖父、高祖父の山に対する思いをたくさん聞いたことで変化が起きた。この木を植え、手入れしてきた先祖のことを思い、何十年何百年もここで生長し続けた木々の生命力に感動したという。そして「この森は私が守ろう」と林家の5代目を継ぐことを決めた。

「ゆうきの森」と名づけた野中さんの山は、スギの大径木の下に様々な植物が育つ明るい森だ。この森に市民や子供たちを招いてのイベントなども多数開催している。

昔から神社には鎮守の森があり、スギなどの樹木が神の依り代、神木として祭られてきた。記念や祈念のための植樹もよく行なわれる。自然とともに生きてきた日本人には、木に託すという心持ちが昔からあるのだろう。だが、それは単なる神頼みというわけではない。木には水を浄化したり保水する力もある。人の健康を守る力もある。木を植え、手間を減らした方法で土地を管理し、そこからいくらかの収入を得る新たな工夫も始まっている。

木を植えることは未来を思い描くこと。この土地を次世代に引き継ぐために行なうこと。地域資源としての山の魅力は無限大だ。 (農文協論説委員会)

以上転載終了

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2021年06月10日

農のあるまちづくり17~都市のすき間が「新しい里山」となるⅡ

都市に住む人たちが自分たちでつくりだす、「新しい里山」の形。

都市農園は、「農業体験」から、「コミュニティづくり」へ。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

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2021年06月03日

農家の兼業に最適?! 「自伐型林業」で稼ぐ可能性

さて、これまで、あたらしい農業の可能性を様々模索してきましたが、今回は、農業と林業の兼業の可能性についてマイナビ農業からの紹介記事です。リンク

現在、林業も農業と同様に、年々就業人口が減少しています。その中にあって、林業の衰退は、個別の産業の衰退にとどまらず、自然災害をも引き起こすほどの大きな影響があります。

今回マイナビ農業の提案は、農業と林業の利点を引き出し、お互いに共存できていく背景と稼げる可能性について論じています。では・・・・

転載開始

農業だけで生計を立てることは簡単なことではありません。収入源を増やすため、6次化や観光農園など、農業のなかで新たな試みをする人もいれば、全く異なる仕事と兼業する人もいます。「林業は農家の兼業に向いている。両方の収入で生活できる」。そんな提案をしてくれたのはNPO法人自伐型林業推進協会の代表理事・中嶋健造(なかじま・けんぞう)さんです。なぜ林業なのか? その背景と稼げるヒミツを聞きました。

 

◆森林の管理が災害被害を左右する

日本は、国土の約7割が森林で、その森林率は先進国の中でフィンランドに次いで第2位(2015年、国連食糧農業機関調べ)。温帯地域で四季もあり、島国で雨が多いため、樹木がよく育つという、まさに林業にはうってつけな場所です。

しかし、林野庁によると、1980年頃に約15万人以上いた林業従事者は、2015年には5万人を割り、この約35年間で3分の1ほどにまで落ち込んでしまっています。林業の従事者が減ることは、産業としての問題だけにはとどまりません。人工林(人の手で作られた森林)を放置すると、木々が生い茂って地表に日光が届かなくなり、下層植生と言われる低木や草木などの植物の集団が貧弱になってしまいます。そのような人工林で大雨や台風が発生すると、山の表層を雨水が流れて土砂災害を引き起こす可能性があります。

さらにそれより危険なのは、生産量重視によって、大量に伐採されている間伐施業林や対象となる樹木を全て伐採する皆伐(かいばつ)施業林です。きちんと人の手が入った「整備された森」だと思われている山林が、放置した未整備の人工林よりも災害を多く引き起こしていると中嶋さんは警鐘を鳴らします。「利益追求を優先して木を切りすぎてしまったり、作業のしやすさを優先して1回しか使わない荒い作業道を敷設したりしたことによって、山腹の崩壊や土砂流出が増え、森林の劣化を引き起こす可能性が高いのです。これは、災害を誘発させる装置を全国の山林に配置しているようなもので、豪雨が増えている今、大きな地域問題だと言えるでしょう」

日本では森林の所有と経営の分離、つまり土地の持ち主が森林組合などに森林の管理を委託する形が一般的ですが、中嶋さんはこの仕組みに問題があると言います。「持ち主が委託者に任せて自分で管理していない森林は、委託者にとっては自分のものではないため、森林保全や環境保全といった長期的な目線よりも短期的な利益や効率化、簡略化を優先しがちになります。これが過剰な伐採や荒い作業道を敷設してしまう根本的な原因で、持続的な森林経営ができない森に劣化させたり、豪雨時に災害を誘発することになるのです」

 

◆材価を上げて収入を安定させるには?

木材は、明確な定義や基準はありませんが「A材」「B材」「C材」の3つに分けられます。「A材」は高齢樹で高品質であるため買い取り価格がもっとも高く、主に無垢(むく)材用で使われる木材のこと、「B材」は若齢等で質が劣るため、主に合板・集成材として使われる木材のこと、「C材」は主にエネルギー材として出荷される低質で最も安い木材のことです。現在一般化している「標準伐期50年」によって皆伐をしてしまうと、スギやヒノキにとっての50年はまだ若齢であることから「A材」は少なくなります。そのため「B材」と「C材」ばかりを生産することになり、林業従事者の収入が低くなってしまいます。販売単価が低いと生産量を増やす方向に進み、過剰な伐採や荒い施業につながるという悪循環が起きてしまうのです。

その解決策として中嶋さんが提唱しているのが「自伐型林業」。中嶋さんは、「若齢林での皆伐をやめ、質と量を高める林業に変えないと、経済的自立はできない。そのためには、間伐という少量生産によって持続的な森林経営が成り立つことが必要です。自伐型林業であれば、家族経営や小型機械で低コスト化ができます。山林所有者などが自ら経営、管理、施業をしながら、持続的に収入を得ていく、自立した林業の形なのです」と説明します。

 

◆「自伐型林業」は農業との兼業が相性良し!

自伐型林業の間伐は、林の成長量(面積当たりでどれだけ成長したか)を超えない、全体の2割程度までに抑えます。そうすると、間伐したにもかかわらず、木が増えていく状態が作れて、継続的に木材がとれる仕組みができます。これは「多間伐施業」とも言われ、日本有数の優良材を生産している奈良県の吉野林業地で古くから行われ、全国にも広まった方法です。中嶋さんは、「成長量を超える量の木を切らないことが、森林経営の持続性につながります。いかに山に負荷をかけずに、林業をなりわいとし続けていくか、その答えが自伐型林業なのです」と話します。

さらに、自伐型林業は農業との兼業も可能だといいます。天候によって作物のでき具合にムラがある農業だけでは収入が安定しにくく、さらに病害虫対策、作物の温度管理などにも手間と時間がかかります。一方で、林業はこまめな手入れは必要なく、間伐の適期は多くの農家が農閑期となる秋冬です。農作業の負担になるどころか農閑期に収入源を確保できるのです。「春夏は農業、秋冬は林業という新しい働き方ができます。材価は変動が激しく、農業も天候に左右されるため、兼業することで補い合うことができ、リスク分散になるのです」(中嶋さん)

すでに自伐型林業を始めている人は、都会から地方に移住してきた人が多く、まだ農業と林業を兼業している人は少ないそうです。「ぜひ農家のみなさんにも林業の魅力を知ってもらい、兼業も検討してもらいたい」と中嶋さんは訴えます。

 

◆これがあれば「自伐型林業」ができる!

必要な物資や資金

「自伐型林業」を行うために必要なものを、中嶋さんに聞いてみました。

【自伐型林業に必要なもの(一例)】

・作業用の道具(チェーンソー、ノコギリ、斧など)

・作業着(防護服、ヘルメットなど)

・重機(小型ショベルカー<ユンボ>、2トントラックなど)

これらをそろえるためには合わせて約500〜700万円の資金が必要だということですが、行政(国・県・市町村等)の補助金を使えば、経費、人件費や作業道を作るための資金の一部がまかなえます。そのほか、たとえば高知県では、重機のレンタルに対する補助金、作業着購入費の一部を支援する制度があります。このように、自伐型林業を始める人の多くは、補助金を使いながら開業しているそうです。

 

◆土地の選び方

自伐型林業を始めたいと思った時に、どのようにして土地を選べばいいのでしょうか。中嶋さんによると、自伐型林業をやりやすい地域の見極め方があるそうです。

①自治体が推進していること

自伐型林業の普及や定着のために、林業に従事する地域おこし協力隊を募集している自治体もあり、その中には自治体が管理している森林を提供するなど、協力体制を作っているところも多くあります。鳥取県の智頭町や島根県・津和野町、高知県・佐川町などは、自伐型林業を地方創生事業として始めてから約3〜4年目になり、成果が出てきているといいます。そうした市町村を選ぶのも選択肢のひとつかもしれません。

②地域の森林の多くが皆伐されたり劣化したりしていないこと

生産量重視で間伐や皆伐された森林では、持続的な多間伐施業を行うことはできません。また、幅広の作業道が敷設された森林も頻繁に修復しなければならず、コストがかさみます。そのような場所では、自伐型林業を始めるのはかなり難しいので、できれば避けた方がいいでしょう。

③仲間や教えてくれる人がいること

現在、全国に自伐型林業の地域推進組織ができていて、その数は30団体以上あります。ここ2年くらいで増えていますが、47都道府県で見るとまだ組織がないところもあるため、できればすでに自伐型林業を始めている人がいる場所などを選ぶことも、うまく続けていくコツのひとつです。

 

◆林業を始めるうえで大切なスキルとは

中嶋さんが自伐型林業推進協会を作り活動を始めてから約5年がたち、現在では全国で1500人以上もの担い手が自伐型林業を実践しています。広がりを見せる自伐型林業。これから始めたいと思う人たちは、どのようなマインドで始めればいいのでしょうか。

林業を始めるうえで、もっとも大切なことは、木材を出すための道を作れるようになることなのだそうです。壊れにくくて、山も壊さない道を、いかに環境を激変させずにつくれるかが重要で、そこからどの木を間引けばいいか、判断する力をつける必要があります。森林を壊さず、木材も壊さずに運ぶために、まずは山のことをきちんと知らなければなりません。

「自伐の技術をしっかり習って、ぜひ継続して自伐型林業をしてもらいたい。自分の土地を得られたら、その山を見続けて、雨の日なら水がどのような流れ方をしているのか定点観測してみてください。そして、仮説や検証を繰り返して自分の山に関してはプロになる。そんな自分の山のプロがどんどん増えれば、林業はビジネスとしてもいい方向に進むし、山の状態もよくなると考えています」(中嶋さん)

自伐型林業推進協会では、わずかに存在していたベテラン自伐林家で、真のプロといえる人たちを講師にして、若者を対象に自伐型林業について指導を続けています。これからも林業をしたいと思う人たちを支援するべく、引き続き活動していきたいと中嶋さんは決意を語ってくれました。

林業の低コスト化を実現できる「自伐型林業」。自分の利益だけではなく、守るべき山のこと、そして継続性にも着目した新しい林業の形になっていきそうです。農業との兼業も可能とのこと。林業の扉を開いてみてはいかがでしょうか。

【中嶋健造さん プロフィール】

1962年高知県生まれ、愛媛大学大学院農学研究科修了。IT会社、経営コンサルタント、自然環境コンサルタント会社を経て、2003年、NPO法人「土佐の森・救援隊」設立に参画。山の現場で自伐(じばつ)林業に興味を持ち、地域に根ざした脱温暖化・環境共生型林業が自伐林業であることを確信し、2014年、全国の自伐型林業展開を支援するNPO法人「自伐型林業推進協会」を立ち上げた。

NPO法人自伐型林業推進協会
◆まとめ

今回の提案に遭遇して、自伐型林業の可能性を具体的に知ることができました。日本の国土が潜在的に持っている森林の自然の恵みと力。林業が単なる産業の一つだけではなく、その恵みと力を最大限に引き出す可能性があり、更に、我々の命をも守っていくという使命も持ち合わせているという事です。

一方で、建設業界を見渡すと、これまで、鉄筋コンクリートでつくられた建物の木造化がにわかにクローズアップされてきています。自治体によっては、木造化推進の部署もつくられ、木造建築の需要は今後ますますにぎやかになってくるものと予想できます。

なので、近い将来、林業の活性化は、農業との兼業で、安定した持続可能な生業になりうる可能性も秘めています。今後の自伐型林業に目が離せません。では次回もお楽しみに!

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2021年06月03日

農のあるまちづくり16~都市のすき間が「新しい里山」となるⅠ

都市に住む人たちが自分たちでつくりだす、「新しい里山」の形。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

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2021年05月28日

AIもいいが、伝統技術の再評価こそ希望のよりどころ

この間、新しい「農」のかたちでは、農業の6次産業化や農を中心とした地方の時代の再生が近未来の核になっていく可能性があるという事で、様々な切り口で、可能性の取り組みを紹介してきた。

今回は、その中でも、地域の持つ伝統技術に着目。茅葺きや石積みなどの特殊技術が、実はその地域を存続させる希望のよりどころになっていくという主張である。

加えて、先人たちが受け継いできた郷土に存在する料理も、伝え継ぐ日本の家庭料理として、同じ立ち位置にあるという内容である。

どちらも、見事に生活に密着。伝承されてきた技術をみんなで見直すことで、いろんな繋がりが生まれていくのだ。

農としっかり結びついた「人と環境(自然)と仕事と生活」が見事に結実されていく世界。AIには、けっしてできない伝統技術の再評価が今こそ これからの世界の幹のなっていくのではないでしょうか?

では・・・・リンク

転載開始

先日、農文協の職員も数名参加して第58回全出版人大会(一社・日本出版クラブ主催)が開かれた。「出版不況」が言われて久しいが、記念講演をした作家の柚木麻子さんの演題は「再評価がヒットの要」。この言葉に妙に感じ入ってしまった。

農文協はこのところ、伝統的な技術を再評価する本を相次いで発行している。最新刊は「茅葺き」に関する本。少し前には「石積み」「塗り壁」「伝統建築」をテーマした単行本を発行し、藍や綿などの「生活工芸双書」(全9巻10分冊)も刊行中だ。ワラ工芸についての本も版を重ね、昨年は続編の『つくって楽しむ わら工芸2』も発行できた。

いずれも地域資源を生かす自給的・循環的な技術であり、身体で感じながら会得し伝承される身体的技術であり、そして人々のかかわりに支えられる共同的な技術である。そんな技術を見直す動きが活発になってきた。

 

◆「プロでもない村人」の共同が「素晴らしい」

日本だけではなく、海外でも再評価されている技術の一つに「茅葺き」がある。今年5月には「国際茅葺き会議2019日本大会」が6日間に渡って開催され、岐阜県白川村でのフォーラム、住民と世界の茅葺き職人らによる屋根葺きワークショップ、檜皮葺きの修理工事現場や茅葺き集落の見学などが行なわれた。大会は日本、英国、オランダ、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、南アフリカでつくる国際茅葺き協会(ITS)が2年に1度、各国持ち回りで開くもので、今回で6回目。初の日本開催で、世界6カ国から茅葺き職人ら約130人が来日した。国内参加者約250人、各開催地参加者約300人で総勢700人、延べ人数は数千人におよんだ。主催はITSと、一社・日本茅葺き文化協会(茅文協)、岐阜県白川村の3者。

岐阜県白川郷での住民と職人による屋根葺きワークショップについて、(株)屋根葺きぶんな(南丹市美山町)の金谷史男さんはウェブサイトの「日記」でこう述べている。

「日本が世界に誇る茅葺き世界遺産、白川郷。結いと呼ばれる伝統的な形式にのっとっての屋根の葺き替えを、海外の職人たちが行なった。歴史的な瞬間に立ち会っているな……という興奮があった。

語弊を恐れずに言えば、白川郷の結いによる屋根葺きを海外のプロの職人たちに見てもらうことは、やや複雑な気持ちもあった。結いとは相互扶助のことであり、村人同士が資材や労力を提供し合い、プロの職人の監督のもと、いわば素人の人海戦術で屋根を葺き上げる方法である。恐るべき速さで完成することになるが、“職人技”といった表現が出来るものではない。海外の友人との立ち話の中で、思わず本音が出てしまった。このやり方はある意味特殊だよ、not professional な方法の再現だよ、と。

しかし海外の方の返答は、逆に嬉しいものだった。

I know (知っている)。だけど、それが素晴らしい。プロでもない村人が屋根を葺いていた。伝統的な手法が継承されているのだから……」

農文協がこの大会に合わせて発行した『日本茅葺き紀行 Exploring Japanese Thatch』(茅文協編、安藤邦廣ほか著、日本語英語併記)では白川郷の茅葺きについて、大勢が屋根に上った圧巻の写真とともにこう述べられている。

「白川郷の屋根の葺き替えはユイと呼ばれる集落の相互扶助で行われる(中略)。白川郷では巨大な合掌屋根の片面を集落総出の大人数で1日で葺き上げる。

そのユイでは、各家が互いに屋根葺きの労働の貸し借りを平等に行うしくみが厳格に守られる。また、それに必要な茅は、各家で毎年刈りとった茅を持ち寄り、茅の貸し借りを行う頼母子講によって大量の茅を集めることが可能であった。毎年春雪が溶ける頃に行われる、この壮大な屋根葺きの行事は、集落総出のお祭りのような性格を持ち、山深い豪雪地帯で暮らす人々の絆を強く結ぶ役割もあったのである」

「80棟余りの合掌造りの民家が残されている白川郷の荻町では、屋根葺きは全戸から男性1人、まかないや下作業として女性1人が参加し、共同で行われる。朝早くからの手伝いに対して昼食と、午前と午後それぞれ1回ずつの休憩に、当家からのご馳走がふるまわれて労がねぎらわれる。葺き上がった夕方には直会(なおらい)が設けられ、酒と踊りで皆が喜びを分かち合う」

海外からの大会参加者は、こうし伝統的な茅葺きが「プロでもない村人」の結いによる共同によって継承されていることを「素晴らしい」と語ったのである。

 

◆茅葺き技術を伝承する若者たち

茅葺き技術に魅せられる若者も増えている。国際フォーラムで「若手茅葺き職人の語る未来」というテーマでスピーチした女性職人の松木礼さんは1980年東京都生まれ。大学の建築学科を卒業して4年間の工務店勤務の後、茨城県かすみがうら市の茅匠のもとで茅葺き職人になった。松木さんは4月に農文協が発行した『聞き書き 伝統建築の家』(原田紀子著)でこう語っている。

「茅葺きは全部手作業じゃないですか。寸法とかが決まっているわけでもないし、それを自然のものを使って、人間の手でこういうふうに形にしていくっていうことが、面白いっていうか、人間の感覚だけで屋根ができていくっていうのは、ほかにはないと思うんです。そういうところがやっぱり、いいなあ、仕事として面白いなあと思いました」

このIT、AIの時代に「人間の手と感覚だけで屋根ができていく」面白さに魅せられた松木さんは、現在、茨城県つくば市で「茅葺き屋根工事 茅松」として独立、新築民家や寺社、文化財建築の葺き替え、変わったところでは茅葺き犬小屋などの仕事を手がけている。

本誌の姉妹誌『季刊地域』で、この春号から新連載「茅葺き屋根の引力」を開始した「茅葺屋」(京都府南丹市)代表の塩澤実さんは1972年生まれ。大学では建築を学びたいという気持ちもあったが、「耐久消費財のように使い捨てられる住宅を風景の中に挿入してゆくことが、とても罪深いことのように感じられてならず」、単体の建物ではなく修景(自然景観を破壊しないよう景観整備すること)を扱う学科を選び、そこで茅葺きと出会う。そして茅葺きを学ぶうち、自分が茅葺きの風景に心惹かれるのは「滅びゆくものへの郷愁」ではないことに気づく。

「茅葺き屋根は毎年生えてくる草が材料。建物としては優れた遮熱性能と通気性を併せ持ち、やがて葺き替えられる際には堆肥となり土に還ります。持続可能で廃棄物を生じない技術は、現代建築の抱える課題をすでに解決してしまっているといえます」

面白いのは塩澤さんが、後で紹介する「石積み学校」に似た方法で自分が住む集落の地蔵堂の葺き替えを行なったことだ。むらうちでの「葺き替えのためのカヤ刈りが大変、トタンを被せようか」という話に対し、塩澤さんは「大変なら手伝いを頼めばいいのでは」と、晩秋にカヤを刈るイベント、翌年に茅葺きのイベントを企画した。

「ただし、ボランティアの手伝いを募るのではなく、逆に参加費をいただく。茅葺きの際はマイ地下足袋の購入・持参まで求めて、茅葺き職人の指導のもと、がっつり作業するという内容のイベントとしました。学びに貪欲な意欲のある参加者が集い、参加者どうしも、指導する側の若手職人にとっても、共に汗を流し交流する村の人たちにとっても、刺激的な集いとなりました。好評のうちに会を重ね、のべ5年をかけてお堂の屋根は葺き替えられました」

塩澤さんは今、職人の仕事のかたわら、カヤ刈り・茅葺きの有料の体験イベントを年に4、5回開催している。

 

石積み技術をだれでもできるように

石積みへの関心も高い。農文協が昨年12月に発行した『図解 誰でもできる石積み入門』(真田純子著)は、発売されるや話題を呼び、すでに3回の増刷を重ねている。

棚田や段畑の法面、高台の屋敷回りなど、むらには石積みで成り立っているところが少なくない。農地の石積みではコンクリートやモルタルを使わない「空石積み」という技術が用いられる。城や庭の石積みと違って、隙間があいても見映えが多少悪くても気にしない。しかし、容易に崩れないように積むには技術が必要だ。

空石積みはとくに中山間地では必須の「農業技術」であったが、その技術が引き継がれないと崩れた場所はそのままになってしまう。たとえ直したとしてもコンクリートブロックか、見た目は石積みでも石と石の間をコンクリートやモルタルで固めた「石積みのようなもの」に置き換わる。

石積みは地元から出る石を使い、崩れたらその石を積み直すことで何度でも再生してきた。地域資源を循環させる持続可能な技術なのだが、ひとたび途絶えてしまえば、その技術は永遠に失なわれてしまう。

この技術をきちんと記録し、広く伝えようと考えたのが、本書の著者、気鋭の景観学者である真田純子さん(現・東工大准教授)である。徳島大学工学部の教員(助教)をしていた真田さんは吉野川市美郷地区でのソバ播き体験に参加した際、石積みの畑に出会い、石積みの技術を学びたいと地元の石工の高開文雄さんのもとに通い始めた。最初はなかなか高開さんのいう意味がつかめかった真田さんだが、そこは工学部の先生らしく、イラストで石積みの技を写し取り、だんだん原理をつかんでいった。補修する部分の石の崩し方、石を積むために土の壁と溝を掘る方法、石の積み方のコツと禁じ手、積み石の背後でそれを固定したり水の通り道となる「ぐり石」と呼ばれる細かい石の詰め方など、誰でもわかるようにまとめていった。

 

◆「石積み学校」 伝承の仕組みと人気の背景

石積みの技術を伝える仕組みもおもしろい。真田さんによれば、地域によって積む石の形や種類が異なるものの、石積みの基本的な技術は共通だという。そこで、真田さんは「石積み学校」を考えた。その仕組みは「直したい人」「習いたい人」「技術をもつ人」をマッチングさせるというもの。「ここの石積みを直したい」という人が全国どこでも手を挙げて、真田さんたちが講師となる「石積み学校」を主催する。主催者は参加者一人当たり5000円程度の受講料を徴収し、講師の旅費・講師料や運営費をまかなう。参加者は1泊2日で、修復が必要な箇所の石積みを崩すところから、仕上げまで一連の技術を実地で習う。結果として、主催者は石積みを補修することができる。「石積み学校」は2018年には全国で24回開催された。

こうして石積みが注目される背景には、農産物や観光地としての価値を高めることにつながることもあるだろう。農家レストランや農家民宿から見える棚田や段畑の美しい風景は、訪れる人にとっても魅力的だ。現にイタリアなどでは石積みの段畑で栽培されたブドウでつくったワインが高く売れたり、石積みのある町並みや畑を訪ねるツアーが行なわれるなど「景観の価値化」の動きが活発になっている。さらに、都会の人に棚田や段畑の石積みに参加してもらい、その土地の産物を味わってもらえば、その土地への愛着が生まれリピーターになっていくにちがいない。石積みは「交流人口」を「関係人口」に高めるのにも役立つ。

石積みはまたコミュニケーション・ツールとしても注目されている。崩した石を「ぐり石」と「積み石」に分類する人、その石を運ぶ人、石を積む人が分担し、協力しあって進めていく。こうしてみんなで石を積み上げたあとの達成感はひとしおだ。「石積み学校」事務局の金子玲大さん(徳島県上勝町地域おこし協力隊)は企業の新人研修のプログラムとして「石積み学校」を組み込むことを売り込み、すでに何社かで実現しているという。

 

◆「人間の知恵」を感じるから料理も土木も面白い

この真田さんとつながりが深い土木・設計デザイン事務所(株)EAUの崎谷浩一郎さんは、シリーズ『伝え継ぐ 日本の家庭料理』(「別冊うかたま」として刊行中)の愛読者でもある。「“人間の知恵”を感じるから料理も土木も面白い」と崎谷さんは、『うかたま』の最新号(55号)のインタビュー記事でこう述べている。

「この本をつくる過程、現地に行って料理を撮影して聞き書きしてレシピをまとめているという話を聞いたとき、その取り組みそのものに感動したんです。ここに載っている料理の写真、レシピは誰かが残そうと思わないと残せない。でも、ただ、残せばいいわけじゃない。おばあちゃんのつくり方をそのまま載せるのではなく、ちゃんとレシピにする。チョイスしてデザインして本の形にして初めて残る。その取り組みがすごいと思いました」

「この一つひとつの料理の後ろにつくった人がいて、その料理のできた土地があり、家庭ごとにバリエーションがある。(中略)すごい情報量がこの料理の後ろにある」

「土木は、橋や道路など未来の風景をつくる仕事です。10年、20年たって初めて結果が出てくる。だから、まず町や集落の歴史を振り返る必要があります。実際に地元の方と一緒に歩いてお話をうかがう。集落にある石垣や水路も見ただけではわからないけれど、話を聞くとそこに深い工夫がある。その場所にしかない知恵があるんです。

この本に出てくる料理もそうですね。その土地にあるものでいかに加工して料理して生きてきたか、一つひとつの料理にそういう知恵がギュッと詰まっています。でも、これってAIは残せますか。人間だから残せるんです。石積みの風景やこういう料理を見ると、人間ってすごいって改めて思います」

崎谷さんは「料理も土木も」と述べているが、『季刊地域』最新号(夏号)には、「アートと農と食で『住んでよかった』と誇れる町へ」と題する熊本県津奈木町町長・山田豊隆さんの「町村長インタビュー」が掲載されている。

津奈木町は3年前から、足元の暮らし、歴史、風土、文化を食を通して見直す「つなぎ型スローフード」に取り組んでいる。県が認定する「くまもとふるさと食の名人」の女性3人を中心に郷土料理の伝承教室を昨年は3回、今年は9月までに6回行なうという。山田町長はこう語る。

「子育て世代の30~40代の女性の方の『教わりたい』という要望が強かったのですが、じつは50~60代の方も、『私たちも聞いてない』『いまさら聞けないと思っていた』と言うんです。一方でその技を持っている食の名人の方は、じつは教えたくてうずうずしていた。名人の一人は、自分がJAの直売所に出している煮しめや巻きずしのレシピを惜しげもなく教えてくださる。伝承教室は、そういう『教えたい教わりたい』が交わる場になっています」

そんな教えたい教わりたい料理を結集し、次代に残そうと『伝え継ぐ 日本の家庭料理』は企画され、現地での聞き取りと撮影を丁寧に進めながら編集・発行を進めている。

食に限らず、伝承されてきた技術をみんなで見直すことで、いろんなつながりが生まれる。「再評価が希望のよりどころ」なのだと思う。(農文協論説委員会)

以上転載終了

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posted by noublog at : 2021年05月28日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List