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2021年06月17日
農のあるまちづくり18~都市のすき間が「新しい里山」となるⅢ
農業が自然と人間の協働作業というならば、
里山もまた、自然と人間の協働作業によってつくり上げられてきた結晶といえる。
以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)
■都市農地が「里山」になる意味とは?
たとえ農地のない東京の都心部でも、屋上やプランターなどを活用して農的な空間を創出できる。少し郊外へ行けば、住宅地の間に残る田畑がコミュニティ活性の場になっている。
こうした”都市のすき間”を活かした農的な空間が、いま「新しい里山」として機能していると私は感じています。
都市に畑があっても山林ではないし、里山と言われても、あまりピンとこないかもしれません。しかし、都市の農地や農的空間が実際に果たしている機能と、そのめざす方向を共有したいと思ったとき、この言葉がぴったりくると思ったのです。
里山という言葉を聞いて、どんな光景が目に浮かぶでしょうか?
国語辞典を引くと、里山は次のように定義されています。
【里山】
人里近くにある、生活に結びついた山や森林。薪や山菜の採取などに利用される。
適度に人の手が入ることで生態系のつりあいがとれている地域を指し、山林に隣接する農地と集落を含めていうこともある。
本書の冒頭で紹介した映画『となりのトトロ』の舞台となった村は、まさに里山といえるでしょう。水田を中心とした農業が住まいの近くにあって、周囲は低い山に囲まれています。農業に使う水を引くための小川があり、そこにメダカやドジョウ、ザリガニなどが棲み着き、初夏になればホタルが舞い飛びます。
そんな光景は、かつて日本のあちこちにありました。
実際、幼少期をそういう場所で過ごした人や、田舎の祖父母の家がそういうところだったという人も少なくないでしょう。
私自身は新興住宅街で育ち、祖父母の家も街なかにあったので、トトロ的な体験とは無縁でした。里山で少年時代を過ごしてみたかったというあこがれが農業へ向かわせ、里山的な環境を残す活動に結びついているのかもしれない、とも感じます。
もちろん実際の里山は、単なる美しい景色や子どもの遊び場を提供していたわけではありません。自然の恵みから生活に必要なものを継続的に調達するために、山を地域で共同管理していった営みが、長い歴史を経て里山をつくり上げました。
つい50年ほど前までは、里山的環境を維持管理することが、地域社会にとっては合理的だったでしょう。裏を返せば、現代の暮らしに旧来の里山が必要ないから、山間や中山間、傾斜地など”山”に近い農業や農村は、急速に衰退していったのだと思います。
投稿者 noublog : 2021年06月17日 TweetList
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