2021年6月10日

2021年06月10日

ウィズコロナの時代に、木を植え、木を活かすことの意味

前回は、農業と林業の兼業について紹介しましたが、今回は木を植えることによる可能性についての特集記事がありましので、紹介します。

そもそも、日本人にとって、樹木は生活を支える上で、極めて貴重な資源でした。更に、農業や漁業の栄養分になっていく一方で、水害や土砂崩れといった地域の自然や人命を守り存続させていくという役割を担う極めて重要な資源でもあったのです。

ところが、戦後の高度成長期、日本国内のエネルギー政策の転換、木材に変わる石油製品の台頭、建築の非木造化等の推進によって、樹木の活用は、衰退の一途。

その中にあって、現在木材の価値をもう一度見直そうという動きも登場してきています。

今回は、今、忘れられた樹木(植林)の可能性に焦点を当て、更には、農業とのつながりや補完性についても紹介していきます。

こうして、紹介記事を読むと樹木の無限の可能性を感じます。また、農業との関連性を突き詰めていくと、地域の人々の豊かな生き方に直結していく潜在力をも秘めています。

では・・・・リンク  

転載開始

◆人の手に負えない自然を前に

今年3月20日、長崎県諫早市の多良岳中腹で小さな植樹祭があった。山に木を植えることを通じて海の再生を考えようという「第1回森里海を結ぶ植樹祭」。開催場所から見下ろせる、国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防は、開門か開門反対かで地域が二分された状態が20年余りにわたって続いている。開門の是非を争う裁判がどちらに決着してもしこりが残ると考えた人たちが、分断や対立を乗り越え、未来世代の幸せを最優先に農家と漁家、林家がつながろうという目的でこの植樹祭を企画した。

残念ながらコロナ禍のため縮小開催となったが、参加者40人はクヌギの苗木550本を植えた。今後、下草刈りなどの機会に「育樹祭」を企画し、改めて多くの人に参加を呼びかけるという。

本誌の姉妹誌『季刊地域』2020年春号(41号)は「山に農地にむらに木を植える」という特集を組んだ。この特集の冒頭に登場する福島県田村市の青木一典さんは、集落内のあちこちにカエデやモミジを植えているという人だ。青木さんの集落では、11年の原発事故で農業ができなくなった農地が草ぼうぼうになっている。なんとかしたいのはやまやまだが、ここで農作物を栽培しても風評で売れない。だったら代わりに「30年後も50年後も、ここがきれいな集落であるように」と願っての植林だ。

原発がまき散らした放射能は、人が地中から掘り出し濃縮したウラン燃料がもたらした、いわば人の手に負えなくなった自然。かたや諫早湾干拓では「森で涵養された栄養豊かな水は本来なら海の生物を育む源」だが、「森(川)と海の間に閉鎖的な調整池が設置され、森から生み出される良質の水は滞留することにより発がん性物質を含むまでに汚染され」ている。そしてその排水は「かろうじて漁業を続ける潮受け堤防外の漁場に深刻な影響を与え続けて」いるのだ(植樹祭参加者、京都大学名誉教授・田中克さん)。

新型コロナウイルスも放射能も、微生物が富栄養化した水さえも、私たちは制御しきれない。ウィズコロナの時代といわれる今、この地球上で私たち人間よりはるかに先輩である「木」の力を借りることは意味のあることのように思える。

~中略~

◆耕作放棄地対策として木を植える

耕作放棄地は農村が抱える大きな課題の一つだ。荒廃した農地を放置しておきたくはないのだが人手がない。大分県臼杵市の中ノ川集落でもそうだった。

同集落の廣瀬建義さん(75歳)が行動を起こしたのは、公務員を定年退職して区長となった15年前のことだ。廣瀬さんは農業委員にもなり、機械が入らず耕作できない山際の田んぼやヤブ化したミカン畑を「農地パトロール」で「非農地」と判定し、木を植えることができるようにしていった。農地とは米や野菜や果樹などを栽培する土地で、一般の樹木は植えられないことが農地法に定められている。樹木を植えるには「農地転用」の手続きが必要なのだが、農業委員会による非農地判定はそれに代わるものだ。

農地でなくなった土地には所有者それぞれがスギやヒノキを植えた。水分が多い水田跡はスギ、ミカン畑の跡はヒノキが多かった。10年前にクヌギを植え、あと数年でホダ木にできると楽しみにしているシイタケ農家もいる。

木を植えることで土地の管理はずいぶんラクになる。植えて5年ほどは年3回の下刈りが必要だが、木が生長して林床が日陰になれば年1回ですむ。木の管理に農業機械のような高い投資は不要、チェンソーと刈り払い機があればいい。

「木を植えて山に戻すのも山村の景観を守る手立て。ヤブだらけの農地や山を放置したまま、次の世代にツケを回すことだけは避けたい」と廣瀬さん。

スギ・ヒノキをおカネに換えるには長い時間がかかるが、もう少し短期間で収入を得られる木もある。岩手県二戸市の浄法寺地区は漆の生産が盛んで国内生産量の70%以上を占める。とはいえ国産の漆は国内需要のわずか3%。文化庁が、国宝・重要文化財の塗装補修に使う漆を2018年度から国産漆にすると決めたことを受け、二戸市では16年から遊休農地へのウルシの植栽事業に取り組んでいる。肥培管理が必要なウルシは、木といっても果樹と同じ扱いで農地にも植えられるのだ。

植栽したウルシの木は、15年ほどたって直径10cm以上になったところで、漆掻き職人が1本2000円で所有者から購入する。これを所有者側から見れば、こんな計算が成り立つ。1haあたり1200本を植栽すると、途中で枯れる木が2割として残るのは960本。この販売収入は192万円。自家労力で植栽やその後の管理を効率的に行なえば、1ha分の費用(労賃を含む)は73万円。差し引き最大119万円の差額が残る。もちろん、収入が得られるのは植栽の15年後だが、ウルシの栽培は投下労働力(おもな作業は下刈り)が少ないことから、高齢化が進む農家の農地の運用法として、タバコや雑穀、果樹の代わりに選ばれている(「岩手県北部地方の農家がウルシ植栽を選択した要因」山形大学・林雅秀、日本森林学会誌2019年101巻6号)。

漆掻き職人にとっては、足場のよい土地にウルシの木がまとまっていることで作業効率が上がるメリットがある。手が足りず耕作できなくなった農地は、木を植えて山に戻す、山に預ければいいのだ。

◆スギ・ヒノキ一辺倒から多種共存の森へ

一方、近年は、戦後の拡大造林でスギ・ヒノキばかりを植えたことへの反省として広葉樹を植える動きもある。スギやヒノキの人工林の所有者にとっては、森林組合などに委託して木を伐採・出荷しても割に合わない状態が長く続いていることから、間伐をせずに放置された人工林が少なくない。鬱蒼とした人工林は林床に植物が生育できず、木自体の根も貧弱だ。スギ・ヒノキだから自然災害に弱いというわけではないのだが、放置人工林は豪雨にともなう表層崩壊の一因と考えられる。そこで、人工林皆伐後の広葉樹の植栽や針広混交林化を行政も後押ししている。

徳島県上勝町の田中貴代さん(71歳)が広葉樹の苗木づくりを始めたのは、集落林のブナが枯れているのを心配したことがきっかけだった。田中さん夫婦が暮らす八重地集落は上勝町の最奥部。近くの高丸山(標高1438m)の山頂付近は集落が所有するブナの森で、飲み水をはじめとした生活用水と田んぼの水源として大切に守られてきた。戦時中、政府から戦闘機のプロペラ用にブナ材の供出命令が出たときには、集落の世話役がブナ林の大切さを訴えて伐採を中止させたという逸話も残っている。

ブナの天然林は高い保水力を持つといわれるが、人工林でもそれに近づける道はある。『季刊地域』6回にわたって「針広混交林のつくり方」を連載していただいた東北大学名誉教授の清和研二さんの記事にこんな記述がある。スギ人工林の間伐の程度を変えて表層土壌に水が浸透する速度を調べたところ、スギ3本中2本を切る強度間伐区が最大で、ついで同1本を切る弱度間伐区、無間伐区は最低だったというのだ。

強度間伐区では、天然更新した広葉樹がスギの樹冠近くまで育ち、多様な植物が豊富に生育していた。植物の多様性が高いと土壌中の根の密度も高くなる。それに、針葉樹より落葉樹の葉っぱや細根を好んで食べるミミズが増える。ミミズは土にもぐり糞を排泄し、土を軟らかくして隙間を増やす。だから大雨が降っても水は地表面を流れず土中に浸透し、時間をかけて河川に流れ込むため、洪水を防ぐ効果が大きいと推測される。

また強度間伐区では、張り巡らされた細根が硝酸態チッソなどをよく吸収し、水の浄化能力が高いことも明らかになった。針葉樹だけでなく広葉樹など多様な植物が生育する山は、水源涵養機能に加え水の浄化機能も高いのである。

前述の徳島の田中さんは、集落内のスギの皆伐跡に県の事業で32種の広葉樹を植えることになり、その苗木づくりも買って出た。以来、これまでに育てた広葉樹の苗木は150種。すべて周囲の山から集めたタネで育てたものだ。それを、徳島県森林組合連合会を通じて近隣の植林用に販売してきた。今後は、自分が所有する約50haのスギ山を強間伐してこれらの広葉樹を植え、針広混交林にしていきたいという。

◆雑木の知られざる値打ち

ところで、清和さんの連載の最終回は多様な広葉樹の売り方がテーマである。清和さんは、林家も木材業者も広葉樹の価値をわかっていないと書いている。

「有用広葉樹」と呼ばれる樹種がある。ミズナラ・カンバ類は家具材、クリは枕木や土台、イタヤカエデは床材、といった具合だ。有用広葉樹のなかでも観賞価値のあるイチイやケヤキ、イヌエンジュに至っては「銘木」といわれる。だが「有用」な広葉樹はこれだけなのか?

「有用広葉樹」の由来は、材面が美しかったり、材質が安定して加工しやすいこともあるが、戦後の拡大造林時代に原生林を大量伐採したとき、木材業者が大径材を効率的に入手できたことが大きいのではないかと清和さんは疑っている。そしてこう続ける。

「日本の山間地の実情は異なる。有用広葉樹などという言葉はなかった。もっと多くの種類の広葉樹を『実用的に』使ってきた長い歴史がある。家の構造材だけでなく、農器具や生活用具に利用してきた。木々の性質を知り尽くした縄文の昔から伝わるような利用方法がある」

そうした利用法を現代的に復活させたのが、長野県伊那市の有賀恵一さん(70歳)だ。有賀さんは、「雑木」と呼ばれる広葉樹約60種を使って建具や家具をつくる。その原点は、山形県小国町で過ごした高校時代にある。高校の近くのブナ原生林がスギを植えるため大量伐採され、それが製紙用のチップにしか使われないと知り「もったいない」と思ったことだ。その後、父親の経営する建具店での修業時代、自分の店も含め、同業者がみんなプリント合板に飛びついたことへの反発もきっかけとなった。無垢の広葉樹をもっぱらチップにする一方、表面に木目をプリントした「偽物の木」を使うことに「疑問や不満がつのる毎日」だったという。

有賀さんは、チップ工場などから仕入れた多種類の広葉樹を板に挽いて天然乾燥し、ドアやタンスや流し台などをつくるようになった。中でもおもしろいのは、多種類の広葉樹を組み合わせた「いろいろドア」や「いろいろダンス」だ。多種の雑木から採った板はじつに様々な色で、それが美しい調和を生み出す。それに、こういう使い方をすると、細い木や曲がった木でも問題なく使えるのだ。ちなみに、国産漆の増産のため植栽が増えているウルシの材は黄金色。有賀さんがつくるカッティングボード(まな板)でも鮮やかなアクセントになっている。

有賀さんの他にも広葉樹の値打ちをうまく引き出している事例が多数出てくる。たとえばクヌギを活かした「昆虫林業」。薪炭林の需要がなくなって里山のクヌギやコナラは大径化し暗い森になっている。宮崎県美郷町にIターンした菅原亮さん(37歳)はそんなクヌギ林を借り、切り出したクヌギで原木シイタケをつくるうえ、大好きなクワガタやカブトムシの養殖を成功させた。クヌギの樹液はこれらの虫の成虫の大好物。材はクワガタの幼虫のエサやすみかになる。シイタケの廃ホダはカブトムシの幼虫のエサとすみかだ。

クヌギを茶道用の高級炭にして売る記事もある。クヌギの炭は切り口が菊の花のように美しく火持ちもよい。石川県珠洲市の大野長一郎さん(43歳)は耕作放棄地にクヌギを植林し、茶道用の炭を焼く炭焼き職人を自分の集落に増やす「炭焼きビレッジ」構想を実現しようとしている。

また、クスノキから国産樟脳をつくるのは宮崎県日向市の藤山健一さん(61歳)。樟脳は昔から防虫剤として使われてきたが殺菌効果もある。ナフタリンと違って衣類ににおいが残りにくく、ハッカのようにさわやかな香り。コロナ禍の影響か、この春はとくに売り上げが伸びている。

針葉樹以上に利用が進んでいない広葉樹は、それだけ伸び代が大きいということでもある。

◆スギは日本の秘められた宝物

広葉樹の話題ばかり取り上げたが、42号の特集にはスギの値打ちの引き出し方の記事もある。スギの学名「クリプトメリア ジャポニカ」とは「日本の秘められた宝物」という意味。京都大学名誉教授の川井秀一さんによれば、その名の通り、スギには他の材料にない優れた効能がある。スギの香り成分に含まれる、心身を落ち着かせリラックスさせる効果や、スギ材が空気中の有害物質を吸着する効果、ウイルスやバクテリア、カビ、ダニの生存を抑える調湿効果などだ。こうした効果を発揮させるには、材の木目が見える面ではなく、それと直角に切った木口が空気にふれるようにしたほうがいい。この手法は部屋の内装などに取り入れられている。

また、スギの香り成分を活かすには、スギ材を乾燥するとき天然もしくは低温で乾燥したほうがいいという。熊本県山鹿市の若手林家・野中優佳さん(28歳)は、実家の山50haを引き継いだ5年半前からこの低温乾燥(45℃)を取り入れた。父親の代は原木を木材市場に出荷する経営だった。だが低温乾燥を取り入れたことで、所有する山のスギやヒノキはすべて内装用の板や構造材に加工し、製品として販売するようになった。その分、売り上げも増えたが、個人のお客さんが野中さんのところのスギをぜひ使いたいと訪ねてくることがうれしいという。

野中さんは5人姉妹の4番目。物心ついた頃から、林業という父親の仕事を恥ずかしいと思い、「林業とはキツくて危険な仕事、魅力を見出せない仕事」と思って育ったそうだ。しかし成人して父親と二人で山に入り、父親から祖父や曽祖父、高祖父の山に対する思いをたくさん聞いたことで変化が起きた。この木を植え、手入れしてきた先祖のことを思い、何十年何百年もここで生長し続けた木々の生命力に感動したという。そして「この森は私が守ろう」と林家の5代目を継ぐことを決めた。

「ゆうきの森」と名づけた野中さんの山は、スギの大径木の下に様々な植物が育つ明るい森だ。この森に市民や子供たちを招いてのイベントなども多数開催している。

昔から神社には鎮守の森があり、スギなどの樹木が神の依り代、神木として祭られてきた。記念や祈念のための植樹もよく行なわれる。自然とともに生きてきた日本人には、木に託すという心持ちが昔からあるのだろう。だが、それは単なる神頼みというわけではない。木には水を浄化したり保水する力もある。人の健康を守る力もある。木を植え、手間を減らした方法で土地を管理し、そこからいくらかの収入を得る新たな工夫も始まっている。

木を植えることは未来を思い描くこと。この土地を次世代に引き継ぐために行なうこと。地域資源としての山の魅力は無限大だ。 (農文協論説委員会)

以上転載終了

投稿者 noublog : 2021年06月10日  

2021年06月10日

農のあるまちづくり17~都市のすき間が「新しい里山」となるⅡ

都市に住む人たちが自分たちでつくりだす、「新しい里山」の形。

都市農園は、「農業体験」から、「コミュニティづくり」へ。

 

以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)

(さらに…)

投稿者 noublog : 2021年06月10日