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2021年06月25日

洪水と水害をとらえなおす

農業には、水は欠かせない。水が無ければ、成立しない生産活動である。

しかし、昨今の自然外圧は、これまで経験したことの無い状況を作り出している。川の氾濫や内水氾濫という予測を超えて水の災害が非常に多くなってきた。

特に、地方における台風や断続的な豪雨は、農地を直撃し、人々の生活を根こそぎ奪いとってしまう。

しかし、過去にも洪水災害はあったのも事実。その都度、先人たちは、その時代にあって、最新の技術を使いながら、水と格闘しきた。そしてなんとか農業を営んできたのである。

そこで、今回は、治水とは何か?について、また、先人達と現在の我々が、水に対してどのような意識の違いがあるか?について農文協の主張文から考察したい。

では・・・・リンク

 

転載開始

◆自然観の転換と川との共生

一昨年7月の西日本豪雨水害、昨年10月の台風19号広域水害、そして今年7月、球磨川の氾濫など熊本県を中心に大きな水害が発生した。被災した皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、コロナ禍のなか、困難を伴う復旧が順調に進むことを切に祈っている。

今後も予想される大水害への不安が広がるなかで、農家や地域の人々にぜひ手にとっていただきたい本がある。

『洪水と水害をとらえなおす 自然観の転換と川との共生』(農文協プロダクション発行・農文協発売)

新潟水害をはじめに、2000年代の六つの大水害の発生のしくみを丹念に描き、現代の治水の到達点と問題点を整理し、今後の治水のあり方を指し示した本だ。

著者は日本の河川工学研究の第一人者として著名な大熊孝さん(新潟大学名誉教授)。大熊さんは、川と人の関係を地域住民の立場から研究を続け、住民運動の側に立って社会的な発言もしてきた。本書にこんな記述がある。

「近年の水害で最も問題であるのは、床上浸水で寝たきり老人が逃げられずにそのまま溺死することである。これを強く意識させたのが2004年7月の新潟水害であった。その後、2016年8月の岩手県小本川水害、2018年7月の西日本水害、そして2019年10月の台風19号水害などで多くの老人が寝たきりのまま溺死している。

想像してほしい。ひたひたと水が押し寄せてくるなかで、逃げる手立てのないまま水位の上昇とともに溺れるのである。どんなに苦しいか、どんなに悔しいか、どんなに悲しいか、長く生きた人生をこんなかたちで息絶えねばならないのである。こんな地獄を誰が出現させてしまったのか? それが問われなければならない」

そんな怒りや、河川工学者としての自分の不甲斐なさを感じながら、大熊さんは本書の執筆に向かった。こうして専門知識がなくても興味深く読め、そして、川と人間の共生を願う熱い思いが伝わってくる本が誕生した。

 

◆「洪水」と「水害」のちがいから治水の基本を考える

大熊さんは、洪水と水害を明確に区別する。「洪水」は川から水が溢れる自然現象であり、水が溢れてもそこに人の営みがなければ「水害」とはいわない。そして、農家なら納得できると思うが、洪水にはいいこともある。

 

「たしかに豪雨や大雪は直接的な災害をもたらすが、これらがあるからこそ豊富な水が得られ稲作ができるし、洪水氾濫があるから肥料となる新たな土壌が置いていかれ、豊作が約束されてきた。私の若い頃の水害調査での稲作農家の聞き込みでは、10年に一度ぐらいの氾濫は、収穫が得られなくとも、肥料を置いていってくれ、翌年からの収量が高くなるので、許容できるとのことであった。また、川の生態系は時々洪水が起こり、石礫が流れ、瀬や淵が形成されることを前提として営まれており、洪水による時々の攪乱なしには魚類の生息も持続しえない。その魚類などを食料としてきた人間にとっては、洪水も間接的に恵みの存在であったのである」

こうした洪水と水害のちがいを踏まえて、大熊さんは治水の基本を次のように考える。

「どんなに技術が進んでも人が死を免れないように、災害を完全になくすことはできない。現代でも、川に堤防を築き、ダムをいくら造っても、何十年かに一度は異常な豪雨があり、洪水を完全に川の中に押し込めることは不可能なのである。そうであるならば、床下浸水ぐらいなら受け入れるなかで、人身被害がないような対策を立てればいいのである」

そんな大熊さんは、国の治水計画の柱になってきたダムについて問い続けてきた。大きなダム建設は川の恵み・生態系と流域住民の暮らしを破壊し、一方では巨額な税金が使われるが、それで水害を克服できたのか? 2004年の新潟の五十嵐川・刈谷田川水害や2015年の鬼怒川水害などの調査・研究をもとにこう述べる。

「基本的にダムは、川の全流域のなかでかなり上流域に造られ、川の全流域に対してダムが支配できる流域面積は小さく、豪雨のときに本当に役立ったのかどうか判然としないというのが実態である」

今月号では、「台風19号『八ッ場ダムが首都圏を氾濫から救った』は本当か?」と題する大熊さんの論文を掲載した。ここでは、八ッ場ダム上流の山は保水力が高く、洪水量を左右する流域全体に占める八ッ場ダム上流域の割合は小さく、ダムの水位低減効果は高々40cm程度で、堤防には充分な余裕があり、「『首都圏を氾濫から救った』というのは少し大げさ過ぎるように思う」と述べている。

 

◆球磨川の氾濫と水害 ダムは役立ったかをめぐって

今回の球磨川の氾濫に対し、「ダムがあれば水害を防げたのではないか」という声が一部から出されている。そこにはこんな事情がある。球磨川水系では1966年から治水など多目的の国営川辺川ダム計画が進められたが、反対する流域市町村の意向をくんだ蒲島郁夫知事は2008年9月に計画反対を表明。09年から国と県、流域市町村でダムに代わる治水策を協議してきたが、ダムにこだわる国の意向もあってか、抜本策がとられずにきたのである。そこで「ダムがあれば」という話が出てくるのだが、大熊さんは先日開催されたシンポジウムで、「人生の終わりを非業の死で迎えねばならなかったことは どんなに悔しいことであったか」と今回の水害に遭われた方々へ哀悼の意を表したうえで、ダムについての見解を発表している(「流域治水の最前線シンポジウム 温暖化時代の水害政策を求めて」7月22日、参議院議員会館)。データを示しての報告だが、結論は以下のようである。

今回の球磨川水系の特徴の一つは、両岸から小さな支川が直角に肋骨状に流れ込んでいることで、このようなところに大きな雨域で豪雨があると、全川で一気に水位が上昇して同時に最高水位に達し、それが長く継続する。特に今回は、狭窄部(川幅が狭まったところ)で少し早めに最高水位に達しており、これが人吉からの洪水流下をかなり妨げたのではないかと考えられる。このように、流域全体で、一気に同時に最高水位に達する場合、ダムがあってもその効果はほとんどないのではないか、ということである。

一方、大熊さんはこうも述べている。

「今回の洪水では、人吉の青井阿蘇神社(国宝)の楼門や拝殿が1.5mほども水没している。1200年の歴史を持つ同神社の記録に、そのような浸水記録はないとのことである。今回の洪水水位は過去最大といって過言でない」

その意味では「天災」ともいえるが、世界的な豪雨の頻発から見ると地球温暖化による「人災」というべきであろうと大熊さん。それでは、このような大洪水にはどのように対処すればいいのか。シンポの報告で大熊さんはこう述べる。

「氾濫危険地域に人が住まないことが究極の水害対策といえるが、今後の人口減少を想定しても、その実現は無理であろう。結局は、氾濫地域に人は住み続け、大洪水には避難し、被害を最小限に抑える以外に方法はないと考える。

人吉の河道流下能力を河床掘削により現況より高める必要はあると考える。しかし、下流に狭窄部があり、谷合には多くの集落があるので、それには限界があり、河道から洪水が溢れることを前提とせざるを得ない。その場合、両岸に水害防備林を造成し、氾濫流の水勢を弱め、土砂を濾過する方法が次善の策であると考える。そのうえで、建物を耐水性に造るしかないと考える。

京都の桂川右岸にある桂離宮は、洪水が溢れることを前提として、水勢を弱め土砂を濾過する『笹垣』と呼ばれる水害防備林を造成し、書院は高床式にしてある。それによって、400年を経ても建物と庭園の美は維持されてきている」

少なくとも200〜300年のスパンで持続可能な治水策を考えるべきだと大熊さん。200〜300年のスパンで考えると、ダムは必ずや土砂で満杯となるだろう。こうして治水の手段としてダムは選択肢から外すしかないということになる。

 

◆スーパー堤防をどう考えるか

大熊さんは本書で以上のような主旨を、実証をまじえて存分に展開している。その基本は、ダムより、「越流しても破堤しにくい堤防」にある。堤防を越えて水が溢れても壊れない、あるいは壊れても被害の少なくなるように堤防をつくること。

「破堤するにしても、人家のないところで、ゆっくり時間がかかって破堤すれば、氾濫流の勢いも弱く、氾濫量も少なく、人が死ぬことも家が破壊されることもなかったと考える。たとえ床上浸水でも、せいぜい10〜20cmであれば、枕を高くするか、上半身を起こせば呼吸をすることができ、死ぬことはない。天井に達するような浸水は絶対に避けるべきなのである」

国交省の考え方では、計画高水位を1cmでも超えて洪水が流れれば、堤防は破堤するという前提ですべての議論が行なわれていて、それがダム建設の根拠の一つにもなっているが、水が溢れても壊れない堤防のつくり方はあるし、壊れても被害を最小限にする手立てはある、というのが大熊さんの見方。といっても、スーパー堤防をよしとはしない。確かに強固で壊れにくいだろうが、スーパー堤防の施工には、大量の土砂が必要なうえに、堤防沿いが人家の密集地である場合、ダム建設の場合の集落移転と同じような立ち退き問題が発生し、その建設には膨大な時間と資金を必要とする。スーパー堤防は、今後の治水計画の柱にはなりえない、という。

東日本大震災の津波の後、三陸海岸では巨大な防潮堤が造られているが、これにも異を唱える。

「このような堤防は、非常時だけの対応を目的としたもので、日常的な人と自然の関係を完全に断ち切るものである。人が自然と対峙して生きていけるかのような傲慢さが漂っている。まさに『国家の自然観』による自然との決別である」

「巨大な津波や洪水が来ると予想された場合には、それを克服するのではなく、避難し、受け流すという考え方こそ、この地球において人が生き続けていける術でないかと考えるのであるが、どうであろう」

 

◆「国家の自然観」と「民衆の自然観」

「国家の自然観」という言葉が出てきたが、大型ダムに象徴される大がかりな治水に対し、大熊さんが未来にむけて大事に思うのは、歴史のなかで培われてきた「民衆の自然観」に基づく治水である。それは「災難に遭いながら、壊滅的な災難を逃れる」という発想だ。

「伝統的治水工法では、被害が相対的に少ないところに越流堤を造り、そこから洪水を氾濫させ、ほかの勝手なところでの破堤を防ぐという方法がよくとられていた。そうした究極の治水ともいうべき方法が400年前から存在していた」として、本書では信玄堤や加藤清正の「轡塘」(くつわとも)、先にもふれた桂離宮の水害防御策のしくみを紹介している。

「これらは、著名な治水家がかかわっていた場合もあるが、基本的には地域の自然をよく知った地域住民が主体となって『民衆の自然観』の上につくりあげていた治水と考えていい」と大熊さん。

「近代化以前にとられていた治水策は、地域ごとの防備を主眼として、越流堤と遊水地を配し、地域全体としての被害を軽減させる方法がとられていた。これは、政治的に上から決められることもあったが、原則的にはそれぞれの地域で十分話し合って、遊水地や越流させる場所などが決められていたと考えていい。これを近代的な民主主義感覚で眺めれば、平等でないといえるかもしれない。しかしおそらく、自然の地形や開発されてきた歴史の時間蓄積が考慮されて決められていたはずである。地形は場所ごとで異なり、そこに住んでいる人たちにとって平等ではなく、そこに住んできた歴史的時間の蓄積も違うはずであり、基本的に開発の古いほうが尊重される。治水は、本来、近代的ないわゆる民主主義が通用するものではないと言っていい」

近代的な民主主義とは異質だが、そこには充分な話し合いと共同体(むら)があった、という。

「地域住民だけで話し合いがもたれ、越流場所や氾濫区域を決めてきたということである。おそらく、越流場所をどこにするかは、利害が絡むので激しい議論になったはずである。しかし、地形や水田の状況から、地域住民同士の話し合いで場所が決定されたのであろう。この『お上に頼らず自らの地域を守る』ということは、かつての日本では各地で見られたことであり、地域住民の文化度が相当に高かったことを示しているといえる(略)。いわば『民衆の自然観』を根底として、共同体的段階の技術が十分に発揮されているのである」

 

◆新しい「都市の自然観」が農村とつながるとき

最後に、「民衆の自然観」を基礎とした現代の地域の治水や防災について考えてみたい。

「国家の自然観」のもと、治水は行政まかせという状況が進んできたが今、地域を守るために、「多面的機能支払」などの国の施策を活かし、地域行政とも連携をとりながら共同体的・自治的な治水・利水・防災を進める動きがさまざまに生まれていて、『現代農業』の姉妹雑誌『季刊地域』ではこれを精力的に取り上げてきた。改めてアピールさせていただくと、災害・防災は『季刊地域』の主要テーマであり、毎号「防災コーナー」を設けて、地域としての災害への備え方を記事にしている。

『季刊地域』の過去の記事を見たいという要望が強く、農文協ではこの春から「ルーラル電子図書館」に『季刊地域』を収録することにした(とりあえず10号から、現状40号まで)。「電子図書館」で、「災害・水害・洪水」をキーワードに検索(見出し検索)すると52件、「ダム・堤防」では17件、「ため池」で30件、「水辺」で16件、「遊水地」でも2件の記事がヒットする。水害対策や、水害軽減と利水・景観づくりを同時に実現する工夫などが豊富にあり、さらに「土砂災害跡地に広葉樹を植栽 適地適木で災害に強い森林づくり」など水害とも関係する山や森林活用の記事も多い。巻頭特集でも「水路・ため池・川 防災と恵み」(No.38)では、「土のうと粗朶(雑木の枝などを束にしたもの)の使い方」までとりあげ、「小さいエネルギーで地域強靭化」(No.36)には「停電2日半、断水2週間 西日本豪雨災害を地エネで乗り切った」話などもある。

気候変動のなかで、地域の自然への洞察と地域資源を活かす治水・防災の文化と技術が求められている。

それは都市ともつながる。

大熊さんは本書の最終章「第8章 自然と共生する都市の復活について」で、都市はその地域の自然や開発の経緯によってローカルな個性をもち、都市における自然条件を明確に把握することが不可欠としたうえで、こう述べる。

「都市に住む多くの人たちが、地域の自然に根差した『都市の自然観』というものをつくりあげ共有する必要があるのではないであろうか。それが『国家の自然観』の見直しだけでなく、忘れられた『民衆の自然観』の再認識にもつながると考えられる」

都市のまわりにも農地があり自然があり、川を溯っていくと水を貯める水田があり森林があり、地域の生産と暮らしがある。自然から隔絶された都市ではない、新たな「都市の自然観」が生まれ農村とつながるとき、川と人間の共生も豊かにイメージされるだろう。(農文協論説委員会)

以上転載終了

 

◆まとめ

この主張文を読むと先人たちは、いかに自分たちの頭で考え行動していたかが分かる。今、我々一人一人がこれから取り組む課題は、「民衆の自然観」を取り戻す。すなわち、自然の摂理、生命原理を感じ、自らが地域に根差した自然観を取り戻していくことであろう。

国家にたよって何も考えないという現在の有り様。意識の向かう先を日々の生活の中から変えていく。そのためには、本能、共認をフル稼働させ、自らの頭で考え行動することが求められているのだ。では、次回もお楽しみに・・・

投稿者 noublog : 2021年06月25日 List   

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