2007年9月30日
2007年09月30日
「消費者」から「当事者」へ 農村から都市への働きかけ―その新しい段階
まるいちです。最近のこのブログの記事は、体験学習や農業研修を通じての子供達や若者達の状況や意識の変化、そして実際の就農定住の為の現状や課題の記事が続いていて、すごく勉強 させてもらっています 😀 😀 。
そして、これらの記事から得られた最大の気付きは、【当事者】 になる事が一番大事な事なんじゃないか!?って事です。
『仕事の当事者 』『農業の当事者 』『地域の当事者 』『社会の当事者 』・・・になる!・・・人の意識の変化の中心にあって、これが本物の活力 (=やる気)につながり、自らを、また相手を、場を活性化 させる。
それで、【農業や食、或いは生産者、消費者として当事者になるとはどういう事か?】に関する良い記事があったので紹介します 😀 。↓
【「消費者」から「当事者」へ 農村から都市への働きかけ―その新しい段階】
『農文協のHP「ルーラルネット」』の『農文協の主張2007年9月号』に掲載されています。
目次
◆とことん受動化される「観客」
◆受動的生産者から「当事者」へ
◆受動的消費者から「当事者」へ
◆経済財政諮問会議が騙る「消費者利益」
◆新自由主義経済学の人間観
◆食は消費ではなく、創造的行為
以下に抜粋しながら考えてみたいと思います 。
●とことん受動化される「観客」
この号が出るころには結果が明らかになっているが、参議院議員選挙が近づいている。
~中略~
どちらがより「都市型政党」であるかを競ったこれまでの選挙と違って、どちらがより農業・農村を守るのかが争点(のひとつ)になっている点は、好ましいといえば好ましいが、これについてたとえば「日本経済新聞」の7月15日付社説「農業票ではなく農業再生を競え」は民主党の「個別所得補償制度」と自民党の「担い手の育成による強い農業の育成」を比較しながら、次のように述べている。
「両党の狙いは明白である。民主党は自民党の伝統的な支持基盤である農業票の切り崩しを図り、自民党は票田を必死で守ろうとしている。
~中略~
難しい改革を果たすには強力な政治指導力が欠かせない」
農業をめぐって激しく対立する(かのようにみえる)民主党と自民党、その中間的な立場で「解説」するマス・メディア。私たちの「選択」は、そのどちらかに「一票」を投じることしかないように感じさせる。
ところで、先月号の「主張」でもふれたように、南米ではこのところ、脱米・オルターグローバリズムの政権が誕生している。その原動力である南米の社会運動の動向を伝える『闘争の最小回路 南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン』(廣瀬純、人文書院)という本に、こんな一節がある。
「政治経済エリートたちは、マス・メディアと結託して、『劇場』をできるだけ大きくすることを企てる。(略)彼らは、自分たちだけで『舞台』を独占し、ぼくたちを『観客席』に追いやろうと企てる。『アクターはおれたちだけだ。お前たちはオーディエンスに過ぎない。舞台に上がってくるな』。こうして、彼らはぼくたちをとことんまで受動化させようとするのである」
「マス・メディアが、すべての政治的な出来事をエリートたちのあいだのコンフリクト(対立・衝突)という偽の表象のもとに語り伝え、また、それによって、ぼくたちをたんなる『観客』の立場へ押しやろうとすることは、実のところ、当のエリートたちがまさに望んでいることそのものです。エリートたちの掛け金は、つねに、自分たちだけで『政治の舞台』を独占し、他の者たちをできるだけ『観客席』に留まらせることにあります。(略)この意味で、どんなに激しく対立しているように見えたとしても、両者のあいだにはより深いレヴェルにおいてひとつの密やかな合意があると言えるのです」(同上)
著者の廣瀬氏は、民衆が政治を取り戻すためには、エリートの独占を利するジャーナリズムに代わる新たなジャーナリズムを創造するとともに、すべての住民の顔が見えるような範囲での共同体で、ひとりひとりが行動する存在(「経験的存在」)であると同時に、行動する自分自身をつねに見ている存在(「超越論的存在」)でなければならないと述べている。ひとりひとりは「アクター」(行動者=俳優)であると同時に、自分自身の「観客」(オーディエンス)でもあるというわけだ。
★エリートとメディアの問題 👿 、そして私達普通の人間のとるべき道 、についてはるいネット に参考になる会議室があるので紹介します。是非ご覧下さい 。
マスコミによる共認支配の怖さ
アメリカ→官邸→マスコミの共認支配を許すな
プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶
現代意識潮流を探る、その深層には?
発想の逆転:需要ではなく、仕事=供給者を作り出す
日本人と縄文体質
人類500万年に亙る共同体社会
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投稿者 nara1958 : 2007年09月30日 Tweet
2007年09月30日
「干し野菜」の秘密?
こんにちは。先日、ようやく今年の梅干の“天日干し” を済ませた小松です。野菜苗の出荷が終わったので、ハウスの中で三日三晩、夜露 にあてながら干しました。今年は9月の後半というのに真夏日が続いて、全然問題なくしっかり干すことができました (^^;
梅干は天日干しをすると色が濃くなって、味が馴染んでまろやかになります。太陽の光に当てるだけなのに、不思議です。梅干に限らず、一般に“干し野菜”はとても甘味が増すようです。大根やニンジンなどは、ちょっとしたおやつ代わりになるほど 意外な甘さです。また、干し椎茸の味や香りや風味は、生では決して出せないものです。
太陽に当てることで、乾燥させることで、何が変わるのか?今回は「干し野菜」について、調べてみました。
「くらしの小径」より
減るのに増える? -乾物のはなし-
いつでもさっと取り出して使える保存食「乾物」。
旬の食材をたっぷりと収穫して保存、きちんと使い切る昔ながらの知恵のひとつです。
天日に干せばいいのですから、塩漬けや砂糖漬けなどより手間いらずで単純な保存法です。世界中にさまざまな乾物が生まれているのも、その手軽さゆえでしょう。
乾物には他の保存法にはない優れた付加価値があります。
それは、天日乾燥することで、旨みや香り、栄養が増すということです。
たとえば、「生大根」と乾物となった「切り干し大根」を比べてみましょう。
生大根と同じ重さの切り干し大根を比較すると、エネルギーは約15倍、食物繊維は約16倍、カルシウムはなんと約23倍にもなるというデータがあります。その他のビタミンやミネラルもぐんと増し、「生大根」はより栄養価の高い食品「切り干し大根」に生まれ変わるのです。
乾物の歴史は古く、万葉集にも登場します。
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いい)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
有馬皇子が読んだこの歌の中にある「飯」とは、蒸した米を乾燥させた携帯食だといわれています。栄養価が高く、軽くて保存が利きますから古来より長旅や戦の食糧としても活用されていたのです。
鎖国が行われていた江戸時代には、長崎だけが窓口になり貿易をしていましたが、多くの乾物も輸出されていました。特に高級食材の「干しアワビ・乾燥ナマコ・フカヒレ」は「俵物三品」と呼ばれ、江戸幕府にとって清国(今の中国)との重要な交易品でした。冷凍、冷蔵のできなかった時代に、乾物は貴重な食の担い手であったに違いありません。
干すと甘くなる、ということについては、こんな記述もありました。
「干し野菜クッキング」本谷恵津子 家の光協会 より
野菜を干すと甘くなるのは、水分が抜けて味が凝縮するためです。また干すことで野菜が温められ、含まれている酵素が活性化してうまみ成分が生成されることが考えられます。
たとえば野菜に含まれる酵素のアミラーゼが活性化され、でんぷんを分解し、ぶどう糖や麦芽糖などの糖を作るので、甘みが増すというわけです。
それに加えて身がしまり、歯ざわりもよくなるので、風味も増して、より美味しく感じるのでしょう。
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投稿者 komayu : 2007年09月30日 Tweet