自然を通じた成長シリーズ⑥~子どもの成長の根源である「同期(同調)力」の発達過程をたどる。~ |
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2023年03月30日
【進化していく農法について考える】シリーズ3 不耕起栽培に学ぶ~自然とはなにか?
土を全く耕さない栽培を不耕栽培といいます。
日本ではおそらくこの方(福岡正信)さんが最初にこの農法を発見したというか世に広めた第一人者でしょう。福岡さんは昭和22年からこの農法を始め約20年かけて不耕栽培を極めた方です。田圃を耕さずに藁をかけるだけで他の栽培方法とほぼ同等の生産を上げています。除草も害虫駆除も肥料も与えない、まさに何もしない農法が不耕起なのです。
しかし福岡さんいわく、「何もしない=手を加えない」で生産するという追求が最も難しいとの事なのです。
福岡さんの写真↓リンクからお借りしました
日本でなぜこの不耕起が始まったのか?これは面白い追求かもしれません。仮説ですが、日本の農業と欧米の農業は根本的に発想が違うのではないでしょうか?
欧米の農業は今でこそ有機農業が進められていますが、歴史的には大規模で大量生産高効率を求める農法です。また遡れば灌漑技術や品種改良が行われたのも西アジアがスタートです。
西洋の自然を客観視する思考方法
⇒人間中心の価値観、自然を利用する世界観
日本の自然に同化する思考方法(発酵や俳句)
⇒自然に生かされている世界観
この世界観がなぜ作られてきたか。それは集団の形成過程にあると思われます。西洋の世界観は天文学や数学、科学や宗教をつくってきました。大きく捉えれば自然を法則的に捉える思考方法です。西洋は早くから集団が多段階に形成され、大集団、やがて国家が形成されていきます。
一方で日本は1万年超えの縄文時代を通じて数十人せいぜい数百人までの単位集団で永らえ、共同体という形で生きてきました。それがそのまま自然への見方や接し方にも繋がっていったのです。西洋人の自然観は支配であり、コントロールです。日本人は自然は注視する対象であり、一体化する対象である、さらに怖れを抱く大きな世界でもあるのです。この違いがそのまま農業へ現在でも引き継がれているとすればそれは日本人の農法にも大きく影響しているのではないでしょうか。
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福岡さんの考え方を紹介します。この考え方に自然農法の本質があります。
「何もしない方法を目指す」から35年の間私はひとすじに何もしない農法を目ざした。ああしなくてもいいのじゃないか、こうしなくてもいいのじゃないか、という考え方、これを米麦つくりとミカン作りに徹底的に応用した。
普通の考え方ですと、ああしたらいいんじゃないか、こうしたらいいんじゃないか、といって、ありったけの技術を寄せ集めた農法こそ、近代農法であり、最高の農法だと思っているのですが、それでは忙しくなるばかりでしょう。私はそれとは逆なんです。普通行われている農業技術を一つ一つ否定していく。一つ一つ削っていって、本当にやらなければいけないものは、どれだけか、という方向でやっていけば、百姓も楽になるだろうと、楽農、堕農を目ざしてきました。結局、田を鋤く必要はなかったんだ、と。堆肥をやる必要も化学肥料をやる必要も、農業をやる必要もなかったんだ、という結論になったわけです。
そういうものが必要だ、価値があることだと思い、効果があるように思うのは、結局、人間が先に悪いことをしているからなんです。価値があるような、効果が上がるような条件を先に作っているということなんです。
人間は医者が必要だ、薬が必要だ、というのも人間が病弱になる環境を作りだしているから必要になってくるだけのことであって、病気のない人間にとっては医者も医学も必要ではない。というのと同じことです。健全な稲を作る、肥料がいらないような健全な。しかも肥沃な土を作る、田を鋤かなくても、自然に土が肥えるような方法さえとっておけば、そういうものは必要でなかったんです。あらゆる一切のことが必要でないというような条件を作る農法。こういう農法を私はずっと追求しつづけてきたわけです。
そして、この30年かかってやっと、何もしないで作る米作り、麦作りができて、しかも収量も一般の科学農法と比べて少しも遜色のない、というところまで来た。
ということは”人間の知恵の否定”です。それが、今こそ実証できたということになる。これはもう1事が万事であって、他のあらゆることにも適用できるはずなんです。
たとえば教育というものは、価値あることだと思っている。ところが、それはその前に、教育に価値があるような条件を人間が作っているんだということにまず問題がある。と私は言いたいんです。教育なんて、本来は無用なものだけれど、教育しなければならないような条件を、人間が、社会全体がつくっているから、教育しなければならなくなる。教育すれば価値があるように見えるだけにすぎないということです。
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その中で自然に手を加えないのが最も難しくて優れた農業だという信念の元、不耕起を提起、実現させていった。そこに福岡氏の自然観=日本人の原風景があります。
戦後立ち上がった様々な農法はこの自然を注視する中で欧米から植え付けられた農薬効率農業から脱却する為に登場したとも言えるのではないでしょうか。
似たような農法であいがも農法や発酵技術を使った農法など後に紹介していきたい。
それは農業の技術というよりも自然に対する同化の産物とも呼べるのではないでしょうか?
参考:農園のこと | 福岡正信自然農園 official site (f-masanobu.jp)
投稿者 tano : 2023年03月30日 TweetList
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