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2009年10月03日

新しい「農」への途(1)――戦後農政の超克――

プロローグ
1947年(昭和22年)からの3年間で行なわれた「農地改革」は、日本の農業構造を決定的なものにすることになった、という意味で最大のターニングポイントだったと思われます。
このシリーズで取り扱うことになる内容の概要は、
(1)寄生地主の土地を農民にバラ撒いた「農地改革」は、農地の私有意識を生み、
(2)共同体的な集団による生産様式が家族単位へと分解され、
(3)家族経営ゆえに農業資材や技術や経営も外部(=農協)に依存したことで、農民は部分労働者と化し、
(4)自給自足の途を閉ざして給与を他に求める兼業へと向かい、
(5)農地転用による一攫千金狙いで農地を抱え込むことで、地域ぐるみの営農集団再生も、
新たな営農希望者への農地貸与もままならず、「農」の可能性は閉塞しましたが、
(6)豊かさが実現し、縮小経済へと移項したことが、農地の流動性を高めることとなり、
新たな社会需要を包摂した「新しい『農』のかたち」が期待されます。
というような展開になるかと思います。今回は、その(1)に相当する部分を扱ってみたいと思います。
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(1)農地の私有化による私権意識の芽生え
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▲「目で見る三島市の歴史」よりお借りしました。
GHQの最高司令官マッカーサーは、寄生地主(*1)が日本の軍国主義に加担したとして、農地改革をしました。
日本政府は、大正デモクラシー(*2)の影響を受けて1920年代から頻発した小作争議が社会統合上の課題でしたので、比較的自発的に実施した、とされています。
因みに、農地改革では、10アール(=1反)の農地を長靴1足程度の値段で強制的に地主から買収して小作人に譲渡したと云います。
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▲修理されたゴム長靴(「終戦前後の生活」よりお借りしました)
◆杞憂に終った、GHQの政治的な思惑
GHQのもうひとつの狙いは、共産主義運動の鎮圧にあったと云われます。防共の砦として日本が機能するようにするためには、日本共産党に接近する農民運動を封じ込める必要もあって、あてがいぶちの農業協同組合(現JA)を発足させたとされています。
ところが、農民運動は一気に沈静化したと云いますので、力技で断行した小作農の農地私有化は、不満分子を黙らせるほどの絶大な力を持っていたというわけです。しかし、この農地私有化問題は、折に触れて様々な問題を露呈していくことになります。
【脚注】
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(*1)日本における寄生地主制の歴史(Wikipediaより編集)
江戸時代まで
安土桃山時代に豊臣秀吉が行った太閤検地によって、農地の所有者は耕作する農民とされた。
富農が貧農から土地を買い集め、農村の社会制度が崩壊する事を恐れた江戸幕府によって農民間で田畑の売買を禁止する田畑永代売買禁止令が1643年に公布された。田畑永代売買禁止令では田畑の質入を禁止していなかったため、質流れと言う形で売買が行われ田畑永代売買禁止令は有名無実化していった。
明治維新から第二次世界大戦まで
明治時代に行われた地租改正と、田畑永代売買禁止令の廃止により寄生地主制が進展した。地租改正により土地所有者は金銭によって税金を払う義務が課せられることになったが、貧しい農民には重い負担であり裕福な者に土地を売り渡し小作人になっていった。
第二次世界大戦後
日本が太平洋戦争(第二次世界大戦)で敗戦し連合国の占領下に置かれた時に日本を統治したGHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーは、寄生地主が日本の軍国主義に加担したとして農地改革を行った。この改革により寄生地主が所有していた農地は非常に安価な価格で買い上げられ、小作人に安価な値段で売り渡された。
—————————————-
(*2)大正デモクラシー(Wikipediaより編集)
概要
政治面においては普通選挙制度や言論・集会・結社の自由に関しての運動、外交面においては生活に困窮した国民への負担が大きい海外派兵の停止を求めた運動、社会面においては男女平等、部落差別解放運動、団結権、ストライキ権などの獲得運動、文化面においては自由教育の獲得、大学の自治権獲得運動、美術団体の文部省支配からの独立など、様々な方面から様々な自主的集団による運動が展開された。ジャーナリストや学者の発言も在り方に大きな影響を与えた。
背景
日露戦争における日本の勝利はアジア諸国における国際的緊張関係の緩和要因となり、1905年(明治38年)には東京で中国同盟会が結成されるなど民主主義的自由の獲得を目指した運動が本格化していった。一方、資本主義の急速な発展と成長は日本の一般市民に政治的・市民的自由を自覚させ、様々な課題を掲げた自主集団が設立され自由と権利の獲得、抑圧からの解放に対して声高に叫ばれる時代背景ができ上がっていった。
—————————————-

   つづく  by びん

投稿者 staff : 2009年10月03日 List   

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