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2009年06月07日
『畑仕事の十二ヶ月』
■まるいちです。今日は、ちょっと良い本の紹介です。
「暦に学ぶ野菜づくりの知恵 畑仕事の十二カ月」と言う本なんですが、現代では、忘れ去られつつある【旧暦】に基づいて農業、野菜つくりを考えてみよう!・・・技術解説ではなく、昔ながらの【知恵】・・・「知識」ではありません・・・の紹介の本です。
重要なポイントは【農の営み】を通じて【昔ながらの知恵】や【工夫】、【自然の摂理】を学ぶといったあたりだと思います。
そして、最後は【思想】にたどり着く。
この本に関しての書評で良い記事があったのでこれを紹介します。
「愚樵空論」さんの記事より引用です。
ちょっといい本を見つけました。暦に学ぶ野菜づくりの知恵 畑仕事の十二カ月 久保田 豊和
アマゾン
本のタイトルから察しが付くように、いわゆる家庭菜園向けの技術指南書――かといえば、ちょっと違います。副題にあるように知恵なんです。知識ではない。ではどんな知恵かといいますと、こんな具合です。
・梅の花が咲いたら・・ ジャガイモを植え付けます
・こぶしの花が咲いたら・・ ネギ、ゴボウ、ラディッシュをまきましょう
・里桜が咲いたら・・ いよいよ夏野菜の栽培が始まります
・藤の花が咲いたら・・ ニガウリ、ラッカセイ、オクラ、モロヘイヤをまきましょう
こういうのに、私なんかはグッと惹きつけられるものがあるのですね。
季節のめじるしを頼りに自分の行動を決める。ここから感じられるのは、自在感です。季節のめじるしは、ある意味では制約です。“この季節にはこうしなさい。そうすればうまくいきます。”という知恵。これは逆に言うと、“季節から外れるとうまくいきませんよ”ということでもありますから、自由に作物を作りたいという欲求からみれば制約です。
けれども、この制約は束縛するだけのものではありません。いえ、“ではない”と断言はできない。それは各々の人の捉え方ですから、“こうである”とは言い切れません。ですが私は、この制約に喜びすらを感じます。梅が咲いたら、桜が咲いたら――、自然の営みに歩調を合わせて、自分の行動をみずから定める。あるいは自分の行動がおのずから定まっていく。「自分の意志で定める」でもあり「他者の意志(=季節のめじるし)によって定められる」でもある。この2つが喜びの感情を持って統合されているという感じ。これが自在感なんです。
私は最初に、この本が単なる技術指南書ではないと書きました。単なる技術指南書ではない部分は、思想の本としての側面です。【農の営み】という思想です。【農の営み】は知識的、技術的な部分では農業とほぼ同じですが、基盤となるものの考え方、感じ取り方が違います。この『畑仕事の十二ヶ月』は、大上段に思想書だと振りかぶったところはまったくありませんが、技術指南が自然な形で【農の営み】に思想紹介になっています。
以下の続きも是非読んでください <(_ _)>
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農書との出会い
私が農書に関心を持ち始めたのは十数年前。農業高校で教えていた私は、農薬や化学肥料に頼っている近代農業から、できるだけ環境に優しい栽培への脱皮を目指していました。しかし、当時は周囲に有機農業をしている知人もなく、田舎の本屋では有機農業の本も数冊しか手に入りませんでした。そんな中、岩波文庫から出ている農書『農業全書』や『百姓伝記』、のちに『会津農書・会津歌農書』に出会いました。
農書は安土桃山時代から江戸、明治にかけて書かれた農業の専門書です。当時の篤農家や名主などがその土地の農民に向けて書いた一種の技術書です。農薬や化学肥料を使わない、鎖国による循環型社会が形成されていた時代ならではの持続可能な農業技術が記されていました。初めは取っ付きにくかったのですが、実際に自分が育てている作目の部分の技術書として読むと面白く、大変ためになりました。この本の背景には、近代農業以前の農業知識があるわけなんですね。【農の営み】は農業以前からずっと引き継がれてきた思想であって、農業以前の技術を元にしてあるので、自然に【農の営み】の思想書にもなる。しかもこの本の優れたところは、単に農薬や化学薬品を使わないというだけではなくて、農事暦への関心を深めていくところにあります。そのことが【農の営み】への関連性をより深くしているようです。
【農の営み】と近代農業の違いは、ともすれば記述の違いだと考えがちです。確かに昔の農業技術と現代のそれとでは隔たりがあるでしょうし、収量を上げるための効率性という観点においては近代農業の方が格段に進歩しているでしょう。しかし、そこに環境問題、持続可能という視点を入れたとき、それでも果たして近代農業の方が優れているかというと、疑問符がつく。そのことはすでに多くの人が共有するものになっていると思います。
しかし、【農の営み】と近代農業のいちばんの違いは技術ではありません。思想です。自然がもたらす制約を単に束縛するものだと捉えるか、自分自身を生かすためのものと捉えるか、その差です。前者は近代農業であり、制約からの解放を目指す【自由】の思想です。対して【農の営み】は、制約を自らのものとする【自在】の思想。農業と【農の営み】は似て非なるものです。
【自由】を目指す農業は、自然の制約を超えようとします。私たちが商品として購入する農業製品の大部分は、【自由】な農業によって「生産」されたもの。季節の制約から自由になった方が希少性が高くなってより高価格で販売できる。【自由】の思想はそう考え、実践し、スーパーマーケットには年中同じ野菜が出回っている。このことは、単に季節感が失われたというだけのものではない。私たち自身、意識はしてこなかったけれども、大切な基盤としてた【自在】の思想が失われていったことをも意味しています。自由を追い求めるなかで自在感――いまの若者言葉でいうと「リア充」――を見失ってしまったわけです。
『畑仕事の十二ヶ月』には、こんな言葉が記されています。あなたの畑がヘブライ語でいう囲われた〈ガー〉楽園〈エデン〉、本当の庭〈ガーデン〉になりますように
本書を読めばわかりますが、ガーデンは囲われていても決して閉じてはいません。自在感は、制約のなかで働いて築き上げる、囲われつつも開かれた楽園にあるのです。
投稿者 nara1958 : 2009年06月07日 TweetList
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コメント
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