2009年6月10日
2009年06月10日
戦後の敗戦処理に一役かった八郎潟干拓事業
第二次世界大戦後、日本は深刻な食糧不足となりました。そこで政府は農地を拡大し、食糧を増産する計画を立て、全国各地で開拓や干拓が急速に行われるようになりました。これまで営農が困難とされていた全国各地の限界耕作地にも、次々と新しい村が開かれていったのです。
【戦後の土地改良事業 一覧】 (「水土の礎」より)
その一つが八郎潟の干拓事業。(現 秋田県南秋田郡大潟村)
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投稿者 pochi : 2009年06月10日 Tweet