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2008年06月10日

市場に翻弄されない米作り(鳴子の米プロジェクトの試み)

こんにちは。
ここのところ、肥料や燃料が高騰し、一方で、少しだけ国内の米の価格が上がっているのを気にしながら、今年の米作りに精を出しているところです。
 ところで、日本農業も食糧自給率の問題も、市場経済にどっぷり浸かっていては、明るい展望が見えそうにないので、そこから脱しようとする試みの事例を調べて見ました。
 その一例です。テレビ等でも紹介されてご存知の方も多いと思いますが。
 鳴子の米プロジェクト
http://www.city.osaki.miyagi.jp/annai/kome_project/01.html
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鳴子温泉全景
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「叛主流.非行式.無露愚」
http://blog.goo.ne.jp/news13/e/ffb699bf11c1f71a5f4d4f1cc510e70d
でも紹介されています。

鳴子の米
日本の米農業補助政策は今年度から大きく変わった。
「品目横断的経営安定対策」では、特定の要件をクリアする「担い手」のみを施策の対象にしようとしている。平坦地では4ha以上を耕作する米農家、あるいは集落みんなで耕作する20ha以上の生産組合でなければ、国による補助が打ち切られる。
国境措置の全廃→米価が下がり農家の所得が減る→「大きな農家」に絞って所得補填する→「小さい農家」が苦しくなり稲作をあきらめる→大きな農家や企業に土地が集まる。このグローバル化のシナリオのなかでは、所得補填を受けるとしても大規模農家の稲作経営は不安定になり、もちろん小さい農家も苦しくなる。
—中略—
「小さい農家」の米づくりは邪魔だといわんばかりの風潮が強まるなかで、一つの、新しい動きを紹介したい。昨年から宮城県大崎市旧鳴子町ではじまった、題して「鳴子の米プロジェクト」のことである。
鳴子は年間85万人もが訪れる温泉町でもあるが、水田面積4ha以上の「担い手農家」は620軒の農家のうちわずか5軒。この10年で鳴子の農家は100軒減り、耕作放棄地も70ヘクタールに及んでいる。このまま耕す人がいなくなれば、温泉街をとりまく農村風景も荒廃すると、民俗研究家の結城登美雄氏を総合プロデューサーに、農家やJAのみならず、観光協会と旅館経営者まで巻き込み、行政と住民の協働ではじまったプロジェクトである。
東北181号という耐冷性の高い、冷涼な山間に合った新品種米を育て、来季から1俵1万8000円の生産者価格で、消費者に直接買い支えてもらうことをプロジェクトの柱にしている。鳴子の米を2万4000円で買う応援団をつくり、農家には手取り1万8000円を保証する。そして差額の6000円は、諸経費のほか、研修生の受け入れや後継者の育成に充てていく。(ちなみに現在、新潟産コシヒカリをのぞき米の市場価格は再生産価格を割り込んでいるらしい)。
ところで、ご飯一膳分はどのくらいの値段かということ…今回のプロジェクトで設定している1俵あたり24000円という価格で食べる側に供給した場合、1年間の消費量が約60kgで1俵ですから、24000円÷365日=65円/日
1膳は米60g~70gとして、1俵で1000杯分。24000円÷1000杯=24円/1膳というのがおよその金額となります。
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写真はごはん1杯(米約60g)と同じ価格24円としたときにほかの食品と
比較したもの=笹かまの切れ端=イチゴ1個=ポッキー4本
哲学者の内山節さんが、こんなことを語っています。
「私はこれからは、農業にかぎらず、どんな分野でも、商品を半商品に変えていく関係づくりをしていったほうが面白いと思っています。そのことによって、暴力的な力を持っている今日の市場経済を、内部から空洞化させていくことができたら、私たちは今日の市場経済の支配から大分自由になることができるでしょう」(人間選書『農の営みから』に「半商品の思想」として収録)
「半商品」とは、商品として流通はしているが、それをつくる過程や生産者と消費者との関係には、経済合理主義が必ずしも貫徹していない商品のこと。買い手が値段と品質とを比較して選ぶのではなく、「この農家の米なら」「この地域の米なら」と買う場合も「半商品」である。
米は、農家にとって極めて特殊な作物である。先祖代々の田んぼでイネをつくり、その米を家族で食べ、町にでた子や親戚にも送る。田んぼを荒らしたくないし、米だけは自分でつくったものを食べたい。何より、米をつくることは農家として、あるいは村人として生きる証のようなものでもある。
だから、先の「コストを無視した生産」もなくならないのである。とはいっても、米は商品でもあるから、赤字ではきびしい。そこで、「1膳24円」の価値を食べる人と共有しながら、再生産できる仕組みを地域でつくっていく。
広い見方をすれば、「鳴子の米プロジェクト」は、もっとごはんを、米を味わい尽くそうよ、という呼びかけなのだ。年間85万人の旅館の宿泊客が朝、出発する際、「お昼にどうぞ」と1人2個のおにぎりを差し出すだけで、140ヘクタールの田んぼの作付けが必要になる。
「食べることは、子供から大人まで、誰でも簡単にできる農業の応援なのだから」、「食味計という機械や、マスコミの評価でランクが決められる取引とは違う、作り手と食べ手のつながりを実現しよう」と結城氏。「国が見捨てたからといって、私たちにはあきらめてはいけないことがあり、失ってはいけないことがある」とも付け加えて。

「鳴子の米プロジェクト」は、
単に、消費者が米を買い支えるということではなくて、地域の、さらには、そこを訪れる人たちも含めて、食や農の当事者として巻き込んで持続できる仕組みを作る1つの試み(脱市場)として、注目に値すると思います。

投稿者 naganobu : 2008年06月10日 List   

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