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2009年10月06日

本当は、集団に入ったのではなく、社会に出たのだ

こんにちは、こまつです。
今年も類農園には、夏休みを利用して、たくさんの若者がインターンシップにやって来ました。そして夏休みが終わったあとは、社会人の方々が来られています。それだけ農業に対する期待や関心が高まっています。

インターンシップにやってくる動機は様々ですが、農業を体験してみたい、現場を知りたい、自分の経験値を高めたい、学校の勉強では物足りない、など、集団の外に何か答えを求めている、という意識が感じられます。
この「脱集団」の意識の根底にあるのが、「本当は、集団に入ったのではなく、社会に出たのだ」という認識です。
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以下、るいネット「次代を読む」より。

 人々は、これまで人生の節目ごとに(まるで一大事業であるかの如くに)「学校に入り」「企業に入り」「家庭に入る」のだと認識させられてきた。しかし、我々はそれらの「集団」に、本当に入ったのだろうか?それは、形だけ、上辺だけのことではないだろうか。本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出ていったのではないだろうか。
 学校であれ、企業であれ、家庭であれ、「集団」に入れば、必ずその「集団」から身分(資格や肩書き)の獲得や利益の獲得という私権課題が強制的に与えられる。従って、子供や若者は自我・私権の主体となるしかない。社会が私権の獲得という目標に収束できていた時は、それでもまだ良かった。しかし、今や私権圧力は衰弱するばかりなので、何をしてももう一つ燃焼できないし、いつも何か物足りない。
 だが、「集団」に入ったのではなく、本当は社会に出たのだと考えれば、全く別の世界が見えてくる。本当は社会に出た(=社会の当事者になりたい)のだとすれば、「集団」を超えた人(みんな)収束の潮流や、『みんなの期待』に応えたいというやりがい志向が、私権の衰弱と同時に生起したのは当然のことであり、それは人々が社会の当事者になろうとする可能性の発現だったということになる。


農業インターンシップに来た若者たちの体験談が、「全国新規就農相談センター」に掲載されています。その中から、彼らの感想を抜粋して紹介します。

・色々な体験が出来て楽しかった。
・自分の視野も大きく広がった。
・農家の人たちの大変さ、苦労や物を作る、育てる大変さがよく分かりました。
・漠然と「農業がやりたい」と考えていた1か月前と比べ、今はより具体的に「農業で生計を立てるために今何を学ぶべきか」が見えてきた。そして、やはり農業をやりたいという思いを強くすることが出来た。
・正直、農業を甘く捉えていたと思いました。今まで生活してきて、これほど自分が口にしているもの、周りにあふれている食べ物に対して、想像以上の苦労と作り手の愛情がこめられていることを実感することはありませんでした。
・農作業のことばかりでなく、農業の現状や農村の想い、働き手の気持ちなど、会話から多くの情報交換が出来ました。そして、この情報をもっと発信していくことが大切なのではないかと強く感じるようになりました。

単なる農作業の体験というだけでなく、生産現場の苦労や、農家が考えていること、さらには農業に期待されていることなど、生産者と共感できたり、社会とのつながりが感じられることが、彼らの気付きになっています。
「本当は、集団に入ったのではなく、社会に出た」のだから、社会(みんな)の事をもっと知りたいと感じるのは当然のことだし、そのように社会の当事者として生きていくことが、何よりも充足できるのです。
農業を通じて社会を垣間見ることが出来る、農業インターンシップで来てくれた若者たちには、その充足を感じて欲しい。そのためには、我々生産者自信が、構造認識を身につけ、発信していくことが期待されているのですね。 😉

投稿者 komayu : 2009年10月06日 List   

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