自殺した松岡農林水産省大臣の「攻めの農政」とは? |
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2007年06月16日
農薬の歴史(1)
農薬ネット(http://www.nouyaku.net/index.html)で
[農薬の歴史]をまとめられており、農薬問題を俯瞰するには良い資料なので、要約・編集して紹介したい。
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●1600年・・・家伝殺虫散
松田内記は、トリカブトや樟脳など五種類の薬品を混合した「家伝殺虫散」(ウンカや猪に効果があるとされている日本最古の農薬)を発明した。
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●1697年・・・農業全書と宮崎安貞
宮崎安貞は、最初にして最大の農業指南書:農業全書全10巻を完成させた。その中に農薬のことも記載されており、タバコの煮汁や硫黄を燃やした煙など効果が十分期待できる物も含まれている。
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●1700年代頃・・・除虫菊粉の利用開始
欧州では、除虫菊の粉で作物を害虫から守る商品として流通し始めた。除虫菊は明治以降日本でも育てられるようになり、一時は欧米に大量に輸出され日本経済を発展させる原動力になった。
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映像出典元:
「みんなの農薬情報館」>防除の文明史>8 ウンカをめぐって
www.jcpa.or.jp/column/bmsi/bm08.htm
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●1750年頃・・・注油法の発明
田圃に鯨油などの油をまくことで水面に油膜を作り、そこに虫が落ちると油に搦まれて飛び上がることが出来なくなり、死んでしまう。日本で初めて有効な害虫防除が出来るようになった。(注油法もあくまで一部地域で断片的に行われたもので、全国的に見ると相変わらず祈祷が主)
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●1800年代・・・アメリカでも農薬誕生
アメリカでも青酸や亜ヒ酸や硫酸ニコチン(タバコの成分)が使われ始める。いずれも非常に毒性が高い物で使用する際に多くの事故が起こった。1900年頃日本にも導入され使用されたが、現在では硫酸ニコチンがわずかながら使われているのみ。
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●1851年・・・ワインと石灰硫黄合剤とボルドー液
1851年にフランスのグリソン氏は、石灰と硫黄を混ぜた物(石灰硫黄合剤)がブドウの病害に効果があることを発見した。同じくフランスで、1880年頃に硫酸銅というものに石灰を混ぜたボルドー液に効果があることが発見された。
→共に1900年頃に日本に導入され、現在でも使用されている。
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●1873年・・・植物検疫のはじまり
ドイツで世界初の植物検疫の法律が誕生。その後、各国で同様な法律が誕生する。→日本でも1914年に植物検疫所が発足し、害虫対策が本格的にスタート。外国から天敵を輸入することから始まり、大きな成果を残した。
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●1900年前後・・・明治~大正時代の日本
日本政府は農薬の技術輸入に努め、1891年に除虫菊粉が用いられたのを皮切りに・ボルドー液・青酸・ヒ酸鉛・硫酸ニコチンなど諸外国で発明されていた主な農薬は日本に導入された。また国産化にも着手し、1917年に日本初の農薬製剤工場が操業を開始し石灰硫黄合剤が作られ、その後、主な農薬は続々と国産化されていく。
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ハーバー ボッシュ
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●1913年・・・リービッヒとハーバー・ボッシュ法
ドイツのリービッヒは、1840年に植物が成長するために必要な物は炭酸ガス、水と、チッ素、リン、カリが重要であることを発見した。ここから人工肥料の考え方がスタートする。しかし、リンとカリは鉱物資源として得られたが、チッ素はなかなか得ることが出来なかった。
ドイツのBASF社は、ハーバー・ボッシュ法という画期的なアンモニア合成法を1913年に開発し、チッ素肥料を安価で大量に得ることに成功した。ここから、多収穫の近代農業がはじまり、化学合成物が大量に農業に用いられるようになる。そして、病害虫と人間の戦いも本格化する。
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●1924年・・・除虫菊の有効成分が判明
除虫菊の殺虫有効成分についての研究が行われ、スタウディンガー氏らによってそれがピレトリンという化学物質であることがわかる。農薬と化学が結びついた画期的な研究成果。1932年には日本の武居氏らによって、デリス根の有効成分がロテノンという化学物質であることも判明した。日本人が農薬分野で世界的に認められる研究を完成させた最初の例。
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●1930年代・・・日本の農村でも農薬が普及し始める
昭和初期には日本の農村でも農薬が本格普及し始めた。野菜、果樹、茶には必要不可欠な資材として認識され始めていたが、稲作にはまだ有効な農薬が生まれていない。それは水田のない外国からの技術導入に頼っていたため。ヒ酸鉛、石灰硫黄剤などの販売競争は激化し、多くの農薬会社が淘汰され、一部は合併などを繰り返し大きな会社へと成長していく。
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●1938年・・・DDT:農薬史上最も重要な発見
ヨーロッパでは、絨毯や衣服が虫に食べられるのを防ぐ、より強い防虫効果を持った化合物を探す課程で、ガイギー社のミュラー氏はDDTに殺虫活性があることを発見し、農業用、防疫用に有用であることが確認され実用化された。これは、人間が大量に合成可能な有機化合物を、殺虫剤として実用化した最初の例で、その後の農薬は全てここからスタートした。ミュラー氏はこの功績により1948年にノーベル賞を受ける。
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●1937~45年・・・戦争中の日本の農薬事情
戦争の拡大にともない、原材料である銅や硫黄などは兵器の製造にも不可欠であり、農薬用にはまわされにくかったため、日本では農薬の原料に事欠くようになる。農村の働き手が戦争にかり出されたことと相まって、農業と農薬の進歩は全く止まり、苦しい食料事情に拍車をかけることとなった。
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●1940~44年・・・有機農薬続々誕生
有機農薬(=有機化学的手法で人工的に合成された農薬)は、現在の農薬の9割を占める。DDTに刺激され各国で殺虫剤の研究がはじまり、BHCが1941年頃にフランスで、パラチオンが1944年頃ドイツで、ディルドリンがアメリカで発明さた。いずれも高い殺虫効果があり、またたく間に先進国を中心に世界へ広がっていく。
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●1944年・・・除草剤誕生
作物は枯れずに雑草だけが枯れる、という夢を現実のものにしたのが、2,4-D(2,4PAと呼ばれることもある)。草ひきは農作業の中でも最も過酷で時間もかかったので、農家に大歓迎された。日本で除草剤が本格的に普及しはじめたのは1950年代に入ってから。
★除草剤の普及は、農村労力の都会への流入を可能にし、日本の工業化に貢献した。また過酷な労働からの開放は、農家の健康や余暇の拡大、兼業化による現金収入の増加など社会に大きなインパクトを与えた。
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年 1949 1965 1975 1991年
水稲の除草にかかる時間 51時間 17時間 8時間 2時間
(10アールあたり)
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by びん
(つづく)
投稿者 ayabin : 2007年06月16日 TweetList
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コメント
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