2021年11月4日
2021年11月04日
農から考える自然の摂理~「土の仕組みを探る」:瀕死の微生物たちが森の生態系を守る
【土壌の生態系を救ったキノコ】の事例にもみられるように、土の仕組みを探る上で、土壌微生物の解明は欠かせない。
彼らはどのような環境下で、何を武器にしながら土の中の生態系に関わり続けているのか。
今回はもう少しその実態に迫ってみたい。
投稿者 negi : 2021年11月04日 Tweet
2021年11月04日
【農の歴史】コラム 共同体持続の鍵となった水田稲作~自然と人に“開かれた”自給システム~
前回の【農の歴史】シリーズコラム記事で「焼畑」について紹介しました。縄文時代から伝わるとされる循環型農業です。
焼畑は現代日本では少なくなってしまいましたが、今でもおなじみ、「水田稲作」はどんな農業なのでしょうか。
今回は、身近だけど意外と知らない「水田稲作」について紹介したいと思います♪
こちらも前回ブログで紹介しましたが、( http://blog.new-agriculture.com/blog/2021/09/5031.html )西洋の麦作文明と東洋の稲作文明で、そこで暮らす人々の意識は全く違うと言われます。
一般的に、麦作の地域では個人中心で自立精神が強く、自然は支配するものという思想が大きいのに対し、稲作地域では相互依存性が強く、自然との調和を大事にする思想が基盤にあると言います。人間は自然の一部なので、後者の方が真っ当な精神だと思います。しかし農業をする以上、人の手によって土地の改変を行うわけですから、自然を支配するという思想が出てきてもおかしくないように思います。
なぜ稲作地域、とりわけ日本では自然や他人との調和を大事にするのでしょう。
こちらの記事( https://www.ruralnet.or.jp/syutyo/1997/199705.htm )によると、稲または稲作の、以下2つのポイントが関わっているようです。
1.自然に「開かれた自給」システム
水田稲作農業は、山―川―田―海と、循環する水を仲立ちとした「開かれた自給」システムだと言います。どういうことなのでしょうか?
日本の地形は非常に複雑です。環太平洋造山帯に位置する日本は国土の約3分の2が山地によって形成されており、そこへ流れ込む川によって実に複雑でいりくんだ地形が形成されています。
水を多分に要する水田稲作はこの地形の中では有利だと言います。地形を大きく変えずとも、水の流れに沿って灌漑ができるからです。縄文後期からはじまった水田稲作は、こういった山と川のつながりの中でつくられました。
山の水は森の養分を含み、水田稲の栄養となります。水田では水に含まれる窒素やリン酸を調整します。過剰であれば、吸収・保全し、過小であれば放出する。そういった中和の機能を水田が担っており、そこから川へ、海へ流れる水は過剰栄養でも貧栄養でもない、魚にとって丁度良い水の環境をつくりました。これが自然に「開かれた自給」ということですね。
焼畑同様、自然の生態系に農業を組み込む仕組みや発想が水田稲作農業にもあったのです。
西洋にも川がありますが、その分布密度は低く、だからこそ水の利用が最小限に抑えられる麦作が主流になりました。そのため山や川とのつながりを持たない“自身で完結する”「閉ざされた」生産システムが構築されたのです。また、麦作はその生産力の限界(麦は稲に比べ生産力が大きく劣る)から、広大な耕作面積が必要となります。耕地拡大のため、人々は山を削り、森を焼きました。最初から、自然に対して侵略的な側面をもっていたと言えるかもしれません。
この両者の違いが先に述べた人の自然観にもつながっています。
画像は https://www.honda.co.jp/kids/explore/rice-terraces/ よりお借りしました。
2.稲作は超大変!人同士結びつきが欠かせない
突然ですが、「米」という字の由来をご存じですか?
「米」の字は「八十八」からできていて、稲作の行程の多さに由来すると言われています。
田起こしから脱穀まで、現代でも収穫するまで1年近くかかります。ゆいや雑草刈など、周りの人との共同作業だけでなく、同じ水系を使う人と入水時期を調整するなど、とにかく1人では絶対できない。周りの人との結びつきが収穫量と大きく関わります。
また、循環する水をたくさんの人が利用するので、「自分の田が荒れることは他者様に申し訳ない」という意識も働きます。
こうした“ムラ”の原理が稲作を通じて働き、縄文時代からの共同体精神を持続させました。
画像は https://www.mashingup.jp/2020/10/221860_sustainableseafood.html よりお借りしました。
狩猟採集から農耕へ舵を切った日本人ですが、古代から人の営みを自然と切り離すことなく、一体化を求め続けてきました。その歴史は長く、簡単に覆るものではありません。
江戸時代後期から西洋文明が導入され、近代以降、私たちはあまりにも西洋的なものに目を奪われてきました。しかし自然破壊・肉体破壊が限界の今、私たちはもう一度「本源」を見つめ直す必要があるのだと思います。
次回は自治共同体によって最先端の社会システムを構築した江戸時代中期の農業についてご紹介します!お楽しみに~^^★
投稿者 ideta : 2021年11月04日 Tweet