2009年1月27日
2009年01月27日
「農家のかあちゃん」が経営者に②
①の続きです。
野田文子さんは、「からり」の会員第一号であり、からり直売所運営協議会の会長でもある。普段は離れて暮らす2人の孫だが、面倒をみる日は、必ず「からり」で一緒におやつを食べる。国土交通省認定の「観光カリスマ」も、この時ばかりは普通のおばあちゃんだ。
今でこそ「からり」の顔として全国を飛びまわる野田さんだが、「農家の嫁」は自由のきかない日々だったと振り返る。内子は伝統的な男性社会、夫を差し置いて女性が表に出る機会はなかった。子育てを終えて一息ついた1994年、ある日の回覧版を見て「これだ」と思った。町役場が産直販売に取り組む農家を募集するという知らせだった。同じような思いを持つ74人が集まり、「からり」の前身となる直売所「内の子市場」がはじまった。
「今まで農業をやってきてこんなに楽しかったことはない」
たちまち夢中になった。
夢中になりすぎて夫と喧嘩もしたが、着々と販売実績を上げて納得させた。
1996年に現在の「からり」が誕生、「からりネット」も産声を上げた。女性たちは、外部の声も柔軟にとり入れて新しいことに挑戦してきた。
「私らは農業のプロだけど、お店で売るのは素人。皆が教えてくれたからここまで来たんよ」
生産者の間でもドライフラワーやカゴ作りなどの技術を教え合った。品揃えが充実して評判を呼び、一人の専売特許にしておくよりも売り上げが伸びた。皆の知恵が集まって良い循環が生まれることが、「からり」の発展につながっていると野田さんは語る。
2001年には女性が中心となって加工品の開発と飲食店「あぐり亭」の営業を行う「アグリベンチャー21」が発足。2003年には野田さんと「アグリベンチャー21」の名本良子会長がタイに招かれ、産業の活性化と女性起業について経験から助言した。2005年、内子町は近隣の五十崎町、小田町と合併する。生産者の新規参入で一人あたりの売り上げが減ることを心配する会員もいるが、野田さんは「仲間で競争すれば刺激になるし、お客様も増える」と笑い飛ばす。
「からりネット」は、畑を倉庫に、農村の暮らしを商品に、農家の女性を農業経営者に変えた。 ただし情報化は「魔法の杖」ではない。「からりネット」は成功の決め手ではなく、地道な取り組みの追い風になっているだけだ。 売場の賑わいを一歩抜けると、川のほとりにアーチの屋根とガラス張りの建物がある。ここは「からり」を運営する「(株)内子フレッシュパークからり」の事務所兼情報センター、情報が一手に集まる舞台裏だ。部屋の奥では心臓部のサーバーが静かに動いている。情報センターを切り盛りするのは山本真二さん。所属は内子町役場だが、勤務先はここ「からり」だ。肩書きは「情報相談係長」、常に現場で農家や第三セクター社員の相談に乗り、一体となって汗を流してきた。 山本さんは、「農家が主役、役場は黒子」という立場に徹する。「からり」の施設設備や「からりネット」のシステム構築は、国の補助事業として行われた。しかし、いくら恵まれた補助金でインフラを整備しても、行政からのトップダウンでは根付かない。内子町役場は20年間にわたって勉強会「知的農村塾」を主催し、農家が自発的に参加する土台を作ってきた。産直販売に乗り出す際も、地区ごとに農家を集めて2年間のべ50回にわたる座談会を開き、合意形成をした。裏方がしっかりしてこそ主役が活躍できるし、その活気が人を呼び寄せる。
「からりネット」も、使いやすさを重視して配慮を重ねた。
バーコードシールの印刷には、画面の質問に答えながら入力していくウィザード方式を採用した。生産者の情報は生産者コードと紐付けされているので、入力するのは数字のみ。7割が女性、平均年齢60歳を越える会員たちは、道具として当たり前のようにパソコンを使いこなす。
当初は農家に設置された専用の農業情報端末(多機能FAX)のみで行っていたデータの配信も、2003年に一般FAX、電話音声、電子メールにも対応するように拡充。今ではすっかり生活に溶け込んでいる。
「情報ツールよりも、情報をどう利用するかが大事」と山本さんは強調する。
POSレジを入れた産直販売所自体は決して珍しくないが、全てが「からり」のように売上増につながっているわけではない。「からり」では、必ず販売データを分析し、一手間加えて生産者に返すようにしている。売れる品物や価格帯、集客ピークなどのデータは、作付計画や販売戦略を立てる時の重要な手がかりになる。各種のデータは、売場脇の「生産者の部屋」の端末でいつでも取り出すことができる。
近井ナルエさんは、出荷に来たついでにデータをプリントアウトする。パソコンの操作は難しくないかという問いには、
「これが楽しみなの。見て見て、今出てくるから。今日は9月に入ってからの売り上げを出してみたんだけどね…」との答え。
関心はその先にある情報に向いている。
情報を使うのは人。情報センターでは会員農家を対象にパソコン講習も行っているが、「ポップは下手でも良いから手書きで書いてください」と指導する。消費者が「からり」に求めているのは素朴な味わいだからだ。相手にとって最適な方法を考えれば、あえて情報ツールを使わないという選択肢もある。オンラインショップも、現在のところは販路開拓というより「からり」ファンへの贈り物といった位置付けにとどめている。
今、「からり」の会員は内子町の全農家の28%を占める。女性と高齢者を中心にはじまった「からり」だが、最近では専業農家の参入も増えてきた。「からり」の影響でUターンして農家を継ぐ人、内子に移住して農業をはじめる人も現れるようになった。第三セクターの社員は40人を数え、若年層の雇用確保にもつながった。一つの取り組みが、じわじわと町全体を変えつつある。
人口1万1000人の内子町を訪れる人は、年間100万人。内子町を特別な存在にした観光資源は、どれも元々は普通のものばかりだ。「からり」では農家の女性たちが表舞台に立ち、農村の暮らしが商品になった。大江健三郎は、子どもの頃から見てきた風景に意味を与えた。生活の場であった街並みや、大衆歌舞伎の劇場も、そこに目をつけた人の手で残されることによって文化財になった。
内子町の体験を持ち帰って、私たちに何ができるだろう。地域格差を埋める情報化から、地域の色を際立たせる情報化へ。身の回りにある見過ごしがちなものにスポットライトを当ててみることから、地域の活性化がはじまるのではないか。
読んでるだけでも元気の出てくる事例ですが、
ポイントは、IT技術を利用して、生産者同志の良い意味での競争、教え合い、そしてお客さんを含めた、しっかりとした評価空間をつくり上げたことではないでしょうか。そのことが、農家のおばちゃんを当事者にし、経営者意識と活力を生み出し、それが核となって、地域を丸ごと売ることで、人が人を呼んで、地域を活性化させているのではないでしょうか。
私が住んでいる地域の、ある地方スーパーも、似たような仕組みで、店舗内に直売コーナーをオープンさせました。(おそらく内子を視察に行ったんだと思います。)すると、これが、大当たり! 直売コーナーが呼び水になって、店舗全体の売り上げも大幅上昇! 近くに出店してきた全国展開の大手スーパーをはじき返す勢いです。
これからは、全国どこでも均一で安く手に入るということは、魅力ではなくなり、 地域個性、地域密着の方向で、そこで生み出される活力と共認充足こそが、最大の商品力になって行くのではないでしょうか。
投稿者 naganobu : 2009年01月27日 Tweet
2009年01月27日
「農家のかあちゃん」が経営者に!①
現在、農産物の直売所は、全国に広がって、女性を中心にした運営で、日本の青果物販売の5%を越えるとも言われるようになってきましたが、その成功例の1つとして知られる内子フレッシュパーク「からり」特産物直売所の取り組みを紹介します。
以下、
http://www.nikkei.co.jp/digitalcore/local/17/index.html
からの抜粋です。
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投稿者 naganobu : 2009年01月27日 Tweet