タネから次代の農業を考える1~種の歴史(種は、元々みんなのものだった!) |
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2013年04月04日
【シリーズ】生態系の循環を活かした持続可能な農業の実現に向けて(1)~プロローグ
食の安全・安心に対する人々の期待は高まり、最近では、直売所などの産直店に寄ると、無農薬・減農薬・有機栽培等の表示が目立ち、マスコミでも良く採り上げられるようになった。
一方、日本では農薬と化学肥料に頼らない農業として、既に1971年に「日本有機農業研究会」が設立されてはいるが、国が正式に有機農法を認めたのは、2006年の「有機農業推進法」からである。国が有機農業を認めてこなかったことは、その研究や技術開発が遅れていたことを意味し、実際に、開発された日本の有機農業技術や有機農法は、すべて現場の農家が試行錯誤の中から生み出した民間技術であったと言えます。このことは、「慣行農法」が行き詰まり、日本農業が深刻な危機に陥っていることの裏返しでもある。
品種改良や化学肥料、農薬の投入、機械化に頼る近代農業は、戦後の食糧増産、高度成長を支えてきたが、環境軽視の農法は、土壌の劣化、生態系機能の喪失を招き、それが貧弱な作物収量、土地放棄につながっている。これだけならまだいいが、さらなる増産・効率化を目的とした品種・農薬・肥料の改良が、一層多くの化石燃料、農薬、化学肥料の購入を強要し、これらを多量に使う農産物生産からの撤退さえ余儀なくされている。これ以上に化石燃料や農薬・肥料に依存する食糧生産が持続不能であることは、いまや明らかである。
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●生態系のバランスはどのように保たれているか?
生態系のバランスを保ちながら、食糧生産を続けていく為には、先ずは、自然の摂理を農業者自身が知る事です。そこで、当ブログ「新しい「農」のかたち」では以前、【共認社会の新しい農法とは?】で生態系の循環について詳しく扱っています。以下、引用です。
上図はhttp://blog.new-agriculture.com/blog/2010/04/001089.htmlより引用
先ほどから高分子高分子と書いてきましたが、簡単に言うとこれは「糖類」です。この糖類が分解(消化)されてエネルギーを生み出すからこそ、生物はエントロピー増大に逆らうことができ、生態系も維持できているのです。
その糖類を作ることができるのは、『植物』しかいません。二酸化炭素・水に加え、生態系外部のエネルギーである「太陽光」を使って『光合成』を行うことで、上記の壮大な生態系循環に必要なエネルギーが生み出されているのです。
地球の熱・水・大気の循環は、それぞれが独立しているわけではなく、相互に関わりあっていることが分かります。これらの循環により地表面温度15℃という環境が保たれてきたからこそ、生物は存在可能だったんです
生物の中でも人類が自然の循環システムに大きな影響を与えるということを強調しておきます。特に森林伐採による砂漠化の進行など、人類が自然の循環を破壊してきた張本人であることは自覚すべきでしょう。
【共認社会の新しい農法とは?】(4)地球の熱・水・大気循環と植物
このように、地球上の生命誕生から、我々を含め何億年も生命が生き続けてこられたのは、多種多様な生命の生と死の繰り返しと、環境(主には地球の熱・水・大気)の変化(=外圧)への適応態を形成してきたからである、このことを先ず我々は理解することである。この生命が生き続けられる根本原理は、以下、実現論にも書かれている。
生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。例えば本能も、その様な外圧適応態として形成され、積み重ねられてきたものである。また全ての存在は、本能をはじめ無数の構成要素を持っているが、それら全ては外部世界に適応しようとして先端可能性へと収束する、その可能性への収束によって統合されている。また、外部世界が変化して適応できなくなってくると、新たな可能性(DNA塩基の組み換えの可能性)へと収束し、新たな可能性(例えば、新たな配列)の実現によって進化してゆく。従って、歴史的に形成されてきた存在は(=進化を重ねてきた存在は)、生物集団であれ人間集団であれ、全て始原実現体の上に次々と新実現体が積み重ねられた、進化積層体(or 塗り重ね構造体)である。つまり万物は、それ以前に実現された無数の実現体によって構成されており、それらを状況に応じたその時々の可能性への収束によって統合している、多面的な外圧適応態である。
●生態系の循環(分解と合成)を阻害しているものと、農薬と化学肥料に頼る農法の限界
それでは、冒頭の問題意識「化石燃料や農薬・肥料に依存する食糧生産が持続不能であることは、いまや明らかである」に立ち戻り、この生態系の循環を阻害しているものの正体は一体何なのであろうか?
以下【共認社会の新しい農法とは?】(2)生命とはどういう存在なのか?より引用
放っておけば分解して拡散していってしまう有機高分子を、その有機高分子同士の複雑な関係性を保ちながら、無数の化学反応を繰り返すことによって自然分解を上回るスピードで壊し、再構成する、ということを絶えず消化によって得たエネルギーを使ってやり続けているのが生命なのである。
~中略~
我々は、「環境」とか「循環」という言葉を漠然と使っているが、その本質は、このエネルギーと物質の流れにある。
人間は、常温では過剰に安定的で分解されにくい物質、あるいは自然界ではありえないような原子の組み合わせを持った分子を、石油化学の技術を使ったエネルギーを用いて強引に大量に創り出してきた。
この人工物質が、エネルギーと原子の本来の流れを部分的に止め(他の微生物などが利用できない状態にし)壊し、環境に蓄積していっている。この行為を続けると、当然ながら、生命圏、生態系全体のエネルギーと原子の循環に支障を来すことになる。現にそうなっているのが、現在の状況である。
このことは、正に大量の石油化学エネルギー等、自然界に有り得ないスピードで新たな原子の組替えを行った物質を、田畑などの自然界に投入し続けること自体がもはや持続不可能であることを意味している。
●自然農法の限界と、自然界の循環を壊さないこれからの農法とは?
一方、過度な無農薬、自然農法へのこだわりにも問題がある。
以下、るいネットの記事でも採り上げられているが、
自然農法に可能性はあるか
現在数多くの自然農法と言われている農法が有り、小規模な団体も存在しますが、どれを見ても農業界で普遍化せず、これからの農業を活性化させていくだけの活力を感じません。
生産技術(農法)は社会が必要とするもの(期待)を如何にして実現していくかと言う問題意識無しでは、各農法は体系化、普遍化されていきません。アンチ近代化の自然であったり、自給程度の生産量では普遍化していきません。
経営を続けていく為に、誰でも農薬や化学肥料を使わないで済むのなら、使わないに越したことがないとほとんどの農家は思っているに違いない。問題は、農薬や化学肥料を使うべきか?全く使わないか?ではない。人間を含めた生命が生き続けるための自然界の循環を壊さないことである。つまり、微生物や小動物の営み、或いは、熱や水や空気の流れを壊すような、過剰な農薬や肥料の投入や土壌改良を行わない、かつ、現代の社会でも持続可能な農法の追求が求められる。
そこで、今回のシリーズは、
【共認社会の新しい農法とは?】(9)有機肥料と不耕起で作る豊かな農地①~豊かな土の条件~
【共認社会の新しい農法とは?】(10)~生態系を維持しながら農業する“不耕起”という手法もアリでは?~
でも採り上げられ、各地で慣行農法と同様の収量を得るなど成功事例の多い「不耕起栽培」についての可能性を探り、実践の方法を探っていきたいと思う。以下が、今回のシリーズで扱いたいテーマである。
●シリーズ目次
1.プロローグ
2.何故、土作りが重要か?
3.不耕起栽培の可能性~耕運の長短を知る
4.畑作における不耕起栽培の事例
5.水田作における不耕起栽培の事例
6.団粒構造と根の働き
7.堆肥の働きと作り方
8.連作障害は何故起こるか?
9.持続可能な農業の実現に向けての具体策
投稿者 staff : 2013年04月04日 TweetList
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