2013年4月4日

2013年04月04日

【コラム】江戸時代の農業政策

「【シリーズ】日本の農業政策から、今後の農業政策を考える」 の中で「戦後の農業政策」を取上げていく予定です。
今回は更に遡って「江戸時代の農業政策」はどうであったのか?をコラムとして紹介したいと思います。
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1、江戸時代の農業、百姓の状況
1)江戸初期の新田開発と人口の増加
 江戸時代初期は人口約1,200万人、約100年後の享保期には武士・町人・農民あわせて約3,000万人 になっていた。この人口増は戦国期末からの土木技術の発達とこれを使った用水土木工事の実施・新田開発による食糧(コメ)増産が実現した事により実現した。
2)武将・領主、そして百姓自身が自主的、積極的に新田開発、開墾を行った。
 戦国時代は「自由競争時代」でその基盤は経済力であった。その経済力とは、コメの生産力、金・銀鉱山、特産品、商業などであり、コメの増産には特に力が注がれていた。
 戦国時代を生き抜くために「武将・領主が権力を用いて百姓を動員して、河川の安定工事や新田開発を行った」と言う武将・領主の主導による新田開発だけではなく、百姓が自主的に新田開発を行うのも活発だったようである。
↓参考
椎名道三 
吉野織部之助・小川九郎兵衛
砂村新左衛門
小川九郎兵衛
横井源左衛門・金屋源兵衛・加賀屋甚兵衛
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3)江戸時代の百姓の生活
 上記のような状況は江戸中期には安定し、藩や村落共同体毎の用水工事や新田開発が行われ、その生産性はかなり上昇していたようである。
 また、江戸時代に百姓は武士や大名などによって支配され、五公五民、六公四民というような重税を課せられて苦しい生活を強いられていたようなイメージが有る。
 しかし、実際は江戸時代の初期に検地が終了し、ここで一旦村高が確定している。この頃の幕府領400万石のうち年貢米は150万石前後なので、年貢率は30~40%であった。
 その後、農業技術が発展し、新田開発も行われ生産性の向上、収益性の高い商品作物の導入、農産加工業の進展、農民の賃金収入などがあり、村高はほぼ固定されているので、実質年貢率は十数パーセントから二十パーセントぐらいになっていた。これは、現代の一般サラリーマンの税金とほとんど変わらない。
 また、その後も検地が行われたようだが、実質的な増税は無かったようである。
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2、江戸時代の農業政策
1)幕府や藩の法は恒久法ではなかった
 幕府や藩が村人を規制しようとしたことはあった。しかし、この規制は近代以後の法制度のように、幕府や藩がある一つの理念・目的をもって、近世の時代を通じて一貫した方針で村人を規制したものではない。
 幕府や藩の法は、それぞれの時代の課題に対処するための方針であり、それが一貫した全国的な法になった場合もあったし、その場限りで忘れ去られた場合もあった。そして幕府が出した法は、全国を対象としてはおらず、幕府の領国やしばしばその一地域を対象にしていた。これが他の大名領国に及ぼされるには老中奉書という添え書きがなされ、あて先を限って大名に送付されたのだ。さらに送付された幕府の法を大名が大名領国に法として広めるかどうかは、大名の判断に任されたのだ。特に国持ち大名と呼ばれる大身の大名は、幕府から自立する傾向が強かった。近世幕藩体制というのは、幕府と諸藩とが、それぞれが自立した国家として連合した形態だったのである。
 さらにもう一つ重要なことは、幕府や藩は本来は軍事機構であって、武士は村や町の政治を行ったことがなかったこと。村や町の政治は、村や町という政治組織・生活共同体が担ってきた。従って幕府や藩には、村や町を統治するための知識も経験も不足しており、民政統治や農政などのさまざまな産業政策はなかった。幕府や藩は、それぞれの場所でそれぞれの時代に起きた具体的な出来事に対処する個別の方針を出したに過ぎない。
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2)江戸時代は藩や村落の共同体自主管理の時代
 以上の事から、江戸時代は国(=幕府)の農業政策と言うようなものはなく、藩や村落が共同体自主管理により自らが農業政策を決定し、実施する時代であった。まさに、本当の民主の時代であったといえるのでは無いだろうか。
★江戸時代の貧農史観はやはり、改めた方が良い、みんなの生きる場をみんなで創っていた時代なんだと思います。
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参考:
大江戸経済学 江戸時代の歴史観が変わりつつあるl
江戸時代インデックス~江戸時代の人々の収束軸とは何か?~
 
最後まで読んでいただきありがとうございます

投稿者 nara1958 : 2013年04月04日  

2013年04月04日

【シリーズ】生態系の循環を活かした持続可能な農業の実現に向けて(1)~プロローグ

食の安全・安心に対する人々の期待は高まり、最近では、直売所などの産直店に寄ると、無農薬・減農薬・有機栽培等の表示が目立ち、マスコミでも良く採り上げられるようになった。
一方、日本では農薬と化学肥料に頼らない農業として、既に1971年に「日本有機農業研究会」が設立されてはいるが、国が正式に有機農法を認めたのは、2006年の「有機農業推進法」からである。国が有機農業を認めてこなかったことは、その研究や技術開発が遅れていたことを意味し、実際に、開発された日本の有機農業技術や有機農法は、すべて現場の農家が試行錯誤の中から生み出した民間技術であったと言えます。このことは、「慣行農法」が行き詰まり、日本農業が深刻な危機に陥っていることの裏返しでもある
品種改良や化学肥料、農薬の投入、機械化に頼る近代農業は、戦後の食糧増産、高度成長を支えてきたが、環境軽視の農法は、土壌の劣化、生態系機能の喪失を招き、それが貧弱な作物収量、土地放棄につながっている。これだけならまだいいが、さらなる増産・効率化を目的とした品種・農薬・肥料の改良が、一層多くの化石燃料、農薬、化学肥料の購入を強要し、これらを多量に使う農産物生産からの撤退さえ余儀なくされている。これ以上に化石燃料や農薬・肥料に依存する食糧生産が持続不能であることは、いまや明らかである
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投稿者 staff : 2013年04月04日