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2013年03月31日

タネから次代の農業を考える1~種の歴史(種は、元々みんなのものだった!)

プロローグでは、固定種が、これからの可能性として考えられるところまで展開して来ました。作物を育てる農業という営みは、人類固有のものですが、今回は、あらためて、その歴史を種という視点からまとめてみることで、固定種を追求することの位置づけ、可能性を俯瞰して行きたいと思います。
現在では、種は、買うのが当たり前になっていますが、元々、種は、市場の商品ではなく、みんなのものでした。そんな歴史を辿ってみます。
ところで、類農園三重農場では、今年の水稲の種まき、育苗が始まりました!! いよいよ本格シーズンの到来です。そこで、あらためて考えてみると、実は、水稲は、固定種が主流の数少ない作物なんですね。今でも、大型生産者では、自家採種がかなり行われています。その意味でも、このテーマ、とても興味深いです。
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種の歴史年表を見ながら、振り返ってみましょう。
まずは、人類が農業を始める前の段階から見て行きましょう。
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①狩猟採集生産時代(~1万年前)

 人口も少なく、人類の集団同士もほとんど接することがなく、自然の恵み(山菜や獣)の食べ物だけで生きて行くことができ、人類の集団間で争う必要もない時代。したがって、まだ、農業を行う必要もありませんでしたが、採集活動中に、自然を観察するなかで、種を蒔く、移植するという、栽培の原型となる営みが現れ始めます。
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「採取生産から、農耕・牧畜生産への進化。」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=133644

②自給的農業生時代(1万年前~5000年前)

 気候が寒冷化し、食糧が乏しくなり、、狩猟採集だけでは、食べて行けなくなりました。そこで、栽培=農業に可能性を見出し、食べられる野生の植物種や株を取り、蒔いたり、植えたりすることを積極的に行い、より多くの食べ物を手に入れる時代です。そして、栽培する中で、より栽培しやすい、収量が多い、アクが少ない、冷害に強い等の視点から優良株を選抜して採種し、より多くの食べ物を手にすることができるようになりました。そして、採種を繰り返すことで、作物は、徐々に、その土地に合ったものに性質が固定化されて行きます。これが、このシリーズで扱う固定種の原点です。この時点では、種を取る者=生産者=消費者であり、持続性、循環性を持っていました。そして、種は、何より、集団で生きて行く上で不可欠なみんなのものでした。
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自然の摂理と「野生種⇒栽培種」の関係の歴史
http://www.seibutusi.net/blog/2009/05/000761.html

③武力支配の時代(5000年前~400年前)

 人口が増え、集団も大きくなり、数も増え、集団間の戦争圧力が高まり、ついに、気候変動による食糧事情の悪化をきっかけに、集団間で本格的な戦争が始まります。そして、争いに次ぐ争いの結果、国家という大きな集団単位が形成されました。
そこでの集団の強さを決めるのが、武力によって奪った土地(領土)と、そこからとれる食糧=農業生産力でした。農業生産力を上げることで、多くの人口を養うことができ、強大な集団を維持することができます。この時代は、食糧を増産する技術として、着果率を上げる人工授粉、より優良な品種を作り出すための人為的な交配を生み出しました。この時代は、もっぱら、安定増収が目標でした。
  そして、国家課題である食糧生産の元でもある種は、特に穀物に関しては、国家も管理するようになりました。が、同時に、農業者も自家採種をし、優良な品種と種を保存継続して行く取り組みを地道に続けて行きました。
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 「人工授粉」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E6%8E%88%E7%B2%89

④市場拡大期(400年前~40年前)

 国家間の本格的な戦争も一段落し、つぎに、交易、市場経済の拡大に可能性を見出す時代となりました。そこでは、市場の欲求=消費者の欲求、即ち、みんな豊かになりたい、いつでもお腹いっぱい美味しいものを食べたい、という期待に応えるべく、大量に安価に、均質で美味しいものを生産することに全力をあげ、遂には、F1種が主流を占めるようになりました。
F1種は、日本人が開発したものですが、その時は、良い性質のものを作りたいという考えで、人間の意図した交配を行うために、1つ1つ手作業で除雄という作業を行って人工交配させていました。正に、手先の器用な日本人の本領発揮です。
ところが、雄性不稔株の発見、利用によって、交配作業も飛躍的に効率化され、市場の要求にも合致し、急速に広がり、伝統的な固定種を駆逐して行きました。この時代には、固定種は、有志の間で細々と存続する存在となり、市場からは、ほとんど忘れ去られた存在となりました。
しかし、一方で、雄性不稔株の積極利用という自然の摂理を超えた営みは、人間の体への影響が未知であり、危険性も指摘されています。
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『タネが危ない』…危なすぎます
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=260135
 そうは言っても、この時代までは、人類が生き残っていくため、次に、豊かな生活を送るためという、みんなの期待に応えようと工夫をつづけた人間と種との関係の歴史でした。
 ところが、F1種は、次世代が同じように作れないこと、化学肥料や農薬を多量に必要とすることを逆手に取り、緑の革命に代表されるように、先進国や多国籍企業が途上国を支配するための道具として利用し始めるようになってから、明らかに方向が転換されて来ました。 
途上国を市場に巻き込んだ緑の革命
http://blog.new-agriculture.com/blog/2009/02/000789.html

⑤市場縮小・終焉時代(1970年~現在)

 市場拡大も行き着くところまで行き、縮小と崩壊の危機という局面を迎え、市場の支配者であった金融資本家達は、支配者としての生き残りに必死で、その方策の1つが、遺伝子組み換え技術によるターミネータ種子です。これは、次世代を残せないように操作したいわゆる「自殺する種子」であるため、生産者は、永遠に毎年、種を購入することになり、かつ、遺伝子組み換え品種と自然交配した作物にも、種子の権利を主張するに至り、固定種そのものも遺伝子汚染による消滅の危機に瀕しています。また、ターミネータ種子と交配してできた作物の種子は、同じく次世代を残すことができず、世の中のあらゆる作物がターミネータ化して行く危険さえあります。文字通り、形振り構わない種による世界支配の構造に嵌りつつあります。今、最もホットなTPPも、その目的の1つに、この遺伝子組み換え種子の規制を取り払うことがあります。本当に恐ろしいことです!!
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 以上見てきたように、種は、人間が生きて行く上で不可欠な食べ物を得る元であり、かつては、みんなの財産でした。しかし、本格的な戦争に突入した時代以降、市場拡大の流れの中で、徐々に、自然の摂理を超える技術の開発を繰り返し、ついには、人間が決して手を出してはならない神の領域とも言える遺伝子組み換えに手を出し、一部の人間が多数の人間を支配する道具として、種を使うようになりました。その結果、自然の生態系は壊され、人間の生存にも大きな悪影響が出始めています。
 こうしてみると、固定種の可能性とは、自家採種という技術的問題だけにとどまらず、種を一部の支配者の手から、みんなの手に取り戻して、循環型、持続型の社会を再構築して行く課題であると言えるのではないでしょうか。
 そして、その可能性の萌芽が、あちこちで現れ始めています。
その1つが、種の交換会です!!
「たねを守るひとたちのつながり“たねの交換会”」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=271760

からの引用です。

それぞれにストーリーのある、こだわりのお店ばかりが並んでいます。
その中でおっと目を引くのが、”たねの交換会”という看板のあるテント。
並んでいるのは、いろんな色やかたちの種子でした。
>種の交換会では、参加する人が広く伝え守っていきたい
 たねを持ち寄り、お互いに交換します。
>交配や交雑している種、農薬の使用・不使用。
 遺伝子組み換えの可能性などについては、
 お互いがわかりあえるまで語り合いましょう。
持ち寄られた種は、気候適応し自家採種されたオリジナルが多く、
それぞれに特徴やストーリーがあります。
>地域の気候風土に適応した種が増え、その土地ならではの食文化が発展していくこと、 そして次の世代に持続可能で豊かな暮らしを引き継いでいくこと
>1人で30種類の種を採種することは大変ですが、30人が1種類ずつ採種し、
 持ち寄って交換することはさほど難しいことではありません。
リンク
ひと昔前の農村では、
伝統の作物のたねを“門外不出”とし、排他的に守る習慣が一般的でした。
ところがいま、“たねを守る”ことは、もっと開いた課題になっています。
(最近では、パタゴニアの元日本支社長 ジョン・ムーア氏が東京から高知に移住。
 伝統野菜の種の保存に力を注がれる、という新聞記事もありました。)
“たねの交換会”は、市場原理に支配されつつあった“たね” を、
経済的な価値を超えて、大切に守っていく大きな可能性だと言えるでしょう。

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 こんな活動に参加する人達は、良い種を自分達だけのものにしておくのではなく、心ある人達に広げて行こう、その中身を理解できる人の輪を広げて行こうという発想で、文字通り、脱市場、そして、自給志向、「種はみんなのものに」 の表れと言えるではないでしょうか。
このようなネットワークでは、種だけでなく、考え方や認識、タネ支配の状況を含めた有用な情報が広がって行きます。僅かな事からかも知れませんが、社会の構造を根底から変えて行く、1つの端緒になるのではないでしょうか。
 
今回は、ここまでです。
では、次回をお楽しみに!!

投稿者 naganobu : 2013年03月31日 List   

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