環境添加物 ~人工添加物漬けの地球 |
メイン
2007年06月25日
農薬の歴史(2)
前回に引き続き、後半をお届けします。
出典は農薬ネット(http://www.nouyaku.net/index.html)で、そこでまとめられている[農薬の歴史]を要約・編集しての紹介です。
応援の「ぽちっ」をお願いします
↓ ↓ ↓ ↓
—————————————-
●1946年・・・DDTが日本上陸
映像:くらしと環境学習Web >「過去から問題になっている物質 農薬」より
終戦後、アメリカ軍は日本の衛生状況の悪化を防ぐため、ノミ、シラミ、蚊の防除を勧めた。日本人のからだにDDTを真っ白になるまでかけたりしている。おかげで、多くの疫病を防ぐことができ、多数の人命が救われたのは事実。また、農薬というものが、グッと身近になったのは、この時から。
—————————————-
●1952年・・・稲作用の農薬が誕生
水田のイネにつく病害虫を農薬で退治するには2つの大きな問題があった。1つは有効な農薬がないこと、もう1つは泥状の水田に入っていって農薬をまくのは大変な重労働であったこと。最大の病害であるイモチ病に効果が高いセレサン石灰(水銀剤)と、最大の害虫であるニカメイチュウに効果が高いホリドール(パラチオン)が、この年に使用開始されている。また、泥の中に入らず、あぜ道からまける粉剤が開発されたこともあり、農薬が急速に普及した。
それまで、ニカメイチュウの害を避けるため、田植えの時期を遅らせていたので、実るのも遅くなり、成長前に台風でやられてしまうのが日本の水田の弱点であった。新剤の完成により、田植えを早くすることができたのは稲作の画期的な進歩であった。
→今では、ゴールデンウィークに田植えが定着。
—————————————-
●1957年頃・・・抵抗性、リサージェンスなどの問題発生
同じ殺虫剤を連続してまいていると、やがてその殺虫剤では死なない虫が繁殖しはじめることがある。これが抵抗性という現象。現在では当たり前のことながら、当時は農薬での病害虫防除にも限界があることがわかった。
また、殺虫剤をまくと害虫は減りるが、それに替わって従来目立たなかった虫が新たに繁殖して、害虫化することがある。これがリサージェンスと呼ばれる現象。ともに、農薬は万能ではないことが明らかになった事件といえる。
—————————————-
●1961年・・・ブラストサイジンSの登場
当時の日本は米の増産が急務であり、イモチ病を防ぐセレサン石灰という農薬は救世主として歓迎された。しかし、この農薬は水銀を含んでいることから、毒性があるのでは?と懸念されていた。そこで、水銀を含まないイモチ剤が望まれていたが、日本の福永・見里らはイモチ病に効く抗生物質を探し求め、ブラストサイジンSを見い出した。これは農薬に天然抗生物質を用いた最初の例で、世界的にも評価の高い研究となった。
—————————————-
●1961年・・・PCPによる魚の大量死が社会問題化
1957年に使用開始された除草剤PCPは、水田の最大の雑草であるヒエに除草活性があることから普及して、5年後には過半数のたんぼで使われるほどになった。ところが、魚に対して高い毒性をもっていたことから1962年には琵琶湖や有明海で大量の魚が死亡する事件が起こり、1963年からはそれら地区でのPCP使用に制限が加えられた。自然環境に農薬が多大な害を及ぼす可能性があることを、日本国民が認識した発端となった事件といえる。
—————————————-
●1962年・・・サイレントスプリング出版
アメリカでカーソン女史により「サイレントスプリング」が発表され大きな反響を呼び、1964年に「生と死の妙薬」の邦題で日本でも出版された。殺虫剤DDTなどが自然界で分解されにくく環境に蓄積し、思わぬ害を招く可能性を指摘したもの。日本でも農薬の安全性に関する議論が沸騰した。従来、環境に蓄積するとか慢性毒性を発現するといった観点では農薬は見られていなかったので、その後の安全性試験などに多大な影響を与える画期的な本となる。
—————————————-
●1968年前後・・・農薬安全使用へ向けての取り組み進む
戦後の農薬の急速な普及により、農薬による事故や事件も多発し、世論の農薬を見る目も厳しいものへと変わった。高活性低毒性な新型剤の発明も相次ぎ、古い農薬は姿を消していく。
1964年には食品残留農薬の調査開始。1966年にいもち剤の非水銀化。1967年に急性毒性の高い剤の生産中止を農林省が通達。1969年には水銀剤およびDDT・BHCなどの塩素系殺虫剤の水田使用禁止などが相次ぐ。毎年のように古い農薬は消え、毒性試験の項目は増えていくこととなった。
—————————————-
●1971年・・・農薬取締法大改正と使用禁止農薬の拡大
徐々に高まった農薬の毒性に対する関心と、明らかになってきた自然への影響などを考慮して、農薬を登録する際に各種毒性試験や自然界への残留試験などを義務づけた法律改正が行われた。
現在ではさらに多くの試験項目が追加され、この法改正が「近代農薬」から「現代農薬」への脱皮のきっかけになり、DDT・水銀剤・BHC・245Tなどそれまで中心的役割を果たした農薬が使用禁止となり消えていった。
—————————————-
今回も、最後まで読んでくれて、ありがとう!
by びん
投稿者 ayabin : 2007年06月25日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.new-agriculture.com/blog/2007/06/280.html/trackback