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2022年12月29日
【日本の漁業はどこに向かうのか】シリーズ3~古来よりの集落共同体における自主管理の仕組みを色濃く残した日本の漁業制度
※画像はこちらからお借しました。
日本は古来より漁業を行い、水産物を食べて生活してきました。
戦後は世界有数の漁業国として栄えてきましたが、年々漁獲量が減少している状態です。
今回は、日本の漁業がどのように営まれてきたのかを見ながら、現代の日本における漁業の課題を考えていきたいと思います。
◆集落の漁師によって自主管理された漁業(古代~江戸以前)
日本は島国のため、古くから漁業が盛んに行われていました。
貝塚などの史跡も残されており、中国の史書「魏志倭人伝」にも「日本では海に潜りあわび等の海産物を獲っている」と書かれています。
漁業は集落の漁師によって運営、管理が行われてきましたが、同時に集落間の対立が課題となっていました。
奈良時代に入った頃に朝廷から「養老律令(701年)」が出され、「山川藪澤の利は公私これを共にす」と書かれるなど、漁業を国が管理するように動きが行われるようになりました。
これは「自然地は独占されるものでなく、入り会って利用すべきで、これら自然地の独占による占有を認めないこととし、皆で利用せよ」ということの取り決めを行っています。
しかし、国は大きな考え方を示しますが、漁場の管理は漁業者自身で話し合い、決まりを決めて、行われるようになっていきます。
この頃から、漁場は共有されるものであり、集落内、集落同士で漁場を自主管理する仕組みの基礎がつくられていました
◆自然と共生する漁業、漁場の自主管理意識の強まり(江戸)
※画像はこちらからお借りしました。
江戸時代には「山野海川入会(1741年)」が出され、幕府から「磯猟は地付根付次第なり、沖は入会」の原則が示されます。
これは、海藻・貝類などは地元漁村に優先権を与える(現代でいう漁業権)一方で、沖合は漁場の利用を細かく設定せずに、誰でも漁場に入ることができるという原則です。
江戸時代に、現在の漁業権制度の基礎となる漁業権の考えが確立しました。
幕府の指針をもとに、各藩では養老律令よりも「強制力を持った禁止令」が日本ではじめて出されます。
例えば村上藩は「種川制度」と呼ばれるサケの資源保護制度を実施しており、違反したものは摘発、処罰しています。
江戸時代の日本では、現代における漁業先進国で行われている「自然と共生する漁業」が行われていたのです。
そして、これまでと同様に、漁場を管理していたのは漁業者自身でした。
村落又は村落の有力者である長百姓が「漁場・入漁者・漁具や漁法・漁労日数の限定・漁場の輪番使用
などについてルールを定め、村落共同体で漁場を管理・使用する、日本の漁業における考え方が固まってきます。
幕府により禁止令が出されたにより、現代においても色濃く残っている「漁業は漁師自身が自主管理する」という意識がより強まっていきます。
画像はこちらからお借りしました。
◆江戸以前の仕組みを色濃く残した明治の漁業制度(明治)
明治政府は黒船の来航以降、富国強兵に向けて、漁業の近代化にも取組みます。
日本における国が主導する新たな漁業制度の仕組みをつくろうとしましたが、日本の漁業は漁師自身が管理するという意識が強いため、漁師からの反発を強く受けてしましました。
その結果、明治政府は慣行で行われてきた漁業の仕組みの調査し、これまでの漁業を自主管理してきた漁師からの意見も踏まえながら新たな制度をつくる必要がありました。
明治に作られた漁業法の概要は下記のようなものです。
①江戸時代の漁業慣行であった「一村専用漁場」を持っていた漁村を、まず、集落(ムラ)単位に一個の「漁業組合」を作らせ、そのムラに属する漁民を漁業組合の「組合員」として位置付けた
②一村専用漁場の管理と利用の漁業慣行を「地先水面専用漁業権」とし、この漁業権の権利主体として、一ムラに一個の漁業組合に免許とした
③漁業組合に漁業権の管理を任せ、漁業組合の組合員各自が、漁業を営む「漁業行使権」の権利主体とした
④漁業によって各自が得た収益については、組合員に帰属する
以上のように、村落管理だった漁業の管理を漁業組合に置き換えましたが、実態はこれまでの漁業の管理と大きく変わっていなかったのです。
◆沖合漁業と沿岸漁業の対立を緩和する動き(明治)
また、明治になり、近代革命によって漁船の機械化と大型化が進みます。
機械化を行った沖合漁業を行う漁師による乱獲が進み、沖合漁師と沿岸漁業の漁師の対立が強まっていきました。
明治政府は「遠洋漁業奨励法」を1897(明治30)年に公布し、両者の対立を緩和しようと試みます。
明治に作られた漁業法は江戸時代の仕組みを色濃く残しながら、近代漁業の確立によって生まれた漁師同士の対立を緩和することを目的につくられていきます。
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◆GHQによる漁業協同組合によって権利を管理する仕組みの強化(戦後)
画像はこちらからお借りしました。
漁業制度の抜本的見直しが行われたのは戦後であり、占領軍総司令部(GHQ)の介入の下進められました。GHQは自ら漁業を営む者が漁業権を保有するべきという考えから漁業権の自営者優先と個人自由主義を水産局に強く提案しました。
また、漁業の民主化については,GHQは当初から高い関心を示しており、これを受け漁業会の役員人事に関し行政官庁の任命制度の廃止し、選挙で決められる仕組みの改変などが行われました。
そして、当時漁師を取りまとめていた網元などに代わるべき機能を実施して行くものとして、漁業協同組合がとりあげられ、協同組合が共同漁業権、区画漁業権の管理権を与えられることとなりました。
◆漁業の近代化=大規模化により自主管理ができなくなった漁業
漁場の利用は「立体重複的であり,また技術的にも分割するのは不可能である」と言われるように、特定地域の漁業資源が枯渇するとその影響は他地域にも及ぼします。
漁業技術の発達で、一度に取れる魚の量、範囲が拡大し、水産資源を枯渇寸前でまで捕り続けることが可能な近代漁業では、日本で古来より行われてきた一地域の組合での自主管理では対応できなくなっています。
◆グローバル化により落ち込んだ日本の漁業
さらに国連海洋法条約による200海里漁業水域の設定など日本の漁業は国際社会の影響を強く受けていくことになります。
遠洋漁業で栄えてきた日本の漁業においては、国際的な取り決めるによる漁場の縮小に伴い、遠洋漁業の漁獲量は減り続け最盛期の15%にまで落ち込みました。
世界の水産業市場は拡大し続けているが日本では縮小の一途を辿っています。
それに対応すべく2018年に漁業法が改正されました。改正漁業法に基づき大きく変わった項目は、「資源管理」、「海面利用制度」、「密漁対策」の4つです。
また、水産政策の改革において、養殖業をはじめとした水産業の成長産業化や流通の適正化にも触れていますが、この改正により漁獲量が増えるのなどの具体的成果はまだ確認されていません。
◆まとめ
今回は奈良時代から現代までの、日本における漁業の管理の仕方、組織のあり方を見てきました。
しかし、日本の漁業組織は江戸時代以降の入会の仕組みを基盤にしており、それは現代においても大きくは変わっていません。
日本の自主管理する漁業のあり方は、国内地域において漁獲量をコントロールするには優れた組織であり、自主管理できていましたが、漁業技術の発達による水産資源の枯渇問題、グローバルな漁業規制を受けるようになってからは対応できていないのが現状です。
明治期の遠洋漁業奨励期を除けば、「資源が減る→漁獲規制」というモグラたたきの構造であり、制度として漁業を推進するものがほぼなく世界に後れを取っている状況と言えます。
次回は、世界で日々発展していっている養殖業について、日本の漁業における養殖業の位置付け、世界との違いをみていきたいと思います。
【参考サイト】
・入会の歴史など
・水産庁HP
・漁業漁村のおかれている現状
・戦前戦後における魚市場と漁業界
・我が国の魚食文化を支えてきた漁業・漁村
・70年ぶりの「漁業法改正」をどう見るか
・わが国の沿岸漁業の制度と漁業の民主化
・地先漁業権の法的性質と旧慣の改廃
・わが国の沿岸漁業の制度と漁業の民主化
投稿者 muramoto : 2022年12月29日 TweetList
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