24節気シリーズ~日本人が捉えた自然観と暦:日本人にとって暦とは、世界と一体化するためのツールだった? |
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2022年10月01日
【これからの林業を考える】シリーズ4~江戸時代の「循環型林業」・「全員林業」から学ぶ。~
前回の投稿では、日本の林業の歴史について見てきました。特に大きな転換期は、第二次世界大戦で荒廃した林野を再生するために、戦後、成長しやすいスギの単一的林業へと転換したことです。戦後以降の林業は、工業化が大きく進展する中で、斜陽産業として衰退していくこととなりました。また、スギという材料を選択したことで、成長しやすいものの、材料強度が低いという弱点がありました。その結果、建物の構造部材として使いにくく、外国産の輸入に劣勢を強いられるかたちにもなりました。
江戸時代は、都市周辺は禿山(はげやま)から、緑の街へと変貌した。画像はこちらとこちらからお借りしました。
さて今回は、上記のような近代的な林業の前に、江戸時代の林業について振り替えってみたいと思います。ここでは、木材供給としての役割だけでなく、村を守る、そして、国土や自然環境を守る重要な役割も果たしていました。
■森の役割
江戸時代における森の役割として、次の4つをとても大切にしていました。
①生産と消費をバランスさせた計画
②森林保護(枝などの採集を禁止)
③治水(伐採禁止)
④村落の保護(海岸砂から守る)
なお、江戸時代は1700年前半までに多くの森林が伐採され、その後も新田開発が盛んに行われ、国土の多くが禿山(はげやま)になった歴史があります。しかし、江戸幕府による積極的な植林事業により人口100万人の江戸の街には、武家屋敷の周囲を囲む屋敷林、寺社が所有する森が広がり、江戸市域全体の緑被地率は42.9%と世界でもまれに見る緑豊かな都市へと点あkンしたのです。
それぞれ、詳しく見ていきましょう!
■①生産と消費をバランスさせた計画
>森林を一度に伐り尽くすのではなく、その生産能力に応じて持続的に木材等の生産物を得ていこうとする考え方も現れます。例えば、20年かけて育てた蒔炭林を伐採して利用する場合、森林を20の区画に分け、ある年にはその1ヶ所だけを伐ることとすれば、毎年伐採をし続けても最初に伐採した箇所に戻るまでに20年間かかり、その箇所は既に20年育った森林になっています。
>このような方法で、安定的な伐採量を得られるように管理された森林は「番山(ばんやま)」、「順伐山(じゅんぎりやま)」などと呼ばれ、土佐藩・秋田藩をはじめ、各地で見られるようになりました。
・「日本における木材利用の歴史」/画像は、こちらからお借りしました。
■②森林保護(枝などの採集を禁止)
>江戸幕府は代官所に村々での植樹・造林を命じ、また、1661年、幕府と諸藩は林産資源保続のため「御林」(下草から枯れ枝まで採集を禁じた直轄林)を設けました。「留山制度」ともいい、それは「木一本、首ひとつ」というほど、厳しい制度だったそう
・「日本の森の歴史」
■③治水のために、無計画な伐採は禁止
>1648年熊沢蕃山は、岡山藩で乱伐、切り株の掘り取りを禁止する法令を制定し1654年にも再び山林の無計画な伐採を禁じ、 1656年山に松を植えるように郡奉行に命じました。木の根の掘り取りの禁止は土壌流出を防ぐためで、松を植えたのは荒地でも育ちやすい上に根を比較的しっかり張るからです。
>これについて蕃山は「集義外書」で「今は草木を切りつくすのみならず刈杭(切り株)まで掘申候。刈杭ほりたる山は、土砂多く、川中にながれ入り候。後に留山(伐採を禁じた山)にしても、木の根ほりたる山は、50年30年にては草木も有つかぬものに候」と述べています。当時は全国各地で大規模な新田開発が行われていましたが、蕃山は次のような点を顧慮しない新田開発に反対しました。
・「自然の災害(摂理)を受け入れながら、適応した江戸時代の治水技術」
■④村落の保護(海岸砂から守る)
>17世紀後半以降、海岸を有する多くの藩でいっせいに「海岸林」の造成が行われました。その理由は、江戸時代初頭の急激な国土開発による山地・森林荒廃の影響として、海岸で飛砂害が激化したことへの対策。河川上流の森林が劣化したことにより、流出した大量の土砂が沿岸流によって各地の砂浜海岸に到達し、それによって飛砂が発生したとされています。海岸林造成では、各藩とも試行錯誤の結果として、塩害に強く貧栄養な立地条件でも生存できるクロマツ林を成林させました。「白砂清松」と、日本人にとって見慣れたマツ林の起源は、このあたりにあるようです。
以上、江戸時代の森林政策について見てきました。特に江戸時代は、森がなくなり、村落や国土が荒廃し、大きな危機・災害に直面してきた教訓を元に、いかに森林を守り続けていくか、そして、国土を守り続けていくのかを追求されてきました。
森林保護は、一部の産業としてではなく、国民全体の課題として共認され、そして、全員が規範を守ることで、森林を保護してきた歴史です。
それでは、次の投稿では、戦後以降の林業の構造がどのように転換したのか、その原因に迫っていきたいと思います。
投稿者 hasi-hir : 2022年10月01日 TweetList
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