【これからの林業を考える】シリーズ3~国策的林業により衰退した日本の林業、生産と切り離されることで供給先を失った日本の山林~ |
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2022年09月29日
24節気シリーズ~日本人が捉えた自然観と暦:日本人にとって暦とは、世界と一体化するためのツールだった?
前回の記事までで、24節気が日本に導入されるまでの流れを見てきました。
中国の春秋戦国時代に、富国強兵の一環として、農業生産力増強のためにつくられた24節気が、日本に入ってきてから、自然と一体となり、季節や暮らしを楽しむための知恵として取り入れられてきたのでした。
今回からは、そんな24節気を、現代の私たちがどのように活用し、暮らしを楽しむ知恵として取り入れていったらよいか?を考えていきます。
その前にまずは、古来の日本人の思考に同化してみたいと思います。
1.縄文時代から日本に根付く自然観/宇宙観
私たちの祖先である縄文人が、どのような自然観/宇宙観を持っていたのか?
「共同体社会と人類婚姻史」というサイトから引用しながら考えてみます。
縄文人の世界観~万物の命の巡り、命の再生が自然の摂理2 より引用です。
【月】
月は形を推移させながら、約28日ごとに消滅し、3日間の闇ののちに再び立ち現れる。このような月を、縄文の人びとは再生の象徴と考えたようだ。同時に月は干潮、満潮に代表されるように、生命の源である水を司る大元でもある。
【蛇】
蛇は何度でも脱皮を繰り返しながら、或いは冬眠を行い、そのたびに再生する「蘇り」の象徴である。また蛇は男根に喩えられ、月から命の水を運ぶものとして意識された。そして蛇が交尾の際に絡み合う姿は、縄とそっくりであり、縄も生命エネルギーを象徴するものとして捉えられていた。
【縄文土器】
特徴は文字通り「縄の文様」が施されていることにある。縄とは上述するように交尾する蛇を表したものである。底が尖っている土器もかなりあり、これは実用性という観点からはかなり不便に作られている。かつ過剰とも言えるほど装飾が施されている。
【おかげ様】
感謝の気持ちを表すとき、たとえ言葉を向ける相手に直接何かしてもらったわけではなくても「おかげ様で」と言いますよね。
「蔭」とは隠れて見えない部分。目には見えない力の存在や、様々なことは巡り巡って繋がっていることを前提にしているからこそ、常に何事においてもそのような感覚を抱いていたのでしょう。
始原人類は万物と一体化し、眼に見えない万物の背後にあるもの=生命エネルギーを捉えていました。上記の考察からうかがえる縄文人の世界観は、万物の命を捉え、その命は姿形を変えて、巡り巡って再生している、循環していることを物語っているように思えます。
このように縄文人(日本人)は、目には見えないところにこそ本質を見出し、エネルギーを捉え、目には見えないものにこそ心を配って大切にしてきました。
2.「こよみ」で宇宙の動きを捉えていた日本人
そんな日本人にとって、24節気がどんなものだったのでしょうか?
その前に、日本人にとってそもそも「こよみ(暦)」とはどのようなものだったのか?を見ていきます。
和暦を知る (https://88d.jp/know/shikumi/)より、日本人が江戸時代まで1300年以上使っていた「和暦(太陰暦)」について引用します。
和暦のしくみはとても簡単。新月から上弦、満月、下弦、そしてまた再び新月へと、約二十九・五日周期で繰り返される月の満ち欠けひとめぐりを、そのまま一か月という単位にしたのが和暦だ。
和暦には新月の日を毎月のはじまりとする決まりがある。だから毎月ついたちは必ず新月。「ついたち」はもとは「月立ち」と書いた。まさにこの日から新しいひと月が立ち上がるのである。
ついたちが朔ならば、ほかの日付はいずれも朔から何日目にあたるかをあらわすことになる。このことから和暦では日付がわかればその日の月の形がわかる。
すなわち和暦では、日々刻々と変化していく月の満ち欠けとこよみが完全に連動している。つまり和暦を使うことは、まさしく月の満ち欠けと同じリズムで毎日を送るということを意味しているのである。
自然や宇宙のサイクルと私たちの毎日の暮らしをしっかり同期してくれる。この点にこそ和暦の真価はあるといえるだろう。
さらに月の満ち欠けは、太陽と地球と月の位置関係によって変化します。
つまり、日本の和暦は、宇宙全体の動き、サイクルと、暮らしを一体化するための暦ともいえるでしょう。
さらに、「暦」に「こよみ」という読みを与えた経緯にもその捉え方が垣間見えます。
暦という漢字はガンダレに「林」「日」と書くが、林は略字で、もとは「禾(のぎ)」をふたつ並べて書いた。禾は植物の穂が実って頭(こうべ)を垂れている様子を象形したもので、アワや稲など穂のなる穀物を意味する。
ガンダレに禾禾で「厤」。厤には屋根の下に穂がひとつ、ふたつ…と、整然と並べられている様があらわされている。ならばこれを「日」と組み合わせた「暦」は、一日、二日…と、日をきれいに並べそろえて納めたもの、といった意味あいになるだろう。まさしく〈暦〉である。そしてこの「暦」に日本で訓読みとしてあてられたのが、大和言葉の「こよみ」だ。
「こよみ」の語源は「日読(かよみ)」。二日、三日をふつか、みっかと読むように、古語では「日」を「か」と読んだ。一方、「読む」のほうには「数える」の意味がある。まさに日を数えることこそが「こよみ」であると。
日本書紀によると、大和朝廷がシナから公式に「暦」を取りよせたのは6世紀の欽明天皇の御代だが、それ以前の日本では月の運行にもとづいた、より純粋な自然暦または太陰暦が長く使われていたと考えられる。
創世神話でアマテラス、スサノオとともにイザナギから生まれた「ツクヨミ(月読/月夜見)」は月の神であるとともに、月の満ち欠けを観測して「とき」を計測する行為そのものでもあろう。「日読」はさらに古くは「ツクヨミ」だったといえそうだ。ツクのツ音が発声時に無声化することで「クヨミ」→「カヨミ」となったのかもしれない。
ここにも、中国と日本の自然観の違いが表れていると言えるでしょう。
中国ではやはり、農業のために作られた「暦(レキ)」であったのに対し、日本では、
月の動きを読み、月・地球・太陽の動きと一体となることそのものを「つきよみ」→「暦(こよみ)」としたのです。
日本人にとって暦は、宇宙や大自然と同期、調和していくためのものだったのではないでしょうか。そのために太陰暦が使われ、そんな太陰暦を日本人は1300年以上にわたって使用してきました。
画像はこちらからお借りしました。
3.「24節気」も大自然との一体化するためのツールとして取り入れた?
しかし、和暦では、季節と日付がずれていってしまい、そのため「閏月」を導入するなどする必要があり、それでもやはり毎年、日付と季節がずれます。
そこで、農事などの利便性から導入されたのが24節気です。24節気の暦は、太陽暦とほぼ一致します。
24節気とは本来、太陽の動きを24等分して暦にしたもの。
月を読み、宇宙と一体化してきた日本人の自然観で24節気を見た時、前回までの記事で見たように、より情緒豊かに生活に取り込まれていったのでしょう。ここまで書いて、情緒の豊かさの本質は、宇宙や大自然の見えない部分へどれくらい同化したか?ではないかという風にも思えてきました。
次回の記事では、日本に24節気が導入されてから新たに付け加えられた「雑節」について掘り下げながら、さらに日本人の自然観に迫っていきます。
投稿者 o-yasu : 2022年09月29日 TweetList
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